1964

【1月30日号/ワシントンD.C.】  ワシントンにあるクラブ 、"ショーボート・ラウンジ" でウェスは2週間の出演契約を交 わす。     Wes Montgomery(g) Mel Rhyne(org) George Brrown(dr) Washington, D.C.; Jan. I'll Remember April Yesterday Besame Mucho Misty *詳細は別頁(ヴァーヴ時代)でお知らせします。 【5月21日号/フィラデルフィア】  州の部局の極東旅行から戻ったジミー・デプリーストは、WHYYのシド・マークのジャズ・ テレビ・ショーでのゲストでした。WHAT−FMのジャズ・ディスク・ジョッキーである マークは、歌手ジョニー・ハートマンと共に週1回の番組を開始し、ポップ・ミュージック に関するパネルディスカッションを行うようになりました。リード奏者のローランド・カー クとギタリストのウェス・モンゴメリもシリーズの呼び物だった。  リード奏者ユセフ・ラティーフは、 "クラブ・ペップ" において新しいグループを結成し た。その繁華街のクラブにおいて呼び物にされたミュージシャンは他に、ジョニー・ハート ン、ローランド・カーク、それにウェス・モンゴメリ等がいた。 【5月21日号/ボストン】  ボストンにあるクラブ 、"ジャズ・ワークショップ" でウェスは1週間の出演契約を交わ す。ウェス以外のメンバー記載(下記は推測)なし。     Musicians are not identified save: Wes Montgomery(g) Mel Rhyne(org) George Brrown(dr)          Live at "Jazz Workshop",Boston; 5/18-24  【6月4日号/シンシナティ】  郊外における唯一のジャズ・クラブであるカバナ・ラウンジは、テナーサクソフォーンの ベニー・コルソンのグループとトランペッターのブルー・ミッチェルを含むトリオ、および 際だつ才能を持ったギタリストのウェス・モンゴメリらによって成功を収めた。 【7月16日号/ピッツバーグ】  ハリスブルグでWKBOはバリー・パーソンズとトビー・ヤングという男性2人のジャズ ・チームをプログラムに組み入れ始めた。午後11時から午前2時までの2人の番組 "ジャズ ・トゥデイ" では最近ギタリストのケニー・バレルと彼のドラマー、ビル・イングリッシュ がお目見えした。 ペンシルヴァニア州都のジャズ活動の中心はローソンホテルであり、そこでは夏にグラント ・グリーンとウェス・モンゴメリの出演が予定されている。 【7月16日号/ニュー・ヨーク】  NYにあるクラブ 、"ハーフ・ノート" でウェスは2週間の出演契約を交わす。 ウェス以外のメンバー記載なし。(下記は8月13日号による推測)     Musicians are not identified save: Wes Montgomery(g) Mel Rhyne(org) Sam Jones(dr)          Live at "Half Note", NYC; until-7/2 【8月13日号/ニュー・ヨーク】  ダウン・ビート誌 (7月16日)においてウェス・モンゴメリーが述べたこれらの基本的な 問題はその後まもなく彼を悩ませるようになった。 彼はそのオルガンをインディアナポリスに置いてきたが、それは誰かが6月下旬と7月上旬 の "ハーフ・ノート" との契約のためにオルガンを貸してくれるだろうと踏んでのことだっ た。 けれども利用できるものはひどい形をしたものだったため、彼は結局ドラムスのジョージ・ ブラウンとオルガンの代わりにピアノを弾くメル・ラインらのレギュラーメンバとベーシス トのサム・ジョーンズを加えることになった。 *詳細は別頁(ヴァーヴ時代)でお知らせしま す。  コネチカット州ウエストポートのレオナルド・バーンスタインの自宅で開催された7月中 旬のNAACP法定防衛基金の慈善興行に来た人や、出演したプレイヤーの中にはディジー ・ガレスピー、バック・クレイトン、ビリー・テイラー、ウェス・モンゴメリ、モーガン・ キング、レロイ・ジョーンズ、ボビー・ショット、 "レッド・ブルース・トリオ" 、 "ジー ン・ハル・バンド" とクレム・デローサの指揮するウォルト・ウィットマン高等学校バンド が含まれていた。 【9月10日号/シンシナティ】  ジャズ・クルセダースは、最近の1週間の滞在の間に "ペントハウス" を満員の状態にし た。ギタリストのウェス・モンゴメリはウエスト・コースト・グループに参加したが、それ は彼らがピアニスト兼歌手モーズ・アリソンの出演の前のことだった。 その後オルガン奏者ジャック・マクダフとピアニストのビル・エヴァンスが同クラブにおい てアリソンの後に出演した。 【10月8日号/ピッツバーグ】  ギタリストのウェス・モンゴメリとオルガン奏者シャーリー・スコットのグループがロー ソンホテルにやって来る。 【ロス・アンジェルス】  ジャズ批評 No.90「ウェス・モンゴメリ大全集」の記事より転載。 いわゆる "モンゴメリ・ブラザーズ" 解散後もことあるごとに臨時結成していたという証。 ドラムスとコンガの2人は今まで67〜68年頃の共演とされていたが、写真を見る限りどうも そのように見えるのだが。 Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b) provabry Billy Hart(dr) and Elvin Bunn(cga)          Live at "Shelly's Man-Hole", LA; Oct. 【12月31日号/デトロイト】   "フィールズ・ボハノン・クィンテット" はアンステイブル・シアターでの週1度のセッ ションにおいて "デトロイト・ジャズ・クインテット" の代役をつとめた。ボハノンとフィ ールズもまた "ドローム・バー" において11月30日一連の月曜夜のセッションを開始した。 11月を通して呼び物とされたのは "ジョニー・ライトル・トリオ" 、ウェス・モンゴメリの 新しいカルテット(ピアニストのハロルド・メイバーンを呼び物にしている)およびバリー ・ハリスとソニー・レッドのクォーテットだった。 (訳注: ウェス、ハロルド以外の他のメ ンバーは、アーサー・ハーパー、ジミー・ラヴレイス、後の欧州ツァーの面々である。) Wes Montgomery(g) Harold Mabern(p) Arthur Harper(b) Jimmy Lovelece(dr)          Live at "Drome Bar", Detroit; Nov.