Sonny Parker(vo) Walter Williams(tp) Al Grey(tb) Johnny Board(as) Gene Morris(ts) Floyd
Dixon(p) Wes Montgomery(g) Roy Johnson(b) Ellis Bartee(dr)
Radio Recorders, Los Angeles; Sep.7,1949
Sonny's Blues [2:52]
"アラディン" というレーベルと契約していたのはソニー・パーカー ではなくフロイド・ディ
クスンであり、その彼のコンプリートCDがリリースされたことにより今まで未発となっていた
〈ソニーズ・ブルーズ〉が日の目を見た。
フロイド・ディクスンは1929年2月にテキサス州マーシャルに生まれたが、1942年ロスに引っ越し
た。
彼も独学でゴスペルとブルーズからすべての影響を吸収し、ジョニー・ムーアの "Three Blazers"
というバンドで歌手兼ピアニストとしてクール・ジャズ的なナイト・クラブでギグを重ねる間に、
自身の名前を築きあげた。
1948年 "スウィング・タイム" というレーベルで最初のレコーディングをおこない、1949年にアマ
チュアのコンテストで優勝したあと "ピーコック" や "アラディン" というレーベルに多くの録音
を残した。
1950年にはタレント・コンテストでも優勝し "スペシャルティ" に移り良質のブルーズを残したが
スロー・バラッドよりはミディアムのR&B感覚のものが得意とされている。
彼自身のトリオはこの1947年から1952年にみられるが、この間の "アラディン" にウェスとの共演
があった。と言っても、ブルーズ・シンガーのソニー・パーカーをリーダにしたいわゆる歌伴であ
りウェスとしても珍しいレコーディングである。
1949年9月7日からの、そのセッションはハンプトン・バンド専属のシンガーであったソニー・パ
ーカーを初め、ウェス・モンゴメリ、ジーン・モーリス等と、 "アラディン" と契約していたフロ
イド・ディクスンとの顔ぶれであった。
彼等がどのような縁故でつながっていたのかよく分からないが、ただ "デッカ" レーベルと専属契
約していたのはハンプトンだけであり、ソニーやウェスはハンプトンの団員ではあるがどこの会社
とも専属契約していないので、彼のバンドから離れてレコーディングすることの規制はなかったと
書かれてある。
恐らくハンプトン一行がカリフォルニアへ巡業に来たとき、ソニーと親交(?)のあったフロイドの
発案で集められ、レコーディングされたものと思う。
その日、5曲がカットされSP2枚分の4曲がリリースされたため、当然この〈ソニーズ・ブルー
ズ〉がお蔵入りとなった訳だが、何と聴いてみるとウェスのシングル・トーンによるソロが見事に
復元されている。
5曲のうち最も聴ける内容でありながら何故これがお蔵入りなのか・・ヴォーカルを上回るから?
・・理解しがたい。
このCDのライナー・ノーツには気がかりなデータが記載されている。
Sonnie Parker & His All-Stars includes:
Sonnie Parker(vo) Wes Montgomery(g) Johnny Board(as) Gene Morris(ts)
Al Grey(tb) poss. Douglas Duke or Gus Domerette(p) Roy Johnson(b) Ellis Bartee (dr)
Radio Recorders, Hollywood, Los Angeles; Sep.6,1949
レコーディングが【9月6日】と1日早く、ピアノがフロイドでなく【ことによるとダグラスかガ
ス】とある。
【9月6日】はまだしも、フロイドでなければこの "コンプリート・アラディン・セッション" と
してリリースされた意味がない。
いまのところ何の根拠もないので参考として記載した。
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