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第17次(1999)成都〜重慶〜武漢
「うれし たのし 三国志」

 中国の中でも特に夏の暑さが厳しいことで知られている都市は「重慶」「武漢」「南京」。今年はその中の二都市、「重慶」と「武漢」が含まれているコースである。真夏の、とりわけ暑いと呼ばれる地、そして中国の故事で「蜀の国にのぼるのは天にのぼるのと同じ」と言われるほどの難路にチャレンジした。訪中団は40名、老若男女が励まし合ってサイクリングの合間の船旅を満喫しながらの旅となった。
 
  わたしにとって今年の魅力はなんといっても三国志の舞台を自分の足で走ること。いつの頃からか、中国という大国に魅せられ、その深い歴史をのぞいてみたくなった。孔子、論語、十八史略、始皇帝、楊貴妃、項羽と劉邦・・・等々、わたしの知識は、漢文も和文も取り混ぜて、史実も物語も区別なく、唐詩も漢詩もぐちゃぐちゃだけれどとにかく不思議な世界のとりこになった。中でもこれはたまらないというのが「三国志」。正しくは羅漢中の「三国志演義」。それも立間祥介訳の「三国志演義」でなくっちゃいけない。というのも、これをもとに脚本化されたのが、知る人ぞ知るNHKの人形劇「三国志」なのだから。再放送の再放送を何度も見ては、曹操の知略にため息し、劉備の人の良さにやきもきする。関羽の最期に涙し、孔明の機転にすがりつく。分かっていてもわくわくするのがこの物語なのである。その舞台を自転車で走る。自転車は???のわたしもこの機を逃す手はない。ましてやあの三峡を船で下るのである。
 悠久の時とはこんなのを言うのだろうかと、雄大でゆったりと流れる河と時間に身を任せた船旅は格別だった。閻魔大王をまつった鬼城や、劉備終焉の地と言われる白帝城に降り立ち、やがて水没するという町を複雑な思いで歩いた。途中から澄んだ水に変わっていく小三峡も夏風邪にまいっていた体をおして、無理してでも行った価値があった。
  白帝号の船上ではガイドさんの説明をよそに、泥だらけになった自転車を洗った。船内ではにわか講談会が行われる。三国志好きの石子路の面々が、おもしろおかしく「三国志」を語るのである。わたしもその一人、劉備・関羽・張飛の義兄弟が、臥龍と呼ばれた諸葛孔明を三度も訪れ、軍師に迎え入れたというエピソード、『三顧の礼』を語った。おじさん、おばさんたちが熱く語る「三国志」を中高生の若者たちはどう思っただろう、と考えるのもまた楽しかった。石子路ならではの感覚である。

 遠い「三国志」とは別に、この旅にはもう一つの歴史があった。戦争を知らない世代が「終戦」を肌で感じた一瞬、「8月15日の武漢」である。団員の最年長であるK.Sさんが54年前のこの日、この同じ武漢で終戦を迎えられたということをお聞きした。こんなに身近に戦争を感じ、と同時に平和のありがたさを実感できたことに感謝したい。これもまた石子路ならではの感覚であろう。

  悪路に閉口したり、伴走のバスとはぐれたり、土砂降りにあって泥人形になったり、パンクの嵐におびえたり・・・。逆境を団の結集力ではねのけた12日間だった。思い出すたびに胸に広がる妙味、つまりそれが「石子路ならではの感覚」なのである。

(田中 靖子 14〜17,19,20次訪中)

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