ジャズ・ギター界の旋風児 
 
 ェス・モンゴメリがたどった経歴はジャ    派が考える、つまりミュージシャンの評価をビ
ズ史上においてあまりにも特異なものだった。        ルボード誌チャートのランクと反比例させ判断
表面的な経歴にのみ焦点を合わせるのであれば        したり、ハモンド・オルガンを加えたトリオが
その総ては非常に一般的な名声を得て10年も経        いつまでも続くとは考えない人達など、それら
たないうちの悲劇的な死である。が、しかしそ        を打ち砕くタイプのプレイヤーであった。
の特異さがジャズ界におけるモンゴメリと、急        というのは、彼の本当の持味はなにもグラミー
に有名になった他のミュージシャンと違うとこ        賞やゴールド・アルバムを獲得したものだけで
ろである。                                        なく、他のもっと酷でつまらない作品の侵食力
彼は苦しい生活をしていた理由でもなく、悪癖        に充分抵抗できるものを持っていたからであり
があった理由でもないのに心臓発作に襲われ、        解かりやすくいえば優れたジャズ世代のかず少
それが彼の死を一層やるせないものと感じさせ        ない"巨星"のひとりであったといえる。
る。                                              それは、彼が多くのリスナーに愛されたにも係
モンゴメリのようにハッキリとした性格と、落        わらず、ビ・バップの発展や後のアコースティ
ち着きを持った人物なら、長期にわたる人気を        ク・ジャズのスタイルのなかで消滅的役割を演
得ていたにも拘らず、結果として成されなかっ        じてきた楽器よりも、むしろテナー・サックス
たようだ。彼は36歳のとき、(クリスチャンも        かピアノでも演っていたら、より明白であった
パーカーも達しえなかった年齢で)リーダーと        と思える。
しての初セッションを行ない(Wes Montgomery        多くのギタリストがそうであるように、モンゴ
Trio / Riverside  RLP-12-310)1964年にはジ        メリもまたホーン・プレイヤーから影響をうけ
ャズ界の商業的トップ・スターの地位を確立さ        たといっていたが、ただ、他のものと違うのは
せた。その成功は、リヴァーサイドの数々のア        彼の創作力と天性が頂点に辿り着かせたという
ルバムで聴けるような、純粋なジャズ・プレイ        ことで、その数々の成功の裏にはホーン・プレ
の発展を犠牲にして得たものである。しかしモ        イヤーらが見習うべきメロディの豊かさやリズ
ンゴメリは、純粋ジャズをモットーとする保守        ムの煌めきがあったからである。


wes_anime   1968年の死去に関して、ウェスが45歳を過ぎていたという記述には様々 な伝記や、数版刊行されたレオナード・フェザーのジャズ百科事典などの本に 対して反論がある。 この辞典では、彼は1925年生まれとなっている。しかし、私がウェスから聞い たところによると彼の誕生日は私の4日後で、同じ年、同じ月だったはずであ る。彼の兄、モンクにもう一度確認したところ私の記憶は正しかった。
ジョン・レスリー〈ウェス〉・モンゴメリの正確な生死年月日は次のとおりである。 1923年3月6日生まれ、1968年6月15日死去。 このように、彼の晩年を左右したポップ調オーケス トラ時代を別にすれば、モンゴメリの純ジャズ歴は他のメジャー・ミュージシャンよりかなり短期間の ことである。幸い、その数少ないコンボ時代には才能溢れる作品が多く、ベスト作品の殆どがリヴァー サイドでレコーディングされたもので、そのうちの何曲かを例えるならオリンピックに出場できるくら いの水準といっても過言ではないと思う。 オリン・キープニュース =《イエスタデイズ/ Milestone M-47057》=ライナー・ノーツ参考