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第13次(1995)長春〜大連
  阪神淡路大震災を乗り越え“平和銀輪隊”

13次訪中団、41名の平和の銀輪隊は中国東北地方の長春〜大連間804kmを走破した。
 1995年、阪神淡路大震災が起きた年に第13次訪中団は結成された。石子路之会の会員の中にも被害を受けた者が少なからずおり、「こんな時に・・・」という声や「こんな時だからこそ・・・」という声も聞かれたが、石子路之会としての選択は後者だった。私の自宅も被害を受け、参加にはかなり躊躇したが、参加して良かったという思いは時間の経過とともに強くなっている。
 またこの年は戦後50周年という日中の節目の年でもあった。私たちは8月15日(中国では戦勝記念日)を満州国の首都であった瀋陽(旧奉天)で迎えた。訪れた瀋陽の資料館では、関東軍の侵略・戦争の悲惨さを生々しく語りかける写真が展示してあった。それらは日本では決して公開されることのないほどのもので、彼らの憎悪の気持ちとともに見学者、特に日本人の心にグサリと突き刺さった。テレビの内容も反日ムードであった。しかし50年の歳月は、戦争犠牲者の冥福を共に祈ることや千羽鶴の贈呈を可能にした。団員の中にはこの街で生まれた者もおり、自由時間に生家を探すため瀋陽市街地を歩き回る一コマも見られた。平和な今だからこそ、日本と中国の歴史を改めて思い起こせると共に NO MORE WARを再認識している。
 草の根の国際交流を深めることもできた。ほとんど日本語がしゃべれない家庭に団員が分かれてのホームステイ。筆談・身振り・手振り・・・。その気になれば心が通じるもの・・・。大変うれしい出会い、経験となった。文通はできないものの(文章での意思疎通ができないため)、今でも年に1度の年賀状で心がつながり現在に続いていることもうれしい事実である。
 肝心のサイクリング、前半は石子路史上まれに見るほどの素晴らしいルートであった。澄み切った空、爽やかな風の中を走り抜けた。道路の両側に並ぶプラタナス並木と地平線まで広がるトウモロコシ畑。きれいに舗装された道路はアップダウンも少なく、快適そのものであった。ただ一点、あまりにも快適すぎて全体的に飛ばしすぎる傾向があったため、健脚でない私にとっては景色を眺める余裕はあまりなかった・・・。
 後半は遼寧省の大水害跡を通過した。ところどころ通行不能の所もあり、13名の選抜隊に線を結ぶ夢を託し、バス移動することもあった。バスの車窓から見た水害の凄まじさと人々の逞しさに心を打たれた。
 サイクリング最終日は朝から大雨。道路が冠水している中でのランとなる。泥水をかぶった道路状況では大穴があってもわからない。前輪に全神経を集中させて、安全に走ることのみを考える。泥水をかきわけ見えない道路を走る・・・“こけたらあかん”“迷惑をかけたらあかん”・・・。やがて雨も上がり、道路が見えてきたときの嬉しさ・安堵感。経験したものにしか分からない、言葉には言い表せない何かを感じる。心をひとつにして得た共感。これが石子路病原菌なのかもしれない。
 1995年は、日本では大震災、中国では大豪雨と、大きな天災に遭遇した年だった。13次訪中では <何があっても、前向きにがんばれば、必ず道は開けてくる> 生き抜くたくましさを学んだ年となった。

( K.F 11〜14,17,19,20次訪中)

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