ビルボード誌のウエス

1980年代になって、音楽産業もアナログ・レコードからディジタル化がなされCDが主流となった
が、今では音楽を楽しむスタイルもサブスクリプションというサービスが主流となりメディアプレ
イヤーさえあれば叶わぬものはないという1970年代以前のオジサン族には予想もしなかったことで
ある。
その音楽産業の流れのなか大きな影響力を示している「ビルボード・ジャパン」は多くのファンが
ヒット曲の指標としているのが実情のようです。
1960年代後半にはわが国でも「オリコンチャート」で毎週のレコード売上がランク付けされていた
が、話は更に遡ってアメリカのビルボード誌のチャートについて、勿論ウェス・モンゴメリに特化
しての事ですが、多くの専門雑誌でも表面的に語られているばかりか、記載もまちまちである。
そこでウェスの黄金期となる1966-68年のヴァーブからA&Мレコードのチャートをビルボート誌
から紐解いてみた。

Goin' Out Of My Head/Wes Montgomery/Verve V6-8642A Day in the Life/Wes Montgomery/A&M SP-30001 
1960年からはウェス一連のリヴァーサイド・レコ
ードはレヴューとしては見られるが売り上げチャ
ートされるほどの人気ではなかった。
65年2月、ヴァ―ヴ移籍後初リリースの《Movin' 
Wes》はクリード・テイラーの思惑も外れチャート
の陰すら窺えなかった。
この後ウェスはヨーロッパ・ツアーに出かけたこ
とで空白の時間があり帰国後録音した《Bumpin'》

シングル・ヒットした〈Windy〉のシールが張られた《A Day in the Life》 は65年10月にビルボード誌の"New Action R&B LP's" でレヴューされると、同12月に『TOP Selling LP's』部門でチャート入りした。 不確証(注:次の項で説明)ながら13週間ほど連続チャートさせ、最高位は150作品中3位とまずまずの 出足を見せた。 ところが1966年3月に《Goin' Out of My Head》が突如として『TOP Selling R&B LP's』部門に現れ 以下1968年まで下表のように8枚のアルバムが、そして『Billboard HOT 100』部門で2枚のシング ルがチャートされていた。 この1966年までは『Jazz』という部門がなく、ウェスのヴァ―ヴ一連も『R&B』部門扱いとされて いた。ここで言っておきますが表中の記載において、ビルボード誌は全巻アーカイブされていない ことから【不確証なものには※印】をつけている事を認識しておいてください。 【チャート期間とは連続してチャートされた週】のことで、その期間中に最も最高位に達した位を 記載している。 そのうえで特筆すべきはまず《A Day in the Life》が2位を2週連続でチャートされていたが、 チャート期間は62週間までは確認できた。 最注目は《A Day in the Life》からシングル・カットされた〈Windy〉は『Billboard HOT 100』 で44位を3周連続でチャートさせたこと、このホット100はアメリカの音楽チャートでシングル盤の ヒット曲の人気を測る上で最も注目され権威ある指標のひとつとなります。 覚えていますか、1963年全米で大ヒットした〈スキヤキ〉そう坂本九さんの〈上を向いて歩こう〉 がこの部門で堂々の1位を3周連続させた・・まさに日本人の誇りと・・当時私もシングル盤を買 いましたがそのあと世界69か国でリリースされ1千万枚以上売れたと聞いています。 それほど注目度の高い部門での44位は誠に"天晴"と言うほか言葉がみつかりません。 ちなみに〈Windy〉は『TOP 40 EASY LISTENING』なるイージーリスニング部門では10位、 『TOP SELLING R&B SINGLES』でも48位を記録している。 残念なことはいずれのアルバムも1位にランクされることはなかったことです。 1966-68『TOP Selling R&B LP's』(※印:未確認の週刊号を含む) 1966-68『Billboard HOT 100』(※印:未確認の週刊号を含む)
アルバム名 月/週 TOP Selling R&B LP's HOT 100
Goin' Out of My Head
Verve V6-8642
1966 3月26日〜 最高順位:7位※
チャート期間:23週間
 
 
1966 〜8月27日
Tequila
Verve V6-8653
1966 8月27日〜 最高順位:4位※
チャート期間:32週間
 
 
1967 〜4月1日
California Dreaming
Verve V6-8672
1967 3月11日〜 最高順位:4位※
チャート期間:27週間※
 
 
1967 〜9月9日
The Dynamic Duo
Verve V6-8678
1967 5月27日〜 最高順位:10位※
チャート期間:9週間※
 
 
1967 〜7月22日
A Day in the Life
A&M SP-3001
1967 10月28日〜 最高順位:2位
チャート期間:62週間※
 
 
1968 〜12月28日
Windy
A&M 883(Single)
1967 11月25日〜  
 
最高順位:44位
チャート期間:11週間
1968 〜2月3日
The Best of Wes Montgomery
Verve V6-8714
1967 12月30日〜 最高順位:17位
チャート期間:5週間
 
 
1968 〜1月27日
Down Here on the Ground
A&M SP-3006
1968 5月11日〜 最高順位:4位※
チャート期間:30週間
 
 
1968 〜11月30日
Georgia on My Mind
A&M 940(Single)
1968 7月6日〜  
 
最高順位:92位※
チャート期間:3週間※
1968 〜7月20日
Road Song
A&M SP-3012
1968 11月16日〜 最高順位:45位
チャート期間:3週間

最高順位:41位※
チャート期間:3週間※
 
 
1968 〜11月30日
1968 12月14日〜
1968 〜12月28日
billboard 1967年になると『TOP Selling Jazz LP's』という部門が新設され た。 チャートを見ると3月になるとウェスのアルバム数枚がランク入 りしているが『R&B』部門と併設のため売り上げチャートも2分さ れていると推察できる。 しかし、6月になると《California Dreaming》とウェスとジミー ・スミスの《The Dynamic Duo》が1位を競い合うなか、《A Day in the Life》が10月になってランク入りすると翌週以降ぶっちぎ りの独走を見せた。 同年3月ビルボード誌に『北、南、東そして西のTを抜いてWES』 と洒落た広告には、「全国各地のDJ達がウェス・モンゴメリのヒ ットした10曲を流しています。 全て一枚のレコードに収録されています。 《California Dreaming/Wes Montgomery/Verve V6-8672》でもす べてシングル・カットできなかったので、私たちは上位2曲を即 座に選んだ!それは《Side A〈カリフォルニア・ドリーミン〉 Side B〈ミスター・ウォーカー〉/Verve VK-10489》です。 世界で最もグルーヴィなギタリストによるその他の最新アルバム も是非」と書かれている。
1967年『TOP Selling Jazz LP's』部門で1位獲得のアルバム(※印:未確認の週刊号を含む)
月/週 TOP Selling Jazz LP's 備 考
3月11日   ・California Dreaming 5位ランク入り
・Tequila 6位でランク入り
・Movin' Wes 18位ランク入り・・翌週ランク外
5月13日 California Dreaming  
5月20日   The Dynamic Duo 13位ランク入り
6月10日   Tequila 14週連続チャート後ランク外 最高位3位
6月24日 California Dreaming The Dynamic Duo 2週とも2位
7月1日
7月8日

The Dynamic Duo


California Dreaming 7月22日の週以外2位
7月15日
7月22日
7月29日
8月5日 California Dreaming The Dynamic Duo 2週とも2位
8月12日
8月19日

The Dynamic Duo
California Dreaming 5週2位※
8月26日
9月2日
9月9日
9月16日
9月23日
California Dreaming
・The Dynamic Duo 3週とも2位

・A Day in the Life 10月17日11位ランク入り
9月30日
10月17日
10月14日





A Day in the Life












The Best of Wes Montgomery(Verve) 12月9日13位ランク入り
10月21日
10月28日
11月4日
11月11日
11月18日
11月25日
12月2日
12月9日
12月16日
12月23日
12月30日

The Best of Wes Montgomery/Verve V6-8714 この67年のチャートを見て分かるように注目すべきアルバムがある。 《Movin' Wes/Verve V6-8610》は僅か1週のみでランク外となったが 《Tequila/Verve V6-8653》は14週間チャート入りを続け最高位3位 まで昇りつめたことに加え、3月の週にウェスの3作品がチャート入 りしていることが凄いと思う。そして12月にはなんとベスト・ヒット 集《The Best of Wes Montgomery/Verve V6-8714》までチャート入り していた。
A Day in the Life/Wes Montgomery/A&M SP-30001 でも最大の功績は中盤までの《California Dreaming》と 《The Dynamic Duo》の攻防(実は6月までここにキャノンボール の《Meacy Meacy Meacy Live at the Club》との三つ巴になった)、 更に終盤に割って入った《A Day in the Life》これらをみても "ウェス黄金期" の始まりといえよう。 68年3月ビルボード誌には次のように書かれてある。 "3" はウェス・モンゴメリのイケてる数字です。 彼の直近の3枚のアルバム《A Day in the Life》《The Best of Wes Montgomery》、そして《California Dreaming》は、ジャズ・ ファンにとって比類なき3部作です。 《A Day in the Life》は現在のジャズLPのベスト・セラー・リス トで首位を独占し、他の2作品もそのあとに続いています。 これら3枚のアルバムは、ウェスの卓越した高度なテクニックの ギター・スタイルを余すところなく披露するものであり、これに 匹敵するギタリストは殆どいない。 だからこそ彼は、プロが選ぶ最高のギター、ギブソンでプレイし ています。(広告)
1968年『TOP Selling Jazz LP's』部門で1位獲得のアルバム(※印:未確認の週刊号を含む)
月/週 TOP Selling Jazz LP's 備 考
1月6日









A Day in the Life



























Down Here on the Ground 5月11日19位ランク入り
1月13日
1月20日
1月27日
2月3日
2月10日
2月17日
2月24日
3月2日
3月9日
3月16日
3月23日
3月30日
4月6日
4月13日
4月20日
4月27日
5月4日
5月11日
5月18日
5月25日   A Day in the Life 32週間1位も2位に下がる
6月1日 Down Here on the Ground A Day in the Life 3位に下がる
6月8日 A Day in the Life Down Here on the Ground 2週とも2位
6月15日
6月22日 Down Here on the Ground ・A Day in the Life 6月22日2位
・A Day in the Life 6月29日3位
6月29日
7月6日   ・A Day in the Life 7月6日2位
・Down Here on the Ground 7月13日2位
7月13日
7月20日
Down Here on the Ground
A Day in the Life 7月20日3位
7月27日
8月3日
8月10日   A Day in the Life 8月10日3位
8月17日
8月24日 Down Here on the Ground  
8月31日   The Best of Wes Montgomery Vol.2(Verve)ランク入り
9月7日 Down Here on the Ground  
9月14日    
9月21日 Down Here on the Ground  
9月28日   ・Down Here on the Ground 9月28日3位
・Down Here on the Ground 10月5日4位
10月5日
10月12日 Down Here on the Ground A Day in the Life 4位
10月19日   The Best of Wes Montgomery Vol.2 2週8位
10月26日
11月2日 A Day in the Life Down Here on the Ground 3位
11月9日
Down Here on the Ground
・The Best of Wes Montgomery 11月9日8位
・Road Song 11月16日17位ランク入り
・A Day in the Life 11月23日3位
11月16日
11月23日
11月30日   A Day in the Life 3位
12月7日
Road Song
・The Best of Wes Montgomery Vol.2 15週続くも12月7日ランク外
・The Best of Wes Montgomery 54週続くも12月14日ランク外
12月14日
12月21日
12月28日   Willow Weep for Me 12月28日19位ランク入り

68年の結果を見て、先ず《A Day in the Life》のチャートについて、ここが各誌まちまちである がウェスが【連続して1位にチャート】されたのは67年終盤から【32週間】です。そしてチャー トされた連続期間は69年8月23日週までの99週までは確認できたがこの後はっきりとした確証が 取れない。 この99週までというなかで1位に返り咲いた週もあったがほとんどは中位あたりで頑張っていた。 シングル盤で言うと、《A Day in the Life》は元祖ビートルズではシングル・カットされるこ とはなかったのでチャートにも当然入らなかったが、ウェスは同題曲でシングル・カットもされ たが、売れたのは〈Windy〉であったという事は〈A Day in the Life〉の曲は人気がなかったこ とになる。 本当のアルバム・タイトルは《Windy》が相応しかったのではと思うが、ビートルズにあやかった タイトルは誤算としてもアルバムとしては2年で25万枚売れたという。現在も多くはないが売れ 続けるなかトータルでいくら売れたのか興味あるところだ。 そして《Down Here on the Ground》は連続1位のチャート期間は短いものの《A Day in the Life》との "WES VS WES" の攻防は恐悦至極、更に終盤には《Road Song》が割って入るなど正に "ウェス黄金期" 絶好調と言えるものでしょう。 左の"68年 Top Jazz Artists"でウェ スのアルバムが1年間で6作品チャー トされ堂々の1位と評価された。 つまり、《A Day in the Life》 《Down Here on the Ground》 《Road Song》 《The Best of Wes Montgomery》 《The Best of Wes Montgomery Vol.2》 《Willow Weep for Me》である。
69年のビルボード誌のアーカイブが極端に少なく全容が掴めないが確認できた範囲で説明する。 《Down Here on the Ground》は3月15日の週で45週連続と思われるところまで、《Road Song》 は6月7日の週で30週連続と思われるところまで観られたが、前者は8月で後者は4月でランク 外となっていた。 そして《Willow Weep for Me》は3月以降チャートから消えていたが、《Goin' Out of My Head》 ともども2枚のアルバムはNARASグラミー賞を獲得しているがこれら売り上げチャートで1位を獲 得している期間がどうのこうのとは関係なく、アルバムの内容で選出されているようです。 この話は別途いたします。 黄金期のウェスは68年がピークで、ウェスが亡くなった69年3月にヴァ―ヴからもう一枚 《Further Adventures of Jimmy and Wes》が《Down Here on the Ground》と入れ替わるように 10週程度チャート入りしたが、最高位4位でランク外へと消えていた。 『TOP Selling Jazz LP's』部門において70年2月には、A&Mの《Greatest Hits》が翌年にかけて 40数回チャートされていたが、アリカ人はベスト・ヒット集にも人気が集まるのだと感じた。 ビルボード誌のチャートには他にもジャンル別があったり、年ごとに流行するジャンルを設けたり レコードとして売れた部門を細分化掲載するなか、ウェスのアルバムもちらほらチャートされてい るが特に採り上げるほどのことはないので割愛とした。 殆どの人は次のインタヴュー記事に驚くかも知れませんが・・目を通してください。 --------------------------------------------------------------------------------------- A&Мの新鋭ジャズ・ギタリスト、ウェス・モンゴメリは2音を同時に奏でる巧妙なスタイルを 確立したことで「ミスター・オクターヴ」の称号にふさわしい存在です。 ウェスのクリーンで流れるようなギターは、ジャズではなくポピュラーなメロディを基にしたプロ グラムで、彼を全米ベストセラー・チャートへと押し上げました。 インディアナポリス出身この44歳のミュージシャンは、オクターヴ奏法を試みていなければ「おそ らく他のギタリストと何ら変わらなかっただろう」と語り、彼がA&Мとの契約に踏み切った理由 のひとつは「新しいレーベルは開放的なんだ」と言う。 そして、「シングル・ラインをオクターヴで使うことを考えていた」とウェスはロサンゼルスの主 要ジャズ・クラブ "メモリー・レーン" でのセッション後に語ってくれました。 ウェスは新たなフィンガリング・スタイルのアイデアを持っていたものの、当初それがどう発展す るかよくわからなかったと認めました。 「シングル・ラインとそう変わらないから単純だろうと思ったんだ。もうひとつの音を加えるだけ だから簡単にできると思っていたが、フィンガリング・ポジションが意外と難しいんだ。 それで頭の中で色々と考えていたことを実際に弾いてみると、これができなくて・・でも問題ない はずだ・・と自分に言い聞かせ続けたんだけど、やればやるほど難しくてね、全く。」 ウェスの説明によると、1弦と3弦を弾く際・・「これがオクターヴ・フォームだ」・・彼は2弦 と4弦をミュートさせながら4本全ての弦を弾くのですが、出音させるのは1弦と3弦だけと言う。 「きっちりとミュートし音を出すには巧く指を動かし正しく置かないとね」と言い「少しでもずれ ると、ひどい音になるんだ。 聴きたくないだろう、誰も。ステージで僕の調子が悪いときに聴けばわかるさ。 今まで聴いたこと もない最悪の音だということが。」 この天才的なアーティストが技術的なミスやつまずきについて語るのを聞いて、本当に驚きました。 彼のキャリアは絶頂期にあり、これまで以上に多くのクラブで活動し、アルバムはチャート入りし、 最近では《ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド》でグラミー賞を受賞したばかりです。 それでも彼は、指先のミスやつまずきについて言及します。 「それに屈するのは好きじゃないけど一度つまずいたら、良い日より良くないステージの方が多い んだ。いち日12時間も練習すれば、今より上達してるんだろうけどね。」 実は、ウェスはステージやレコーディング以外では楽器を一切触らず、専らテレヴィジョンを楽しん でいるようです。 「ステージに上がると楽器に神経を使い過ぎるんだけど、とにかく最初のセットでつまずかないよう 気を付ければその後はテンションが上がり、楽器と向き合うことはなくなるので、ずっとテンション を上げ続けなければいけないんだ。 レコーディングの時は極普通にただ決められた流れに従うだけなので、クラブでの僕のプレイがレコ ードとは全く違うとほとんどの人が言うんだ。 違いはテンションの度合いだけで、ステージではウォームアップもでき、考えも整理でき、リラック スできるんだけど、スタジオではふらっと入って、さあ始めよう、という感じだけさ。」 ウェスは2年間、ヴァーヴのアーティストとして活動し、クリード・テイラーの指揮下でレコーディ ングを行っていましたが、 A&Мの契約がヴァーヴよりも好条件だったので、レーベルを移籍したと語っています。 「クリードが移籍するからA&Мに入ったわけではない、むしろクリードが来ると聞いて驚いた」と 語っている。 こうしてテイラーは、ニューヨークでインディペンデント・プロデューサとして、レーベルとの契約 に基づきウェスのレコーディングを続けることができました。 ウェスは、自身がジャズ志向であったため、商業市場に食い込むには非凡な何かを生み出さなければ ならなかったと説明する。 「商業的なメロディックさだけでは解決策にならないね。」 しかし《ムーヴィン・ウェスム》《カリフォルニア・ドリーミン》《テキーラ》《ゴーイン・アウト ・オブ・マイ・ヘッド》といった商業的なメロディこそが、ウェスをポップス界に押し上げたのであ る。 「人々は聴き慣れたメロディをただ耳にする。それが大事なコネクションなんだけど、聴衆に僕のサ ウンドと分かって届けられればそれがどのような曲か分からなくてもいいんだ、それで十分だよ。」 ウェスは現在、クウィンテットで活動中です。 1961年から62年頃に解散した元マスター・サウンズのメンバーである兄弟、モンクとバディに加え、 コンガとドラムスを加えた編成です。 クウィンテットのリーダ兼ソリストとして華やかなスポットライトを浴びてきたウェスは、自身のサ イドメンに十分な注目が集まっていないと感じているようです。 観衆は彼ばかりに注目し、他のメンバーには耳を傾けていないと思っているのです。 「ピアノを弾いてるのは弟なんだけど、全く目立たないんだ」と言う。 プロとして活動する10年間、ウェスは観客の前でレコーディングされたことがない。 指を鳴らしながら聴くファンの前ではよりエキサイティングにできると分かっている(「色々試して、 どの曲が一番反応を得られるか知っている」)が、マイクを前にすると緊張してしまうという。 もしライヴ録音するなら「一番いいのは、機材を隣の部屋に置いて、マイクは天井から吊るすことだ ね」と語った。(Jazz Beat by Eliot Tiegel) --------------------------------------------------------------------------------------- リヴァーサイドの《Full House》は"ツボ" でのライヴ・レコーディングで、録音機材を物置小屋に セットしたのはエンジニアの意向だったと言うが、実はウェスの気持ちもくみ取ってのことだったと 思う。 インタヴューはかなり抄訳化されているようですが、ウェスのマイク・アレルギー症と言うのかマイ クあがり症に加え、プレイにおける不安症は死ぬまで付きまくっていたという事実は本当に驚嘆の限 りですが、それがウェスの奥床しさなんですね。プレイ中は絶えず微笑みをもって観衆に応え、共演 者にも気配りを怠らず、それら全てがウェス・モンゴメリなんです。 アメリカには音楽チャートを掲載する3大誌として、ビルボート、キャッシュボックス、レコード・ ワールドが挙げられるが、キャッシュボックスは現在オンライン・マガジンになり、レコード・ワー ルドは廃刊となっているがそのレコード・ワールドが1967年に初の年間ジャズ最優秀賞を設け8人のト ップ・ジャズ・メンが受賞していた。 ニューヨーク・プレイボーイ・クラブで授賞式が68年に開催され、発起人のボブ・オースティンと編 集長シド・パーンズが主催し、DJデル・シールズが司会を務めたこのイベントでは、バニー・ガール たちも脇役に回らざるを得なかった。 音楽業界で初めて定期的なジャズコラムを掲載した専門誌が、傑出したジャズ・アーティストへの年 間賞を授与する初の試みとなったのである。 生前ウェスはビルボート誌で《A Day in the Lifet》は『TOP Selling Jazz LP's』部門で連続32週間 1位にチャートされたが賞は獲得できなかったが、ここでは【年間最優秀アルバム】と、更に【年間 最優秀ジャズマン】のダブル受賞を獲得したのだが、彼の死後となった。 他に、故ジョン・コルトレーンは【追悼賞】を授与され、デューク・エリントンは【ジャズマン殿堂】 に初めて名を刻んだ。 キャノンボール・アダレイのグループが【年間最優秀コンボ】を獲得。 オリバー・ネルソンは【最優秀編曲家賞】に選ばれ、【国際文化賞】も受賞した。 【最優秀作曲家賞】はラロ・シフリンとオデル・ブラウンが受賞し、ザ・オーガナイザーズが【年間 最優秀新進コンボ賞】を獲得した。 ジェームス・ブラウンは【年間最優秀リズム・アンド・ブルース歌手賞】に選ばれていた。