世界史上最長の休戦状態が続く板門店。一つの民族を真っ二つに分断する「38度線」上にあり、韓国と北朝鮮、それぞれの兵士たちがにらみ合っている。私たち戦後生まれの日本人には、想像もできない場所だ。9月9日、同地を訪れ、戦争の爪痕をかいま見た。

Reported by Shinya Nakade / 中出真哉

はるか北朝鮮をのぞむ。

 午前10時、バスでソウルを出発した。ジョークのうまい韓国人ガイド、パックツアーで来た日本人の団体。どこに行っても目にする光景。史跡へでも向かうような気分になる。

 1時間ほど走ると、道路に沿って流れる川の対岸に、北朝鮮が見えてきた。立派な街並み。日本で伝えられている貧困が嘘のようだ。だが、そこには人は住んでいないと、ガイドが教えてくれた。栄えていると思わせる「宣伝用の街」。毎晩、決まった時刻になると、一斉に灯りがともるという。

 さらに北進し、いよいよ非武装地帯へ。国連軍の検問を受けて中へ入ると、非常時に備えた「3つの壁」が待ち構えていた。壁といっても、造りはゲート状。一つ目には爆弾が詰まっており、いざというときは発破して侵入を遅らせるらしい。二つ目は地下に地雷、最後は鉄条網だった。

 防弾ガラスを施した国連軍の車に先導されて板門店に到着。軍事停戦委員会が開かれる本会議場の向こう側では、北朝鮮の兵士が監視台=写真下右=の前から、直立不動で私たちを見下ろしていた。

 一方、韓国側では国連兵が、仁王立ちで北側をにらんでいた。一般人が訪れたときは、こうやっていつでもピストルを抜ける姿勢をとり、護衛に当たるという。微動だにしない屈強の兵士からは殺気にも似た空気が伝わり、緊張感に包まれた。

 本会議場の中では、北側=写真左=へ“侵入”することが許される。しかし、それは観光客向けのサービスにすぎない。兵士たちは、たった一歩を踏み出しただけで「亡命」したことになってしまう。窓から見える境界線も、子供でも越せるブロックだったが、巨大な防波堤のような威圧感があった。

 北朝鮮が展望できるポイントで写真撮影などをして、帰路についた。バスの中でガイドが言った。「皆さんは今日、観光ではなく、見学をしたのです。同じ民族が一緒に暮らせないという悲惨な実態を忘れず、統一を願う私たちの気持ちを理解してください」。

 パスポートでは越せないライン。1日も早く消えてなくなることを願いたい。


北側;監視台

南側;畑がある