2004年 オヤジの雑感
◆はじめに・・・
後半に挫折してしまう意志の弱さを露呈する典型的なパターンを繰り返しながら5年目に入る。昨年の雑感は、その崩れ度合いが激しかった。そして、今年はついに冒頭から出遅れた。もう開き直り、雑感なのだから雑にやろうと思う。ちょっと、言葉の解釈が違うか・・・
書式も今までと同じ。付け足し易いように、画面上で日付が遡るカタチになる。即ち、このすぐ下が最新の雑感である。
12月31日(金)
いよいよ大晦日。今年の文字が「災」というとおり、台風がいくつも日本を縦断し、大きな地震があちこちで起き、凄惨な事件がいろいろと発生した。
昨日は奈良の女児誘拐殺人事件の犯人が逮捕された。報道内容を見る限り、自分が捕まることがあるとも思っていないような言動を直前までしていたようだ。今までどんな人生を歩んできたにしても、罪は罪。同情の余地は無い。
そして今朝の朝刊には来年から「ビール値上げ」の見出し。どうもマスコミはメーカーを悪者にしたいようだ。今回のリベート廃止と納価改訂を望んでいるのは、小売も卸も同じなのだ。
ビールは利益が薄い、儲からない、だから積極的に売りたくない状態をどうやって是正していくのか、当たり前のコストオンの価格設定が今までできていなかった、それをやろうというのだ。今までの経緯は経緯として、業界全体がまともな業界として今後も存続するためにこれが最期のチャンスである。
一時はお客様の一部がビールを控えるかもしれないが、そんなお客様にも飲みたくなる、飲んで幸せになる価値を提供できるようになりものだ。
12月26日(日)
無理無理に最期に駆け込むつもりもないのだが、昨日芦響の練習で久しぶりの再会の機会をもった。今度の演奏会は年明け早々の芦屋市民オペラだが、ソリストの一人が実はかつてオヤジの会社に勤めていた先輩Kさんだったのだ。
チラシを見て知っていたのだが、昨日通しの合わせの練習で再会した。入社が3年上で、オヤジが最初に赴任した工場で丁度Kさんはそこから転勤が決まっていたおり、オヤジと同時に赴任した同期に仕事を引き継ぐわずか2週間ほどの重なりでしかなかった。
Kさんはその数年後初志貫徹で会社を辞めて音楽の道に進まれた。オヤジが関西に再び転勤してきて、Kさんの地元ということで近いことは解っていたが、なんだかんだと年賀状のお付き合いになっていたが、こんなご縁もあるのかという驚きと、改めて音楽の世界はどこかで繋がっている狭さとを強く感じた。
12月25日(土)
年も押し詰まって久々に短期間での雑感。駆け込みと言う無かれ、まさに図星なのだから。とにかく突然身近に現れた。「クリスマスって、キリストの命日でしょ?」
「えっ?!違うの?」なんて言っている人がまたどこかでいるに違いない。これぞ平和日本、宗教は人生におけるセレモニーメニューという日本らしい。
そして1週間後は皆が神道に浸かる。「何、それっ?」という声がまたまた・・・
12月23日(木)
この2週間は昼よりもまず夜の忘年会、送別会などが続いた。昼は昼で2回の出張もあり、あっという間だったし、オヤジも結構疲れた。まさに師走を実感といったところ。こういう時に平成の世に祝日がきたのはありがたいというか、忙しい時に迷惑というか、いずれにしても久々にノンビリと過ごした。
もう今年もあと1週間余である。あと何回今年の雑感を書く気になるだろうか。
オヤジの会社も来年に向けたプランも固まった。それだけでなく10年先にどうあるべきか?この先、高齢化社会を迎えて一層健康意識が高まる中で特に国内酒類市場の先行きは明るくない。そんな中で会社としての発展のためにやるべきことは何か?オヤジの会社は酒税で守られている分甘いかもしれない。それでも、そんなオヤジの視線からも「甘い!」というしかないのがNHKや大阪市の不祥事。
NHKにしても、大阪市にしても、そりゃ黙ってても金が入ってくるのだから、油断すればその「意味」が吹っ飛んでしまうわけだ。それも一度や二度ではなく、次から次へと問題が湧き出ても税収や受信料収入が明日から突然に激減するワケでもなく、当事者もそのとおり高をくくっているに違いない。人のウワサも75日。
それでも平和な日本は宗教とは全く無縁な歳時としてのクリスマス真っ盛り。きっとクリスマスって何?って尋ねた時に「一番好きな人といっしょにいる日でしょ。キリスト?何それ?」なんていう人がいるに違いない。そんなバカな・・・いやいやそんなバカなことが平気で起こるのが「今」なのだ。
12月12日(日)
昨日のJリーグチャンピョンシップの第2戦は大いに見応えがあった。オヤジとしては浦和に勝って欲しかったが、横浜が所謂「試合巧者」で一枚上手だった。しかし、浦和は点こそ思うようにとれなかったが、自らのスタイルである攻撃サッカーに徹していた。こういった試合こそがお客様を楽しませ、ファンとして定着する礎になるのだろう。
是非、プロ野球もこんなエキサイティングな状況をもっと作り出してもらいたいものだ。来年のパ・リーグが楽しみ。楽天、ソフトバンクがどんなスポーツビジネスとして展開するか、もう東京ドームの入場券を新聞購読の販促でばら撒く巨人頼みの時代は完全に終わった。
さて、木曜日に大フィルに行ったが、久しぶりの誰より拍手を先にしたいオジサン(だと思う)に余韻を破られてしまった。演奏会形式の歌劇「サムソンとデリラ」の第一幕の終わり。
来年の定演プログラムも発表になり、来年の今頃は「トスカ」。2年続くから恒例になると決め付けるのは早いかもしれないが、時期に限らずこういった意欲的な取り組みは、聴衆の一人としてとてもうれしい。まだ、出演するほうも聴衆も、演奏会形式のオペラの楽しみ方に慣れていないという雰囲気が覗えたが、拍手フライングオジサンを除けばご愛嬌だ。
いずれにしても、客として楽しめたことが何より。そして木曜日は久々の大フィル定演後の焼鳥「六源」での一人酒。思わず、POPに惹かれて最期の一杯と頼んだ大吟醸辛口と謳った日本酒が旨かったが、よく効いた・・・
12月5日(日)
おとといの朝、オヤジが通勤で利用する某私鉄は人身事故のために、朝の通勤時のダイヤがとても乱れていた。ほぼいつもどおりの各駅に乗ったのだが、特急への乗り継ぎのところで普通10両編成で来る特急が8両編成だった。当然、超満員の中に発車するも走ったり止まったり、先行車がどうも詰まっていたようだが、車内は普段に無い超満員の中で次第に蒸し風呂状態になりノロノロ運転している・・・、とある地点からいきなりスピードが上がった。
某私鉄にとっても非常時、鉄道屋としては一刻も早くダイヤを回復させることが至上命題だろうが、「ダイヤが乱れていること」はすぐに解るし、どうしようもない。乗客はその次の情報・対応を欲している。そしてダイヤが乱れれば混むのも解っている。乗客は混んだ時にどんな気遣いをしてくれるかを期待している。
ダイヤが乱れているとはいえ10両で来るはずの時間に8両が来てしまうことを案内すること、満員になった車内の温度は必然的に上がって蒸し暑くなるから窓を開けてもらうアナウンスや空調を作動させること、先行車が詰まっていてもどのように詰まっているのかの状態を案内すること、いずれもそのつもりでシクミを整えればできることだと思うのだが、オヤジが期待したことは何もなかった。オヤジは決して無茶を要求しているとは思わない。
ひたすらダイヤが乱れていること、駅で遅延証明を受け取って欲しいことの連呼で通常15分弱のところを50分かかって降りたターミナルでは、平常時に「ご利用ありがとうございます。」「おはようございます。」と頭を下げて連呼しているのだが、それこそ頭を下げる方の自己満足であって、乗る立場からは何もありがたくもうれしくもないものだ。
お客様本位のはき違え、他山の石としなければ。
11月28日(日)
横綱 朝青龍の強さが目立った九州場所だった。千代大海は何故14日目の対戦の時に千秋楽の若の里に見せたような突きを出さなかったのか?千秋楽に見事朝青龍を破り、さて出来レースか?と思わせた魁皇も惜しかったが、綱とりは来場所以降にした相撲協会の判断は至極妥当だ。横綱になることよりもなってからのことを考えれば、今場所の3敗の内容があまりにお粗末だった。是非、これでも横綱にしないかとばかりに初場所で活躍して欲しい。
それよりも白鵬や若の里といった若い力士の台頭は楽しみだ。最近、大関になってから伸び悩む、ケガに悩む力士が多いだけに「間違っても横綱」と言われる白鵬には、一気に綱まで突っ走ってもらいたいものだ。
昨日、今日は職場の慰安旅行。魚&ビール三昧の2日間。さすがに疲れた・・・
11月15日(月)
昨日、オヤジの住む市の市長選挙があった。確かにおもしろみに欠けるし、二人の候補者のどちらかが決定的に良いなとは感じないが、どちらに託すかの意思表示は市民の義務だと考え投票に行った。
ところが今日新聞で確認すると投票率がなんと26%そこそことのこと。有権者の約4分の1しか投票に行っていないのだ。そこで半分の票を獲得しても有権者全体の8分の1の支持による市長再選。確かに秋の行楽シーズンとはいえ、こんなに無関心でエエんかい。
この市もご多分にもれず財政は火の車と言いながら市会議員の数だけはシコタマいるらしい。昨今このエリアにおいてはマンション建設ラッシュで急激に人口が増えているが、財政難の煽りで学校や幼稚園の整備が追い付いていないそうだ。
そんな現状でも黙って自分の子供は関係無い市外の私立校に入れちゃうのだ。自分が投票したって世の中変わるわけじゃなし、誰が市長やったって現状が劇的に変わるわけじゃなしとダンマリを決め込んじゃうのだ。自分さえ良ければOKというミーイズム丸出しの「市民」たち。街の価値は、黙っていれば与えられるものではなくて、皆で作り込んでいくものだとオヤジは思うのだが、寂しさを感じると同時に恐ろしさすら感じる無関心度だ。午後6時半の投票所でヒシヒシと感じた寂寥感。ああ、さぶ・・・
11月7日(日)
「業界の常識は世間の非常識」と、オヤジの会社・業界でも自戒することが多いが、プロ野球は長い間限られた仲間でやり続けていただけに、今回一気に噴出した印象がある。
審査側が、審査対象の企業に、しかも審査中に自分の球団を買わないかと持ちかける。単純に言えばそういうことが起きていたと理解した。
当初は買いたいという企業がいるにも関わらず、合併を決めたのだから売れないといっていた業界から、舌の根も乾かないうちに2つも売りに出て、買いたい人いませんか?と声があがる。
企業規模と業務内容を比較審査するだけで1ヶ月もかかり、長期間の赤字に耐えますかと審査対象に質問している方から、もう長い間もったからいいのだとばかりボロボロと脱落者が出る。
具体的球団名を書くとそれなりの事情もあるだろうが、事実として起きている事象だけを見ると、どう観てもまともな業界ではないどころか、社会的にみてもコンプラアンスの欠片も無い。これが「人気」を資産にビジネスしなければいけない業界で起きているところは、腹立たしさを通り越して滑稽としか言いようが無い。
しかし・・・とオヤジは思う。こういったバカバカしさすら、来年に向けた人気復活のために、敢えてシカケているのだとしたら、凄い戦略だゼ。
凄い戦略と言えば、アメリカ大統領選挙の意外な大差にも驚いた。まさにグローバルなアメリカと対照的なローカルなアメリカの一面を見た。
日本は島国根性と言われるが、実はアメリカも地図をみれば、北にカナダ、南にメキシコの2カ国と国境を接するだけで、真ん中にいる人にとってはアメリカは島国同然に違いない。人によっては世界では皆英語を話しているのだと真面目に思っている人もいるし、日本人はいまだにチョンマゲを頭に載せて刀を懐に挿していると信じている人もいるのだ。
思わず信じられないと言えば、前回の雑感の前日に起きた新潟中越地震は未だに大きな余震が続いているようだ。正直なところ、あの地震で上越新幹線が脱線したニュースに接した直後、月1〜2回東海道新幹線を利用しているオヤジは新幹線に乗るのが不安になり、真剣に飛行機に切り替えようかとも思った。
でも、少し落ち着いて考えればどこにもリスクはつきもの。ということで、先週も東京への出張は新幹線を使い、行きは見事な富士山と対面、帰りは爆睡で往復あっというまの5時間だった。
10月24日(日)
先週の土曜日の演奏会から早くも1週間が経った。演奏会としてはお客様も当面の目標だった1500人を超え、9月に逝去した団長にも喜んでいただけたと思うが、オヤジ本人としては万全で臨めずやや不完全燃焼気味だった。弾けている、あるいは弾いているのだが、何かシックリこない、ハマった!という感触が無かった、そんな演奏会だった。
次回は定期演奏会ではなく、芦屋市民オペラで小編成でのオペラの伴奏。普段はなかなか経験できないことなので、緻密なアンサンブルを楽しみにしている。
その後、先週後半は凄まじい台風23号。当日、メンバーには早く帰宅させたものの、結局オヤジは台風は過ぎた方が楽とばかり、どうせやることなど絶えない仕事なので21時過ぎまで会社で仕事をしていたら案の定雨は上がって、びしょ濡れにならないぞラッキーと思ったのだが、予想以上に吹き返しの風の強いこと・・・。重量級のオヤジでもまっすぐ歩けない状態だった。とはいえ、ダイヤは乱れつつもなんとか動いていた電車で通常より30分ほど時間がかかっただけで帰宅でき結果オーライだ。
この台風で大きな被害が出た兵庫県豊岡市、京都府舞鶴市はどちらもオヤジの仕事のテリトリー内で知っている土地だけに、あそこまで水に浸かってしまうのかと、翌朝テレビで映された映像を見て驚いた。一日も早い復旧を願う。
加えて、昨日は新潟中越地震。文字通り、「天災は忘れた頃にやってくる」。今までの災害の教訓がどれだけ活かされているかが常に問われるところだ。行政は上手くやって当たり前で、何かあると教訓が活かされていないと責められる厳しい立場だと思う。しかし、まさにそこに使命があるのであって、オヤジは上手くやれとは言わないが、感受性を鈍らせずに対応して欲しいと思う。
それにしても被災地の情報が欲しいのはヤマヤマだが、報道の人たちの一部には、現地に乗り込んで自分が正義の使者になったように、ここぞとばかり偉そうに行政の対応を非難し、被災者の気持ちも考えずにマイクを向ける記者サマもおられるようだ。今回もそんな感じの映像を見てオヤジは思わず「オマエこそ何様だ!」と感じた。アンタの気持ちはいらない、こういう時は事実を正確に伝えればそれで良いのだ。
10月16日(土)
木曜日の早朝に上京して会議、翌朝また早朝に福岡に飛んで会議、その日の夜に帰宅して、今日は芦響の演奏会本番だ。そんなの甘いと言われるだろうが、さすがにオヤジにとってはタフなスケジュールだが、やるっきゃない!(古い・・・)
新球団の審査でライブドアのアダルトサイトに関わることが問題視されたと聞く。有価証券報告書にウソの記載をしたあげくにインサイダー取引の疑惑のある企業、すったもんだのあげくに銀行に見捨てられて国のお世話になるしかない企業、本業の失敗で長年の球団をあっさり手放す企業、BSE絡みで子会社が補助金を不正受給していた企業、大学選手に小遣い渡していた企業・・・
おいおい、どっちが社会的に問題のある企業なんだか・・・。偉そうに審査云々と言えた義理かい!この際、既存球団も全て審査し直した方がエエんちゃう?
10月10日(日)
本日は親バカ丸出しの私事。オヤジの息子が小学校最後のサッカー公式戦(県大会の市予選)の決勝戦で、宿敵のチームを初めて下して優勝した。ここ2年ほど最後の最後で勝てない相手だった。一人一人の差は無いのだが、試合をするとどうしても勝てない、それが見事に2−0での快勝だった。
2ヶ月前の市のサッカー協会が主催するサッカーフェスティバルでは予選リーグでこちらが負けてしまい決勝トーナメントに出られず、相手は地元チームとして初めて優勝したのだから、今回も相手チームは負ける気がしていなかったことだろうが、却ってこの悔しさをバネにした2ヶ月の進歩が大きかった。相手にほとんどゴールを脅かされることなく、バックからのドリブルの責め上がりで一気にシュート、サイドからのパスに合わせたヘディングシュートとオヤジが何度も見てきた試合でも見られなかった多彩な攻めでの完勝だった。改めて、子供達の可能性に感動した。
小学校ではまずサッカーを好きになること。コーチの指導方針が子供達を遅々とはしているが伸び伸びと育てたに違いない。とはいえ、県大会は強豪ぞろい、果たして白星を掴むことができるか?少なくともこの勝利で得た子供達の自信は今後への大きな糧になるはず。
10月3日(日)
アメリカの正義は世界の正義だと豪語して憚らないアメリカは間違っているか?しかし一方で、大リーグ記録を外国人に破られてもそれはそれで称えるアメリカがある。
外国人にだけはタイトルを取らせたくないと無意味な敬遠をする日本は間違っているか?しかし一方で、自国の国旗、国家に誇りが持てず、「愛国心」という言葉すら嫌悪感を持つ日本がある。
イチローの記録の報に接して。BY オヤジ
9月26日(日)
先週もやっぱりプロ野球ネタだろうか。選手はやはり最後は一人一人の力の世界で生きている人であり、経営側は組織の中で行かされてきた人たちなのだ。この2週間を観ているとその感を強く持つ。
換言すれば、自立した人たちと日和見の人たちとのやりとりだった。所詮日和見にとっては自分たちではなく、周りの雰囲気が最も尊重すべき判断基準なので、結局主義主張を譲り合うというより、経営側が周囲の雰囲気に砕け散るという言葉の方がオヤジにはシックリとくる。周りの雰囲気に流されやすい割には周りの雰囲気を読めていない脆さも露呈した。
参入したい、買収したいという企業が名乗りをあげているのに、合併をどうしても白紙に戻せない理由が相変わらず解らないし、新規参入のIT企業同士が何故仙台で競合し合う必要があるのかも解らない。四国松山でも、東名の中間点静岡でも仙台に劣らないマーケットの可能性があるように思う。アルビレックスと手を組んで新潟という手もアリかなとも思うし、とにかくマーケットは仙台オンリーで競合というのが解らない。
マスコミがウガッタ見方をせずとも、ライブドアの後をいやらしくも追ってくる楽天には、実質どちらの会社を選ぶかという二者択一に話題の本質を逸らそうという既存勢力の意図があると思う人は少なくない。
新興勢力かもしれないが、バックには既存の勢力が丸見えであり、楽天も敢えてそれを隠そうとしていない。ITだから革新的かどうか?は、解らない。これもNPBの審査過程で注視したいところだ。少なくともこういったバックの勢力の有無が審査の決め手になるとすれば、NPBの体質は何も変わっていない。
歴史が古いだけで自らの経営の失敗のツケで球団を売る企業が品格のある企業かどうか?本業の質はそっちのけで、ビール券だ、野球の観戦チケットだとオマケを付けまくって新規契約に血道をあげる企業が球団を持つに相応しい企業なのか?NPBは、審査過程で申請企業をどのように評価するのだろうか。
9月19日(日)
ついに、プロ野球はストに突入した。既にオヤジにとっては試合があろうが無かろうがどうでも良いことになっていると実感する。
それにしても感じるのは、経営側の感覚がいかに鈍らになり、自らの業界を取り巻くファンとズレているかに気づいていないところ。自分の言葉で話す古田選手会会長とは対照的に、誰が書いたか文書をただ読み上げるだけの経営者側代表は、間に合わせると言っている新規参入球団の話も聴かずに時間が無いの一点張りだ。どなたかが言っていたが、球団を合併させ、球団数を減らして、あわよくば来シーズンからリーグも減らす作業には時間が十分あるらしい、楽しいくらい誰にでもウラが見えてしまう理屈が、古い構造を持つそれぞれの親会社の業界の昔ながらの大人の論理。
そして今朝の某局のTV番組で、プロ野球選手OBの大御所の一人が、野球界以外の外野からとやかく言われたくなく、これはプロ野球の問題としてプロ野球に携わる解っている人たちだけで解決すべきだと、これはこれで怒りの発言。したがってコミッショナーがケシカランなどと業界外の人から言われたくないそうだ。これには、オヤジもありゃりゃ・・・と呆れてしまい、番組内でも開いた口が塞がらない方が映っていておもしろかった。
こういった価値観が、プロ野球を目先の人気の上にアグラをかかせ、ビジネスとして破綻させつつあることを本人は気づいていない。もう、巨人の星のような自己満足の野球道の時代ではない。魅せなければ、お客様はお金も時間も割こうとはしないのだ。そして何よりも業界外を無知と決め付けて内部処理しようとする内向きな感覚は、ビジネスとしては自殺行為である。
9月12日(日)
昨日はニューヨークのテロから3年目の日だったということをオヤジもテレビの番組欄を見て思い出すのだから、人の記憶というものはいい加減なものだ。あの日は会社の同期と梅田で飲んでいた。ビルに飛行機が激突?ビルって大阪南港のトレードセンターか?そんなピントのズレたやり取りをしていた。
最近は「人の噂も75日」どころか、1週間もすればどんな大事件でも忘れられてしまうくらい、世の中の動きは早く、次から次へと大事件が起こる。
たまたま見た番組が同じ9.11テロがテーマでも、実はアメリカ政府の陰謀だったのでは?という番組と、テロの犠牲者になった家族の生き様のドラマという全く違う性質のものだった。
少なくとも多くの人が慌しい時間の流れの中で忘れ去っていく、あるいは印象が薄くなっていく中で、確実に生きている限りそのことを忘れる得ない人たちがいるということを強く印象付けられた。
プロ野球史上初のストライキか?と騒がれた先週末だったが、オヤジにとってはライブドアが新球団を果たして設立できるかくらいが関心事で、もうどうでもいいことになっている。
球団経営をされている方々の中には、親会社の宣伝媒体としてコストセンターで球団を保有していたはずなのに、少し親会社の経営が厳しくなると球団も経営体だなどとお話になる。その前の営業努力は相変わらず横並びのおざなりにも関わらず。そして、皮肉にも親会社がダッチロールしている九州の球団が、実は集客成果をあげる地道な営業活動をして、親会社の経営に貢献している。
経営者の方々が今のスタンスのままだと1リーグでも2リーグでも結果に大した違いが出ないとオヤジは思うが・・・
9月5日(日)
一昨日、オヤジの所属する芦屋交響楽団の団長が亡くなり、昨日はお通夜だった。1967年に芦響を立上げられ、程なくご自身はプレイヤーの立場を離れ、ずっと団の発展を見守ってきてくださった方だ。
所謂、通夜の儀が終わったあと、団長の前で演奏した。丁度、予定通りであれば練習日にあたっていた日で、メンバーも揃っていた。深夜の葬祭会場にフルオーケストラが鳴り響く。オヤジは個人的に親しくしていた訳ではないが、演奏会直前の練習、演奏会、そして打ち上げの時、静かに見守り、時に饒舌に語られた団長の姿が思い出された。合掌。
ロシア、北オセチア共和国の学校占拠事件の結末は、多数の子供が犠牲になるという、なんともやりきれないものであった。モスクワの劇場選挙事件に引き続き、強攻策の選択。一人の命より、全体の秩序という論理は、恐らくオヤジだけでなく、日本人の感覚には馴染まないものに違いないが、世界には確実に存在する価値観なのだ。批判するのは簡単だが、何故そういった価値観が生まれ、選択されるのかを考えなければいけないと感じた。
下のブラジル選手、実にさわやかだった。悔しい気持ちもあるだろうし、もし妨害が無ければとも本音ではまだ思っているかもしれないが、名誉を薬物でもぎ取ろうとする動きが未だ絶えない中で、十分に金メダルクラスの印象を残した。
リッパ!!
8月30日(月)
アテネオリンピックが閉幕した。最後の最後で初めて深夜にライブで男子マラソンを見てしまった。トップを走っていたブラジル選手が観衆に競技を妨害されるという前代未聞のハプニングだが、冷静に考えると悪意の有無に関わらず、屋外の一般道路で長距離を走り、観衆と競技者を分けるものは時には何も無い状況で、この競技は常に相応のリスクがあるのだと改めて感じた。
でも、あのような妨害が無かったら結末は・・・とブラジルの人は考えるだろうな。
この週末、ちょっと近場の海外旅行に行ってきた。そこは車優先、それでも車が来なければ赤信号で歩行者はガンガンと横断してしまう。エスカレーターや空港の歩く歩道も日本より速い。空港でもくどいようなアナウンスなどない、バスも電車も同様、降りる停留所が近づいたら自分で判断して下車する。
割り切りの側面、日本人から見ると冷たい、野放図といった感覚もあるかもしれない。一方で日本より遥かに自己責任に委ねない厳しい規律の側面もある。
そんな街で改めて感じる西欧流自己責任の世界。何か問題が起こるとすぐに徹底したフェイルセーフ思想で、自己責任より社会問題として問題を取り除いてしまう今の日本のやり方、果たしてどちらが人間にとって優しいのだろう。
8月24日(火)
沖縄の米軍ヘリの墜落事故とその後の米軍の横暴そのものの出来事。冷戦時代の沖縄米軍に染み付いた奢りがそのまま出ているとオヤジには思われてならない。単純に何様じゃ?!と言いたい。
日本国民は、こういう時に本気で怒らなければダメではないか。団塊の世代の中で、日の丸にも君が代にもプライドが持てないサヨクの人たちがいるのは勝手だ。一方で日の丸にプライドをかけてアテネで奮闘しているワカモノがいる中で、一部の団塊の世代はプライドの欠片も覗えることなく、会社集団の中で埋もれているだけ???
さて、長島ジャパン敗れたり。まだ、銅メダルの可能性があるとはいえ、プロ野球の一流どころをそれなりに揃えて、あのキューバでなく、オーストラリアに連敗とは・・・、オヤジは全く良くやったなどという同情をしようとは思わない。かつて、バスケットでドリームチームで横綱相撲をしたアメリカとは情けないくらいのギャップだ。
球団経営側が相変わらず巨人中心幻想で、選手会に対しても高飛車に1リーグありきと突っ張っている間に、現実は井の中の蛙、ゆで蛙現象、いずれにしても世界で通用しない事実が露呈した。ここ一番の勝負に弱い、日本プロ野球の現状を知ったことがアテネ最大の収穫だ。
8月22日(日)
そういえば、アテネオリンピックの隠れて目立っていなかった甲子園で凄いドラマが起こっていた。ダルビッシュが成しえなかった深紅の大優勝旗の白河越えを一気に津軽海峡越えにしてしまった北海道勢初の駒大苫小牧高校の優勝だ。相手の済美が優勝しても通算6校目創部3年での春夏連覇達成という大一番。80周年を迎えた夏の甲子園(高校野球)が大きな存在感を示した。
塵芥亭新装オープン、実は準備は進んでいるが、着々とでないところが辛いところ。狼少年と化しているとこの際開き直った上で今しばらくお待ちいただきたい。
8月16日(月)
ガンバレ男子代表!とハッパはかけたものの、5点取っても7点取られては勝ちようがない。なでしこジャパンは決勝トーナメント進出を決めたが、残念ながら山本ジャパン男子は予選敗退となった。アテネ経由ドイツ行きのはずだ、最後のガーナ戦での圧勝を期待したい。それが大和魂、男の意地というものだ。
男の意地といえば、意地や根性等の悲壮感を感じさせずに、かつての欧米流に自信満々と勝って見せた北島は凄い。勿論、表に出ない努力の積み重ねだが、世代が変わったという月並みな驚きと心地よさ。それにしても、北島はこれから石原都知事の公約したご褒美で2年間焼肉を食わせてもらえる。折角だから焼肉といえば、ビール。スポンサーのキリンのビールを飲みまくって欲しい。2年もビールと焼肉を食い続けたら、きっと痛風になるぞ・・・と下らんことを考えてしまった。
オヤジは、土日プラス今日で3日間の夏休みだが、実質オヤジが好きに過ごせるのは今日だけ。塵芥亭新装オープンに向けて久々にシコシコとPCに向かう。近々にはなんとかと思いつつ、これも今では狼少年と化した?
8月15日(日)
なでしこジャパンが、スウェーデンから金星を奪いながらもナイジェリアには決定的なチャンスを活かせず惜敗したが、現実的に考えれば予想以上に大健闘している。男子代表と比べてテレビを見ていてストレスが溜まらないのは、イザという時に実力を発揮できているからに違いない。ガンバレ男子代表!
本音と建前、二枚舌、大人の対応、表と裏、氷山の一角、腹芸。なんか寂しくなるほどの華やかさでの出来事。プロ野球の新人獲得は決して巨人だけでない、温泉は伊香保や那須、水上に限らない、安全第一が標語と化しているのは関西電力の原発だけとは思えない。
昨日の朝日新聞の「疑問解決モンジロー」に酒税にも消費税がかかるのという記事が載っていた。お役所もいつもどおりの「酒税だけではない」「業界の特殊性」を盾に正当化のご説明をされていた。60年以上も前の歴史を今の業界に背負わせたり、各企業が全くコントロールできないものをその企業のコストだと言ったり、オヤジはその業界の人間だからバイアスがかかっているのかもしれないが、普通の人たちはこの説明で果たして納得しただろうか。
そういえば、甲子園で高校野球をやっていたんだ・・・
8月7日(土)
先ほど中国で開催されているサッカーのアジアカップの決勝戦で日本代表が中国戦を制し、2大会続けてアジア最強のタイトルを獲得した。下に書いたようにオヤジの願ったとおりの結末。
日本代表は完璧なアウェイでブーイングの嵐、なおかつエコひいきの審判の判定をものともせず勝った。要するにサッカーが強いから勝った。ただそれだけのこと。それだけのことだから、今一度声高に叫ぶオヤジ「アッパレ!!」。爽やかな日本への凱旋待ってるぜ!
8月3日(火)
先ほど中国で開催されているサッカーのアジアカップで、日本代表がヨルダン戦に続いて今夜のバーレーン戦でも延長戦を制し、2試合続けての神がかり的なゲームで決勝戦進出を果たした。これはもう理屈抜きに「アッパレ!」
ここまできたら、決勝戦でホームの中国に進出してもらい、ブーイングの嵐の中でこれを撃破して欲しいと願うのはオヤジだけではあるまい。そしてサッカーに勝ったことを爽やかに誇り、さっさと引き揚げてくれば良い。サッカーが強い、それで国民は盛り上がる。サッカーの場ではそれだけで良いのだ。
8月1日(日)
中国で開催されているサッカーのアジアカップで、日本代表が中国サポーターから総スカンを喰らっているようだ。国歌に対してもブーイングが浴びせられ、ジーコ監督ですらその点についてマナーが無さ過ぎると苦言を呈している。
とはいえ、こういったアウェイそのもののプレッシャーの大きい環境下で日本代表はとにもかくにもサッカーで勝てばいいのだと思う。これは所詮サッカーアジアカップでしかないのだ。歴史問題どうのこうのと中国の一部のサポーターが騒ごうと、ここでは所詮サポーターのマナーの問題以上のものではない。危害、暴力でない限りは、そんなものなのだと思うしかない。全世界に普及するサッカーだけに、あちらの常識、こちらの非常識は起こって当たり前だとオヤジは考える。
そうそう、ブログのHPの友人の日々日記はますます快調のようだ。手軽にアップできるということがあるのだろうが、やはり毎日毎日話題を見つけて、ちょっと一言は簡単そうでオヤジから見ると大変なことで、ホントに脱帽!
これをキッカケに結構ブログはボピュラーになっているのだということも改めて気がつかされた。こうやって、シコシコHTMLで週1回ウィークエンダーで更新しているのは実は時代遅れ???
7月25日(日)
最近、オヤジの友人で新しくブログを使ってHPを立ち上げた人がいる。恥ずかしながら、オヤジは「ブログ」なるものを知らなかった。ウェブログが短くなってブログ、簡単に言うとウェブ上の公開日記みたいなものが簡単にできる。
内容のアップが楽とはいえ、この友人も毎日のようにコメントを入れているのは大したものだ。月2回ペースのこの雑感ですら危ういオヤジには到底マネできるものではないし、しようとも思わない。
オヤジの業界にとって、昨年の「夏は何処行った???」という冷夏と対照的な今年の猛暑は大いにフォローの風になっている。100人のセールスより気温1度アップの世界である。とはいえ、今年は低価格のビール風飲料の猛威にさらされており、競合上は喜んでばかりはいられない。発泡酒も正しくはビール風飲料かもしれないが、最近は麦を全く使わない、あるいは焼酎と混ぜるなど、ビールもどきの世界が安価に売られている。
先月も触れたが、オヤジはとても懸念している。確かにお客様がお買い上げになり、売れれば正しいのかもしれないが、これらは所詮どんなに頑張ってもビールではない。だが、お客様がそれをビールとして飲んでいるという点だ。
ビールの値段が変わらなくても、発泡酒、ビール風飲料と安い商品が出ることにより、相対的に本来のビールは割高感が増した。割高感の源は、酒税の税制の歪みに他ならない。実はビールもビール風飲料と税制が同じであれば、ビールも××××ワンとほぼ同じ価格で販売することも不可能ではないのだ。
ここで国は考える、だからビール風飲料も発泡酒もビールと同じ税金にすればいいのだと。しかし、ビールの税率は70年以上前の昭和13年という太平洋戦争前の時代背景、ビールがまさに高級酒であり料飲店で飲まれていた飲み物の頃に定められているのだ。税収確保というが、生活感を背景に作られた法律が約70年も抜本的に見直されていない。これは年金問題と同じくらい官僚の怠慢だ。官僚は国のために働く。そしてその国は決して国民のためにあるのではなく、国のために国民があるのだ・・・としか思えない。
7月19日(月)
オヤジの3連休は、文字通り3連休だった。家族があちこちに出かける中で、最近では珍しく一人留守番役でのんびりと過ごさせてもらった。
とはいえ、特に昨日はほぼ一日パソコンと睨めっこだった。ここ4、5日間パソコンの調子がおかしいと思ったら、ウィルスにやられていたようだ。ウィルスワクチンを入れているからって安心できないのだ。
さて、実は今回初めて専門の有料サポートを使った。電話をかけるとすぐ担当者に繋がり、丁寧にこちらがパソコンの操作しながらの電話に付き合ってくれる。一つの相談事で10日間同じトラブルなら同じ料金内で対応してくれる。値段は決して安くないが、電話がつながらない、つながっても通り一遍等の無料メーカーサポートのおかげで成り立つビジネスに違いない。
今回は30分ほどのサポートでなんとか原因がほぼ解明し、その後の作業こそ大変だったが、十分に値段に見合うサポートで満足だった。おかげでパソコンは快調に復帰。
7月9日(金)
オヤジの予想どおり・・・出た。昨夜の大フィルの定演は、ブルックナーの交響曲第8番。まさに故 朝比奈隆の十八番であり、大フィルにとっても意味深い曲を、朝比奈の誕生日が今日ということを意識して組まれたプログラム。大植は、朝比奈の重厚な厚みに対して、かなりドラマティックで起伏の激しいブルックナーを組み立てたというオヤジの印象だった。冒頭硬さが目立ったが、終盤に向けてはかなり良い演奏だったと思う。
そして演奏終了後の拍手の中で予想どおり「出た」のが、朝比奈の写真。どこで出すのかと思っていたが、燕尾服の内ポケットに演奏中もしのばせていたようだ。客席では思わず涙ぐむご老人も・・・。まさにエンターテナーである。お客様がどうやったら喜ぶか、大植はよく知っている。
エンターテナーのはずが、なにやら怪しげな資本家の集まりの感があったプロ野球のオーナー会議。おまけに、時代錯誤の階級闘争的感覚のオーナーが労働者たる選手が資本家と対等のつもりとは何様のつもりだとの発言が事実なら、オマエが何様だと返すしかない。しがえねぇ「ブンヤ」上がりじゃねぇか。
1リーグか2リーグか、そんな外枠だけやっても所詮消化カードは消化カードとして残る。あの新潟でサッカーで2〜3万人の観客を集めることができるのだ。試合数の違いと言えばそれまでだが、事実としてそれより大都市にある球団が毎回何千人(それも水増しした数で)しか集客できないのはやはり営業努力不足は否めない。その体質を引き摺ったまま、皆でジャイアンツにおんぶに抱っこか・・・
6月30日(水)
オヤジは昭和44年以来、近鉄のファンであり、近鉄バファローズのファンだったが、オリックスとの合併交渉以来、少し近鉄という会社にガッカリしている。
球団経営の営業努力、近鉄グループとしての企業経営、地元大阪への地域貢献、これらの狭間で葛藤してきた歴史に違いないが、チーム数が減ってパ・リーグ存続の危機にも繋がる合併への決断にはドライな企業経営の側面が、阪神の反発必至ながらも複数フランチャイズ主張には奇妙な使命感を帯びた地元企業としての地域貢献面が・・・というように、課題によって全く異なる側面が、結局自分たちに都合の良いように最優先として表に出してきているような気がしてならない。
そして、今日買収意向を持つ新興ベンチャー企業が名乗りをあげたことに対する拒否対応に至っては、バファローズファンはなく、パ・リーグもなく、営業努力、企業経営、地域貢献どれにもあてはまらない単なる企業面子を表に立ててきたように感じる。
今のまま合併してもファンは少なくとも2球団分の厚みにはならないに違いない。赤字球団同士がくっついただけで黒字になるとも思えない。増してやファンを増やす地道な努力をし続ける期待も持てない。
ということで、本日を持ってオヤジのページから近鉄球団と勝手にリンクさせていただいたものを解消することにした。
6月28日(月)
昨日、商業施設の吹き抜けのエスカレーターで2歳の幼児が転落して亡くなるという痛ましい事故があった。この商業施設はオヤジの家の比較的近くで何度か行ったことがある。場所を知っているだけに、何であの場所で事故が起きるのかという不可解な印象だ。どんな事情があろうと、何故2歳の幼児の手を離すのか、何故幼児の行動に頻繁に目を配っていないのか、オヤジには理解できない。
またぞろ施設の安全性、吹き抜けは危険だといった議論が巻き起こるに違いないが、オヤジには余程手すりも柵も無いところに時速数十キロで電車が進入してくるプラットホームの方が危険だと思う。
結局、危険予知能力の有る無しなのだ。オヤジが危険予知能力が優れているとは決して自惚れていないつもりだが、自ら危険から身を守る努力なのか、社会が守って当然だと無防備でいるのか、乱暴な分け方を承知でそんな違いなのだ。いずれにしても、怪我をしたり、命を落としてからでは遅いことは間違いない。
6月27日(日)
参院選が始まった。始まる前から低投票率が懸念されているようだ。様々な調査からそんな傾向が出ているのだろうが、 これだけマスコミで言われるとなんか行かなくても良いような気になってしまうヤツもいるんじゃないか。所詮、世の中気に食わないことばかりだが、投票したかしないかで自分にとっては何も変わりゃしないと考えているに違いない。
自分の身に直接何かの影響が及ばないと気がつかない。まるでアリとキリギリスのキリギリスそのまま。皆、冬が来ることを考えないようにしている。
先週の芦響は今度の定期を振っていただく黒岩先生の初練習。最初だけに、まだまだ暑苦しさ、粘っこさという曲の中身というよりも全体の枠組みを作っている感じだったが、曲を止める度に何のために止め、何をどの程度要求しているのかがよく解る心地よい練習だった。
今回のメインはドヴォルザークの新世界交響曲。クラシック好きであろうとなかろうと多くの人が知っている「家路」(遠き山に日は落ちて)のメロディで有名な曲だ。あまりのポピュラーさに約4ヶ月の練習期間中、飽きてしまうのではという懸念も持っているが、今のところ弾く度に新たな発見、奥の深さにさすが名曲と感じ、楽しんでいる。
6月13日(日)
年金の法案が決まってしまった。あんなに簡単に決めてしまっていいの?というくらい、論議の打ち切りから決める時は数の論理であっけない押し出し一本。
どこまで参院選でも論議になるか?ここまで好き勝手されても有権者は自分の一票の軽さに無力感を感じるまでもなく、興味を失っている。そして、それをいいことに社会保険庁は特にやり方を変えようとはしていないに違いない。
人の噂も75日、今は2週間も噂されれば長い方で、未納議員の罪悪感は人生いろいろとばかりに何処へやら・・・
佐世保の小学生の事件に限らず、インターネットの生活への浸透度が高まる反面、リテラシーの弱さを感じる。世の中、便利になればなるほど使い方が重要なのだが、どうも使うと言うより使われているようにオヤジには感じられてならない。便利さの享受にはやはり「節度」が必要だ。
オヤジの業界ではサッポロのエンドウマメ酒が好調だ。「やってみなはれ」のサントリー社が麦焼酎と麦酒の混ぜモノでは勝てないと今度は麦焼酎と発泡酒の混ぜ物で「より安く」対抗する。確かに消費者にとって「より安い」ことは悪いことではない。しかし・・・、ホントにこういう方向でいいのか?オヤジはやっぱり何事も「限度」があるべきだと思う。
「限度」、「節度」をわきまえられないことと、リテラシーの弱さ、そして論議し尽くす前に数で押し切る、それぞれに同じ殺伐とした流れを感じる。
5月30日(日)
この週末、なんとか塵芥亭をリニューアルしようかと考えたが、どうにもこうにもアイデアが浮かばない。思えば、最初にこのHPを立ち上げた時は本社での間接部門での勤務で、結構ニュートラルな立場で自社、他社問わずいろんなことを観ることができたものだが、その後営業に出て、どうしても日々の仕事との結びつきが強まると、切り口の鋭さより身びいきなコメントになってしまいがちで、切れ味が鈍ってしまう。
そんなこんなでそのうちにと思っているうちに、コンテンツはかなり時代遅れになってしまった。翻ってみると実はHP立上げから今年で10年になることにも今日気づいたこともあり、時代遅れのものはいちど区切りをつけた上で新たなコンテンツを考えてみることにした。
いつになるかは確約できないが、とにかく店を閉めないことだけは拘る。
さて、先週木曜日の大フィル定期は、大植が音楽監督になって初めてイマイチのコンサートだった。とにかく、全体に雑。意欲はいつもどおりに前向きだったが、それがそのまま荒さになってしまっていた。オルガンの初歩的なミスも興ざめ、これなら芦響の方が上手かった。指揮の秋山のノリもイマイチ。まあ、プロでもタマにはこういうこともある。
その落胆を救ったのが、毎度コンサート後に立ち寄る「六源」。この日は、どうしてもここの焼鳥を食べたいという後輩と店で落ち合った。前もって予約をしていたこともあるが、我々のためにとっておいてくださった「肝つくり」は最高。その前の週に休暇をとってフランスに行っていた後輩は、本場フォアグラも真っ青の三田地鶏絶品の肝のまろやかさに感激していた。勿論、オヤジもコンサートのことはすっかり忘れて、焼鳥を堪能。
5月14日(金)
今日は人間ドックを受診した。特に異常は無かったが、日々の飲酒と焼鳥好きは、年々体への負荷が少しずつ大きくなっているのかもしれない。末永く楽しむためには節制も必要だと今日のところは思っている。
話はガラリと変わり、国会議員の年金の未納問題については、今更ながら年金を皆が意識する機会になったことは確かだ。未納をケシカランというより、未納が許される、あるいは意図的でなくてもこれだけ当たり前のように未納になってしまうシクミに問題があると見るべきではないかとオヤジは思う。未納だから役職を辞めろと迫るのではなく、こういった問題のある制度を抜本的に見直さないまま、相変わらず先送り的な小手先の制度改革で相変わらず乗り切ろうという姿勢、そして己たちの優遇された議員年金制度には頬かむりを決め込む姿勢にこそ、鉄槌を下すべきだろう。
それにつけても公明党の未納者発表時期、対応は拍手喝采ものだ。公に明るい党???冗談でしょ?
さて、芦響の定演も先週の土曜日に無事終わった。オヤジとしても、久しぶりのヴィオラの演奏で、肩の筋が張ったり、左の手首の関節痛になったりと大変だったが、充実感のある演奏会だった。
ただ残念だったのは、演奏の余韻を楽しむ時間を、一人のお客様の拍手によって他の多くのお客様に味わっていただけなかったことだ。恐らく、その方は素直に楽器の音が無くなれば音楽は終わり、拍手をしなければいけないのだと考えてくださっていたのだろう。
でも、実は曲が終わるというのは音が無くなる時ではなく、演奏家の緊張が解けた時(指揮棒や楽器を下ろし、体が弛緩した時)なのだ。この実際に楽器の音が鳴っていない時間こそ、演奏というプロセスを経るからこそ得られる贅沢な数秒の時間であり、オヤジにとっても至福の瞬間であり、演奏活動を続けたいと思ってしまう麻薬のような瞬間なのだ。
お客様は責められない。でも、大フィルの演奏会でも時々起こる状況、やっぱりちょっとガッカリする。
4月25日(日)
最近オヤジの会社の競合社から発泡酒より安い発泡酒に似た商品が発売され、それなりに売れている。残念ながらオヤジの会社の発泡酒商品も少なからず影響を受けている。安いだけでは売れない時代になったと言われようと、値段には常に敏感だし、値段で動くお客様が居ることは確かなことだ。
そういった酒を紛い物とか言うつもりはないが、オヤジはこれが健全な状態とはどうしても思えない。何故なら、これらの商品は、決してお酒を飲む人のニーズから産まれた商品ではないからだ。
昭和初期に当時のお酒の状況を背景に整備された酒税法が根本的な是正がされないままに今に至っているのだから、現状にマッチしていないどころか、様々な矛盾を抱えたままになっているのは当たり前のことだ。確かに昭和初期はビールが高級酒であり、日本酒や焼酎は大衆酒だった。しかし、戦後の高度成長期にはどんどんその構成が変わっていったにも関わらず、高い税率でだまっても総需要が伸びていた時代に当然税収も自然と膨らむとダンマリを決め込んだ。確かに、こんな便利な打ち出の小槌を簡単に手放すことは、たとえ役人でなくても誰でもしない。
問題はその後の経済も低成長、アルコール総需要も伸び悩みの時期に入っても抜本的な見直しを行わず、外圧によってようやくその場凌ぎ的な部分改定に終始するだけでなく、メーカーの酒税法の枠内での節税の工夫を、その都度それがあたかも脱税をしているかのごとく狙い撃ちした場当たり的増税措置でその需要事態に水を差してきた悪代官的なやり方だ。結果として、極端な見方をすれば、国はビールの代用としてエンドウマメのお酒や、焼酎と割ったビールをビールの代用として飲むことを国民に強いているともいえる。
しかも酒税に消費税をかける二重徴税、それも消費税増税の増税感を国民に抱かせないための下準備として4月からはじまった総額表示によって、普通の国民にはますます見えなくなってしまっているのだ。
4月24日(土)
今日のサッカー女子日本代表の試合は感動した。なんか男女の違いなんてことでなく、同じ国の代表でこうも精神の強さが違うものかと、とにかく観戦していてこれだけ気持ちのいい試合はなかなか無い。
ハングリーさの違いと言ってしまえば味気ないが、とにかくテレビを通じてでも気迫が通じてきた。まだまだ日本も捨てたものではない。
4月18日(日)
あっという間に前回の雑感から1ヶ月が経った。これだけ間が空いたのはオヤジにもそれなりいろいろと取り込みごとがあったのだが、この期間、オヤジにとって「個」と「公」について考える機会がいくつかあった。
六本木ヒルズの回転扉の事故におけるフェイルセーフと立入禁止ルール遵守の問題、イラクの日本人拘束の事件における個人の安全と国家の安全の問題等々だ。
人間は過ち、失敗を犯すモノである。だからどんなに失敗しても安全であることへの配慮は必要なことだが、一方で立入禁止のルールが立て看板表示やロープ程度では一向に守られない状況、これは子供に対する親の躾も絡んでくるが、要は「個」の主張の結果として「公」が軽んじられている現実でもある。
個人の意思と国家の意思、個人の安全と国家の安全、どちらが尊重されるべきという議論、たまたま先週の新聞に日本人人質拘束事件についてイラク人が日本は3名の人命で国をあげて騒いでいるがイラクではそんなことはありえないという意のコメントがあったが、それだけ個の人命が尊重されてしかるべきという世論の裏側で、日本という国家についての危機意識・関心の低さが露呈していたように思う。
イラクはまさに国家存亡の危機にある。国家が無くても人間は生きていけると主張する考えはあるが、何故イスラエルとパレスチナはここまで闘うのか、2000年近く自国を持てなかったユダヤ人の歴史の事実、あるいは他国によって自国の歴史、国土、体制までも歪められてきた人々の価値観や想いを日本人はとこまで理解できるのか。
また日本人は、日本という国のことをどこまで真剣に考えているのか。日本という国家は存在するのが当たり前のモノであり、無くなることはありえないモノのであり、何か問題があれば責任を押し付けられる都合の良いモノであり、一方で官僚批判に代表されるようにあってもろくに役に立っていないと感じているモノ。無くてはならないが無くてもいいかな・・・日本人にとってはそんなモノになっているに違いない。
オヤジはマスコミも含め、「個」と「公」がゴチャ混ぜに議論されていることが気になる。人質事件の場合は開放されたことによって個人責任の問題が取り上げられるようになったが、違う結果であったら果たして個人責任の視点は出てきただろうか。回転扉の場合は、設置企業側の社会的責任の面からも問題が次々と出てきたので一概に論じられないかもしれないが、回転扉イコール危険という論調には首を傾げざるを得ない。
昨日のTV某局であるコメンテーターが「個人主義」と「利己主義」は違うと言っていたが、オヤジは同感である。
民主主義と言いながら、個人責任であるべきものまで当然のように公へ責任転嫁しようとする利己主義が日本人に蔓延ったは、日本人が江戸末期の開国以降、日本人が国家存亡を意識し積み重ねた歴史の末、第2次世界大戦で敗戦したわずか50年余のことである。
3月14日(日)
木曜日に大フィル定期の帰りに「六源」に行った。行った時はほぼ満席だったが、最近は出が遅くて引きが早いということで、鳥インフルエンザの影響はいよいよ深刻さを増しているようだ。
店長もここが我慢のしどころということだったが、この情報過多と言われる時代において、実は多くの人が極めて限られた情報の断片でなんとなく判断しているのだなと感じた。勿論、オヤジはいつもどおりおいしく朝挽きの三田地鶏をいただいた。
オヤジが相変わらず気になるのは、どこもかしこも携帯電話と睨めっこしながら歩いている、車を運転している、はたまたバイク、自転車をヨタヨタと片手運転しながら、携帯電話で話している図だ。
携帯電話をしながら運転しているのではなく、まぎれもなく運転しながら携帯電話をしているのだ。昨日は、ヘルメットをズラしてフラフラと走る原付の若い男性を見かけた。追い抜きざまにチラっと見ると、まさに携帯電話を耳にあてるためにヘルメットをズラしており、視線は前を見ているが意識は電話に集中という表情だった。
こんな輩と接触しても車の方も過失責任を免れない。早々に距離をとって追い越した。くわばら、くわばら。
3月6日(土)
木曜日にオヤジが大学時代に所属していた慶應義塾ワグネルソサィエティオーケストラの神戸公演を聴きに行った。現役の演奏を聴くのは卒業以来わずか2度目である。気がつけば、この4月でオヤジも卒業して満20年になる。舞台上で演奏している団員のうち下級生はまだ生まれていなかったことになる。改めて時の流れを感じた。
演奏プログラムは、オヤジが高校時代に高校のオーケストラで初めて演奏したウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、そしてオヤジがワグネルの現役で2年の時に定期演奏会や演奏旅行で引いたワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲、そしてメインはマーラーの交響曲第9番という、なかなか重たいプログラムだった。
率直なところ、オヤジが現役だった頃よりも、はるかに上手だった。難曲でもあるマーラーの9番も最後まで緊張感が途切れず、4楽章は絶品だった。演奏後、オヤジの後ろにいた学生とおぼしき2人組は、「最後、聞いてても緊張してくるな」とうれしい感想を述べていた。
惜しむらくはお客様の少なさ。恐らく2〜3分の入りだろう。あまりの少なさに拍手も頼りなく、折角の好演に水を差してしまった。恐らく、東京での定期演奏会はいつも満席だと思う(オヤジの時もそうだった。)。こういった時のOB等々へのアプローチによる集客努力もある意味での勉強だ。
いずれにしても、遥か後輩達の好演による、久々のワグネルサウンドを堪能した一夜だった。
2月22日(日)
金曜日の夜に「六源」に行った。鳥インフルエンザの影響はやはりじわじわと出ているとのこと。今回は東京から出張できた人を連れて行った。ここの美味さはオヤジも自信をもっている。勿論、皆大変満足してくれて多少なりともお店にも貢献ができたか。
今年はスギの花粉は少ないとのこと。そうはいっても、そろそろ時折鼻がムズムズしてくるようになったので、関西よりは花粉が多い東京に出張に行く前日の水曜日に鍼治療に行った。効果覿面で、無事に東京出張を乗り切れた。オヤジはここ数年、鍼のおかげで薬は全くお世話になっていない。やはり薬なしが楽だ。
2月8日(日)
木曜日にインターネットの接続を光ケーブルに変えた。オヤジの住んでいるマンションでもようやく光ケーブル対応ができるようになったので、同じようなコストを払うなら少しでも大容量の方がいいという単純な動機だ。しかし10Mbpsから50Mbpsで5倍速くなったかという感覚は無い。
思い起こせば10年以上前に、最初にオヤジが始めたパソコン通信の時代は確か文字だけで2400bpsだったと思う。それでも画面をスクロールして流れる文字に感動したものだ。それから9600bpsになり、モデムの進歩で33.4Kbpsになり、ISDN回線になって64Kbpsになった時も、そのサクサクっと表示される画面が印象的だった。今や、そんなことは当たり前になり、オヤジもサクサクっといかなければ、すぐにイラつくようになった。当たり前のレベルが上がると、理想のレベルも上がるものだ。
話はガラっと変わって、大阪府知事選挙が史上最低の投票率40%そこそこで終わった。太田氏圧勝といえど、結局有権者全体の2割そこそこの支持なのだ。勿論、まともに候補者を擁立できない政党にも問題はあるかもしれないが、僭越ながらそんな無関心でエエんかいっ!と言いたい。大阪府の財政は実質崩壊しており、杜撰な事業は債務超過で民間なら倒産モノ、それをなおも税金投入で尻拭いしようとしているのが現実ではないか。歴代の責任者はその責任すらとらずに、しっかり退職金をもらって悠々自適であるに違いないのだ。
年金制度改革も然り。改革とは名ばかりで、タレ流しはそのままに、保険料徴収のやりやすさのみ、入口だけ広げようと躍起になっている。
こういったことを一つ一つ変えるには、まずは参政権という基本的な権利であり義務を行使せずして、何の風穴も開けられない。義務を果たさず、気に喰わないから保険料を払わない、税金を逃れようとしているのなら、それはテロリストと本質的に何も変わらないのだ。
1月31日(土)
何年ぶりだろう。柄にも無く、熱を出して会社を2日間休んだ。日曜日から咳が出るなとは思っていたが、月曜日に出社はしたがなんとなく体がだるく、関節が痛み出してきてこれはヤバイと昼から早退して医者に行ったところ、ドンピシャ。インフルエンザであることが解った。
ただ、医者からもグッドタイミングの来院と言われ、特効薬と処方された薬を服用したら翌日昼には平熱に下がった。たまたま、回復後に出社したところ、会社でも同じタイミングで同じようにインフルエンザにかかった人がいて、この人も全く同じ薬で同じように回復したとのこと。こういう時は素直に「医学は進歩したなぁ」と感心した。
インフルエンザと言えば、会社でも冗談とはいえ「鳥ですか?」と度々訊かれた。焼鳥好きのオヤジにとっては、牛丼よりも深刻な問題だ。とはいえ、オヤジが食べる焼鳥はタイ産でも中国産でもなく「地鶏」。したがって関係ないとばかりに、昨年からかなりご無沙汰してしまっていた「六源」に、昨夜の大フィル定期演奏会の帰りに立ち寄った。
金曜日の夜でもあり、普段から繁盛店だけに座れれば儲けモノとばかりに飛び込んだらあっさり座れた。久しぶりに絶品のせせり、さんかくやキモ造りなどを堪能したが、訊けば、やはり影響は出ているとのことだった。それでも、一人で1時間少しいるうちに、結局お店は満席になっていた。さすがに、美味い物、中味がしっかりとしているものは、強い。
昨夜の大フィル定期演奏会は、尾高指揮でブルックナーの9番がメイン。朝比奈没後、初めての定期演奏会でのブルックナー。オヤジは学生時代に尾高さんで8番を演奏する機会をもったことがある。実は尾高さんもブルックナー好き。8番もそうだが、9番にも長いアダージョの楽章の後半に、ほんの一瞬だがブルックナーの素朴な本音が垣間見えるところがある。その一瞬の魅力を教えていただいたのは当時の尾高さんだった。今回もその一瞬をしっかり堪能。いい演奏だった。その後の「六源」の焼鳥とともに、充実した金曜日の夜だった。
その代償として仕事はしっかり残したままになったが・・・
1月25日(日)
今年最初の雑感。と言いながら、既に1月も下旬になっている。
年末の紅白で審査員票が全て白組にいった。そりゃ、天童よしみが悪いワケではない。トリの組み合わせを見れば勝負にならない。これはどちらかというと製作側の責任だ。オヤジは天童さんが気の毒に感じた。相変わらずバブリーな孔雀の飛び損ねはご愛嬌で、イラク復興支援がどうのこうのと言っても、日本は平和だぁ・・・ということなのだ。
瞬間的にボブサップVS曙のK−1に視聴率が負けたそうだが、自分がテレビを見る側として考えれば、特に驚くことではない。もう、一つのチャンネルをダラダラと何時間も見続けるような時代ではないのだ。オヤジもそこだけは曙がもろくもリングに崩れるところは見ていた。タレント化したとはいえ、それなりに修羅場も経験したサップに2ヶ月で互角に戦おうって方が無理。曙には次を期待しよう。
年初は、相変わらずのワンパターンのお笑い、駅伝オンパレード。これをつまらないという人もいようが、オヤジにとっては、正月から小難しいモノを見たいとは思わない。どうせ、食べて、飲んで、寝ているだけだから、何も考えずにボーっと見られるものがイチバン。
駅伝といえば、箱根駅伝も一大イベントとなった。元は関東の大学だけのローカルイベントである。何故か、全日本学生選手権よりもメジャーになり、オヤジにとっての競合S社さんにとっても格好の年初プレゼンの場となっている。今年はエンドウマメでつくった発泡酒が目玉らしい。勿論、安さを求めるお客様に応えることは必要だが、日本のビール文化は歪んだ税制のおかげで、酒という点からは奇妙な方向に向かっている。勿論、情緒的で短期思考の各メーカーの自業自得でもある。オヤジも業界人の一人として、微力ながら、まともな業界になるような仕事をしていきたい。
奇妙と言えば、昨年来、年金についての話題もことかかない。オヤジもグリーンピア三木を利用したことがあるし、厚生年金会館でコンサートを聴いたこともある。これらが、実は我々が納めている年金保険料を増やすために運用している事業ではなく、ただ使い込んでいる役人の道楽であるということを、改めて認識した。それにしても、我々が将来のために納めている保険料の半分近くが既に使い込まれていて存在しないというのは、もう怒る気にもなれない。
そりゃ、定年なんか関係なく死ぬまでしがみつこうと思えばしがみつける議員さんや、50代以降が本格的な稼ぎ時とばかりにあちこち席を暖めては移る度に退職金というお小遣いが入る役人さんには、年金があろうが無かろうが関係ないんでしょうが、こちとら切実な問題。結局は自分の力でなんとかするしかない。きっと皆がそう思っているから、もう怒らない。いまだに人に頼ることしか考えていないのは、振ればお金が出てくる打ち出の小槌を持っている役所くらい。
議員さんといえば、参議院の一票の格差が5倍以上あるそうだ。2001年の参院選は合憲だが、この格差の存在は国会の怠慢だとさすがの最高裁も言ったらしい。識者の試算によれば、3割そこそこの国民で国会議員の大方を選ぶこともできてしまうそうだ。これが民主主義かい?
次は認めないと言いながらも、やはり5倍格差がある状態を合憲ということがやっぱりおかしい。国会以外のどこに投票資格者の票の格差が、何の理由もなく5倍もあることを許されている仕組みがあろうか。
しかし、国民は怒らない、投票もしない。だから、国会もそこにあぐらをかいている。投票率が5割そこそこで、そこに衆議院でも格差があるのだから、3割そこそこどころか1割から2割で国会議員を決めているのは既に現実のことなのだ。それが国民に信認されただの、国民の代表だと胸を張り、「先生」と呼ばれて偉そうにしている。勿論、全員がそうだとは言わないが、そういう輩も国会議員になってしまっているから、学歴詐称だの、道路だけは国民への約束だと一環して譲らないだの、国会が議論でなく詭弁がまかりとおる場になっているに違いないのだ。これは少し冷静に考えるだけで、かなり恐ろしいことだということは、誰でも理解できることだ。
一人の国民としての存在の主張。それは、たとえ選択肢が限られたものであっても、違いが仮によく解らなかったとしても、参政権の行使であり、それを安直に放棄すべきでないとオヤジは思う。
ちょっと遅れを取り戻そうと気張り過ぎた・・・