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最近のウェス・モンゴメリが音楽の世界に占める地位は、20世紀の歴史の中で他の起こりそうに
もない事が現実となったことと同じぐらい、考えられないことでした。
そしてこのギタリスト自身でさえ最近は不可能と思っていた。
彼が楽器を手にしたのは、どの初心者の年齢をも遥かに越えていた。但しウェスよりさらに遅く開
花したバディの年齢を除けばの話しだが、このギタリストは偶然にも自分のスタイルを見出したら
しく、「僕はピックを使って練習することから始め、30日間練習してみた。それからアンプにつな
いで今までの成果を試してみたが、あまりにも大きな音は近所迷惑になったので、一番奥の部屋で
しかも親指の腹を使って弾いてみたところ本当に静かになったよ。
で、メロディはふたつの違った音域を同時に弾く、そう思いついたのがオクターヴ奏法なんだが、
更に静かになったよ」という話しで証明づけた。
ウェスはこの練習を4年ほどしたあと (私論: 恐らくオクターヴ奏法で弾けるようになるまでのこ
とか) 突然昼夜の仕事を辞め、ライオネル・ハンプトン楽団とともにロードに旅立ったが、ハンプ
トンがウェスのギターを絶賛したことを今もなお思い出して語った。
「ハンプは、僕がソロを演るときだけでなく終始アンプを点けたままにさせていたんだ」(私論:
レコードで聴けるウェスのソロは確かに少ないが、あまりコード伴奏は得意でないことから実際に
はハンプは随所にウェスの短いソロを挟んだと思う) これにより、バンド全体のサウンドというも
のが今までとは違ってきたが、こうしたことはこの厳しいリーダのもとにあっては、今までどのギ
タリストも成し遂げられなかったことである。
バンドマンもいったんステージを降りるとレパートリのひとつを話題にディスカッションする "や
る気" のある者ばかりです。
1948年のハンプトン楽団はチャーリー・ミンガス、ファッツ・ナバロ、ミルト・バックナーといっ
たエキスパート達により編成され、冗談なしに面白い事の好きな連中だった。
ウェスが酒を飲まないことから (これは今でもそうなのだが) 彼等はすぐさま、 "レヴ(牧師)" と
いうニック・ネームを付けてしまったくらいだ。
レヴ・モンゴメリはバンドマンとしての生活も楽しんだようだが、退団後は妻を含む家族に対して
の生活にも責任感が溢れていた。
「僕がしたかった事は、必ずしなければならないと言う事でもなかった」、と彼はハンプトン楽団
を2年で辞めインディアナポリスに帰ってきた理由を説明した。
帰郷後に続く数年は、バンドマンに専念できる状態からはほど遠くなるぐらい忙しいスケジュール
に追いたてられた。
午前7時から午後3時までラジオ部品の組み立て工場(溶接工)で働き、午後9時から午前2時まで
"ターフ・バー" というクラブに出演し、2時半から明け方の5時までの出演に遅れないよう "ミ
サイル・ルーム" へ駆け込んでいた。
これらの仕事は家族へのプレゼントや生活費を稼ぐため、クリスマス以外は休まずに6年以上も続
いた。
「絶えず三つの掛持ちをこなしてきたが、何てことなかったさ。昼も夜も働く事で僕はエンターテ
イナーとして多くの試練を経験してきたし、現にいまも音楽活動を続けられているのも・・恐らく
そういった長い下積みの時代を乗越えてきたからなんだ」。
ウェスのファースト・アルバムはピアニストのバディとベーシストのモンクと共演した《モンゴメ
リ・ブラザーズ・アンド・ファイヴ・アザーズ》であり、ワールド・パシフィックよりリリースさ
れた。
2人とも今でこそウェス・コンボのメンバーだが、当時は実力こそ持っているものの今ひとつ精彩
にかけた地味なグループ "マスターサウンズ" のリーダ達だった。
然るにウェスにとってもこのアルバムに参加したが、大した結果ももたらさないままこのグループ
は1960年初め解散の運びとなった。
しかしこのきっかけでウェスのところへ友人達から少しずつではあるが、色んな話しが持ちかけら
れた。そんな中から決定的とも言える出来事が起こった。
「僕に関していうと、キャノンボールによって道は開けられたが、彼はインディアナポリスからリ
ヴァーサイドに電話でオリン・キープニュースやビル・グラウアに僕のことを夢中で話してたよ。
キャノンボールがナプ・タウンを離れて2日後、キープニュースから電話があってね、僕の事を知
らないのに『キャノンボールから話しは聞いているからレコーディングの日を決めたい』と言って
きた。そりゃ僕にとっては嬉しいが、一度こっちへ来てプレイを聴いてから決めればといってやっ
たよ。納得した様子だったね」。
その後はウェスにとって万事がトントン拍子に運んだ。彼はアメリカ国内のあらゆるフェスティヴ
ァルや、ロンドン、マドリッド、ブリュッセル、ルガノ、サンレモ各地のスター達と比較してもヒ
ットしたLPの数からみれば第一人者であり、しかもその内の3作はビルボードのベスト・セラー
・リストに乗った。
その時、ウェスが世間からどのようにしてこの地位まで上がって来たのかを噂されても、絶えず平
常心で鼻にかけるような態度は見せなかった人物であった。
「世間は他人が少しでも成功し始めるとすぐに億万長者のように言うだろが、ビートルズのような
グループならともかくジャズ界では今まで誰もそんな大きな成功を遂げた者はいないと思う。
僕も負けないように頑張るつもりだ」、と言明した。
ウェスの独特なアプローチがファンに受け入れられた事を考えると、まぁ中には無名なミュージシ
ャンも含めTVコマーシャルの契約話しが殺到しても不思議ではないと思うが、実際そのようなこ
とはなかった。
現在ウェスの親指奏法を真似る美しいオクターヴのメロディをテープで流しているコマーシャルが
多数あるが、たったひとつ彼のサウンドと聴き分けることができ、他はウェスに何の印税も入らな
い模倣である。
「別に気にはしないね。少なくとも連中は僕の事を認めてるって事かなんだから」、とウェスは微
笑みながら軽く流した。
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