似顔絵りょうさんの公式サイト

プロフィール詳細とストーリー


こんにちは!似顔絵ソリューショナーのりょうさんこと、白石 遼太郎です!

この度はホームページにご訪問いただき誠にありがとうございます!
私の自己紹介の詳細を記載いたします。

1987年大阪市出身。小さい頃から絵が大好き。極度の引っ込み思案だったが 絵を描いていると友達が集まって、会話につながることが嬉しかった。中学3年生の頃、親友との出会いから性格が社交的に一変。その頃から絵を描くことは少なくなった。

大阪桐蔭高校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学。
ラクロスサークルとダンスサークルで仲間とともに幸せな学生生活を過ごす。

2009年、株式会社キーエンスに就職。
周りの秀逸な同期・上司との差を感じ、自分の未熟さを毎日痛感する。

2012年、社会人2年目。
鬱になり、3度の事故で2度死にかける。

その頃に偶然幸せそうな笑顔で絵を描いている、幼い頃の自分自身の写真を実家で目にする。


この時、「俺にはこれしかない」と直感で思い、昔大好きだった絵を描くことを仕事にしようと決意。東京本社の似顔絵の会社への就職を目指す。

当時、石川県〜香川県の遠距離恋愛を乗り越えながら、大学時代から5年付き合っていた彼女(現在の妻)に「最終試験に受からなければ別れると」告げられ、死ぬ気で絵の修行をする。

2011年3月11日、最終試験前日、東京にて東日本大震災に被災。 試験は延期となるも、無事合格して入社を果たす。その後、遠距離恋愛が実り翌年8月に入籍することができた。

人前で歌うカラオケが大の苦手だったが社内の会合で吹っ切れて歌って踊ったことが社長の目に止まる。そこから好転し、入社半年で新店立ち上げ店長に抜擢。
その後も全国7店舗の立ち上げ・運営を経験。
役職が上がると同時に、業務にも職場の人間関係にも苦悩する日々が続く。

2015年、プライベートも同様に辛いことが重なる。1年間の不妊治療の後、第一子を授かるも、臨月で死産する。その後第二子も流産。絶望の中、このままではいけない。前に進むしかない。人間として、強くなるしかない。技術で世界一になることと管理職として職務を全うすることを決意する。

妻にも支えられながら2016年、世界似顔絵コンテストで優勝。 世界一を果たし管理職としても結果を残す。そして無事同年12月に長男が誕生。

コロナ禍の2020年8月に独立。9月に長女誕生。
現在は大阪環状線、JR大正駅すぐのビル4階にアトリエ兼店舗をかまえ、本日も1枚1枚、お一人お一人を大切にしながら気持ちを込めて絵を描いています。

辛いこと、苦しいことは人生につきもの。
自分ならいつか必ず乗り越えられる、そう信じるこ とで道は開けるはず。

一度人生を諦めた2011年。そんな私が、似顔絵と出会うことで今まで10年間 生きることができています。また、10年間で似顔絵を通して本当に数え切れない有難い出会いがありました。この出会いによって私は生かされています。

いただいた皆さまとのご縁に心から感謝しながらこれまでの10年間の経験を込めてこれからも1枚1枚、絵を描いていきます。そして、絵を描く楽しさも教室という形でお届けします。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

皆さま今後ともよろしくお願いします!
りょうさんのアート工房

白石 遼太郎


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