World Pacific Records
1952年 6月、リチャード・ボック (1927-1988)とドラマーのロイ・ハートがロス・アンジェルスに 共同で設立する。(注: ハートは1954年春に同じくノクターン・レコードをベーシストのハリ ー・ババシンと共同設立するも、1955年3月にリバティ・レコードに吸収合併されたとある) 1957年 10月、ワールド・パシフィック・レコードに社名変更する。 1960年 設立当初のパシフィック・レ―ベルを復活させる。 1965年 5月倒産、レーベルはリバティ・レコードに売却。ボツクはワールド・パシフィック部門の 制作担当者として残留。 1968年 リバティ・レコードは映画配給会社系列ユナイテッド・アーティスツ・レコードと合併する。     この関連で、リチャード・ボックは映画音楽の担当にも就く。1972年の「SOUL TO SOUL/魂 の詩」や、1973年「理由無き反抗」などの巨匠ニコラス・レイ監督が晩年に講師を務めてい たニューヨーク州立大学ビンガムトン校映画学科の学生と共同制作した幻の遺作「ウィ・キ ャント・ゴー・ホーム・アゲイン」など、1976年には「イエスの失われた歳月」のフィルム 制作にリチャード・ボックと妻ジャネット・ボックによって、90分のドキュメンタリー・フ ィルムも制作された。 1979年 ユナイテッド・アーティスツ・レコードはEMIグループに買収される。     (注: 73年に東芝もEMIグループに資本参加するも、2007年に離脱) 2011年 11月、EMIグループの音楽部門はユニバーサル・ミュージック・グループ(1996年MCAレコード から改名)に売却される。以後ユニバーサルがパシフィック・ジャズ/ワールド・パシフィック のマスターを管理する。また著作権管理部門はソニーの関連会社に売却される。         ウェスのアルバムでラベル的にパシフィック・レコードでのリリースは存在しないが、発足の52年から 55年にかけて19枚のアルバム、いわゆる【10インチシリーズ】として《The Gerry Mulligan Quartet/ PJLP-1》から《Bud Shank And Bob Brookmeyer/PJLP-20》がリリースされている。 (注:《Al Haig Trio/PJLP-18》はリリースされず) 次の54年から60年にかけて録音された【1200シリーズ】から、レコードは12インチ化される。 《Bud Shank/California Concerts/PJ-1201》から《Kimio Eto and Bud Shank/Koto and Flute/PJ- 1299》まで99タイトルある。そのなかからウェスのアルバムが3枚ある。 ウェスの兄弟と仲間たちで57年12月に録音の《The Montgomery Brothers And Five Others/PJ-1240》 と、兄弟2人が結成したバンド、マスターサウンズにウェスがゲストとして加わった58年4月録音の 《The Mastersounds/Kismet/WP-1243》そして59年10月録音の《A Good Git-Together/Jon Hendricks /WP-1283》ジョン・ヘンドリックスのヴォーカルにウェス、キャノンボール等が伴奏に加わったもの で、同年9月にウェスはリヴァーサイド・レコードと契約していることから、置き土産的な録音とな った。 これらは57年にパシフィック・レコードからワールド・パシフィック・レコードに社名を変更した翌 年以降にリリースされている。 それにつれアルバム番号の頭記号が "PJ(Pacific Jazz)" から "WP(World Pacific)" に替えられた最 初のアルバムが《The Mastersounds/Kismet/WP-1243》でもあった。 その時の混乱ぶりが確認される、と言うのはジャケットへの印刷は "WP-1243" でラベルは "PJ-1243" となっている。 ただ、《The Montgomery Brothers And Five Others/PJ-1240》の "PJ(Pacific Jazz)" は企画または レコーディングされた時点で先にアルバム番号を割り付けされたことから、変更することなくリリース されたことになる。 さらに言うと、これ以降に紹介するウェスのアルバム全てもワールド・パシフィック・ラベルとなる。 説明が前後するが《The Montgomery Brothers And Five Others/PJ-1240》は57年12月30日に録音され たが同日にウェスの初リーダーとして録音されたのがアンソロジー盤《The Blues Vol 2/Have Blues Will Travel/JWC-509》の1曲として〈フィンガー・ピッキン〉が収録され58年6月にリリースされた。 この "JWC(Jazz West Coast)" は【ジャズ・ウエスト・コースト・シリーズ】として53年から59年にか けて14枚のアルバムがリリースされているが、そのうちの1枚となる。 また《The Blues Vol 3/Blowin' The Blues/JWC-512》と《The Blues In Stereo/JWC-513》にもウェス がみられるが、次に説明する【パシフィック・ジャズ・ニュー・シリーズ】でリリースされたアルバム から挿入されたものである。 そのニュー・シリーズは【1200シリーズ】の後継として60年から70年まで続くが、意図は発足当初の "PJ(Pacific Jazz)" ラベルの復活にあった。黒地に大きな銀文字【Pacific Jazz】のロゴが特徴であ るが、違いはラベルのセンターに太い横バーがあしらわれている。 アルバム番号の頭記号はMONO盤が "PJ-1" で、STEREO盤は "ST-1" から始まり "91" あたりまで続く。 しかし、65年に会社は倒産しリバティに譲渡された以後MONO盤が "PJ-100092" STEREO盤が "ST-200092" となるが前後して新旧番が乱れた付与も見られる。また同時にラベルのデザインもリバティ独自のもの に替えられた。 そこからのウェスは2枚のアルバムで変則的な形でリリースをされている。 1枚は《Montgomeryland/Pacific Jazz PJ-5》で58年、59年の録音であるが、ウェスが59年リヴァーサ イドと契約を交わした翌年の7月にリリースされ《Wes Buddy And Monk Montgomery/Pacific Jazz PJ- 17》は1枚目の58年の残り曲と《Five Others/PJ-1240》の挿入曲を組み合わせ、61年にリリースされる という見苦しさである。ウェスに対する目がなかったリチャード・ボック最大の誤算と言えよう。 誤算と言えばやはり65年の倒産でリバティの傘下となって以後、レス・マッキャンの資本が入り黒人プレ イアーのレコーディングが多くなったこと、そしてかつてのウエスト・コースト・ジャズ・プレイアーを イージー・リスニング仕立てのアルバムに起用したことに始まる。 確かにそこから素晴らしいアルバムもリリースされたが真のウエスト・コースト・ジャズ・ファンはその 魅力のなさに遠のいていった。 極めつけは、ステレオ技術の進化でオーヴァー・ダブ(二重録音)やマスターテープに挟みを入れ編集した ものなど、ファンを欺くやりたい放題となったことである。 その一枚に《A Portrait of Wes Montgomery/Liberty ST-20137》がある。 ウェスの死後《Montgomeryland/PJ-5》と《Wes Buddy And Monk Montgomery/PJ-17》のアルバムからジェ ラルド・ウィルソンの編曲・指揮によりストリングスが被されリリースされたもので、明らかにA&M の恩恵に授かろうと言う狙いのイージー・リスニング・アルバムへと変貌させられた。 しかしながら、今となってはそれはそれで楽しく聴けるというのも時代の流れであろうか。
The Montgomery Brothers And Five Others

MONO盤
1st-Original

1.MONO   :PJ-1240
2.溝 :有
社名がまだパシフィック・レコードの57年の中頃、ウェス等同郷の仲間たちでのレコーディングが企 画されたが、互いの仕事の都合でなかなか集合できなかったことから、12月のクリスマス休暇を利用 して実現した。 同年7月に社名がワールド・パシフィック・レコードに変わり、翌58年の6月にリリースされたこと から、ラベルはそれに準じたがアルバムの頭記号 "PJ" だけが継承された。 録音が早ければ、パシフィック・ラベルの可能性があったことになる。 この【1200シリーズ】はアルバムによってはステレオ盤もリリースされているが、本アルバムのステ レオ盤はなく、しかもリバティの傘下に入ってからもリイシューされることがなかったことで日本で もリイシューされず、その存在さえ知らないファンもいた。
Have Blues, Will Travel The Blues Vol.2

MONO盤
1st-Original

1.MONO   :JWC-509
2.溝 :有
この "JWC(Jazz West Coast)" 【ジャズ・ウエスト・コースト・シリーズ】はマニアックな存在として、 リリース当時から人気があった。つまり、アルバムに挿入できなかった曲や別テイクなどを中心に集め られたことにあった。 個人的には上記《The Montgomery Brothers And Five Others/PJ-1240》のはみ出しとは思っていない。 兄のモンクからかねてウェスの凄さを聞いていたリチャード・ボックは当初から別扱いとしていた。 ライナー・ノーツからもリチャードがシカゴからニューヨークに帰る途中、インディアナポリスに寄り 計画通りレコーディングしたことがうかがえる。 このアルバムも《Five Others/PJ-1240》同様、同日録音の翌58年6月リリースとなったが、同様に 黒または青地にトランペッターが描かれたパシフィック・ラベルの可能性があったことになる。