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第15次(1997)長沙〜香港

香港返還記念行事

15次訪中の特徴
@香港返還後の初めて中国本土と香港を結ぶ。
  (香港返還記念行事・日中国交回復25周年・石子路訪中15周年)
A現代中国の歴史街道を走る。
  (長沙「毛沢東」→中山「孫文」→深せん「周恩来」→香港「自由貿易港」)
B自転車で長沙〜香港 720km
  (バス移動380kmを除く)
C湖南省の未解放地区の特別走行許可
  (半日でパトカー10台、動員警察官300名)
D広州市内(瞬間、3斜線石子路専用道路となる)・深せん(3車線のど真ん中を走行)・香港で交通規制(時速26kmで一団となりアップダウンの多い道を走る)
E香港で初のサイクリング許可
  (白バイ11台で警護、国賓でも前後2台だとか...)
F
阪神淡路大震災を神戸から発信
  (広東省人民政府・香港特別行政府に震災記録集を寄贈)

 出発

湖南省の長沙は、中国の四大釜と言われているところで(長沙、南京、重慶、武漢)夏の気温は40度以上になり、湿度も高く蒸し暑い。長沙からの出発は、ホテルからの走行の許可がなかなか下りず、夜遅くまで公安との交渉が続く。翌朝やっと許可されたが、朝のラッシュと重なり、公安(警察)が出動して、私達が安全に市街地を抜けるまで交通整理をしてくれた。
  湖南省の道路は、簡易舗装道路が施工されていたが、広東省に入ると、道路は、未舗装また工事中の道路が延々と続き、赤土でぬかるみの連続で、わだちの深さは日本の比ではない。雨が40〜50cm溜まっているところもあり、自転車を押したり、かついだりして移動した。

仏岡

長沙〜香港の中間に位置する広東省の仏岡の町で、夜、街へ出て夜店で餃子を二人前注文すると、大きな皿に餃子が60個ほど乗ってきたのには驚いた。
 店の人に「これで二人前か?」と聞くと笑ってうなずいた。
 中国の一人前は、材料の重さで決まっているようだ。たとえば餃子は小麦粉500gが一人前で、約30個出来るらしい。また、物価の安いのにも驚く。ビール大ビン8本と餃子二人前(60個)で、47元である。日本円に換算して約700円程度である。
 仏岡〜広州へ向けて走る道中も楽しいものがあった。自転車で走りながら景色を眺めると、畑の周りや、道路の周辺にバナナの木が沢山あり、手を伸ばせば、すぐに取取れそうで、日本の柿の木があちこちにある感覚である。

広州
 広州の街へ近づくにつれ、車の量、人の量がハンパでない。片側5車線の道路を、またまた私達の為に公安が全ての車両と人達を締め出して、5車線を石子路だけの専用道路としてくれた。まるでVIP待遇である。私達が、走り抜けるまで待機している人達に申し訳ないので、ホテルまで、全速力で走るが、広州市内は広く、なかなかホテルに到着しない。
 「食は広州にあり」と言われているだけ、食事は最高で、日本人の舌に合った味付けである。しかし、中国の人達は何でも食すると言われているだけあって、店先には、ヘビやカエル等が陳列されている。また、自転車の荷台にニワトリが生きたまま、両サイドに吊るされているのには驚いた。

深せん

広州より経済特別区・深せんへ向け自転車スタート!深せん市内に入るのにゲートがあり、ここで中国人は身分証明書と許可証、外国人はパスポートが必要である。他地域との賃金格差、極端な人口流入抑制、治安などを理由に、自由に行き来できない。
 一歩市内に入ると、道路には緑地帯があり、また高層ビルが立ち並んでいる。日本の神戸にも負けないような市街地である。

香港
 深せんより香港へは、二つの入管手続きを取らねばならない。香港が返還されても、一国ニ制度を掲げているためである。その為、香港に入国するのに1時間30分もついやした。
 香港では、自転車は登録制であるので、自転車走行の許可を受けるのに大変な苦労があった。香港で、集団で自転車を走ることは、デモ、集会に準ずる(公安条例)らしいが、私達の団は、公式訪問団扱いとなり、白バイ11台に警護されて走行できた。
 しかし、大通りは自動車が多いため、裏道や工事現場の中を走らされたが、ゴール到着時間を定められた刻限に遅れそうなので、大通りの交差点を遮断し、赤信号をフリーパスでゴールに20分遅れで無事到着し、シャンパンのかけあって喜びを確認しあった。

(飯野 信雄 12,15,19訪中)

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