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第8次(1990)烏魯木斉〜哈密
「シルクロード走破の幕開け、38人の自行車の旅」

  

 烏魯木斉 上海から一気に移動した私達は、新疆ウィグル・ウルムチの地を第8次『シルクロード・自行車の旅』のスタート地点に設定した。ここウルムチは、漢民族と違って、ウィグル人が多く、気候風土や文化も中国東部とは大きく異にしているので、私達にすれば将に“異国の地ウルムチ”という感じである。
 烏魯木斉市人民政府の表敬訪問を終えた頃、人民広場は《熱烈歓迎》の人の波に埋め尽くされていた。人々は私たちの旅立ちを、美酒と爆竹で祝福してくれた。

砂漠・竜巻・塩湖・オアシス スタートして間もなく、民家は見られなくなり、行けども行けども限りなく地平線の世界。灼熱の太陽が私達に容赦なく照り付け、簡易舗装のタールが溶けて泥のように跳ね上がる。私達はひたすらペダルを踏み、そしてシルクロードを走行する。  
 一度こんなことがあった。私がボトルを落としてしまい、それを拾っているうちに一行から離れてしまった。あっという間に、たったひとり取り残されたのだ。見渡す限りの大地の中のたった一人の自分、その自分という小さな存在が不思議に感じられた。貴重な体験だった。心細くなる前にちゃんとリーダーが迎えにきてくれた事も嬉しかったのを覚えている。
 また、砂漠は私達にいろいろな自然現象のショウも見せてくれた。竜巻が幾度となくまきあがっていた。塩湖の塩は白く固まっていた。大風車がゆったりと回っていた。遠くの山脈が雪をかぶって、きらりと光っていた。蜃気楼で大地が揺らいで見えた。それらをちらっと見ながら、一生懸命にペダルを漕がなくてはならなかった。風で自転車が倒れそうなところも走った。走行を続けていくうちに様々なことに遭遇していった。

日が落ちて、私達はカレーズの流れの近くにテントを張って泊を取る事になった。女性は食事の支度、男性達はテントを設営したが、誰もがとても疲れていて作業が大変だった。けれど、そこは持ち前の石子路パワー、楽しく食べて騒いでそして、テントに早々と潜り込むことが出来た。その夜は、ぐっすり眠った者、風がテントをはためかせた為眠れなかった者、いろいろだったとか…
 炎天下も、村に入ると日陰があり、いったん陰に入ると、天山山地の風はとても涼しかった。未開放の村だったところは、初めての外来者を珍しそうに取り囲み、眺め、そして歓迎してくれた。けれども私達は陰で休むより自転車で走る時間のほうがはるかに長く、私達の肌は紫外線を存分に受け、その結果、水泡が出来、更にそれが潰れて痛々しい人も多かった。でも、そこは もちまえの自衛精神と言うのでしょうか、この薬がよく効くとか、あれを付けてごらんとか、特に薬に詳しい人がいて教えてくれたりするので安心できた。脱水症状で病院まで運ばれた人があったり、怪我で治療を受けながらのツアーを余儀なくされた人もありましたが、少々の事は石子路協力パワーで乗り切ったといえます。

 烏魯木斉から哈密までの630kmの自行車の旅は、シルクロード走破4000kmの幕開けとなり、幾多のアクシデントや困難を乗り越えていった実績は、以後次々と展開される『シルクロードの旅物語』の貴重な第一歩になったと思います。

 吐魯番・オアシス・火焔山・敦煌(莫蒿窟)・らくだ 
 トルファンは 果物がたわわに実り、水も豊富で、人々は活気に満ちているようだった。
オアシスで、旅人は心まで癒す事が出来る。私達の仲間も、厳しい自行車の旅の疲れにホッとして寛いだ。寡黙な村の子供に比べ、ここでは片言のボディランゲージで、子供達とちょっとした交流も持てた。勿論大人の人とは通訳をしてもらってではあるが、よく皆も喋った。余分な事かもしれないが、ここの葡萄をほおばった私達の仲間は、悉く身体の調子をこわしたと聞いた。
 敦煌は中国の文化の偉大さに大感激。にんげんの素晴らしさに大感激。そして、自然の素晴らしさに大感激。長い時の流れに感無量。            

(M.N 8、10、15、17次訪中)

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