Recorded Live At Jorgies Jazz Club/Wes Montgomery/VGM-0001
アルバム名 : Recorded Live At Jorgies Jazz Club/Wes Montgomery
アルバム番号: VGM-0001
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 9/1980
メディア  : LP


Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p.*vib) Monk Montgomery(b) Billy Hart(dr)
                                      Live at "Jorgies", St.Louis, Missouri; Aug.19,1961
          All Of You                          [12:54]                           
          Heartstrings                         [6:05]                               
          Summertime                           [7:30]                               
          Back To Bach To Bock*               [14:03]                               


 8月4日にNYで《ソー・マッチ・ギター》をウェス独自のグループでレコーディングした後、 "モンゴメリ・ブラザーズ" 一行はミズウリー州にやっきた。 ガス灯に囲まれたロマンチックな市街地セントルイスにある "ジョージズ・ジャズ・クラブ" に出 演したときの模様をプライベート録音したものを、1980年に、VGM (Vigil G. Matheus氏 )がリ リースしたものである。 短いライナー・ノーツには完全ではないが後2曲ぶんのテープが残されてある。と嬉しい記述があ るが、最も注目する事にウェスがコルトレーンのグループに一時的に参加したことも書かれてあっ た。 この興味ある記事の全貌が1980年の秋 (ほぼこのレコードと同じ頃だったと記憶している) に "デ ィスク・ライブ" というコルトレーンとオーネット・コールマンの専門誌のなかに、こと細かく書 かれてあったので紹介しょう。
Wes & Trane An Unrecorded Sextet
 ジョン・コルトレーンのホーンの総てのプ    ウェスのデビューはライオネル・ハンプトン レイについて、魅惑的なサウンドにも関わら    楽団に始まるが、当時彼が若い頃に聴いたチ ず "カタチ" となって残っていないものがあ    ャーリー・クリスチャンのソロを総て暗記し る。                      それをプレイしていたのだという、全く根拠 それゆえ我々はその内容について想像する他    のない逸話がある。  ないのであるが、これよりたいへん興味深い    いずれにせよ彼は1950年初めにハンプトン楽 出来事のひとつとして、短期間ではあったが    団を退団し、故郷のインディアナポリスに帰 異色の顔合わせともいえる "コルトレーン・    ったところから話しは始まる。 セクテット" について紹介する。          それは、このグループにエリック・ドルフィ     ウェスとコルトレーンの最初の出会いは弟 やウェス・モンゴメリが加わっていたという    のバディ・モンゴメリが紹介したということ ことです。                   である。 (訳注: 実際に紹介されたのはウェ ギタリストとしてのウェスの経歴はコルトレ    スが "モンゴメリ・ブラザーズ" として1960 ーンと同じ期間に及んでおり、無名の頃から 年9月に "モンテレイ・ジャズ・フェスティ 有名になるまで同じ仕事をやり、同じように    ヴァル" に出演したとき、コルトレーンのグ 予期せぬ不運な死を遂げるのである。       ループも出演していたことか恐らくこの時で                         はないかと思われる。)                         
 バディは1960年2月、ウエストコーストでの数回のコンサートで、マイルス・デイヴィス・セク テットの一員としてコルトレーンと一緒にヴァイブをプレイしていた。 そのうちロスにある聖堂会館での記録が確認されている。      Miles Davis, John Coltrane, Buddy Montgomery, Wynton Kelly, Paul Chambers, Jimmy Cobb Shrine Auditorium, LA  
     1960年2月に "マスターサウンズ" を解散     1961年1月、 "モンゴメリ・ブラザーズ" した長兄のモンク・モンゴメリは念願の3兄    はNYで《グルーヴ・ヤード》を録ったあと 弟からなる "モンゴメリ・ブラザーズ" を結    ウォーキング・バンドとして各地をロードす 成し、秋にはシスコで彼等名義の初レコーデ    るが、つまりは拠点活動だけではビジネスに ィング、《モンゴメリ・ブラザーズ/Fantasy    ならなかったという理由である。     》を実現させた。                6ヶ月後、コルトレーンは自分のグループの そして10月にはウェス独自でリヴァーサイド    充実化を図るため、NYで2人目のベーシス のスタジオ・クウィンテットのバックを借り    ト (先にアート・デイビスが居るが) レジー て《ムーヴィン・アロング》が予定されてい    ・ウォークマンをレギュラーに加え、5月と たため、それまでの期間ウエストコーストに    6月のレコーディング《アフリカ・ブラス》 留まっていたことは明らかである。        と《オレ !》に2人のベースを共演させた。 一方、コルトレーンは4月にノーマン・グラ          ツ主催のJATP欧州演奏ツアーのワングル    その夏の終わり、コルトレーンの更なる意欲 ープとしてマイルス・クウィンテットの一員    は《アフリカ・ブラス》で共演したエリック として参加したが、帰国後にはマイルスとの    ・ドルフィにも誘いの手紙をだした。   契約も切れ1ヶ月も経たないうちに独自のグ    ドルフィは1961年8月の終わりから9月初め ループを結成し、10月には代表作のひとつ《    にかけてヨーロッパにいたが、9月中ごろ帰 マイ・フェイヴァリット・シングス》をレコ    国するやいなや、南カリフォルニァにいたコ ーディングした。                ルトレーン・グループに合流した。