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ウェスが人々に接する態度をみていると、有名ギタリストであるということを悟られないまま友 達になってしまうという、何とも不思議な力を持った仙人ように思われた。 「僕にとって友達になれないなんてことはないが、相手にその気がなけりゃそれなりに対応するだ けさ」。 ここ数年のジャズ界で最も明るい話題の中から、ウェスの成し遂げた功績を原稿にまとめるとすれ ば、ギターのネックと同じぐらい長くなるであろう。 しかし、それはウエイトレスが微笑みながらグレヴィのサービスをするのと同じぐらい簡単に証明 できる。 1960年度のダウンビート誌、批評家投票でギタリストの新人部門に選出されたウェスは、続く7年 の間4年も国際批評家投票でポール・ウイナーに輝き、6年もプレイボーイ誌のオール・スター・ ギタリストに選出されていた。 事実、彼は専門外である新聞、雑誌にも認められており、ドレッサーの三つの引出しが賞賛された 記事の切抜きで一杯になるほどであった。 その中のひとつに、ジャズを志すミュージシャンだけでなく我国の殆どのミュージシャンにとって もユニークであると思われる記事がある。 あまり古い話しではないが "ミドウエスタン・ジャズ・フェスティヴァル" が開催されたとき、ウ ェスの写真がカンサス・シティ・タイムの表紙を飾ったが、他にもニュース・ウィークやタイムの 雑誌でもプロフィールなどの記事が大きく掲載されていた。 また、その年の1967年にはジャズ部門の "レコード・ワールド・マガジン賞" を獲得、《ゴーイン ・アウト・オブ・マイ・ヘッド》は "ビルボード・マガジン賞" を獲得、更に1967年度の最優秀ジ ャズ・プレイアーとしての "NARAS グラミィ賞" を獲得した。 これら総ての賞と、スターとしての存在は今でも王座に輝いている。 このインディアナポリスからやって来た男にとって、19歳までギターを弾いた事が無く、その後の 10年間もプロ・ミュージシャンとしての道を歩まなかった。そんなウェスの成功の要因はその独特 なサウンドがまさに絶好期といえる時代に現れたからで、彼も新世代の中から認められてきたこと で何らかの変化を感じていた。 さらにウェスは、「知ってるだろうが、近頃の若者は昔と違ってジャズといっただけで飛びついて くるというこがなくなった。 それどころか、ジャズなんて面白くないというんだ。だから多くのミュージシャンにとって、この 時代に生きていくということは難しいことだよ。そりゃ、ジャズ・プレイアーにとって1番の客は 若者なんだから・・そのことをいかに説明しようと、ろくすっぽ聞きもしないうちから逃げ出す始 末なんだ。 気休めかもしれないが、本心はジャズ好きだと思うんだが、何かジャズというレッテル (私論: マ ンネリズムのはびこる独り善がりの音楽) によって若者に興味を失わせるのはよくないことだよ」 と付け加えた。 |
