2002年 オヤジの雑感

◆はじめに・・・

昨年一昨年同様に、最低週1本というところから始めた昨年の日々雑感だった。

 結果、完璧とはいかなかったが、ほぼ自分に課した最低週1本のノルマは達成できたと判断している。
 今年は、「日々」を外し、基本的には週末にそれまでの1週間を振り返る形でいこうと考えている。
 書式は昨年と同じ。付け足し易いように、画面上で日付が遡るカタチになる。即ち、このすぐ下が最新の雑感である。


12月30日(月)

みそかではあるが、2002年最後の雑感。上に書いてあるように今年もいけなかった。己に甘い自分について若干の反省。
 人間、40を越えると月日の経つのが加速度的に速く感じるが、今年に限ってはなかなか盛りだくさんで長かったとはいわないが、いろいろとあったなと改めて思い出される。
 世の中にも、会社にも、そして己自身にも「これでいいのか?」と問いかけ、考え続ける1年だった。
 ただ考えていただけではダメ、やはり行動に移さなければ、少なくとも、自分がこうあるべきという方向には何も変わりはしない。それだけに、来年は一層「行動」に焦点に当てた年にしたい。
来年は秋に酒類小売について事実上免許規制撤廃の年、そして春にはほぼ間違いなく発泡酒が増税になる。仕事上で、相当の変化が予想される。とにかくわくわくドキドキ、そしてイキイキといきたいものだ。


12月15日(日)

与党3党で発泡酒の350ml缶1本当たり10円の増税が合意された。与党が合意したということは、基本的にこれが現実になるということだ。。
 ビール・発泡酒業界の競争というか狂騒というか、発泡酒の恒常的な10円引きになったのが今年6月だ。周囲から見ればアホなことだろうが、当事者は負けるわけにはいかない。
 何しろ、相変わらず金を使う某社の商品は、今日もとあるスーパーでチラシ広告入りで、オヤジのところよりケース当たり300円も安い価格、しかも販売員にスピードクジのオマケ付きだ。それでも、淡麗のケースを買っていくお客様にオヤジは思わず脱帽。
 いずれにしても、仕掛けられたとはいえ10円引きの減収分をどう捻出するかに知恵を絞っている時に、政治の正解では、爺さん方が20円だ10円だとアバウトな駆け引きで値引き分があっさり税金として増やされて国に入っていく。これを不条理と言わずなんと言う。
政治家で日々の晩酌を自腹で賄っている方がどの程度いるのでしょう。あ、そうか、爺さんだけにそんなに飲めねぇんだ。


12月8日(日)

道路公団民営化の推進委員会はおもしろかった。日本を代表する「識者」と言われる人ですら、こういったところでは小学生並みのことしかできないということを見せてもらった。
 それにしても利権はこれだけ人を愚かにさせるものなのだ。道路族議員などは、もう委員会など関係ないという口ぶり。これも小学生のキカン坊と何が違うのか。
 以前、ドイツ人の友人にアウトバーンは無料でいいねと言うと、彼はこう言った。「我々は税金を払っているのだから、そんなの当たり前だ。日本の高速道路は何故有料なのか?。君らは税金を払っていないのか?」
そして踏み切りで一旦停止しない時に尋ねた時も彼はこう言った。「一旦停止して確認しなければいけないのなら、警報機も遮断機もいらないじゃないか。」
この考え方を西欧人の合理主義と片付けることもできる。
それが優れているとは思わないが、警報機も遮断機も付けて、なおかつ一旦停止を義務付けた法律で踏み切り横でパトカーがこっそり見張っているのが、この国なのだ。それでも事故は起きている。


12月1日(日)

気が付けば師走に突入した。もう今年も一ヶ月。
 この2週間とにかく忙しかった。席の暖まる暇も無いというのはこのこと。忙しい時ほど、実は振り返ると本当に仕事をしたのかその印象が薄い。
 そんなこんなであっという間に年末を迎えるに違いない。


11月17日(日)

もう今年もあと1ヵ月半。ヨタヨタものの雑感だが、ここにきて来年に向けた準備でオヤジとしても久々に仕事をしている気になっている。
 数日前に学級崩壊ならぬ国会崩壊という新聞の囲み記事があった。もう、笑うしかない。国民の代表であり、「××先生」と呼ばれているお歴々が委員会などの場で私語のし放題、挙句の果てに注意した人に対して逆ギレだそうだ。どこかの学校の話でなく、国会というところが囲み記事以上に凄いインパクト。
 ほんとにマレだが、時々観る国会中継でもあのヤジには呆れかえる。国会議員の先生達は、あれもまたテクニックと熟練を有するとお考えだそうだ。学校には先生がいてたしなめるが、国会は「先生」の集まりだから押さえがいない。これをアナーキー(無政府)状態というなかれ、国会では現にその政府とやり取りしているのだ。アホらしい!

安っぽく、独りよがりの正義感に凝り固まったジャーナリストが、いともたやすく国家に利用され、そのために人を傷つけている事実すら認めようとしない。「買ってはいけない」で一時ブームを巻き起こした「週刊金曜日」に、反対にイエローカード。こういう雑誌を「買ってはいけない!」

11月4日(月)

昨晩、NHK教育テレビでブレゲンツ音楽祭の湖上ステージオペラ(曲目は、「ラ・ボエーム」)が放映されていた。
 今から20年前、オヤジは大学時代、クラブの海外演奏旅行でこのブレゲンツの街を訪れて、演奏会をした。オーストリア西部、ボーデン湖畔の町で対岸はスイスである。当時は、2月に行ったので雪が舞い寒かったが、夏には湖上のステージでオペラをやると聴いていた。図らずも、20年後にテレビでそれを観ることになったのだった。
 しょっちゅう目にする程メジャーではないが自分は知っている(行ったことがある)名前が出てくると、思わず注目、親近感を抱いてしまう。誰でもあると思うこの感覚。特に、オヤジにとって初めての海外であり、そのオペラをやる湖畔にあるホールで演奏会をやったので、余計に印象が強く、街の風景が映し出されているワケでもないのに、妙に懐かしい気分だった。

10月27日(日)

北朝鮮も北朝鮮だが、日本のマスコミもその稚拙さに開いた口が塞がらない。
 横田めぐみさんの娘と言われるキム・ヘギョンさんへの独占インタビューにおける記者には、取材対象への配慮だけでなく、インタビュースキルの欠片さえ感じられなかった。
 報道の自由や、知る権利といった宝刀をふりかざすマスコミはそんなに偉いんかい?と訊きたくなるインタビューであった。己がスクープという手柄を手に入れたいだけじゃないか。確かにそういうオヤジも見たわけだが・・・。事実を浮き彫りにしようというのではない、最初からマスコミが欲しいシナリオにはめ込もうという意図がありありである。
 ま、記者も要はサラリーマン。結局、取材対象は己のための材料でしかないのだ。オヤジもサラリーマン、人のことを偉そうには言えないが、その仕事の対象や社会への影響力を考えると、プロとしての気概や誇りをもって「事実を掘り下げる」姿勢があっていいのではないか。
 それにしても、体制の違い、社会の違いはあろうが、演じたにしても、あそこまでしっかりした中学生は、日本では滅多にお目にかかれまい。

10月19日(土)

北朝鮮に拉致されていた5名の方々が24年ぶりに帰国した。24年前と言えば、オヤジは高校生だった。
 特段波乱万丈でもない自分の高校時代から今までの人生を振り返ってですら、様々な出来事、想いが交錯するもののだ。突然の拉致に遭遇された方の人生は、まさにオヤジの比ではない。
 下に書いた「太陽にほえろ」のパロディ版が、オヤジの記憶が正しければ24年前の作品である。当時、上映時には、8mmフィルムにカセットレコーダーの音声を手動でスイッチを入り切りしながら合わせていた。オヤジは、これを6年ほど前にもう一度見たいと思い、当時の仕事でお付き合いのあるプロの方に無理を言って、ビデオに焼き直した。勿論、音声もプロスタジオで画面に同調するように編集し、一部の音楽などは新たに録音し直した。
 ここに24年前の東京の街とオヤジが映っている。細い。若い。そりゃそうだ。24年もの歳月だ。例えば、西武の松坂はまだ産まれていない。その時間は一言で済ませるにはあまりに重い。

全くの余談だが、今月始まったフジテレビ系列のドラマ「薔薇の十字架」は、下に書いたオヤジの大学の同期、浅野妙子の作品。

10月13日(日)

1ヶ月ほど前に、オヤジが学生時代に所属していたクラブの創立100周年記念誌が送られてきた。アマチュアの音楽団体としては日本最古、現役のときにはそれほど実感せず、むしろ厄介にも感じていた歴史と諸先輩方も、自分がその身になると「伝統」の重みを感じる。我ながら勝手なものだ。
 各学年のコーナーというのが見開き2ページのベースである。我が学年は、浅野妙子というモノカキ(脚本家:作品には「ラブジェネレーション」「神様 もう少しだけ」「婚外恋愛」等)がいたことで、当たり前のように同期の皆が彼女に任せた。他の学年が、現役時代の様々な思い出を書いているところに、ちょっと他とは色の違うエッセイ。勿論、思い出に絡んではいるが、彼女らしく、一見記念誌っぽくなくて、オヤジには良かった。
 そんな「違い」言えば高校の時の卒業アルバムでもあったなと思い出した。他のクラスは整然とした3年間の振り返り、かくいう我がクラスは、3年の時の夏の合宿と秋の文化祭に製作した映画(当時の流行、「太陽にほえろ」のパロディ版だった)の抜粋、それも今から考えればしょうもないコメント入りだった。その作成張本人の一人が、まさにオヤジだったわけだが・・・

 さて、9月の最後の週末くらいから、長い時間立つことが多かったこともあり、腰の具合がよろしくない。根本は上体のウエイトの重さに主因があるのだろうが、朝起きる時と通勤電車で立っている時が特に辛い。イスからどっこいしょと立つところは、我ながらオヤジものだ。

9月23日(月)

今日はオヤジのウチの近くの神社の祭礼。だんじりの練り回しがあった。岸和田ほどに激しくは無いが、活気は負けていない。祭りはいいもの、理屈でなく、まさに感性に響いてくる。日本人だと感じる一瞬だ。
 それにしても、あれだけうだるような酷暑から、ウソのような涼しさ。ま、秋祭りだから、これくらいで体動かして温める方が秋らしい。今日は、ホントに気持ちの良い秋晴れだった。
 こういう時の「秋味」、本日オヤジの家の夕食献立は、さつまいもにチーズとレーズン入りのコロッケだったが、秋の味覚にこの濃厚さが合う。この味は発泡酒では出ない。ビールならではの美味さだ。

9月15日(日)

13日の金曜日に、法善寺横丁を見てきました。浪花情緒タップリな界隈でオヤジも2回ですが「誠ちゃん」というお店に行ったことがあったので、明かりが消え、封鎖された暗い横丁が一層寂しく映りました。
 オヤジは、この横丁の復興に注目しています。条例どおり復興させようとすれば、道幅を拡げなくてはなりません。行政が「町並み文化」をどう考えるか?自分達が税金使った公共投資とやらでは、やたら作り物の町並み作りをやりたがりますが、果たして、昔ながらの情緒と文化の復興に度量を示せるかどうかです。
 ちなみにただ見に行ったわけでなく、オヤジの会社の広告塔でもある「キリンプラザ大阪」の1階のスタンドバーで17日まで、ビールの売上を全て復興資金に寄付するというチャリティをやっておるのです。だから、ビールしこたま飲みに行きました。ここの館長の個人的な想いが実現させました。
 ここはただのキリンビールではありません。全て、このキリンプラザ大阪内のミニブルワリーで造られたオリジナルビールです。ピルス、ヴァイス、エール、スタウトの4種類が飲めます。全てお薦めですが、強いてオヤジが一つ挙げるとすればスタウトです。
 本来濃厚なイメージのあるスタウトですが、コクがありながら、喉のとおりがスッキリする、新鮮さを実感できるスタウトです。

8月25日(日)

いろいろと四苦八苦しながらも、ようやくオヤジもブロードバンド。10Mbpsの世界は、ダウンロードで実感。
 それにしても、相変わらずPCの世界は顧客本位とは程遠い。今回もLANボード内臓のはずが、機能せず。ソフトに問題か、ハードに問題か、結局のところメーカーはハードに問題無し、プロバイダー側はハードに問題有り。どっちも自分には非が無いの一点張り。
 おかげで、PCやることで自立性がつくんでしょうね。お前らには頼らないって。アビバも儲かるはずだ。
 会社の方も秋の異動が社内オープンに。結局、「大山鳴動、鼠一匹も出ず」。年寄りに優しい会社であることを実証。
 今週、いよいよ若い人たちとの勉強会。こんな若い人だけに厳しい会社で、当の若人が元気であることは、頼もしい限り。

8月14日(水)

雑感をやって3年目だが、夏場の挫折は今年が一番悲惨だった。
 仕事が忙しくて・・・月並みな言い訳だ。なんとなく、面倒臭くなっているのも事実。
 突然のお引越しは、今までのところに特段不満は無いが、長年使っていて、特にメリット感も感じなかったところが、理由と言えば理由かもしれない。しばらく、放っておいてカビが生えかけていたニフティのアドレスをもう一回持ち出した。
 お引越しと言えば、オヤジの大好きな焼鳥屋「六源」も今月あたまから、少し大きめのお店に引っ越された。オヤジはまだ行けてないが、ますますのご繁盛をと祈っている。
 会社では若手、中堅の15名に、オヤジと同世代のオッサン4人で企みとして、突然「いっしょに勉強して、何か始めよう」という暑苦しいメールを送ったところ、うれしい予想外で、11名が呼応してくれた。
 若い人たちが勉強していないと決め付けていたのは、単に年寄りの冷や水だったかもしれない。盆休み明けからが楽しみだ。

7月31日(水)

最近、間が空いてしまっている。7月も末を迎えてまだ3回目。
 さあて、夏バテか?昨年も夏場だったように思う。ビール飲みにも関わらず夏に弱いオヤジ。
 世の中が「とりあえずチューハイ!」になろうとも、オヤジはやっぱり「とりあえずビール!」でこの暑さを乗り切るぞ!

7月20日(土)

オヤジは、小学校から高校までをほぼエレベーター式にあがる学校に行っていた。(各段階、試験はあるし、全員が受かるわけではないが。)
 その各段階をまとめたクラスを問わない合同大同窓会があり、オヤジもこんなイベントは滅多にないと自腹大枚はたいて上京した。
 小学校から別の学校に行った人だと、ほぼ30年ぶりの再会だ。果たして何人くらい集まるのだろうか、いざ行ったらパラパラとしか出席者がいないのではと思っていたら、なんのことはない100名以上が集まった。
 とにもかくにも、まず名前を全員覚えているわけではない、面影が色濃く残っている人もいれば、良くも悪くも記憶とは全く別人になっている人もいる。皆が名札を付け、名前(姓が変わっている人は、当然旧姓も付記)を確認しながら、それこそ皆が貪る様に再会までの月日を埋めていた。
 オヤジも消化不良気味。1次会、2次会までをいれても5時間ほど、これで高校卒業からでも22年の月日に積もったものを吐き出すにはあまりに限れた時間だった。
 それにしても、今回あるクラスの同窓会をキッカケに盛り上がったにせよ、とかく実現までには至らないこういった困難なイベントを完遂した幹事団に感謝。
 そんなに頻繁にやることではないが、たまに過去を振り返ることも必要な歳になったのだ・・・

7月6日(土)

W杯が終わって早や一週間。日本では次の動きで盛り上がっています。代表もさることながら、これがJリーグにどう繋がるか?熱しやすく冷めやすい日本人だけに、夏の終わりとともに・・・なんてことにならなければいいのですが。
 そんなサッカー狂騒の最中に、かの阪神タイガースは定位置に向けて着々とその歩をすすめていました。監督が変わっただけで優勝争いできるなんて期待する方が贅沢。やはり、付け刃はどこまで付け刃です。それにしても野村の3年は何だったのかと首を傾げます。未だに1985年の甲子園3連発で盛り上がっているようでは、なんとも寂しいじゃありませんか。
 さて、ビール業界の方も先の見えない体力勝負となってまいりました。どこの企業も数千万円投資したMBAさまがごろごろ本社スタッフでいらっしゃるだろうに、どこに「戦略」があるんでしょうね。まだまだ、そういった人たちの上に気合い派がしっかりと居座っているのでしょうか?どこかのイケイケ社長自身がMBAだったと記憶しておりますが・・・

6月25日(火)

ついに韓国が負けてしまいました。よくやった。一方でさすがドイツです。ダテに3回の優勝を誇っていません。
 いずれにしても、サッカー界とて旧来の観念が通用しない時代になったということでしょう。ワールドワイドになるほど、新興勢力の台頭があるというものです。アジアの真価は、むしろ2006年に問われるのでしょう。
 今週も一冊の本の紹介です。マーケッターの世界では有名な方で水口健次氏の「’売る力’を2倍にする『戦略ガイド』」(日経ビジネス人文庫)です。
 氏の日常の語り口を彷彿とさせる口語体で解り易く、しかしポイントを鋭くついています。オヤジは、キモの部分で大変共感しています。しかし、オヤジは’売る力’以上に、メーカーの命運は「売れる商品」がキモであると考えています。
 「売れる」源は、お客様や売り場が物語る事実から、そして「売れる」力を最大限実現する力こそ「売る力」と考えております。「売れる」力にのみ業績を劇的に変えるパワーがあると信じております。いずれにしても、これもご興味のある方、すぐ読めます。文庫なので安いです。どうぞ、読んでみてください。なんか、宣伝になってしまった・・・

6月17日(月)

先週は、もうサッカー一色でした。特に金曜日は15:30から2時間、職場では仕事になりませんでした。
 さて、今週21日から、発泡酒の10円引き戦争が再び始まります。他業界からは、この短視眼とコストそっちのけの節操の無さに、呆れているとか。社内でも決まった以上はといいながら、なんでこんな業界になっちまったんだか。
 一方、先週、オヤジのページを訪れた方から一冊の近刊を紹介されました。「ビール職人、美味いビールを語る」(光文社新書)という本です。
 キリンで活躍されたビール職人のビールにかける想いが熱く語られていました。メーカーセールスは、値引きばかりでなく、自社商品の価値、美味さを熱く語るだけの想いと知識が必要です。オヤジも周囲のセールスに読ませようと思った次第。興味のある方は、是非、本屋で買ってくださいませ。

6月11日(火)

1週間後に出ました。オヤジとは違った結論でした。結論が出た以上は、その土俵で負けるわけにはいきません。
 モノは考えようです。おいしい淡麗を10円安く楽しんでいただけるのです。いつもよりもう1本多く飲んでいただければ、オヤジもうれしいです。ここのところ暑い日が続いていますが、盛夏を待ち望んでます。
 いずれにしても、良し悪しは別としてギリギリの戦いになってきました。油断は禁物です。何が起こるかわからない。これはサッカーだけではありません。まさか・・・と思っていることが起きる。
 そうです。ロシアもフランスも、イタリアもそしてポルトガルも皆、まさかと思っていたに違いありません。ここまできたら、前へ前へです。

6月4日(火)

サッカーのために、定時退社。なんとか前半の途中に帰宅して、家族揃ってテレビ観戦でした。欲を言えばキリがない、赤い悪魔にとにかく初戦負けなかったことはヨシとしましょう。
 赤い悪魔と言えば、某オヤジの勤める会社の競合会社が、先週末に主力発泡酒の10円値下げを発表しました。オヤジのところはワケ(10円希望小売価格を安く設定するための工夫)ありの10円安商品は出していますが、アチラさんは売らんかなのために、単に主力商品の10円下げです。それもリニューアル直後、果たしてリニューアルの真の狙いは何だったか?「よりスッキリ」のコピーが怪しげ(中身は10円下げるために薄くしました)に聴こえるのは気のせいでしょうか。
 おっと、個人のページとはいえ、他社の誹謗はいけませんね、なんて思うまもなく、先週末には別の競合がさらに意地張って値下げするとか、今日の夕方に至っては、もうそんな体力は無いだろうなんていうフォロワー企業まで値下げ(期間限定ってところが悩ましい!)を発表しちゃいました。よくよく、メーカーとしての誇りとか、ブランドに対するプライドとか、自社のポリシーなんてのが無い業界なんですね。トホホ・・・。
 オヤジが社長ではありませんから、明日にでも違った結論が出たりしかねませんが、オヤジは量を追うためだけに、安直に安売りするメーカーであって欲しくは無い。だって、淡麗は粗挽き大麦をふんだんに使った、本当においしい発泡酒なのだから。特売でできるだけ安くご提供はしますが、価値は145円以上に見合う価値を創っているのです。もともとの価格を何の根拠もなく、下げちゃうような自社商品の投売りはしたくありません。これを「世の中、そんな甘くない」と言うなら、言わせておきます。

5月31日(金)

ちょっと油断すると間が空きます。今日からW杯です。
 今週はそれだけです。トピックスは、テレビで知ったサンダーバードのDVDを思わず買ってしまったということでしょうか。3万円でした。そして、ようやく「かめくん」というSF小説を本屋でGETしたことですかね。
 「サンダーバード」、まだ見れてません。この週末が楽しみですが、時代背景、当時の技術水準を考えれば、今、これに匹敵するクリエイティブはあるでしょうか?CGが、むしろ安直にすら見えます。
 これも年寄りの冷や水ですね。

5月19日(日)

昨日、無事に芦響の定期演奏会が終わった。メインのアルプス交響曲は最後消え入るように曲が終わる。指揮者が腕を下ろし弛緩するまでが音楽なのだが、時に音が無くなると終わったと勝手に拍手を始める輩がいるもので、よく不快な思いをさせられる。
 特に大フィルではそんなアホな連中が多いが、芦響はお客様がキチっと余韻を楽しんでいただいていると以前も雑感に書いた。昨日も、芦響のお客様はそれを実証してくれた。曲が消え入るように音は既に無い、徐々にマエストロ山下氏の腕が弛緩する、それでも聴衆は余韻を楽しんだ。(一方で素人衆で曲が終わったことが認識できていないこともあるだろうが・・・)最後の音が消えてから20秒〜30秒の静寂であった。
 オヤジが中学の時、国語の先生だったと記憶しているが、西洋音楽はクライマックスは欲望に任せガンガン音が大きくなるが、邦楽は逆に寂の境地で静かになる。故に邦楽は芸術性の面で優れているというようなことを言われたことを覚えている。
 その頃、内心、いやいや西洋音楽だって静かに終わる曲があると反論していたが、やっぱり派手に終わる曲が好きだったから、その頃で知っている名曲といえば、チャイコフスキーの「悲愴」くらいで、それも派手な3楽章の方が好きだった。
 この「アルプス交響曲」を作曲したR.シュトラウスは、華麗なオーケストレーションで派手な曲が多いが、実はエンディングが静かに終わる曲が意外に多い。
 何が言いたいのか、この「余韻」こそ、プロセスを経て初めて得られる「贅沢な時間」なのだということ。時が流れていることを体で実感できる貴重な瞬間の連続なのだ。一夜明けて、オヤジは心地良い疲労を楽しんでいる。

5月12日(日)

2年前に「雑感」を始めた最初にウルトラセブンの幻の12話「遊星より愛をこめて」について、さらにその数年前にコラムとして書いていたモノを再掲した。昨日、この12話についてのHPからリンクを貼りましたというメールをいただいた。そういうHPがあることを初めて知った。そのリンクからオヤジのところに立ち寄る方もわずかでもいらっしゃるに違いないと、 改めてここに入り口を設けたい。
 そのHPを全部拝見したわけではないが、勿論オヤジと立場を異にする考え方もある。いろいろな考え方を知るのは大切だが、偉そうに言えば、情緒に流されることなく、背景になる事実を知る努力をしなければいけないなと感じた。「差別される側」という立場も相対的かつ主観的であり、決してその考え方が絶対正義ではないのだ。
 さてもう一題、茶髪は校則違反だが自分はそんな校則は納得できないからと茶髪のまま登校した生徒に対し、学校側が校則違反の容認は学校全体に関わる問題だからと該当する生徒を教室に入れず個別に授業をしているという記事を昨日の朝日の朝刊で読んだ。
 その生徒は、「何故茶髪がいけないのか、自分が納得する理由が解らないから茶髪を変えない。皆と授業を受けたい。」と言っているらしい。アホか!
 まず、茶髪を止めてクラスに復帰して、クラスメイトといっしょに考え、訴えたらエエやないか?自分の主張が聞き入れられないと実力行使に出て、相手の実力行使は批判する。結局、大義名分は「自分が納得できない」だけ、これを身勝手と言わずなんというか。社会には規範というものがあるのだ。人間がある集団を形成する「場」では、必ずルールが存在するのだ。
 勿論、是非の議論は大いに結構、しかし、その規範の確立までにはその集団にも経緯がある。その「場」に入るのなら、まず規範を受け入れ、「場」において規範の変更を主張すべきである。こんなことは学校に限ったことではない。いやならその「場」に入らなければいいのだ。その自由まで無いとは言わさない。
 これはまさに「自由」と「放任」の履き違え、「義務」の欠如した「権利」の主張であり、「個性を伸ばす教育」とやらの輝かしい(?)成果に違いない。アホの二乗は、識者の見解、「もっと子供の主張に耳を傾けるべき」だとよ。開いた口がふさがらんワイ!今時の「個性を伸ばす」「自由に活き活きと育てる」理想?のシツケを受けた子供が果たして社会的弱者か?その答えは、町に出てみればすぐ解る。大人がバカだと、子供もバカになるのだ。

5月5日(日)

ネスレがインスタントコーヒーに在庫品の再利用をしていたことを朝日新聞が「問題」として取り上げている。オヤジは、「なぜ、いけないの?」とむしろ「再利用」と明記されていないことを問題にする消費者団体に問いたいくらい。
 別に開封して人が手を付けたものを使っているわけじゃない。増してや、それだけを使って再び新しい商品としているワケでもない。勿論、人体に害があるなら、新品だって害があるはず、インスタントコーヒーは健康を損ねるのかい?ちなみに、インスタントコーヒーは完全なる加工食品であって、要するに工業的に加工されている、どこに厳格な「鮮度概念」を持ち込む必要があるのだ。
 そこに「再利用」という明記が必要だというなら、「社外秘など認めない、全ての原材料の産地や工程を明らかにしろ」といっているようなものだ。それで、消費者は何が判断できるというのだろうか?結局、「再利用=中古=古い=不良」という固定観念の論理と、「大企業は真実を隠し、消費者利益を犠牲にして儲けている」という偏見がベースにあるのだ。突拍子も無い例だが、よほど中華料理屋でチャーハンのその都度造り足しや、焼き鳥、うなぎのタレなどの何十年足しながら使っている方が問題じゃねぇか。(切れ味悪い・・・)
 企業には社会的責任がある。企業もそんなことは十分認識している。企業も学習し、成長し、背景とする時代も変わっているのだ。したがって、コストや効率の中で安全性や品質が一方的に軽視されることはめったに起こらない。そこが信用できないなら、自給自足の隠遁生活を送るしかない。それでも、世の中と全く隔絶して生きていくことなどできない。「めったに起こらない」という微妙な言い回しになるのは、勿論そうではない企業もあるに違いないからだ。しかし、それは人間が善人ばかりでないのと同じ。
 日本にはかつての左系の教員組合組織による売国的洗脳により、「企業(特に大企業)性悪説」が根強い。オヤジの会社でも10年ほど前(今でも継続しているかもしれないが・・・)公立学校の先生の研修を受け入れた時に、研修で来られた先生が企業がここまで環境、品質、安全などを考え、コストをかけて経営しているなんて、と驚きをもって書かれたレポートを拝見して、オヤジの方が驚いた。
 まあ、そんな中でいい学校、いい会社(=大企業)信仰が根強く蔓延していたのもなんとも皮肉な話だが。

4月29日(月)

今日、なんとか塵芥亭久々の改装にこぎつけた。大した改装内容ではないが、これでも半日以上かかっている。
 人権擁護法案に対してマスコミが反発している。「報道の自由」の侵害の恐れがあるからだそうだ。勿論、ペンを力で封じる言論統制は言語道断だが、一方で声高に叫ぶ昨今のマスコミ、あるいは識者と呼ばれる方々が、どれだけ「ありのままの事実」を報道できているのだろうか、大いに疑念を感じる。
 特に自分が事実をよく知っている自社報道について感じるのが、記者が間違った理解や、知ったかぶりと安っぽい正義感で記事を書いているということだ。「自由」は「放任」とは異なり、「義務」と「自律」が大前提である。当然、対象を正しく掴み切るところが原点である。だが、現実にはその掴み方があまりに甘く、時には記者の感情、主義主張が先にありきで、対象が歪められていやしないか。そうであれば、ペンもまた「暴力」になるのだ。
 オヤジは「事実」だけでなく、それに対する見解等の主観を伴うのが新聞の存在意義である以上、全ての新聞記事において執筆者である記者名が明記されるべきであると考えるのだが、いかがだろう。

4月21日(日)

さてさて、イレギュラーに平日に入れていたら、うっかり10日間もあいてしまった。先週は、サッカー日本代表応援缶の陳列で2日間営業の応援に出ていた。
 特に火曜日は奈良の大型店を3店。しばらく、大量陳列応援から遠ざかっていたこともあり、情けないことに筋肉痛になった。特に右手の親指の付け根から右腕にかけての筋肉の痛み。いやはや、もはやポンコツだ。
 ようやく塵芥亭本館の方も今朝方「極生」の取り扱いなど、少し手をつけたが、改装にはいたっていない。できれば、塵芥亭の入り口くらいは改装したいと考えているのだが。
 サッカー日本代表応援缶といえば、先週のコスタリカ戦は実質負けだった。今は本番に向けての調整中なのだから、あまり順調過ぎてもいけないものなのだ。それにしても決定力不足だったし、シロト目にも誰が動けていて誰が動けていないのかが見えたように感じた。まだ何試合か残っている。ここで本番に向けてベストにくみ上げて欲しいものだ。日本代表の活躍で応援缶が売れれば万々歳!

4月11日(木)

春休み最後の週末となった先週末は、金曜日に休みをとって横浜への家族旅行。東京時代には混んでいて行けなかった「ラーメン博物館」に行き、3種類のラーメンを食べる。人気の差は店の行列の差で歴然。それが即、味の優劣に繋がるワケではないが、人気の店はそれだけのことはあるのは確かと実感した。
 そんなこんなで、何もほかの事をしないまま今週に突入。今週の前半のオヤジは京阪神行脚。そして後半は淡麗グリーンラベルの発売に伴う店頭応援活動で、気が付けば金曜日。
 そういえば、「塵芥亭」も放置状態だ。そろそろ「極生」も取り扱おうかと考えているが、手をつけないことにはと気ばかりあせっている。
 そうそう、横浜では周富輝の店「生香園」に行きました。脱税で騒がれた周さんですが、真面目に働いてました。そして、料理の味はさすが。お世辞抜きで美味かった。伊達にマスコミに出ていたのではなかったのだ。妙に納得。

4月2日(火)

3月最後の土日は、連日ディスカウントストアの店頭に立っての売り子さんをやった。さすがにほぼ終日立ち詰めというのは、キツイ。それでも、ここが正念場。勝ち目は薄くても精一杯抵抗する。こういうイザという時は、採算度外視の「氣」も必要だ。
 さて、少し前の話だが、23日(土)の「アド街ック天国」という番組で道玄坂が取り上げられていた。実は焼き鳥屋さんが多い一角。オヤジの焼き鳥原点もここにある。3月3日の欄に書いたが、こういう時は不思議と話題が重なるもの。番組で取り上げられていた「鳥竹」も学生時代によく行ったお店だ。
 そうそう、その時には書かなかったがオヤジが行っていた店の名は「恋文」。いい名前でしょ?ビールは水冷でサッポロのラガー大壜だった。
 その頃は酒の飲み方もまだ解らず、ただ勢いに任せて飲んでよく吐いたっけ・・・

3月22日(日)

社民党の辻元議員。攻守入れ替わった途端に歯切れが悪くなった。所詮、野党とて同じ穴のムジナだ。政界に聖人君子無し。したたかにいかないと。
 先週の20日(水)は、飲食店さん大繁盛の日。不覚にもオヤジは認識できていなかった。卒業、異動などがかさなった飛び石連休前日、混んでいないワケがない。
 ただ、こういう忙しい時に接客の差が出る。申し訳なさそうに頭を下げる店と、今日はイッパイだ一見は邪魔だとばかり頭は下げながらもアッサリ断る店。
 お客様は来ていただくものか、来たものを捌くものか、1日の忙しさにかまけると大事なお客様を失いかねない。これもまた他山の石。

3月17日(日)

この1週間余り、かなり暖かくなってきた。この週末、オヤジの家の近くの夙川沿いや芦屋川沿いなどでは、早くも桜のつぼみが膨らみ、いくつか開いている。
 今日の朝刊で「松坂牛」ではなく「三重県産牛肉」表示が激増しているそうだ。売る側を責めたい気持ちも解るが、解った気になって「やっぱり松坂牛は旨い!」なんてシタリ顔でほざいていたエセグルメがいかに多かったことか。勿論、オヤジとて例外ではない。
 グルメと言われながら、自分がおいしいものを探求するより、おいしいと言われている店だからおいしいと判断しているのが今の飽食の現実なのだ。
 本当のおいしさとは、勿論素材や、料理人の腕によるところが大きい。しかし、今さら不味い店が生き残れる時代ではない。おいしいのは当たり前、そしてやはり気持ちよく食事できる雰囲気と接客こそ、最後の差をつける「味」に違いない。

3月10日(日)

昨日、息子と「モンスターズ・インク」を見に行った。ここのところ「千と千尋の神隠し」が話題沸騰だが、宮崎ワールドと比べるとシンプルで素直に楽しめるところがアメリカンウェイだろうか。
 さて、「極生」はその後も絶好調で出荷調整を余儀なくされている。酒は売れたからといって、昨日今日ですぐ増産が利くものではない。酵母の1ヶ月〜2ヶ月の営みが必要なだけに、一旦需給が混乱すると大変だ。
 特に流通の皆様にはご迷惑をおかけしているし、セールスはお得意先の対応で大変だが、やはり、「売れる商品」こそメーカーを元気にするのだ。
 政局に目を転ずれば、相変わらず旧来の利権構造に生きようとする議員達。どうも、この国では本来なるべき優秀な人間、「公」の意識を持った人間は「議員」にはならないのだ。
 既に花粉症シーズンに入った。オヤジはまだ1回だけの針治療だが、それなりの効き目か、今のところティッシュもそれほど浪費していない。これから本番だけどね・・・

3月3日(日)

オヤジの行き付け(というほど頻繁には行っていないが・・・)の焼き鳥屋がある。「六源」は、大阪の福島にあり、守口に本店がある。
 ここの店は、テーブル席が1卓あるが基本的にカウンターだけの店である。15人も入ればいっぱいになる。現にいつもお客様がいっぱいで、オヤジは必ず店に行く前に電話を入れて確認してから行っている。
 ここの鶏肉は全てその日の朝挽きである。その新鮮さだけでなく、備長炭で焼いた焼き鳥は絶品である。勿論、大将(とオヤジは勝手に呼んでいる。)とおかみさんとのホスピタリティは、オヤジをいつもほっとさせてくれる。
 さて、オヤジにはこのカウンターだけの焼き鳥屋こそ、オヤジ原点である。それは今から20数年前の東京渋谷は東急プラザの裏側の焼き鳥屋から始まった。その店は今はもう無い。このあたりのことを、近々「塵芥亭」あたりにアップしてみたい。
 そうそう「極生」が売れている。発売日あるいは発売前日の朝刊やテレビで業界の価格競争として取り上げられた。昨年の「本生」の高知との海洋深層水問題もそうだったが、産業面以外で取り上げられたことは確実にオバチャンにまで認知された。現在、「本生」の爆発ほどはないが、「淡麗」の発売時を上回るペース。これから先が楽しみだ。

2月24日(日)

メーカーは商品あってこそ存在価値がある。その商品に対する支持が無くなった時はメーカー自体の存続はありえない。
 さて、商品に対する支持が無くならずとも下降線を食い止めることが、果たして営業には出来るだろうか?「メーカーの営業」の命題である。誤解しないで欲しい。押し込めば売れた時代ではなく、巷にはモノがあふれており、生活者の欲求が高度化している現状を踏まえたうえでのことだ。
 オヤジの仮説は否である。局所で可能でも全体の反転の流れはセールスではつくれない。やはり、メーカーは価値ある商品こそ下降線を食い止める原動力のはずだ。そのためのシクミと努力が果たして日々の営業活動の中に組み込まれているのだろうか。未だに精神論、突撃ありきでニーズの無いところに「売る」力技がが横行してやしないだろうか。

2月19日(火)

先週末に久しぶりに実家に帰った。目的はオヤジの父親に、オヤジが昨年まで使っていたPCを送ったので、そのセッティングだった。
 60代も後半の手習い。できるだけ易しく教えようと思いながらも、やはり、なかなか飲み込みはスムーズにいかないようだ。とはいっても、今やニューシニア層が盛んにパソコンでネットワークを作っている。この世代、頭が少々固いが確実に一歩一歩前進できるところが強みだ。半年もすれば、きっとそこそここなしているに違いない。
 そして、昨日は約1年ぶりで中学・高校で同級だった友人と飲んだ。彼がカバンから取り出したのは、中学時代の友達相互でお互いの持ち味を語った紙。もう30年近くも前のこと、紙は茶けている。彼を評したオヤジのせりふを見たが、当然のことながら全くそんなことを書いた記憶すら無い。それにしても、旧友はいいもの。久々の本当にリラックスした飲み会だった。

2月11日(月)

雪印総スカン。オヤジは決して雪印びいきではないが、なんか魔女狩りの様相だ。オヤジもメーカーだけに腹が立つのは、税金よこさなきゃ、世の中混乱するぞとばかり、政治家を従えて税金食ったあげくにもろくも経営破綻する金融機関だ。
 ソルトレイクシティー冬季オリンピック開幕。やはり、ブッシュはオリンピックを政治の手段としてしか考えていない。アメリカンスタンダードを決してグローバルスタンダードにしてはいけない。
 それにしても日本勢は相変わらずプレッシャーに弱い。これも自虐史観、減点主義、悪平等蔓延のサヨクの教育の行く末と言ったら、果たして乱暴だろうか?

2月3日(日)

税金を食い物にした雪印食品はケシカラン、企業として存在価値が無い!経団連の会長は怒ったそうだ。だったら、公的資金投入の名の下に税金を投入して1年、2年で破綻したり、預金金利を抑えて貸し出し金利はそれなりに利ざやを懸命に稼ぎつつ、行員の給料はそのまんま東の銀行はどうなんだ?
 真紀子外相がついに更迭。誰が嘘つきかどうかの問題ではなく、このレベルで大臣の進退が云々されることが平和ボケ日本の象徴。世界を知っている緒方氏はバカではなかった。それにしても、国会議員というのは何様だろうと考えさせられる。
 この4日間、エコーの練習、本番で大阪から彦根に日参。さすがに体力的にはきついが、音楽的刺激はいつもに増していた。アマチュアは情熱で負けないなんてオヤジアマ演奏家が中途半端なことをやっているうちに、絶対プロには敵わなくなる。それくらい今の若手演奏家は熱い!
 エコーについては、改めてエコーのページで詳細をご報告。とにかく、心地よくはあるが、疲れました。

1月27日(日)

オヤジの会社では、「搾り」とか「ラガー」といった略し方で商品を呼んでいた。でもこれだけだと、必ずしもオヤジの会社かどうか判らなくなってきた。かつて黒いラベルで果敢に挑戦したり、「男は黙って・・・」と言っていた時のクリエイティブな気概は何処に行ってしまったのだろう。
 まさに「えっ?!あの××××が・・・」てなもんだ。
 そして、昨日今日と会社の同期会。全国とまではいかないが東京から福岡まで18名の同期が有馬温泉でしこたま飲んだ。皆が頑張っている。こういう同期の絆は、本当にここぞという時の価値あるネットワークだ。
 いよいよ、来週は彦根でエコーだ。今回、1曲ヴィオラを演奏するのだが、まだ何も準備していない。ヤバイ・・・

1月20日(日)

16日に課税移出数量が発表され、キリンビールの国内ビール・発泡酒市場における2位が確定した。オヤジの記憶に間違えがなければ、オヤジが入社した年が60%台最後の年だった。その頃、父からも言われたものだ。60%自体が異常なのだと。
 悔しいが、会社の歴史上の変局点に居合わせたことで、言い方が難しいがどちらかというとワクワクしている。一種の呪縛から解かれるのだ。1年、長くても2年でどこまで変えられるか?ここが一つの勝負時だと思っている。
 「敵は外」だが、そのためにも内なる葛藤にも勝たなければいけない。仕事としては、エキサイティングな2002年だ。

1月14日(月)

新年早々の8日(火)に東京出張だった。新幹線は行きも帰りもガラガラ。やはり年始はそれぞれの地元での挨拶回りが主なのか、そんな時に日帰り出張しているのが可笑しいのか・・・。
 帰途、そんなガラガラの「のぞみ」での出来事。オヤジは、発車前から弁当を黙々と食べていたのだが、新横浜を出てすぐ、弁当ガラを捨てに行くと、自分の前の席に黒いカバンが置いてある。前の座席の背もたれについているネットには、飲みかけのペットボトルが差してあり、網棚にはコートものっている。確かに、東京駅で発車前に誰かが席に来たのはなんとなく印象があるが、発車以降見ていないなぁと思っているうちに小田原を通過。検札の車掌さんに、前のお客様を見ていないというと、最初は「どこかに行っているのでしょう。」と軽くうけながしていたが、静岡を過ぎたあたりでもう一度確認に来られ、まだ誰も来ていないというと、一応万が一ということもあるからと、同じ車両内で荷物の持ち主がいないかを確認すると、カバンの中身を確かめた。すると、中身は書類ばかりなのを確認すると、「これは、別の車両でお仲間といっしょなのでしょう。」とのこと。結局、名古屋到着直前に、赤ら顔のオッサンが何事も無かったかのように現れて、それらの荷物を持って、来た方向へ戻っていった。名古屋で降りた形跡はないので、どうも置き引きを心配して取りに現れたらしい。それなら、最初から持っていけ!てめえだけ、いい気に酔っ払いやがって・・・
 時期が時期だけに、ヒヤっとしたオヤジだった。

年末に購入してトラブル続きだったPCは、最終的に初期不良が直らず、結局商品交換ということになった。折角、年末年始に3日もかけてお引越ししたのに、こんなこと2度もしたくないと食い下がったが、今の販売システムでは不良を直すより、交換の方がはるかに安く(というか交換なら無料だが、訪問修理だと数万円。)済むということで、いたしかたない。ということで、この3連休の初日は、再度のお引越しに費やした。連続してのお引越しなので、さすがに少し短縮できたが、コンテンツの移動と、不良機のプライベートの中身の完全消去、やっぱり疲れた。ホントにもう当分したくない。(まあ、そんな頻繁にPCを買うほど余裕ないけど。)

   

1月5日(土)

年末、指揮者の朝比奈隆が逝去した。オヤジのプロフィールにも記しているが、思えば、21年前、朝比奈先生の指揮でベートーヴェンの第9を演奏する機会があった。戦前から日本音楽界に貢献し、その時には既に70代であった朝比奈先生の指揮ぶりは、当時二十歳前後の学生であった我々以上に負けないくらいに若々しく、P(ピアノ=弱い音)を弱く弾くのでなく、f(フォルテ=強い音)をより強く弾きなさいという指示が、萎縮せずに伸び伸びと骨太のベートーヴェンの音楽を作り出したことを、今でも強く印象に残っている。
 そして、年明けて小澤征爾のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのデビュー。小澤は、戦後ブザンソンの指揮者コンクールにバイク一つで乗りつけて優勝して、指揮者としてのスタートをきり、ついにある意味で指揮者としての頂点に立った。
 奇しくも年末年始を挟んで、まさに一つの時代が終わり、一つの時代が始まったという感慨を持った。

さて、年末に購入したXPの新しいPCには苦労している。PCの立ち上がりの不安定さも解消されず、時にXPの立ち上げが延々数十分かかること時もある。今日、サポートデスクに電話をしたが、応対こそ丁寧だが、どうもスッキリと解決策を示してもらえないし、どこかこちらの自助努力は当たり前という気配が覗える。まだまだPCの信頼性については改善の余地大いにありか。メールやiモードといった確実に動く携帯電話が、ネットワークツールとして一大勢力になるのも、改めて解る気がする。もう大分引っ越しもして苦労しただけに、諦めることはできないので、しばらく、格闘が続きそうだ。

 


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