第V期、リヴァーサイド時代


    V期、リヴァーサイド時代は1959年      契約しなくちゃほらこれが電話番号さ!」と

  9月キャノンボール・アダレイ等がインディ      興奮を抑え切れず一気に捲し立てた。

  アナポリスに巡演でやって来たとき、ウェス      かくしてウェスは36歳にして自己の初リーダ

  は楽屋を訪れ自分のクラブ出演を観てほしい      ー・アルバム、<ダイナミック・ニュー・サ

  と頼んだことから始まる。                      ウンド>を仲間のメル・ライン、ポール・パ

  約束でやってきたキャノンボールは今まで想      ーカーを引き連れ1959年10月ニューヨークで

  像もしなかったウェスのプレイに度肝を抜か      レコーディングをおこなった。

  れ放心状態であった。彼は早速自分が所属す      第V期は4年間続くが、その間じつに多くの

  るリヴァーサイド・レコードのオリン・キー      試練が待ち受けていた。ウェスは6人の子供

  プニュースに報告した。「インディアナポリ      (生涯、7人の子供)たちを養うため、プロ

  スに凄いギタリストがいるんだ。今すぐ彼と      デビューを果たしたとはいえ生活は決して楽
   

ではなく相変わらず昼間は溶接工の仕事をし ード会社のちがいもありレコーディングはさ 深夜2時まで掛け持ちのクラブ出演で生活費 れなかった。 をまかなっていた。              1962年春、不景気のあおりで仕事も少なくな 1960年2月、<マスターサウンズ>が解散す り<モンゴメリ・ブラザーズ>は解散に追い るやいなやかねてから兄モンクの念願であっ 込まれ、1963年末、所属するリヴァーサイド たウェスを引き入れた<モンゴメリ・ブラザ も経営者の死から倒産し、ウェスは失業の身  ーズ>が結成された。              となった。しかし大家族の生活を放棄するわ 1961年9月、弟のバディのくちこみから、ウ けにはいかず、1964年早々、再び仲間のメル ェスは単独でジョン・コルトレーンのグルー ・ライン等とトリオを組みライオネル・ハン プに一時的に参加しており、後世にまで語り プトン時代に次ぐ長い全国への巡演にでかけ 継がれるぐらい脚光を浴びたがお互いのレコ た。