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第3次(1985)上海〜南京
石子路病にかかる

第3次訪中団の写真をとの依頼を受け、家中を探し回りました。なぜないのだろう、どこへ入れたんだろう。よく考えてみれば、震災よりもずっと前の写真。全壊した家から取り出せなかったのではとほぼ諦めかけていたらガレージの片隅に、解体の時の壁土まみれになった箱を発見。
ありました、思い出のブルーのユニホームに懐かしいみんなの笑顔が輝いていました。
17年前の記憶がつい最近のことのように甦ります。

 神戸石子路之会として本格的に中国大陸(上海から大連)3000kmのサイクリングを計画して3年目、この年は蘇州から南京まで604kmのサイクリングとなった。神戸市長および明石市長の親書を持って、南京市および無錫市を表敬訪問をするという、ちょっぴり公式的な面を持ちつつも、サイクリングを通じ市民レベルのさまざまな交流があった。

 休憩地点では土地のひとに囲まれ、片言の中国語、あるいは筆談、そして言葉をこえて気持が通じ合えた。また、日本の高校生の手づくりの創作絵本を持って幼稚園を訪問したり、団員が折った千羽鶴を持って療養所を慰問したり土地土地で心のこもった交流があった。あるときは、2人一組になり一般農家に泊まり、お互いに何とか通じ合おうと一生懸命にこころみて、やっとひとこと通じた時の嬉しさを味わいながら寝食をともにしたり、田んぼに入り一緒に農作業をしたり、見かけだけではなく生の中国の姿を見てきたような気がする。
 一方、サイクリングならではの醍醐味もあった。尻痛、病気、48回のパンク、40℃の暑さ、デコボコ道、転倒、いま思い出しても体が緊張してくる。観光旅行ではなく、みんなあえてしんどい旅行を選んだのである。疲労のピーク、ついに「もうダメだぁ」と思ったとき、仲間が励ましてくれる。ファイトコールがある。沿道の中国人からも「がんばれよ」と言ってるような声が聞こえる。

石子路之会に参加した誰もが思う事ですが、それぞれ、初参加の時の思い出が一番強烈です。その時の思い出をきっかけに何人の人が石子路病にかかったのでしょう。17年前の自分を見て我ながら輝いていたなあと思ったものです。
 暑さで溶けてベタベタになったアスファルトや舗装できてなくていしころだらけの、まさに石子路之会用の道路。 暑さもしんどさも、日焼けも二日酔いもなにもかもが嬉しかった日々。
 途中、太湖の遊覧船でのどんちゃん騒ぎとその後の酔っ払い運転。フラフラで道から外れて田んぼに突っ込む者。みんな若かった、毎晩の日日交流で毎日二日酔い。気分が悪く、頭がガンガンしても目が輝き、顔は笑っていた。
 下痢で、食欲もないのにペダルを踏むのが楽しかった。
 きわめつきは最終ゴールでのビールかけ。(この頃はゴール時のビールかけが恒例でしたが、途中から地元人の気持ちに配慮して取りやめになった。)

(松下 治正 3,4,9,11次訪中)

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