The Wes Montgomery Trio/A Dynamic New Sound/Riverside 12-310
アルバム名 : The Wes Montgomery Trio/A Dynamic New Sound
アルバム番号: Riverside RLP 12-310
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 1959
メディア  : LP


Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(org) Paul Parker(dr)
                                                 Reeves Sound Studios, N.Y.C.;Oct.5,1959
          'Round Midnight           [4:49]                          
          Satin Doll (take 7)       [3:53]                          
          Missile Blues (take 6)    [5:57]                          


same personnel:
                                                 Reeves Sound Studios, N.Y.C.;Oct.6,1959
          Too Late Now              [4:48]                          
          Whisper Not               [4:32]                                        
          Yesterdays                [3:13]                                        
          Ecorah  Ecaroh            [2:59]                                 
          The End Of A Love Affair  [3:15]                                        
          Jingles                   [5:29] 
                                          

1959年、ウェスはすでに6人の子供の父親であった。                    彼は昼間“ボークス・ミルク" で牛乳の配達をし大家族を養っていく稼ぎを得るため信じられない ようなスケジュールをこなすことになった。 “ボークス・ミルク”の配達で朝7時から午後3時まで働き、“ターフ・バー”で夜9時から午前 零時まで出演し、少しの食事休憩のあと“ミサイル・ルーム”で午前2時から6時までの仕事にお われる日々を過ごしていた。 そんな苛酷ななかウェスにとって一生涯の運命を変える出来事がインディアナポリスで起こった。 その話はあまりにも有名で過去何度となく紹介されてきたが、エイドリアン・イングラム著『ウェ ス・モンゴメリ』(小泉清人訳、JICC出版局)と、1993年1月にリリースされた《ウェス・モ ンゴメリ・コンプリート・リヴァーサイド・レコーディング/Riverside 12RCD-4408-2》でのオリ ン・キープニュースのライナー・ノーツに若干の相違点がみられるので、両者の言い分を並べ比較 検討してみた。  ―――――――――――――――――――――|―――――――――――――――――――――     エイドリアン・イングラム      |     オリン・キープニュース      ―――――――――――――――――――――|――――――――――――――――――――― 9月7日:                | 9月初め:                       | キャノンボール・アダレイがインディアナポ | キャノンボール・アダレイがリヴァーサイド リスにある、インディアナ・シアターでニュ | レコードの私のオフィスに飛び込んで来たの ーポート・ジャズ・フェスティヴァルと呼ば | は、インディアナポリスでの一晩興行を終え れる巡演パッケージ・ショーの一晩興行を終 | て戻ったときのことだった。 え、NYに帰ってきた時のことであった。 | 彼は『インディアナポリスに凄いギタリスト 彼はリヴァーサイドのオフィスに駆け込んで | がいるんだ。そいつを絶対うちのレーベルに きてキープニュースに捲し立てた『インディ | 引き入れるべきだ』、と興奮気味に訴えた。 アナポリスに凄いギタリストがいるんだ。 | 君はこの男とすぐ契約しなくっちゃ、ほらこ | れが電話番号だ』。 | | ―――――――――――――――――――――|――――――――――――――――――――― 5日後: | 直ちに:              |        キープニュースはインディアナポリスに着い | 私はウェスを自分の耳で確かめるべく、イン た。     | ディアナポリスへ飛んだ。       その晩、噂のウェスを自分の耳で確かめるべ | その日の夕刻には“ターフ・バー”を訪れ真 く“ターフ・バー”と“ミサイル・ルーム” | 夜中すぎまで聴き、その後“ミサイル・ルー で延べ8時間にもおよび聴き込んだ。    | ム”へ向かった。      |                      ―――――――――――――――――――――|――――――――――――――――――――― その晩:                 | 明け方の6時頃:                                  |             キープニュースはリヴァーサイドとの契約を | 私はポケットにいれておいた全米音楽家連盟 成立させた。               | が発行した、3ページの標準録音契約書に前        | もって必要事項を記載していた1959年9月23                      | 日付けに、ウェスはその場でサインし、専属      | アーティストになった。 | ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  イングラムの話をまとめると9月7日の5 又のちのウェスへのインタヴューで彼は『キ 日後つまり9月12日の晩、というより13日の ープニュースから電話があったのは、キャノ 未明にウェスとの契約に至ったことになる。 ンボールが引き揚げて3日後のことだったよ 一方、キープニュースは9月初めにウェスの 』、と答えている。 ことを聞かされ直ちにインディアナポリスへ 飛び、9月23日付けの契約書にサインを交わ これらの話を9月23日付けの契約書を基に したという事であるが、両者の話の内容は合 検討すると、キャノンボールは一晩興行を終 致するものの、日程的にかなりの隔たりがあ えた翌日、つまり9月初めか17日にとりあえ る。 ずキープニュースーにウェスのことを電話で しかし、この話の食違いを埋めるのに最も立 報告したが、彼はジョージ・シアリング・バ 証づけやすい事がある。それはキープニュー ンドのゲスト・プレイヤーとしての責務がま スの回想にある9月23日付けの契約書が残さ だ残されていたため、キープニュースへ直接 れていたという事実である。 報告したのが9月17日であったと思われる。 結論づける前に話を更にややこしくするかも しかしもう一方の見方をすると、インディア しれないがキープニュースはオリジナル盤の ナポリスでの一晩興行を終えたのが9月17日 ライナー・ノーツで、『ウェスのことを初め とも考えられるため7日と17日を聞き違えた て聞いたのは1957年9月17日のことだった。 か、あるいは書き違えた(情報は伝えられる その2年ぐらい前にダウンビートの批評家投 度に誤報になりやすく)誰かのミスとも思わ 票で、ラルフ・グリーソンがギタリストの新 れるが、結論づけると次のようになる。 人賞としてウェスに一票を投じていたし、N Yの多くのミュージシャンがウェスのプレイ を聴いてショックを受けているという話を聞 いたことはあったが、実際私の耳で直接聴い たのはキャノンボールの報告だったよ』、と 書き記している。    
 9月7日:インディアナ・シアターで、ニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァル巡演パッケ ージ・ショーの終演後、キャノンボールはウェスより案内された深夜営業のミサイル       ・ルームに行き、8日未明キャノンボールは、オリン・キープニュースにウェスとの       契約話で電話報告する。  9月10日:オリンはウェスへ契約のことで電話をいれるが、一度逢ってからという話になった。  9月17日:NYに帰ったキャノンボールはキープニュースにウェスの詳細を改めて報告をする。  9月22日:その5日後、直ぐには行けなかったが、キープニュースはインディアナポリスへ飛ん       だ。  9月23日:午前6時頃、“ミサイル・ルーム”でリヴァーサイドとウェスの契約成る。  
 最も詳しい内容はイングラム著の『ウェス・ これには異説があってケニーの記憶によると モンゴメリ』のなかに書かれてあるが、時系列 『ウェスは飛行機が嫌いだから、ギターを持 的にはこのように考えていただきたい。 って乗り込むのもためらった。僕だっていま 10月4日、ウェスはオルガンのメルヴィン・ラ だにギターを乗せたくないからね』、という インとドラムスのポール・パーカーを連れこの が果たしてそうだったのだろうか。 世で一番恐れている飛行機でNYへ向かうはめ いずれにせよ私なら無条件で自分の愛用する になった。 楽器を持っていく。 『ウェスは新契約したばかりのリヴァーサイド 普段使いこなした楽器でレコーディングして と問題を起こしたくなかった』、とキープニュ こそ、ベストをだしきれるのではないかと思 ースはいう。 うが、諸兄は如何ですか。 というのは何らかの事情で、いつも足がわりに ウェスとケニーのつながりは、それ以前の19 使っている車の移動では10月5日のレコーディ 40年代の終わり、ケニーがデトロイトのクラ ングに間にあわなかったからである。        ブで出演していた頃ウェスはインディアナポ そんな事情にウェスは愛用の楽器を持って行く リスから時々車を飛ばして聴きに行ったの こともできずキープニュースに電話をいれた。 が初めで、その後NYのホテルの一室で2人 連絡を受けたキープニュースは、早速NYに住 でジャムったり、60年代にはシカゴやロスの むケニー・バレルに電話で、『ウェスが君の楽 クラブで共演したこともあった。 器を使ってデビュー作を録りたいといってきて かくして、10月5日NYマンハッタンのミッ いるんだが』、と申しいれるとケニーは即座に ドタウン、イースト・サイドにあるリーヴス 愛用のギブソンL−7とフェンダーのデラック ・サウンド・スタジオで夕方の6時頃、この スを貸す相談に乗った。       後のウェスの運命を大きく変えるレコーディ                          ングが行なわれた。