スタジオ通信 スタジオレポート第146号:「おつきあい」 2024.9.15 今年はことのほか残暑が厳しく、9月に入っても8月同然の熱中症警戒アラートが連続発令されています。 異常気象が恒常的になってきたのも、地球温暖化が加速化している所以でしょう。 私が子供の時は10月初めの運動会に向けて9月は毎日校庭で練習したものですが、運動会を11月に延期する学校も出てきたとのニュースもありました。 猛暑、大雨、台風に加えて南海トラフ地震予測と気象予報が何かと気になる昨今です。 次の詩は合唱団で配られた新譜の歌詞で何十年も前のものですが、やわらかなメロディーで唄ううちしみじみ胸を打たれました。 ダンスで出会い、先に旅立って今はもう会えぬ人を想いました。 そういえばほどなくお彼岸となりますね。 おつきあい 相馬梅子 生きているときゃ気にかけず いつでも会える会える気やすさに 話もしみじみしなかった けむりとなって消え去られ 話したくとも通じない 想うこころの重たさに 歯ぎしりしているこのつらさ 死なれて後悔するよりは 生きてるうちにしんじつを みせればよかったくちおしさ 生あるものがほろぶなら すべての人にやさしくし この世に生まれたあかしたて やがてはけむりと消えてゆこ
スタジオレポート第145号:「熱中症」2024.8.2 パリオリンピックの開催と共に猛暑が日本中を襲っています。 最高気温は大阪37度、京都奈良や内陸の豊岡は38度、とっくに体温を超えて日中の戸外は息をするのもしんどいほど、異常高温です。 熱中症に気をつけるようにと注意喚起するテレビ報道は毎日目にして、実際熱中症にかかった方の話も聞いていましたけど、まさかのまさかで私もついに軽い熱中症気味になりました。 そういえば、この驚きは以前にコロナに罹った時と似ています。 その日、私は朝から伸び放題の庭木の枝を剪定し、ぼうぼうの雑草抜きを2時間ほどがんばってしまいました。 大汗をかいて作業を終えた後エアコンの効いた部屋で昼食をとり、午後には2か所の施設をまわるつもりでした。 一つ目の場所で話をしているときから身体がだるいなと違和感はありましたが、二か所めに行こうと運転中に頭がボーっとしてきて眠気が強くなりました。 もちろん運転中でしたから細心の注意を払いましたが、二か所めの駐車場に車を入れたときはとてもほっとしました。 冷たい飲み物を多めに飲むと、体内から冷えたのかようやく頭がすっきりして、先ほどまでの頭と身体のしんどさは熱中症気味だったのかと気づきました。 よく言われることですが、熱中症は気づかぬうちになってなってしまうというのは本当です。 ちゃんと水分は摂っているのに変に尿の量が少なかったこと、前夜夜更かししていたことも後で気づきました。 きっと午前中からその準備状態だったところを午後も無理した結果ですね。 皆様、くれぐれも自分だけは大丈夫と過信せず、予防のため生活を整えて参りましょう。 スタジオレポート第144号:「ブルーモーメント」2024.6.10 人からどの季節が好きかとたずねられたら、私は迷いなく入梅前の青梅の季節と答えます。 五月晴れの強い日差しが梅雨を前にいったん収まり、昼間はともかく朝夕はまだひんやりと涼風が空を流れます。 そんなこの季節のとくによく晴れた日の夕方、太陽が沈んでから夕闇が深くなる前のひととき、時間にしたらたった10~15分間の間、空が真っ青に染まるのをご存じでしょうか。 これを名付けて「ブルーモーメント」、シャッターチャンスとして写真家の間では知られているとのことですが、私はこの年になって初めて気づきました。 青の魔法がかかったブルーモーメントには、木の陰にひそんでいた妖精が飛び出してひととき空を舞い、夜のしじまと共に草のベッドで眠りにつくことでしょう。 長年生きてきたから何度もみてきたはずの光景なのに、今初めて見たように喜んでおります。 でも、気象条件がそろわないと写真のような美しいブルーにならないようです。 人間とは、身近で足元にあるものには目隠しされたまま過ごしてしまうものですね。 今までもそこにあり気づけなかった美しいものにこうして感動できるのも年を重ねたせいでしょうか。
スタジオレポート第143号:「我に五月を」2024.5.3 逢ひたきと思う友あり桜咲く (毎日俳壇より) 瓶(かめ)にさす 藤のはなぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり (正岡子規) しばらくスタジオ通信の更新を怠っていたらあっという間に冬が終わり、卒業入学のあわただしさも過ぎて、春たけなわとなりました。 暦の連休はさしたる外出の予定を作らず、家の周りで静かに過ごしています。 人はエネルギーを外へ向けて発展的に動く時期と、内に向かって収束して足元を固める時期があると思います。 自分から求めてそうなるのでなく、人生は周期的にそういう時が必ずやってくるものなのでしょう。 今まで行楽地のニュースや旅行社のパンフレットを見るたび心動かされていましたが、そういうことが少なくなった静かな心持ちの自分に驚いております そして雑音に耳を傾けなくなったら、私の毎日のダンスタイムが切に大事に、何というか深みを持ち始めました 長い間ダンスに関わってきましたが自分の中で質感が変わるのを経験したのは初めてです。 昨秋10周年ダンスパーティを無事終えてほっとしたのとその他の状況もあいまって、私の気持ちのベクトルが内に向きました。 日々のレッスンと研鑽を大事にしながら、窓の外の薫風と花々咲き誇る今を愛でております。
スタジオレポート第142号:「今年をふりかえって」2023.12.30 この一年、実にさまざまなことがありました。 社会的には5月にコロナが5類に移行して3年余にわたるマスク生活が終わり、ダンスパーティ自粛が解除されたことです。 それを受けて、私共も10月にスタジオ10周年ダンスパーティを行うことできました。 振り返れば今年の1月のとても寒い日の午後、会場となる関学の下見に出向きました。 具体的な日を決めたあとは、皆さまへの周知や外部の方々へのお声がけ、参加者名簿、案内状の発送など夏頃までは下準備を進め、夏頃からはデモの練習、9月に入るとチケット代の管理や進行係の依頼するなど、ほぼ1年近くの日々を私は当日に向け全精力を傾けてきたように思います。 そうそう7月には、成功祈願に芸事の神様の弁財天が祀られたへ竹生島まで赴きましたっけ。 おかげさまで、当日は予想を超える70余名の方がご参加下さいました。 振り返れば、恩師の故酒井正子先生は40周年記念パーティを2000年にロイヤルホテルで催され、その華やかさに圧倒された覚えがあります。 パーティの参加者で酒井先生の教え子だった方から、先生の志が見事に引き継がられているとのお言葉を頂きました。 これまで10年やってきたことが報われた気がして胸熱くなりました。 これからもスタジオの皆様に「ダンスが大好き」といってもらえるよう続けて参ります。 みなさま、ほんとうにありがとうございました。 新しい年も美しい動きのダンスを目指して地道におけいこしましょう。
スタジオレポート第141号:「錦秋」202311.30 この11月は変に暑かったかと思うと、急に冷え込んだりして気温の乱高下が激しい1か月でした。 そのせいで遅れていた紅葉の色づきでしたが11月終盤になって各地でようやく華やかな錦秋となりました。 どこかへ紅葉狩りに行きたいなと思っていたところ、奈良へのバス旅行に誘ってくださる方があり、スタジオの女性5~6人で大喜びで参加しました。 行先は、奈良の奥座敷正暦寺と円成寺と柳生の里、公共交通機関ではなかなか行きにくい場所をデラックスバスですいすいと巡りました。 どちらのお寺も観光客にはあまり知られていませんが、歴史的な由緒ある寺院でしかも隠れた紅葉の名所です。 絶好のお天気に恵まれ、陽光を受けて青空に透かした朱や黄の楓の美しかったこと、先月のダンスパーティをがんばったご褒美のような一日でした。
スタジオレポート第140号:「10周年記念ダンスパーティ」202310.31 去る10月22日にグリーンスタジオ10周年記念ダンスパーティを無事終了することができました。 参加者77名、お一人もキャンセルなく何事もなく順調に、盛会のうちに終えることができてほんとうにほっとしております。 これもひとえに、私共に長く尽力して頂いた皆様のおかげと感謝申し上げます。 また、会場の関西学院会館でご担当頂いた松岡様はじめスタッフの方々、関学学生協の方々にもたいへん親切にして頂きました。 秋の深まりを見せる美しい母校に50年ぶりにこういう形で戻ってくるなんて、20歳の頃思いも及ばなかったことで、本当に人生は奇跡に満ちているのですね。 当日挨拶の中でも申し上げましたが、故酒井正子先生の教えどおり「周囲への感謝を忘れず、楽しく優雅なダンスライフを」目指して、今日までやって参りました。 今年初めに会場を予約し、夏頃からは案内状発送など皆様への周知とフォーメーションやデモの練習にずっと取り組んできた半年間でした。 その中で、改めてスタジオメンバーの方々の誠実なお人柄にふれて、ここまでたどり着けたことに感慨新たにしております。 また、私をここまで育てて下さった田中康弘先生にもこの場を借りてお礼を申し上げます。 ダンス技術のイロハから、華麗なデモンストレーション振付けまで、いつもあたたかく時に厳しく鍛えて頂き、私のダンス人生のかけがえないパートナーです。 今後は、師匠から手渡された大事なものを誰かに手渡すことも視野に入れて、毎日のレッスンに励んでいきたいと思っております。 最後に、募金箱に寄せられた金額に収益の一部を加えた金額が合計5万円となりましたので、兵庫県難病連家族会あじさいの会、国境なき医師団、ユニセフに寄付しましたことも紙面を借りてご報告致します。
スタジオレポート第139号:「守・破・離」2023.9.28 待宵の 歩みを急かす 流れ雲 9月28日の十五夜の前夜、十四夜の月は「待宵月」との異名があります。 残暑が厳しい日中ですが、夜半の風はひんやりとして月をかばうかのように雲を流していました。 最近スタジオのお仲間になられた方から「守・破・離(しゅはり)」という言葉を教えていただきました。 浅学非才の私は存じませんでしたが、安土桃山から江戸時代の茶人が用いた言葉で、これを芸事や武道を学ぶ者はひとつの道しるべとするようです。 守‥師の流儀を習い、その流儀を守って励むこと 破‥師の流儀を極めた後に他流をも研究すること 離‥自己の研究を集大成し、独自の境地を拓き一流を編み出すこと 私事になりますが、私には師と仰ぐ二人の女性の先生がいます。 一人目の方は、臨床心理学の玉谷直実先生で、子供たち二人の子育てに追われていた30代前半に出会いました。 一介の専業主婦であった私が先生の勤務先の大学宛てに手紙を出したことから、私の心理学への道は拓かれました。 今思えば、見ず知らずの者からきた手紙に先生は長い丁寧なお返事を下さり、私は熱い感動を覚えて先生の大学の研究室の門をたたきました。 先生のもとで聴講生を2年間、その後先生の勧めで大学院を受け臨床心理士資格をとり、その後20年間面接の仕事をしました。 もう一人の方は、ダンスの酒井正子先生です。 慣れない心理の仕事の現場で神経をすり減らす中、ふと身体を動かしたいなと思い、つてを頼って酒井先生のグリーンクラブを訪ねたのは40代半ばのことです。ここから私のダンス人生が始まりました。 思えば二人の女性は、私の憧れ―深遠な学問研究の世界とあでやかな歌舞音曲の世界―のふたつの世界を体現されていました。 この二人の師に出会わなかったら今の私はありません。 お二人に学んだことは多々ありますが、共通するのは「人を想うということ」で、その道の大先輩から過不足なく愛されたという体験は私の財産です。 「守・破・離」の行程では私はもちろん未だ「守」の域で留まっています。 スタジオはこの秋10周年を迎えますが、わが幸運を少しでもスタジオに来られる方に分けていけたらとの思う日々です。。
スタジオレポート第138号:「釧網本線」2023.8.28 とにかく暑い夏でした。 記録的な猛暑はお盆を過ぎてもいっこうに暑さは収まらず、人に会うと開口一番が「暑いですね」でした。 私は予てより8月の下旬に北海道道東旅行を計画しており、多少涼しいことを期待していたのですが、豈はからんや、北海道こそ観測史上最高の暑さでした。 北海道伊達市では23日体育の授業後に小2の女の子が熱中症で死亡し、それを受けてその後2日間は小中学校は休校になったくらいです。 それはさておき、飛行機で釧路空港に降りたった後、釧路から道央部を南北に縦断する釧網本線に乗って3時間、網走へ向かいました。 電車は一両のワンマンカーで、車両の天井には首振り扇風機が回っていてレトロそのもの、車内は中国人や西洋人の親子連れなどいかにもこだわりの旅人なども多く見かけました。 釧路湿原を通った時は、おおきな鹿が池に浸かっているのが車窓から見え、鹿もあまりの暑さに水浴中なんだなと変なところに感心しました。 そのあと、とある駅で電車は停止したまま動かなくなりました。 運転手のアナウンスによると、暑さのため線路が曲がる踏切トラブルが発生したとのこと、そして運転の見通しはたたないと…。 もちろん待つ以外どうすることもできません。そのうち運転手さんが乗客の一人ひとりに行先を確認するため回ってきました。 網走到着が1時間以上遅れるので、その先の北見方面へ向かう列車との接続に間に合わず運賃の払い戻しをするための聞き取りでした。 私の近くにいた中国人親子に、隣の人が英語で状況を説明してあげたのですが、高校生くらいの息子さんはうなづくものの親たちは英語がわからず心細そうな表情を浮かべていました。それを見かねた40代半ばくらいの男性が立ち上がり、駅員さんの通訳を流ちょうな中国語でかって出て、そのかっこよかったこと! 事情が呑み込め、にっこりとうなづく中国人母親を斜め後ろから見ていた私は、なんてきれいな笑顔なんだろうと感動しました。 立往生した車内には運命共同体のような雰囲気がいつのまにか沸いていて、中国人親子が安心したことに皆ほっとしていました。 思わぬトラブルが生じたとき手を差し伸べあう人々の姿に接することができたのも、のどかな個人旅行の賜物かもしれません。 翌日訪れた知床五湖では熊目撃情報で遊歩道が閉鎖されていたりとハプニング続きでしたが、ゆったりした時間の流れに身を浸せた3日間でした。
スタジオレポート第137号:「小さな島旅」2023.7.31 ある朝洗濯物を干していて、ふと気づきました。そういえば、前は洗濯物かごの中に必ずあった布マスクがないことに。 連日の体温を上回る猛暑で、街でマスクを外す人が増えました。昼間の電車内でもマスク着用率は半分くらいです。 長かった3年でしたが、今はマスク着用は個人の判断となり、したい人はすればいいし、したくない人はしなくてもいいという現在の状態がいちばん健全だと思うのですが、仕事場面ではまだまだマスク姿がふつうです。 コロナが収まり、仕事場面でも個人の判断で着脱自由となる日がくるように願います。 先日、ふと思い立って琵琶湖竹生島に行ってみました。 テレビの旅番組で見て、どんな所か興味が沸いたのがきっかけですが、夏空のもとに広がる水の景色を見たかったのかもしれません。 JR大阪から湖西線新快速で近江今津まで約1時間、波止場から30分の船旅で、割合すんなり竹生島に上陸しました。 竹生島には、奈良時代聖武天皇の勅命を受けた僧行基が開山した宝厳寺があり、本尊の弁財天は江の島・宮島・と並ぶ日本三弁財天の中でも最も古くて、「大弁財天」と称されています。 弁財天は七福神の中で琵琶を手にもつ女性の芸能の神様、それを知って私がなぜよばれるようにここに来たのかがわかりました。 今年に入ってからずっと秋のDPのことが頭から離れず少しずつ準備を進めていたので、出かけた先が歌舞音曲の女神様と知ってなんだかうれしくなりました。 平家物語の「一度でもここに参詣した者は願いがかなうと聞いている」と平経正(平清盛の甥)が戦勝祈願に琵琶を奏でたら、神仏が白龍となって現れたという「竹生嶋詣」の話に、干支が巳年である私はまたうれしくなりました。 そのほか、大阪城から移築されたという唐門(国宝)や、秀吉の御座船の一部を使った船廊下など歴史的な遺構があり、まさに「神秘とロマン、神の住む島」という謳い文句の島旅にリフレッシュした一日でした。
スタジオレポート第136号:「つばめ三句」2023.6.29 一日の始まる駅舎 夏つばめ すれすれを飛ぶうれしさや 燕の子 初つばめ 喫水線を来たりけり 6月の初め、JR甲子園口のロータリーを歩いていると頭上で何かがすいっと翻り、目で追ったその先の改札口の天井近くにつばめが巣作りをしていました。 ほどなく親つばめが卵を生み、雛がかえるそんな季節にぴったりの句のご紹介です。 そういえば、6月のカレンダーは紫陽花とつばめの図柄がお決まりでしたね。 うちの子供たちがまだ幼くて隣り駅の幼稚園に通っていた頃、電車通園の行きかえりに駅のつばめの巣を指さしては雛の成長ぶりを眺めたものでした。 生まれたばかりの雛の食欲は旺盛、しかも高たんぱくの生餌が必要なので、親鳥は大忙しでひっきりなしに虫を咥えて往復します。 そして巣立ちを迎えるのですが、うまく飛び立てなかった雛が道に落ちて瀕死の状況になることもしばしばです。 そんな迷い雛を見つけると、人間はつい見ていられず家に連れ帰ったりしたくなります。 でも獣医さんに言わせるとこれは禁止行為、スズメやカラスも含めて野鳥には手にふれてはいけないそうです。 鳥インフルエンザなどの危険がありますし、親鳥からすると巣立ちの訓練中の誘拐行為でしかないらしい。 探しにきた親鳥がすぐ見つけるように、迷い雛はそっと道の脇の安全な所に置いとくのがいちばんいいのだそうです。 そんな話を思い出しながら、その2週間後に駅の改札口の上を見上げると、なんと巣の代わりにキラキラ光るCDディスクがぶら下がっていました。 糞害を避けるためにせっかくの巣作りの場所を追い出されたのでしょう。 時代は移り、人間の都合だけが優先される、寂しい時代になりました。
スタジオレポート第135号:「藤の季節」2023.5.30 春爛漫、花の季節となりました。 夕方のローカルニュースがどこそこで何やらという花が満開ですと報じると、気持ちが少し波打ちだしてすぐに行ってみたくなります。 スタジオの生徒さんでシニア街歩きを企画している方から「野田藤」を教えていただきました。 私は知らなかったのですが、大阪の野田阪神界隈は、平安時代すでに「吉野の桜、高雄の紅葉、野田の藤」と謳われた藤の名所だそうです。 そんな近くの市街地に花の名所があるなんて、と半信半疑でしたがとにかく行ってみました。 今年は異常気象で急に4月後半から暑くなり、ふつうなら藤が満開の4月下旬でしたが終わりかけの藤でした。 いったんは太平洋戦争の空襲ですっかり消失した藤を、住民が近年街興しのために積極的に育成し小さな公園など随所に藤の花がたなびいていました。 野田藤は満開を過ぎていたので、連休に丹波白毫寺の九尺藤を訪ねました。 白毫寺は丹波の名刹で折しも境内の青紅葉も格別、九尺(270㎝)とは大げさですが1m位の大きな藤の花が藤棚から垂れ下がり薫風に揺れる様は見事でした。 白毫寺は福知山線市島駅からタクシーで10分くらい、この時期だけは道路が渋滞すると聞いていたので電車で行きました。 帰りは駅まで田園風景の中を1時間のウォーキング、コロナ禍が明けて清々しい5月の一日となりました。
スタジオレポート第134号:「裏千家大宗匠100歳記念献茶祭」2023.4.26 ー思い通りの人生ではないけど、良かったと思える人生を送りたいー あるお店の前のボードに書かれたこんな言葉に思わず足が止まりました。 20歳くらいの時、まだ人生の何たるかもをわからず茫洋とした未来を前に自分の小ささばかり気にしていたあの頃のことを突然に思い出しました。 あれから半世紀、人生思い通りにいくはずないと当たり前のことに気づき、いろいろあったけど最後によかったと思えるいい人生にしたいです。 有限の命です、日日是好日をこころがけて生きることが良かったと思える人生につながると信じます。 世の中にはすごい人がいるものです、裏千家千玄室大宗匠の100歳のお誕生日を祝した献茶祭が西宮戎神社で行われました。 朝からあいにくの雨模様で、和箪笥から嫁入り支度に母が用意してくれた赤い雨コートを引っ張り出してでかけました。 和服姿の大勢の女性が見守る中を、神官たちに先導されて歩く大宗匠は、到底100才には見えぬしっかりした足取りで入場し、神殿の舞台でお茶を2服点てて神前に奉納されました。その威風堂々とした振る舞いから遠目でしたがエネルギーを頂きました。 茶の湯を英語でtea ceremonyといいますが、まさにひとつの儀礼であり、時には神と感応しあうものだと納得できました。 茶席では、この会に向けて宗匠自身が手による「千年不老寿」なるお軸が披露され、戎神社ということでお香合は本物そっくりに鯛をかたどった器でした。 宗匠は翌日の総理大臣賞の授与式に向けて夕刻新幹線で東京へ、と聞きそのエネルギッシュな活躍ぶりは改めて驚きでした。
スタジオレポート第133号:「明石海峡大橋ウォーク」2023.3.29 ほめられて 伸びると知った 古希になり 先日こんな川柳を見つけました。歳はいくつであっても、喜寿でも米寿でもかまいません。 この川柳の作者は努力や精進を重ねる何か目標があり、かつそれが認められてほめられた時に感じた素直な感想でしょう。 ささやかなこんな気持ちが日々を生き生きと豊かにしてくれますね。 さて、3月半ばの土曜日、県が主催する「明石海峡大橋ウォーク」というイベントに参加してみました。 集合場所で点呼ありヘルメットを配られたあと、100人ずつの班に分かれ舞子側の橋脚のタワー階段をひたすら上へと上ります。 この時点でかなり息が切れましたが、全員がそろったところで眼前の重いシャッターがずりずりと上がって、淡路島側への鉄の通路が一気に現れました。 足元は緑色に波立つ海面、ふだんは入れない橋の点検用通路を歩いて淡路島へ一時間のウォーキングでした。 淡路島側の岩屋に着いた頃には、前日からの雨雲がきれいに払われて海と山と橋の雄大な景色に出会えました。 帰りは岩屋港から明石へジェノバラインで10分余りの船旅、明石の魚棚でいかなごの佃煮を買い、名物の明石焼きをおやつに食べてご機嫌の日帰り旅でした。
スタジオレポート第132号:「二月の出来事」2023.2.28 友のなき鬼のさびしさ 二月来る 市堀五宗 「二月は逃げる、三月は去る」とよく言われます。 上の句は、お馴染みの絵本「泣いた赤鬼」を本歌取りにしていますが、豆まきで退散する鬼にもあたたかい目が注がれているのが好きです。 前回のスタジオ通信で1月は震災記念日があるからその前後は胸が痛むと綴りました。 2月にも新たに胸苦しくなるような日ができました。2月24日はちょうど1年前、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった日、破壊された街の建物や嘆き悲しむ市民の様子をテレビが報じ、余儀なく戦いを強いられている人々の怒りを言葉なく見つめるばかりです。 中でも、ウクライナの中学校の先生が生徒たちに「戦争を憎んでもロシアの人々を憎まないように」と伝えているのが印象的でした。 80年前の日本で、大人は鬼畜米英と子供たちに刷り込んだ(それは今でも朝鮮半島のかの国でも行われているようです)のとは対照的です。 父親が戦争で負傷して激しい憎しみの言葉を吐く少年に先生が、「戦争は必ず終わる、百年戦争だって終わったから」と応じ、人が戦争を繰り返してきた歴史を思い起こし、それでもなお子供たちが希望を捨てないようにと配慮する教師の姿勢に感動しました。 それはそれとして.......。 レッスンのないとある一日、散歩がてらに伊丹街歩きにふらっとでかけました。 阪急伊丹駅近く、江戸初期からのつくり酒家の旧岡田家住宅に立ち寄ると、お雛様が展示してありました。 明治時代や大正時代のお雛さまの内裏雛は御殿の中に鎮座しておりお顔が見えません。 昭和時代のそれは、こどもの頃に飾ってもらったお馴染みの段飾りでその変遷ぶりは興味深かったです。
スタジオレポート第131号:「熱海温泉紀行」2023.1.30 年が改まり、早や1か月が経ちました。 毎年思うことですが、1月第1週のお正月気分が抜けるとすぐに震災記念日がひたひたと背中の後ろにやってきます。 遺族に花を贈り、竹筒に火を点す三宮の様子をテレビ映像で見て、28年前の未曽有の災禍を静かに悼みました。 一夜明けると季節は寒さの底の大寒へ、今年は10年に一度あるかないかの寒波が襲来しました。でも日の光はずいぶんと明るくなりました。 さて、私は久しぶりに熱海温泉に出かけました。 今さら熱海?と思われるかもしれませんが、長男一家の住むつくばと次男一家の伊丹の中間地点の熱海で落ち合うことになりました。 今や熱海は新幹線を使えば東京から日帰りの行楽地ということで、中高年の団体旅行客より若いカップルや家族連れで賑わっていました。 そうは言っても明治時代からの屈指の観光地、大隈重信など明治の大物がこぞって別荘を建てて熱海での密談を東京へ伝えるため、日本で初めて市外通話の電話線が引かれたそうです。熱海銀座通りはレトロな温泉情緒が残り、昔なつかしいスマートボールや射的のお店もありました。 熱海といえば、何といっても尾崎紅葉作「金色夜叉」の物語、もちろん海岸通りの寛一・お宮の銅像を見にいきました。 銅像の下のプレートには[これは作品の描写を忠実に表現したものであり、決して暴力を肯定するものではありません]と但し書きが、このお話を知らない現代人向けに付け加えられていて、思わず笑ってしまいました。 大人向けには湾を一望できるMOA美術館が静謐かつ壮大で、子供向けには熱海城脇のトリックアート美術館が愉快でした。
スタジオレポート第130号:「メッセージ」2022.12.30 2022年が暮れていきます。 過ぎてみればこの1年もあっという間でした。 今、書いてみて気づいたのですが、スタジオ通信130号が20221230という数字の並んだ日付なのも面白いです。 毎年のことですが、無事に1年過ごせたこと、そしてスタジオの皆さまよりご尽力を頂きましたことに感謝しております。 私にとって今年1年はいろいろなことがあり、節目の年となりました。 まず、秋の宝塚ダンスパーティと夏・冬のスタジオダンスパーティを開きましたことは思い切った挑戦でした。 二つ目は、お盆前にコロナに罹り自宅療養を強いられて、コロナが他人事でなくなりました。 三つ目も私事ですが、老母が体調を崩し施設入所をしたことです。11月から12月初めにかけてはその手続きに翻弄される日々でした。 コロナ罹患も老母のことも思いがけないことでしたが大過なく終息しました。 そして、25日のクリスマスパーティを今年の納会として、2日後にスタジオ大掃除をしました。 長年ピアノ周りは手つかずだったので、田中先生の命令(?!)で雑物を全部床に放り出したところ、とても古い写真がでてきました。 なんと22年前に恩師酒井正子先生と六甲山ハイキングへ行った時に撮った写真でした。 その2日前に旧グリーンクラブの方たちとの語らいの中で、故酒井先生が大切にされた「優雅で楽しいダンス」ライフを引き継ぎたいと申し上げたばかりだったので、改めて先生からのエールを頂いたと感じました。 しっかりと恩師のメッセージを受け止め、私なりに実践して参ります。 物事は思い通りにいかないこともありますが、それでも時にはこんなご褒美を天が与えて下さるんですね。 皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。
スタジオジオレポート第129号:「秋のダンスパーティ in 宝塚」2022.11.30 肩に止まるとんぼのようにふうわりと 異なる世へと着いてみたしも さっきから蜜蜂は吾にまつはりて 秋は静かにほほゑみかえす 迷い込み無害のゆえに殺されず 外へも出されぬ青い蜻蛉 (2022/11/17 毎日歌壇より) いつになく暖かい日が続いた11月でした。 関西では小春日和の晴天が続いて、数百年に一度という皆既月食がきれいに見えた夜もありました。 虫たちを扱った歌を集めてみました。おだやかな晩秋、あとしばらくで滅んでいく小さな命を見つめる歌人たちの繊細な表現に感心します。 前回より3年ぶりのダンスパーティを11月20日に宝塚西公民館で行いました。 初めての会場で不慣れなことが多く試行錯誤しながらの開催でしたが、予想を超えた60人の参加者を迎え無事終了致しました。 コロナ第8波が懸念される中、これほどの参加者が集まったのは人々がささやかな楽しみを大事にしたいという熱意のあらわれでしょう。 私事になりますが、実は94になる私の母が11月初めに体調を崩し寝込んでしまい、一時は20日に行くのは無理かもしれないと危ぶみました。 幸い、母は驚異的な生命力で回復してくれ、それが母から私へのプレゼントともエールとも受け取れ、心から母に感謝して当日を迎えました。 当日のサプライズに、参加者のお一人が畑で獲れ自宅の大釜で焼いた45個のお芋のプレゼントがありました。 チャチャのデモを踊ったジュニアのゆな&わかなが前に出て、ジャンケンしその勝者に焼き芋があたるということにしたら、皆さん童心に返って大いにじゃんけんで盛り上がりました。参加者からは「アトホームないいパーティでした。」とおほめの言葉を頂き、うれしく締めくくることができました。
スタジオレポート第128号:「月の風の盆」2022.10.14 われもまた数多(あまた)の傷をかかえつつ 雹に打たれし梨を贖う 思ひがけず梨が届きぬ 兼好の言ふ 物くるる友ありがたし LLの梨の薄皮に傷みえて 重みずしりと掌(てのひら)に秋 (2022/10/10毎日歌壇・俳壇より) コロナ流行でこの3年もどこへも旅行に行かなかったのですが、先日思い切って富山県へ2泊3日で出かけました。 実は夏に茨城県に行く予定でしたがコロナ罹患で行けなくなったので、余計に久しぶりの旅支度はワクワクしました。 サンダーバードで金沢まで、そこから新幹線を乗り継いで3時間半で富山へ着きました。 富山は立山黒部アルペンルートへの入口、よく晴れた青空に立山連峰の峰々がきれいに見えました。 富山市は日本でも数少ない市電が走っている街です。 環状線のように一方通行でグルグル走っているので、線路は単線で停留所も片側だけ、のどかでかつ効率のよい交通機関と感心しました・ 2日目は富山から電車で30分ほどの越州八尾に月の風の盆を見に出かけました。 江戸時代さながら歴史的街並みの八尾(やつお)ですが、日曜日の真昼は人っ子ひとりいなくてひっそりと静まり返っていました。 越中おわら風の盆はふつう9月1~3日に行われ、全国からの観光客でその3日間だけは静かな八尾の街がごった返すそうです。 その1か月後に月の風の盆と称して、旅行客向けにごく小さな規模で再演されるのに私は運よく遭遇したのです。 三味線と胡弓のもの悲しい調べにこぶしのきいた地唄で祭りの行列が石畳のゆっくりと進むのは、それは美しく幻想的でした。 印象深かったのは、男踊りのきりっとした動き、女踊りの柔らかな手ぶりです。 聞けば、男踊りと女踊りに出られるのは20代の男女だけとのこと、道理で男踊りはキレキレで、女性のうなじはとてもきれいでした。 沿道の見物人の幼稚園くらいの女の子が、行列の踊り手と同じように手を動かしていて、由緒ある伝統芸能が受け継がれていくことに頼もしさを覚えました。
スタジオレポート第127号:「コロナ体験記」2022.9.26 天気図に台風二つ 米を研ぐ ぎっしりと二百十日の船溜まり 迷走をしている巨大台風は どこか私の心に似ている (2022/9/26毎日俳壇・歌壇より) この9月は記録的な残暑でお彼岸を過ぎても30度を超える真夏日が続いています。 炎暑をのりきったプランターの草花が、9月に入っても収まらぬ暑さに耐えかね次々と枯れていきます。 週末ごとに台風がやってきて、「小さい秋見つけた」というのどかな気持ちになりにくい秋の入り口です。 秋本番の10月に入る前にこの夏の一大事を総括しておかなければなりません。 そう、8月初めに私はまさかのコロナにかかりました。 最初、鼻水が出て喉がいがらっぽかったので、前夜にエアコンの冷気にあたりすぎたかなと気にもとめませんでした。 ちょうどその翌日が尿検査結果を聞きに病院に行く日でしたので、ついでにと気軽に鼻粘膜の抗原検査を受けました。 夕方病院から陽性との電話がありました。発熱なく鼻水だけでしたので、信じがたく衝撃でした。 それからがたいへん、すぐスタジオの皆様に体調を尋ねて無事を確認して、即スタジオを閉めました。 有症状者は10日間の自宅療養と保健所から言われ、そのままお盆休みに入ってたっぷり2週間以上休ませて頂きました。 この体験から気づかされたことがあります。 自分が知らず知らずのうちに物事や世間の人をコロナか、非コロナかでみていたことです。 マスクと手洗い、消毒は励行しているし、4回目のワクチンは打ったばかり、少々体力もあるからコロナにはかからないと思っていましたが、オミクロン株の感染力はそんな私の思い上がりを凌駕していました。 私はたまたま病院に行ったのでわかったくらいですから、無症状で知らぬ間にかかって治っている人はいっぱいいるはず、世の中は見えている白と黒の水面下にグレーゾーンが莫大にあるのでしょう。 コロナだけでなく、物事にはどちらの可能性を含んだあいまいさを容認し、水面下があることを忘れないようにと教えられました。 今月のビッグニュースはエリザベス女王と安倍元総理の国葬でした。年月を経て歴史がその評価を下すことでしょう。
スタジオレポート第126号:[晩夏」2022.8.22 あと何回この人生にあるだろう 蛍光灯の切れた薄闇 この家に染みついたような哀しみを 見ないふりして電球交換 壊さずに目で確かめる関係の 電池のなかみのようなあやうさ (2022/08/15 毎日歌壇より) お盆前の朝はうるさいほどだった蝉時雨がすっかり消えて、夜の庭から虫の音が届くようになりました。 似たような歌が短歌投稿に3首ありましたので取り上げましたが、蛍光灯や電球電池の切れたときって、ちょっとぎくっとするものですよね。 今ではほとんどの電灯はLEDに切り替わり、蛍光灯が力なく点滅を繰り返すのを目にするのもなくなっていくでしょう。 1首めは、自分の寿命の残り年数に照らし合わせたらそんな体験が幾度あるかなしか...と考えるこころもとなさが切ないです。 2首め、電球交換しようと踏み台に乗って照明器具の薄汚れを見ないように手を伸ばした時の歌です。 見ないようにしているのは傘の汚れだけじゃない、長年の生活の裏側や哀しみと言われればそのとおりです。 3首めもお馴染みの日常の風景、小型電化製品のバッテリー残量なんてふだんは気にもとめず、動かなくなって初めて電池が消耗していたことに気づくものです。 壊したくないから確かめずにはいられないあやうい人間関係を思うのは、電池容量の残量をこわごわのぞくのと似ています。 夏がゆるやかに閉じていきます。 花火大会や盆踊りなども3年ぶりの開催で人々のエネルギーが発散されてそれは賑やかで愉しげでした。 おもいきりはじけた宴のあとは、粛々と日常が戻ってきます。 前々回に、この夏の扉を開けたらその後ろには別れがあったと書きました。 咲き誇っていた芙蓉の花はすでに終わり、庭の朝顔もあと少しの猶予でしょう。 電池切れや電球切れにいきあたって、物事は有限で終わりあることを忘れていた自分に気づき、少し謙虚さを取り戻す夏の終わりです。
スタジオレポート第125号:[夏の小さなダンスパーティ」2022.7.31 テレビの報道番組は毎日、記録的な暑さと記録的なコロナ患者数を伝えていますが、それに驚かなくなってしまっていること自体がこわいことと思います。 加えて、参議院選の最中に起きた安部元首相の銃撃事件や米中関係の緊張など、国内外の不穏な状況です。 小市民の我々にできることは何もなく、無事に過ごせた一日に感謝して床につくようにしています。 世間では今年の夏はコロナで自粛を余儀なくされていたイベントやお祭りが再開されつつあります。 京都では3年ぶりの祇園祭が開催され、知人から山鉾巡行の写真が送られてきました。 スタジオでは3年ぶりに夏の小さなダンスパーティを行ないました。 レッスン生だけのささやかな内輪の会でしたが、その中でも良かったのは、ジュニアクラスの小5の女の子ゆな&わかなによるチャチャのデモでした。 育ち盛りですから前回のクリスマスパーティで着たお揃いのダンス着はお払い箱に、今回は色違いのワンピースの裾を翻す可愛いデモでした。 最後の決めポーズは、男の子役が「結婚して下さい」と両手を差し出すプロポーズスタイルだそうです。 これはふたりがスタジオでふざけて遊んでいたときにやっていたのを採用しました。 きっと彼女たちが好きな少女漫画の世界によくあるポーズでしょうが、私にとってはなかなか新鮮でした。 また、ダンスタイムの動画を後で見て思うことは、ダンスはいかに真っ直ぐ立っているかどうかということです。 ラテンでもモダンでも、男女とも真っ直ぐ身体の軸が立ち、しかも力を抜いて柔らかく動けたら、ただそれだけできれいです。 その上で女性をリラックスさせてあげることは男性の役目、自分なりの表現を試みることは女性の役目で、足型よりもまずはじめにその心意気ありきです。 そのためにはひとつひとつの足型を基本に忠実に動いて気持ちに余裕をもちましょう。 今年前半のひとつの節目を終え、後半に向けてさらに基本を大事にした丁寧なレッスンをこころがけて参ります。
スタジオレポート第124号:「引き際の美学」2022.6.28 今年の6月は陽射しが肌に痛いくらいの強さで、各地で記録的な暑さが報じられていち早く梅雨明け宣言が出ましたが、これも記録となりました。 その暑さの中、京都宇治の三室戸寺に紫陽花を見にいってきました。 広大なあじさい園もさることながら、本堂前では次の出番を待つ蓮の花のつぼみが迎えてくれました。 源氏物語の終章、宇治十帖の舞台でもある宇治川は、移ろう人の世や時代を縫いながらごうごうと音をたてて流れていました。 ごく個人的な出来事ですが、私がこの38年間通っていたヨガのお教室が閉じられました。 思えば、下の子が幼稚園に上がった時に知人に誘われ入った地域の自治会館のヨガで、それはもうほとんど私の生活の一部になっておりました。 6月のはじめにM先生が突然、今月末に教室を閉じると宣言され一同びっくり、後継者も見つからず終了することとなりました。 先生のお年は80才過ぎ(たぶん)、少し前に手首を骨折され身体に限界を感じてということでしたので、声がけだけでもいいからと引き留めましたがだめでした。 最後のレッスンで、「皆さんの前に立つからにはみっともない姿でありたくないので」とのお言葉を聞いて、教える側の覚悟と引き際の美学を思いました。 1ヶ月の月謝はこの30数年間1000円とボランティア同然でしたが、ヨガの本質を十分に伝授して頂きました。 在野にあってもその道の本質を体得されている、隠れた一流の専門家だと私は常々敬愛しておりました。 実は私がスタジオでグループレッスンを始めた時、M先生を指導者としてのモデルにしました。 リーズナブルな料金できちんとダンスの愉しさと本質を皆さんにお伝えするような教室にしたい...と。 私のダンスの師匠である故酒井正子先生が70才で病を得てスタジオを閉じる時のお手紙に「何事にも始めがあれば終わりがあるものです」とありました。 いつまでもそこにあると思い込んでいたヨガレッスンにも終わりが来ました。 M先生は「私たちはいつかこの身体を離れて魂が別の場所へいきます。そこがどんなところかは帰ってきた人がいないのでわかりませんが、願わくばいいところでありますように。」とおっしゃいました。 夏の扉が開いたら、そこには別れが佇んでいました。
スタジオレポート第123号:「本質は細部に現れる」2022.6.1 ある日街を自転車で走っていたら、とある整骨院の入り口のボードにこんな文言が書いてあり、思わず自転車を停めて見入ってしまいました。 ・性格は「顔」に出る ・生活は「体型」に出る ・本音は「仕草」に出る ・美意識は「爪」に出る ・清潔感は「髪」に出る ・ストレスは「肌」に出る ・気配りは「食べ方」に出る ・芯の強さは「声」に出る ・人間性は「弱者への態度」に出る 皆さまはどんな感想をおもちですか。全てがそうだとも云えませんが、私はなるほどと納得する箇所がたくさんありました。 とくに、性格や生活、ストレスについては言い得て妙、思い当たること多いです。 よく似た意味で「神は細部に宿る」という言葉もあります。 日常生活の中の細々とした言動の積み重なりがその人の「らしさ」を形づくっていきますが、その人のある一部分、すなわち断面を見ただけでもその人の大枠が推察されるということですね。 そう言えば知人の一人は「人は見た目がすべて」と豪語してましたっけ。 私はその言葉を聞いたとき、「外見より中身でしょ」と反発したくなったのですが、でもやはり内側にあるものは外ににじみ出すもの、内側が整っていればそれは自然に人に伝わるでしょう。 爪や髪をきれいにするのはそんなに難しくありませんが、美しい仕草、さりげない気配り、そして弱きものへの接し方はこれまでの生き様が問われています。 付け焼き刃でできることではないですが、残り少ない余生ですからチャレンジしていきたいものです。
スタジオレポート第122号:「昏き春」2022.5.9 春の泥 プーチン ヒトラー ナポレオン 欧州の最貧国のモルドバは 避難の民を 優しく迎ふ 「死んだ子を誰が返してくれますか」 ウクライナに泣く うら若き母 一度だけ 旅せしことのあるロシア みな純朴で優しかりしか (読売俳壇、読売歌壇、毎日歌壇より) 連休が終わり、週が明けてようやく落ち着いた日常生活が再開されました。 この2年あまりはコロナ感染者数の多寡が最大の気がかりでしたが、この2ヶ月間はウクライナ情勢を世界中が憂慮する、昏き春です。 4月には花を求めていくつかの近場に出かけました。日本の春は晴れやかでありがたいですね、平和に繋がる感謝の思いを初めてもちました。 新聞の俳句短歌の投稿欄にも時事情勢を詠んだ作品が多く載っています。 作品の上手下手は二の次で、詠み手がニュース映像を見たその時の驚きやこころの傷みがただ素直に31文字に収められています。 事実は重く力があります。とても切実で、真っ直ぐ胸に響く鋭さをもったものばかりです。 先日私が参加した音楽会でも、最後に出演者からユニセフ経由のウクライナ募金のお願いがありましたが、思いの他多額の募金があったと聞きました。 確かウクライナ国旗の青と黄は、青空の下に地平線まで続くひまわり畑の象徴でしたね。 出演者が受け取った花束は黄色いヒマワリ、ピアニストが弾いたBGMの中にも映画「ひまわり」のテーマがありました。 ウクライナに穏やかな青空が戻りますように。
スタジオレポート第121号:「残心」2022.3.29 歴史には 遠征と呼ぶ地獄絵の 幾たびもあり 今ウクライナで ふくいひろこ この一ヶ月、世界はずっとウクライナ情勢に釘付けです。 プーチンの暴挙に世界中のみならずロシア国内でも非難の声を上がり、この戦争の出口を模索するための停戦交渉がやっと始まりました。 現代にあってもこんな残酷な力による侵攻が起こったなんて、人は何を歴史に学んできたのかと暗澹たる思いでおります。 ある日、スタジオの生徒さんの一人がピアノの上の壁に掲げた額の言葉を褒めて下さいました。 日本の諺の「来る人拒まず、去る人追わず」と同義ですが、「こちらの聖書の言葉の方が〈残心〉の趣があっていいですね」とおっしゃいました。 それで初めて「残心」という言葉のことを知りました。 残心は武道や芸道の言葉で、文字通り技を終えたあともすぐに気を抜かずに緊張した精神を一息保つということ、千利休は、次のように詠んでいます。 何にても 置き付けかへる手離れは 恋しき人に別るるとしれ (茶道具から手を離す時は、恋しき人と別れるように余韻をもたせよ) スタジオに来て下さる方へ一期一会の気持ちで接したいと願って架けた座右の銘が、日本古来の武道芸道に通ずると知って嬉しかったです。 余韻を残す、心を留める、名残りを惜しむ・・・そういう言葉もありますね。 老母の家の庭に春をよんだ梅も椿もあっという間に終わりました。 甲子園口新堀川沿いの桜はもうすぐ満開、すぐにはかなく散る花だから愛おしさひとしおです。
スタジオレポート第120号:「お伊勢さん」2022.2.28 平和の祭典北京オリンピックが終わった直後に、ロシアプーチンによるウクライナ侵攻が始まりました。 この度初めてウクライナという国の実情を知りましたが、テレビ映像では他のヨーロッパ諸国と同様の石造りの美しい旧市街が地上戦の現場になっており、まるで悪夢を見ているようです。 テレビ解説者はこれを全体主義と自由主義との戦いだと言ってます。 世界は今、パンデミックに加えてもうひとつの試練に向き合うことを余儀なくされています。 そして今回、私たちを脅かすものはウィルスと災害の他にももうひとつあったことが思い起こされました。 今日ここにある平安に感謝し、はるか遠き地の傷ついた国土と人々の為に祈りましょう。 建国記念の日は穏やかな晴天だったので祈りの地、お伊勢さんに参詣しました。 つくばに住む息子がこの度家を転居するので、方違えのお祓いを受ける為でしたが、伊勢は太古よりの祈りの地、清浄でスピリチュアルです。 かつ私の父方祖父の出身地でもあるので、私にとってどこか懐かしい土地柄です。
スタジオレポート第119号:「2022年の年明け」2022.1.12 しあわせは マスクしてても 目でわかる 1月9日近藤流健康川柳 突然のキス なくなった マスクの世 1月8日近藤流健康川柳 シクラメンの花も見ており マスクなき群衆の映像 はるかなる歓喜 1月10日毎日歌壇 あけましておめでとうございます。マスク生活も3年目に入りました。 年が明けていよいよ日本もオミクロン株感染者の数が急増してしまい、今年は旅行ができるかもと期待したのは早計でした。 でもマスクが定着したおかげで冬もほとんど風邪はひかなくなり、コロナを警戒して身体に無理なこともしなくなったので、それはそれで怪我の功名と云えそうです。 本年初めてのスタジオ通信には、マスクのお題で3首集めました。 1句めは、「目は口ほどにものを言う」ということかな、電車内で見かけた赤ちゃんに笑いかけるとこちらがマスクをしていてもにっこり笑い返してくれます。 2句めもたぶんそうなんだろうと思いますよ、世の恋人たちにはドラマティックなシーンが減ったことでしょう。 3首めは、テレビで見た海外ニュースの映像でしょうか、日本に比べてマスクに関しても自由大らかであることは確かです。 今朝私のところに3回目のワクチン接種券が届きました。 2月くらいの予定ですが、早く高齢者にも行き渡って安心できるといいですね。 スタジオでは今年も「ゆるく、楽しく、美しく」をモットーに、皆さまに安らぎと学びをお届けするよう務めます。 スタジオレポート第118号:「2年ぶりのダンスパーティ」2021.12.22 今年も残りわずかになって参りました。 海外ではオミクロン株の台頭で再びロックダウンになる都市もあるそうですが、日本に限ってはそんな状況にならずに助かっております。 閑話休題、何故「オミクロン」というのか、ご存知ですか?命名の由来を教えてくれる人がいたので、受け売りしますね。 アルファα、ベーターβから始まるギリシャ文字のアルファベットで15番目は「オ」ですが、長い時と共に短い「オ」と長い「オー」に分かれたとやら。 そこで区別するために「オ」に大きいという「メガ」という言葉をひっつけて「オメガ」に、小さいという「ミクロン」をつけて「オミクロン」となったとのことでした。 そう言えば、高級時計ブランドのオメガという名はお馴染みで、そこから来ていたのかと納得しました。 スタジオでは去る19日にやっと、ようやく2年ぶりにクリスマスダンスパーティを内輪だけで開くことができました。 今回は春に立ち上げたジュニアクラスの3人の女の子と付き添いのパパママ達も参加してくれて、ほのぼのと和やかな雰囲気となりました。 久しぶりのDPでここ数ヶ月練習してきた成果も発表でき、デモに向かう張感も久しく忘れていたことに気づきました。 また、ほぼ1年間スタジオをお休みされていた田中先生も復帰の顔見せともなりました。 緊急事態宣言期間を除いて皆さまとても熱心で基本を中心に練習を積んできましたが、その発表の場をもつことができ今年のいい締めくくりができました。 どうぞ、皆さま良いお年をお迎え下さい。
スタジオレポート第117号:「愁傷」2021.11.27 口ごもる子どもたちを見ていると、せつなくなる。おそらく、本当のことを言おうとしているのだ。 自分にとって大切な、本当のことを言おうとすると、誰でも口ごもるのではないだろうか。 なめらかなテンポに彩られて快く耳に響き、粋なリズムや洒落たレトリックが変化をもたらし、起承転結の構成が安心感を生み出す。そのような話し方は、もちろん聞いていて快いに違いない。しかし、大切なことは、そんなになめらかに口に出てこない。上手に話すとき、どこかで自分に嘘をつき、あるいは、どこかでこだわりを捨てている。―(中略)―思いが強ければ強いほど、それを言葉にするには摩擦が生じる。なぜなら、その個人のなかにしかない、かけがえのないものを、皆にさらけ出すからだ。口ごもるのも無理はない。 2021/11/27毎日新聞「音のかなたへ」梅津時比古 かねがね、音楽評論家である梅津時比古氏の文章を読むのは楽しみにしています。 彼の筆によるクラシック音楽の評論はまるで詩のように優美で、その比喩やイメージは目を閉じるとその光景と音楽を生き生きと浮かび上がらせてくれます。 この一文も然り、しかしこれには、世の中の一般的な価値観への批判と主張が込められ、小さきもの、不器用な人へ向ける眼差しの暖かさを感じます。 上手く話せなくてもそれは些末なことで、相手が又は自分が口ごもるとき、とても大事なことを人前に差しだそうとしていることととらえましょう。 口べたな自分も相手もどちらも愛おしいものです。 スタジオレポート第116号:「秋深し」2021.10.26 10月の前半は秋とも思えぬ暑さが残っていましたが中旬に入ると急激に気温が下がり、朝晩はコートが必要なほどの寒さが到来しました。 10月も末になってようやく穏やかな秋らしいお天気になり、空を仰ぐと深みのました青に身も染まるような気がします。 この季節、昨秋はスタジオで開催しました小柴俊夫氏のステンドグラス展が、今年はJR芦屋のギャラリーでありました。 グループレッスンの後皆さまと一緒に出かけましたが、コロナ自粛明けの解放感と相俟って大賑わいの会場でした。 どの作品も力作で素晴らしく、芸術の秋にふさわしいひとときを楽しみました。 先日、ラジオ深夜便でいい話がありこころに残りましたので、ご紹介します。 ある人が親戚の法事に出た時お坊様に云うことに、「人には往復の時間がある。往きの時間は生きている間、その間は自分のために生きるもの、身体があるから欲もあるしお金も欲しい、権力・地位・美しさ等も欲しいもの、死ぬことは折り返し地点でそれから後は人のために生きていく時間、身体はなくなるので欲望も消えて後はただ生きている人達の幸福を願って静かに祈っている」のだそうです。 いろんな欲深さにまみれ、自分のことだけ考えているわがままな人間の私ですが、でも時々自分の限りある時間のことや何か機会あれば縁あって出会った人の役にたちたいと思うことあります。 たぶん少しずつあの世のあり方へと向かう準備が身体のどこかで密かに起こっているのかもしれないと、この話を聞いて合点がいきました。 老母が暮らす実家の仏壇には位牌がいくつも並び、過去帳にはたくさんの祖先達の戒名が記されています。 命が受け継がれてこの身に集約され、我が身と私の子ども達や孫達があの世の係累から守られて今日を生かされていることを忘れずにいたいです。
スタジオレポート第115号:「秋雨前線」2021.9.5 無事に終了したオリンピックに引き続き、パラリンピックが開催されています。 前回のスタジオレポートでは、オリンピックはどの場面を切り取っても美しいと讃えましたが、パラリンピックは選手や関係者の内面の美しさが画面から真っ直ぐこちらの胸に響いてきます。 さて、先週の8月末には35℃を超える猛暑日続きでしたが、9月の声を聞いた途端秋雨前線の影響で連日雨模様となりました。 地球温暖化の影響か気候異変が続き、季節の進み具合も激しくなっているんですね。 小さい秋がそっと背中に忍び寄るという詩的な表現は歌の世界のものになるだけになるかもしれません。 大阪兵庫に出されているコロナの緊急事態宣言は12日まで、ワクチン接種率はほぼ5割に達しているのに感染者数増加はいっこうに治まりません。 私はほとんど繁華街に出ることもなく自宅とスタジオの往復で日々ですが、先日用事で三ノ宮に出たらJRの駅の立て替え工事で長年そこにあった歩道橋がなくなっており、様変わりにびっくりしました。 ふだん見慣れた景色が少し訪れない間にどんどん変わっていくことは、いつものことですが驚きと共に幾ばくか寂寥感を覚えます。 工事中の空き地には、六甲ミーツアーツ(六甲 meets Arts)のオブジェが置かれていたのでご紹介します。 それぞれには何かしらのコンセプトがあるのでしょうが、私の目には奇抜に見えてその空間にしっくりきてるとは思えませんでした。 たぶん六甲山の緑の中に置かれていたら別の趣向があって面白かったものでしょう。 何事によらず、その場その時にふさわしいものを選ぶのは難しいと改めて思いました。
スタジオレポート第114号:「東京2020を終えて」2021.8.9 棒読みの謝罪聞きつつ 大会を支える人らの苦悩を思う 春日市 伊藤 亮 ガサガサの祭典 今日の日には開くテレビを止めて 本ひらく夜 東京 鮫島 千絵 敗者への敬意忘れず 礼法に見せて輝く 武道の真髄 北九州市 實福 光保 (8月17日 毎日歌壇より) 様々な話題を呼んだオリンピックがともかく終わりました。 コロナ禍のもと、開催か中止か延期かで論議をよびましたが政府は無観客という苦渋の決断で開催となりました。 2週間テレビに釘付けで、一喜一憂した真夏の祭典でした。 テレビ観戦していて感じたのは、どの競技もそれは美しいですね。 選手の動きは云うに及ばず、会場自体も競技の進行もユニフォーム姿のスタッフもすべて美しい。 美しいところしか映していないから当然でしょうが、それでもここまでの映像を作り出すメデイアの技術力とマンパワーには驚嘆です。 でも、見えている世界には必ずその裏側や水面下の世界があってそれも忘れてはならないと思います。 たとえば、オリンピックからひとたび目を転じると、コロナの感染爆発やヒロシマ&ナガサキの原爆記念日もあります。 選手達の快挙を讃える番組の一方でコロナの医療逼迫状況や原爆や戦争の回想を伝える番組があって、その落差に身体がグラグラしそうです。 私はそのパラレルワールド、現実と夢物語の間を往ったり来たりしながら、どちらかに傾くことないように気をつけていきたいです。 知人から送られてきた夏の風景をご紹介しておきます。
スタジオレポート第113号:「茅の輪くぐり」2021.7.1 昨日は6月の末日、神社などでは夏越の大祓(なごしのおおはらえ)の神事の一環として茅の輪くぐりが催され、明けて今日からは1年の後半に入りました。 農耕民族の日本人ですから収穫を祝う秋祭りや故人を偲ぶお盆の祭りごとなどはわかりやすいのですが、6月の末日に夏越の神事があるのは長い間あまりピントきませんでした。 春の冷温、夏の旱魃、秋の台風洪水などの天変地異をおそれ、農作物に恵みをもたらす穏やかな気象を願うのは当然として、夏の入り口で行なわれるこの神事は無病息災を願い、夏に人々を苦しめる疫病が流行しないようにとの祈りから来ています。 昔の人々にとって食べ物が傷みやすく、蚊やハエなどの害虫が跋扈する夏をどうにか乗り越えるのは一大事であったはずです。 しかし冷蔵庫とエアコンが完備された現代に暮らす我々は疫病など克服されたものと思い込んでいましたが、それは間違いでしたね。 全世界の人々が疫病退散をこれほど切実に願ったことがかつてあったでしょうか。 2年越しのパンデミックはワクチン接種が進むにつれ、ようやく出口が見えてきました。 スタジオでは7月からグループレッスンを再開致します。 当たり前のことが当たり前でなかったことに気づかされ、ダンスを始めとする芸事を楽しめる日々が来たことを喜ぶ慎ましさを忘れないようにしたいです。
スタジオレポート第112号:「ジュニアクラス立ち上げ」2021.6.1 ワクチンの接種すむまで出歩けず 通行手形無き人のごと 思っていた顔とは違った顔だった マスクの下のあの人の顔 あなたもてをふってたんだね 笑ひあふ てをふることが会ふことになり 2021年5月24日毎日歌壇より 高齢者向けワクチン接種が始まり、人より早く予約をとることがまるで手柄か勲章のように思ってしまう昨今です。 でも先日知人から送られてきた動画に「テレビのコロナニュースを見過ぎない、(残高の少ない)通帳を見過ぎない、猫背にならない、食べ過ぎない....」とあり、ほのぼのしました。高齢者にワクチンがいきわたるまで、後2~3ヶ月必要でしょう。 「コロナ恐怖にとらわれず、世情や流言に惑わされず、かつ注意を怠らず」でいきましょう。 さて、スタジオではこの4月からジュニアクラスを立ち上げました。 月に2回、土曜日午後1時半~3時まで、小学生対象で無料です。 バレエや今はやりのヒップホップダンスと違い、社交ダンスを子供のお稽古事にというのはあまり聞きませんが西欧ではふつうのことのようです。 以前、オーストリアのウィーンを特集した番組があって、放課後社交ダンス教室に子どもを車で送迎する場面がありました。 子ども達はダンスレッスンの中で、相手への礼儀や優雅な立ち居振る舞いを学び、いつか社交の場に出て行く日を楽しみにしている様子に感銘を受けました。 そのようなダンス文化のない日本に一石を投じるつもりです。 小学生の女の子3人のレッスンですが、子ども達の吸収力は素晴らしく、いつのまにか二人で組み合って動き始め、男足とリードの仕方を教えてと云われました。 職能団体JBDF(日本ボウルルームダンス協会)もジュニア育成に力を入れて、ジュニアクラス立ち上げを支援しています。 付き添いのママやパパ達も一緒に親子でダンスが楽しく踊れることを目指して、手探りでぼちぼちと取り組んでいきます。
スタジオレポート第111号:「不要不急のこと」2021.5.8 決行か中止かたかが不急なる 趣味の会にも決断が要る 快適な湿度を保つ部屋のよに 潤ひのある人になりたい 2021年5月3日毎日歌壇より 緊急事態宣言が5月末まで延長されました。当初からある程度わかっていたこととはいえ、感染者数は減少せず残念です。 テレビでは、東京や大阪の盛り場の人出の増減を報道し、仕事や生活に必要なこと以外の外出は自粛をすべきと繰り返しています。 趣味活動も娯楽を求めることも不要不急といわれたらそれまでなので、上の短歌にあるように会の責任者は葛藤しながらも中止を決めています。 でも「人はパンのみで生くるにあらず」、自分にとって善きこと、知識や芸術への憧れと挑戦、健康の為の身体活動などは人がしゃんと立って生きるのに必要です。 コロナ自粛は、そういう意味で今まで無自覚に多方面に広げてきた触手をいったん引っ込めて、自分にとって必要な活動は何かと問い直す機会にもなりました。 先日、NHK番組でさだまさしが「音楽を届けることは必要な使命、作夏から覚悟を決めてコンサート活動を再開した」と話していて、プロたるものの覚悟はそういうものかと感じいりました。 この時節、己の信じるところに従い、慎重に、でも勇気をもって行動しましょう。 もちろん全て自己責任ですが、自粛生活の中でも彩りとワクワク感を失わないために・・・、それは私たちが心ごと生きるのに必要ですから。 スタジオでもグループレッスンは休止していますが、個人レッスンを望む方には続けていきます。 スタジオの環境と私を信用し、なおかつダンスを不要不急とせずに足を運んで下さる生徒さんのお気持ちは私にとって大きな励ましです。 この状況は試金石です、お互いへの信頼を高め、自分への戒めも怠らないための。そうとらえて自分を次のフェーズ(局面・段階)へ導くきっかけにしたいです。 スタジオレポート第110号:「好きなこと」2021.4.13 ―どうしてこんな好きなことがあるのに、私はそれを人生の真ん中に置こうとしないんだろう。― 原田マリ〈ギフト〉より 先日の午後、新聞をぼんやり眺めていた私の目にある書籍の広告の文言が飛び込んできました。 これは自分への大きな問いかけです。 人は、何かを果たせなかった時言い訳を揃えるのは簡単で、しかも至極上手です。 私にも大いに覚えがあり、それで何十年もやってきたように思います。 でも、あと何年元気でやっていけるかがわからない今、好きなことを上手な言い訳でごまかしてあやふやにしてしまうことは、自分に対し卑怯ではないかとこの言葉で気づきました。 ダンスはもちろんいちばん好きなこと、でもそれだけではないでしょう、私の好きなことは?と自分に問いかけてみました。 歴史とりわけ日本史、音楽・絵画等、人間の強さ弱さを扱った小説やドラマ、山歩きや離島を訪ねるのも好きなこと...、と挙げてみればいくつも出てきてました。 コロナ禍の現在、できることは限られますが、人生の時間は有限ですから言い訳している暇あったらまずは飛び込んでいこうと思いたち、いざ...... このご時勢で旅行は憚られますので、JTBの〈ぶらり町歩き-光秀の足跡を歩く〉にひとり参加してみました。 京都検定1級をもつ講師の話はとても興味深く、本能寺の変を起こした当日の光秀の進軍の跡を歩く充実した一日でした。 そしてつくづく自分は歴史好きなんだと納得しましたし、ひとり参加の方が半数以上で心強かったです。 京都御所では、その週末の4日間だけ公開の牛車とお公家さん達(人形ですが)の歌会始めを観覧することもでき、ラッキーでした。 言い訳を勇気に置き換えたら、好きなことが人生の真ん中に立ち現れてきそうです。
スタジオレポート第109号:「高野山の火祭り」2021.3.10 日本中を震撼させたあの東日本大震災からちょうど10年、そして世界中の常識を覆したパンデミックからちょうどまる1年たちました。 毎日のなりわいは昨日今日明日と連続的なものですが、俯瞰的な視野で振り返るとひっそりと忍び寄る変化であれ一夜にしてひっくり返る逆転劇であれ、以前とはすっかり違う様相を人は受け入れて、己れとすりあわせていくしかないのだと思います。 出来事の直後では見えなくても、年月を経てようやく全体像が掴めたりしますが、それは漫然と過ごしていて見えてくるものではないと思います。 見ようと目をこらさなければ、静かに気にかけておかなければ、真実や全体像は浮かび上がってこないものです。 この1~2週間、震災記念日を前にしてメディアでは多くの「あの日」の特集を組んで流しています。 それを視聴しながら、この歴史的な災厄の記憶を私はもう一度上書きしておこうと思います。 3月の第1日曜日に、高野山の火祭りに行きました。 今年は密を避けるため大々的な宣伝がなく人出は例年より少なめとのことで、護摩の火は「コロナ禍犠牲者の鎮魂と疫病の退散」を祈願してたかれました。 密教的な儀礼の終盤で、集まった人々は一列に並び僧侶のもつ仏具で身体を清めてもらい、お不動様に各自身体の悪い箇所を拭った紙札を納めます。 私も初めてこの施しに参加したのですが、お坊様は仏具でとても丁寧に私の肩先をぽんぽんと叩かれるのに感心しました。 ずいぶん長時間列に並んで待ちましたが、それは一人一人に時間をかかったからでした。 一千年以上もこの儀礼が続くのは、安寧を願う人々の祈りが時代を超えて繋がれていくからでしょう。 困難な冬が終わり、明るい春が来ますように。
スタジオレポート第108号:「立春」2021.2.14 忘れ置く ショコラひとかけ 桜貝 バレンタインもチョコレートも季語となって久しいですが、ラジオ深夜便で詠まれた俳句です。 海の見える家のベランダの手すりに残されたひとかけらのチョコレート、桜貝のようにも見えて、潮騒に遠い昔の恋の記憶が呼び戻され・・・。 そんな場面が浮かびました。 2月は逃げると云われるとおり、日がたつのが早いですが、気づけば日暮れがずいぶんゆっくりとなっています。 5時を過ぎても空はまだ明るく、家路をたどる人々の足取りも以前ほど急ぎ足ではなくなりました。 緊急事態宣言は2月7日からさらに1ヶ月延長され自粛生活が続いていますが、春は確実に訪れています。 散歩の道すがら、近くの神社で梅がほころんでいるのを見つけました。 知人からめじろの写真も届きました。少し前には冬枯れだった枝ですが、今は満開の梅です。 スタジオレポート第107号:「二度目の緊急事態宣言」2021.1.18 厳しい寒さが続いております。 特に雪国での降雪量は尋常ではなく、ニュース映像を見るたびに雪かきに始まる北国の暮らしの大変さを思います。 昨日は26回めの震災記念日でした。 テレビの特集は京阪神・神戸・淡路の定点観測で、26年前の映像に今日の風景を重ねて映し出していました。 自分はあの時と同じままなのに、年月を経た街は見事な変容ぶりでした。 そのこと自体は喜ばしく、かつ同時に切なくて、震災記念日は私にとっていつも複雑で重い一日です。 そしてこれも毎年のことですが、1.17が過ぎると少し気持ち軽くなります。 街が破壊され命が失われた悲惨でただならぬ非日常はつらくて、ふだんの暮らしを営む日常に戻るのが楽なのかもしれません。 でも今年は、2月7日までの二度目の緊急事態宣言がだされて、再び自粛生活に入りました。 いろいろ迷いましたがスタジオは続けます。 求められる限り、ダンスの楽しい時間を生徒さんに提供するのが私の仕事と思っておりますので。 そのことを皆さんに告げたら、異口同音に「よかった、嬉しい。」とおっしゃって下さったことにも勇気を頂きました。 大型の空気清浄機を据え付け、今まで以上に消毒・手洗い・換気に留意して、コロナとの両立を図っていく所存です。 今年 詩:谷川俊太郎 涙があるだろう 今年も くだらぬことに喜ぶだろう 今年も 涙ながらの歌があるだろう ささやかな幸せがあり 固めたこぶしがあるだろう それは大きな不幸を 大笑いがあるだろう 今年も 忘れさせることはできぬだろう あくびをするだろう 今年も けれども娘は背が伸びるだろう 短い旅に出るだろう そして樹も そして帰ってくるだろう ご飯のおいしい日があるだろう 農夫は野に 新しい靴を一足買うだろう 数学者は書斎に 決心はにぶるだろう 今年も しかし 去年とはちがうだろう ほんの少し 眠れぬ夜があるだろう 今年は だが 愛するだろう 今年も 地平は遠く果てないだろう 自分より小さなものを 宇宙へと大きなロケットはのぼり 自分を超えて大きなものを 子等は駆けてゆくだろう 今年も歓びがあるだろう 生きてゆく限り いなむことのできぬ希望が
スタジオレポート第106号:「特別な年末年始」2021.1.6 皆さま、明けましておめでとうございます。 今年は三ヶ日が週末に重なり、ごくコンパクトな正月休みとなりましたが、折しもコロナ感染拡大の最中で人の移動や帰省も自粛でごく静かな年末年始となりました。 でも私はひっそりと籠もったりせず、穏やかな晴天続きを好機としてこっそりと動き回りました。 まず、元旦早朝、伊丹空港の隣りにあるスカイパークへ行き、初日の出を拝みました。 驚いたことに、真っ暗な6時過ぎに着いたのにすでに駐車場の入り口には車が並んでおり、どうやらそこは初日の出を拝む近場の名所だと知りました。 前夜からの晴天で西の空には満月がまだ浮かんでいました。 やがて東の空がほの明るくなり次第にバラ色に染まって生駒の山稜から見事な日の出となりました。 周囲には高校生のグループなど若い人々が多く、太陽を背にした7時発の早朝フライトの飛行機を撮ろうと待ち構えるカメラマンもいました。 初日の出や初詣に今年の願いをかけても、たいていすぐにそれが何だったかも忘れてしまうのですが、それでもやはり人はそうせずにはいられないものでしょう。 願いや祈りが何であれ、それは少なくとも今ここにいる自分を感じとれる瞬間で、そういう意味では今の自分を肯定することだと云えるかもしれません。 その後も、かねてより行きたいと思いながらなかなか行けなかった法隆寺や、橿原神宮へ行ってみました。 法隆寺の奥の中宮寺の門には珍しいしめ縄が・・・、このお寺は代々皇籍の女性が門跡を務める皇室ゆかりのお寺で菊の紋型の注連縄でした。 神社仏閣も往復の電車も駅もとてもすいていて、法隆寺では夢殿や玉虫厨子、釈迦三尊などかつて歴史の教科書でお馴染みのたくさんの国宝をゆっくり鑑賞でき、大きな牛の絵馬のある橿原神宮も清々しかったです そんなこんなで十分に充電でき、5日からはスタジオレッスンを開始しました。 こんな時ですから今年ダンスパーティーができるかどうかはわかりませんが、こんな時だからこそダンスの基礎を大事にするレッスンを皆さまにお届けする所存です。
スタジオレポート第105号:「スタジオのクリスマス」2020.12.25 ー「ここではね、同じ場所にとどまるためには、思いっきり走らなければならないの。」 ルイス・キャロル〈鏡の国のアリス〉に出てくる「赤の女王」の言葉である。ー こういう書き出しで始まる新聞のコラムを読みました。(日経新聞12月23日朝刊) 12月に入りが諸外国でワクチンが実用化されたいう明るいニュースの一方で、イギリスでは感染力の強い変異種が流行しているらしく、日本政府も水際作戦の強化に乗り出しました。 病原体が生き残るには常に進化を続ける必要があり、新型コロナウィルスも人類の抑えこみにサバイバルをかけて対抗しているのでしょう。 今年のスタジオ活動は、4月~6月スタジオ閉鎖、春秋のダンスパーティだけでなく、内輪のクリスマス会も中止としました。 12月からは田中先生のレッスンも休止となり、ダンス好きには淋しい受難の一年となりましたが、今のところ終息の見込みはありません。 しかし、そんな中でも、スタジオを愛して下さる生徒さんの発案でステンドグラス展を催しました。 晩秋の4日間、スタジオはアートを愛するたくさんの皆さまのおかげでクラシック音楽の流れる優美な空間に変身しました。 また、意外なことにダンスレッスンはこれまでにない程予約が毎日いっぱいです。 スタジオの風通しの良さがコロナへの気がかりを幾分軽減させてくれるのか、皆さまは熱心にレッスンにおこし下さいます。 上記の童話作家の一文は、コロナウィルスでは困ったことですが、たぶん私のダンスライフにもあてはまります。 楽しく続けるためには健康に留意し、勉強を怠らず、今の自分にあぐらをかかないで常に一歩上を見ていくことと自戒しました。 もう年ですから思いっきりは走れませんが、息が切れぬ程度に負荷は必要かと思います。 今年のクリスマスの街は今まで見たこともないほど閑散としています。 「ピンチをチャンスに」の言葉をかみしめ、そんな中でもレッスンに訪れて下さる皆さまの熱意に応えてあたたかいスタジオにして参ります。
スタジオレポート第104号:「秋のステンドグラス・絵画展」2020.11.27 「水急わしくして 月を流さず」(川の流れは急であっても、その水面に映る月が流されることはない) コロナ禍で右往左往したこの一年は未来の歴史の教科書にきっと載ることになるでしょう。 人の世の出来事は思いがけないこと様々あり、私たちは否応なくそれに巻き込まれてしまいます。 でも、空の遙かかなたの存在、山も海も川も星も、太古の昔から未来永劫へと変わることなく冷然とそこにただ在る、それを思い起こさせる一文です。 芸術も又然り、美を求める作者の精魂が傾けられた作品は私たちの胸に迫りますね。 グリーンダンススタジオはこの秋で8年めに入りました。 ダンスレッスンの生徒さんには多才な方が多くおられますが、今回はその中でもステンドグラスに造詣の深い小柴俊夫氏と絵に堪能な佐竹昌予様の二人展を企画しました。 いつもは軽快なダンス曲の流れるフロアが一転して、クラシカルで洗練されたアートの空間に生まれ変わりました。 作家お二人のお人柄を反映して初日以来来場者が多く訪れ、新しい出会いに会話も弾みます。 午前中は朝日を受けた色ガラスが光に躍り、夕暮れはランプの周りが幻想的な赤に染まります。 ダンス愛好者の集う場のスタジオが、今回は芸術の香りに満ちた豊潤なスペースとなり、ワクワクする晩秋の4日間です。
スタジオレポート第103号:「積小為大」2020.10.2 ようやく秋の気配が濃くなってまいりました。 10月1日の夜は中秋の名月、前夜の雨で洗われた澄んだ大気の夜空にこうこうと月光が降り注いでいました。 この号のタイトル「積小為大」(せきしょういだい)とは浅学の私は初めて耳にした4文字熟語ですが、江戸時代の農政家・思想家の二宮尊徳の言葉です。 小学校の校庭に建っていたお馴染みの銅像で知られる二宮金次郎さんは、幼い時から生家の浮き沈み等を経験するも智恵と努力で大きな功績をなし、社会に尽くしました。 その意味は「小さい事が積み重なって大きな事となる。だから小さい事をおろそかにしてはいけない」ということです。 同じ意味の諺に「ちりも積もれば山となる」がありますが、要は「ひたすら」「こつこつ」をどれだけ継続できるかということですね。 私の場合ももちろんそれを痛感しております。 寄る年波に勝てず膝や足腰にガタがきており整骨院の先生から筋トレが必要と言われました。 だけど、筋トレもストレッチもやっぱり継続が難しい…大きな成果など望んでいませんが、とにかく一日わずかでもと気を取り直して続けています。 スタジオレッスンも同じこと、皆様とダンスを共有できる喜びをささやかでも日々積み重ねていこうと、高く澄んだ秋空に背中を押してもらいます。
スタジオレポート第102号:「特別な夏」2020.8.28 さんさ踊り中止となれば気の抜けて その手拭いで夏マスク縫う 盛岡市 堀米公子(令和2年8月24日毎日歌壇より) この夏は「特別な夏」でした。 コロナ禍終息いっこうに見えずマスクでただでさえも暑いのに、加えて猛暑日が観測史上最長記録更新で忍耐の日々です。 さんさ踊りの短歌に接して、10数年前に盛岡さんさ踊りを見に行ったことが胸に蘇りました。 当時盛岡で学生だった私の息子が「大学のさんさ踊りチームに入った、最後の夏休みだから見にきたら・・・」と誘ってくれたのです。 職場や学校や地域のたくさんのチームが春頃から練習を重ね、ふだんは静かな盛岡の街が当日は近郊から押し寄せる人並みでたいへんな盛り上がりとなります。 おそろいの浴衣で繰り出す各チームの行列が通った後は、見物の市民も通りに出て見よう見まねで狂喜乱舞、その楽しことといったら・・・。 青森ねぶたや山形花笠もそうでしょう。辛抱強い東北の人々が待ち焦がれる年に一度の祭りも、全国の盆踊りや花火大会も全て中止の夏でした。 それどころか、今年は予定通りならば、東京オリンピック・パラリンピックで日本中が沸き返っていたはずです。 でも一方でよいこともありました。 レジャーやイベントに浮かれず家の中で静かに過ごし、原爆忌や75回目の終戦記念日など往時に思いを馳せる心のゆとりがもてました。 世界中を覆うコロナ禍ですが、これも歴史上のひとつの出来事ととらえなんとか凌いでまいりましょう。 かのニュートンは、通っていたケンブリッジ大学がペストで2年間休校になり家にいたとき、万有引力の法則を発見したそうです。 「新しい生活様式」とよく言われますが、ひとりで沈思黙考するのは「かつての生活様式」のひとつともいえ、それを我々は取り戻す機会でもあったのです。 政府は有効なワクチンができ次第、無料接種する人々の優先順位の検討に入ったようです。 いつか見えてくるトンネルの出口に向けて、今日出来ることをひとつひとつ積み重ねていきましょう。
スタジオレポート第101号:「スタジオ再開」2020.7.13 この7月1日をもってスタジオを再開致しました。 そして、切りのいいことに、スタジオ通信101号が再開のお知らせとなったことも不思議な偶然を感じております。 夏になれば収まるかと期待した新型コロナ禍は、いったん下火になったものの7月に入ってまた再燃して東京では連日感染者数を更新しています。 スタジオは換気・消毒・検温・マスク等感染対策の出来ることは全部しながら再開いたしました。 皆さま以前と同じように熱心にレッスンにおこし下さり、感謝申し上げます。 ただし、グループレッスンは今のところは6人前後なのでちょうどいいのですが、もし人数が多くなりましたら、密を避けるために前半グループと後半グループに分けて行なうこととします。 その日にならないとわかりませんが、来室者の方々にはご了承お願い致します。 さて、胸に響いた話題をひとつ、漢字で「憂」(うれい)という字がありますね。 「憂」の横に人偏「イ」をつけると「優しい」という字になります。 憂える人の横に誰かが行ってあげること、それは優しさです。 憂える人も気持ち晴れて優しくなるでしょう。 九州や中部地方の大雨被害のテレビ映像を見るたび胸が痛むここ1週間ですが、コロナ禍のため県内のボランティアに限定したのにも拘わらず予想を超えた多数の人達がボランティア志願したというニュースに接し、胸熱くなりました。 誰かの側で役にたつような働きができたらと願っております。
スタジオレポート第100号:「パンデミックの春」2020.5.6 記念すべきスタジオレポート第100号をこういう形で綴るということになるなんて・・・ ほんとうに想定外の出来事は起こるんですね。 ダンスが続けられなくなることを想像したことはありましたが、それは私自身の怪我や病気、家庭の事情かと思っていました。 皆さまもきっとそうだと思います。 災害ならいざ知らず、感染病によるパンデミックが襲うとはほとんどの日本人には不意打ちでした。 当スタジオもずっと全面閉室で、再開のめどはたっておりません。 緊急事態宣言と全面自粛は5月末まで延長されました。 せめてこの時勢を詠んだ歌3首と季節の花を載せておきます。 創作の日々はもともと無観客 いつもの春が過ぎてゆくだけ 上尾市 関根裕治 ガラガラに変わり果てたる通勤の 電車に揺られる 残兵のごと 春日市 伊藤亮 児の弾きし汚れなき音 耳にあれど 除菌シートで鍵盤を拭く 伊達市 中村みゆき(いずれも5月4日付毎日歌壇)
スタジオレポート第99号:「新型コロナウィルス感染拡大の猛威」2020.4.6 季節は春になりました。クリスマスローズは今が盛りと満開で、白木蓮が終わり、甲子園口の堀沿いの桜は五分咲きです。 いつもと同じ春なのに、まさかこんな疫病が世界中に蔓延するなど誰が想像できたでしょう。 東京オリンピックは来夏に延期されましたが、果たして来年には収束しているものかどうか誰も予測できないということです。 イベントは全て自粛、スポーツの試合は無観客で、小中学校の始業式も未定ということで、国は明日にも緊急事態宣言を出すかどうかの瀬戸際です。 3月23日付毎日新聞歌壇にこの世相を詠んだ歌がありましたので、昭和天皇の65年前の歌と共に紹介します。 早く、「2020年にはこんなことがあったね」と笑い話になることを切に祈りつつ・・・・ 買いだめに奔る人間横に見て すこしの矜持すこしの焦り 行司ってこんなに通る声なのか 無観客相撲にて思うなり なりはひに春はきにけりさきにほふ 花になりゆく世こそ待たるれ 折りにふれて 昭和30年 昭和天皇御製 スタジオレポート第98号:[想定外の出来事」2020.3.11 久しぶりにHPの更新しようとスタジオ通信のページをあけましたら、前回の97号は暖冬の話題と雪景色の写真でしたね。 まだのどかな話題で終始していた1月の下旬に、誰が今の事態を想像したでしょうか。 2月終わりに安倍首相の出した2週間のイベント自粛要請と全国小中高校の休みは、3月20日までに延期されました。 昨日出たイタリアの全土移動禁止にも驚きました。 世界の観光地ベネチアや昨年5月合唱団の演奏旅行で訪れた、北部イタリアのサンマリノ共和国の美しい映像がテレビで映し出され、観光客の途絶えた淋しい街並みに心が痛みました。 20世紀初めに世界を震撼させたスペイン風邪を彷彿とさせるような、世界的な大流行になるのでしょうか。 ものの本によればスペイン風邪の死者は、第一次世界大戦の戦死者をはるかに超える人数だったといい、戦争やテロにもましてウィルスとの戦いはたいへんだと遅まきながら実感しています。 スタジオでは11日と18日のグループレッスンは取りやめましたが、個人レッスンは自己責任において細々と続けております。 はやくこの騒ぎが収束されることをただ願っております。 閑話休題、街の花屋の店先に面白いものを見つけました。 球形の坊主頭を一昼夜水につけ、その後水を絶やさないでいると丸刈り坊やが、スポーツ刈りに、そして10日後には怒髪天を衝くぼうぼう髪になりました。 時は春、植物の成長力、生命の勢いに改めて驚かされます。 スタジオレポート第97号:「暖冬」2020.1.23 年が改まり、あっという間に1月も後半に入りました。 年末年始が思いの外暖かく、初詣の帰り尼崎城へ寄った時も手袋やホットカイロを忘れたのが気にならなかったです。 22日の大寒から立春までが例年寒さの底らしいのですが、今日も最高気温は13度と3月中旬の気候とのことです。 雪不足で近隣のスキー場が閉鎖されたり野菜価格の暴落など経済的にも損失が大きいようです。 レッスンの前後にこの暖かさを世間話に持ち出したら、ある年配の女性が「目の前のこともさることながら来年のお米が心配です」とおっしゃいました。 雪が積もらないと山の保水力が落ちて、春や夏に田畑に水が行き渡らないからです。 地球温暖化による海面の上昇で南海の小島などは水没するのではと懸念されていますが、この暖冬で我が国日本の農業も影響が心配されます。 そんなある日、新しい年のカレンダーの今月の言葉として「わがこととして」というフレーズを見つけました。 なんてきれいな文言だろうとはっとしました。 何事も我が身に関係なければ他人事と捉えがちですが、今年はこころしてひとつひとつの出来事をきちんと考えてみようと思います。 そうは云っても、信州の雪は大丈夫、野沢温泉にスキーに行った友人より素晴らしい雪景色が送られてきましたので載せておきます。
スタジオレポート第96号:「日本丸 クリスマスクルーズ」2019.12.23 クリスマス近くなり子供たちはサンタさんに何をお願いするのかでわくわくする季節ですが、実は私は少し違った感じがしてなりません。 以前ほど、街全体の華やぎというか、浮かれた感じが少なくなったように思うんです。 そのことをスタジオで生徒さんに話すと同感だといわれ、やはり全体的にクリスマスの盛り上がりが減っているのかもしれません。 大人の世界では忘年会たけなわのこの時期ですが、若い人々の間では忘年会スルーという言葉もあると聞き、これも時代の移り変わりですね。 そんな中、おもしろい郵便ポストサンタを見かけましたのでご覧下さい。 私は今年も一夜だけのクリスマスクルーズへ行ってまいりました。 日本丸は、飛鳥Ⅱやパシフィックビーナスより小ぶりですが、豪華な食事と落ち着いた雰囲気で大人向けの船旅です。 船のイベントの中で今回とてもよかったのは、綾戸智恵さんのジャズコンサートでした。 以前から人気のシンガーだとは知っていましたが、歌の上手さもさることながら弾き語りのピアノ演奏は抜群、さらに傑作だったのは歌の合間のトーク、会場は彼女が登場するやいなやすっかり魅了されてしまいました。 40歳でデビュー、以来22年で現在62歳の彼女は、紙おむつのCMのことや94歳のお母さんとの暮らしぶりなど、とてもフランクな本音トークを繰り広げました。 10年来のしばりの紙オムツCMの契約が切れて自然体に戻ろうと髪も染めるのをやめたとのこと、そのグレーヘアーをなびかせてパワフルな歌いっぷりでした。 そして彼女は、年を重ねるって素敵なこと、若い時には見えなかったものが見えてくること、そのことを楽しみましょうと会場のシニア世代にエールを送りました。 このメッセージを何よりのクリスマスプレゼントとして胸に抱きましょう。
スタジオレポート第95号:「恒例 秋のダンスパーティ」2019.11.16 季節の移ろいは絶え間なく流れ続けていきますが、そうは云ってもじりじりと同じ暑さ寒さが続く時もあれば、ある日を境に季節が一挙に次へ進むこともあります。 この度の第16回ダンスパーティは絶好の晴天に恵まれた暖かな陽射しで、この秋の最終日ともいえました。 というのも翌14日は朝からとても冷えて北国からの映像は雪景色で、冬の始まりの日となりました。 今回は平日開催、人数が少ないことを心配しましたが、昨年同様43人の参加者で和やかなのびのびと踊れる会となりました。 水曜クラスでは9月から取り組んできたワルツを「シャレード」の名曲にのせて、8組で踊るフォーメーションとしました。 又、プログラムの中に、ショータイムと銘打つ出し物があり、何が飛び出すやら出演者にお任せしたきりわかりませんでした。 いざ、始まるとエルビス・プレスリーもどきとマリリン・モンローもどきが飛び出してきて、アメリカンでユーモラスな3曲メドレーで盛り上げて頂きました。 私共は、アメリカンスタイルタンゴとアメリカンスタイルワルツを踊りましたので、テーマとしては奇しくもぴったりでした。 出演者の山田・岡田組とは、よそのダンスパーティに参加したときに知り合いました。 時々はスタジオから出て違う場所でいろんな刺激をもらい、またスタジオに持ち帰って足型を検証したりしておりますが、新しい知己を得るのも嬉しいご縁です。 これからも私共のスタジオレッスンやダンスパーティのあり方を客観視することを心がけていきたいです。 何はともあれ無事に終了することができ、ご参加下さいましたお客様、ご協力頂きましたスタジオの皆さま方、有り難うございました
スタジオレポート第94号:「ステンドグラスの工房」2019.11.12 恒例 秋のダンスパーティが迫って参りました。 今回は休日の会場予約が難しく平日になりましたので、参加者が少なめです。 その分ひろびろと大きく皆さまに踊って頂けることと思います。 先日参加したよそのダンスパーティでは200人近くの人数で、壁際の椅子は3重並べ、ふれあいタイムになってもほとんどステップ踏めないほどのぎゅうぎゅう詰めで、主催者側の意図を疑問に感じました。 何事にもほどほど適切というのは必要ですが、物事が動き出したらその流れを止めるのもまた難しいことですね。 忙中閑あり、スタジオの生徒さんの中に10年来ステンドグラスの製作をされている方がおられて、その作品展を芦屋の工房に見にいきました。 秋の午後の光を透かす色とりどりのガラスはきらきらと天上世界のような輝きを放っていました。 工房の主宰者は40代くらいの男性工芸家、謙虚でありながら美を創出する静かな情熱を秘めておられる気配の方でした。 展示品の中で一番大きな2幅のついたてがスタジオの生徒さんの作品でその見事さに感嘆しました。 彼にステンドグラスに取り組んだきっかけは?と尋ねると、ごく若い頃ドイツを旅した時に大聖堂の高窓を覆うステンドグラスに目を奪われてしばらくそこに座って時を過ごしたとのこと、20代にそのみずみずしい魂を奪われた忘我の体験が根っこにあったのです。 そして、何十年か後、定年退職後に昔の夢を掘り起こして取り組まれたそうですが、同時にとても良い師匠に出会われたとも思います。 私もそうですが、大学のダンスパーティで見よう見まねで踊ったワクワク感を長い間忘れていましたが、40代にあるきっかけで故酒井正子先生に出会いました。 人生の後半期、人はもう一度魂が喜ぶことに取り組んで生き直そうとするものですね。 スタジオの皆さん方もダンス以外に、歌、楽器、演劇、旅などさまざまなものに打ち込んでおられます。 何か見せていただける機会がありましたら、ぜひご一報下さいませ。
スタジオレポート第93号:「JBDFサマーセミナー」2019.10.21 台風と大雨の度重なる到来で、今年の秋は収穫の実りや紅葉便りなどののどかな話題が遠く離れたところにある感じがしてなりません。 河川の氾濫や堤防決壊ニュース映像を目にして今さらながらに、自然がいったん牙をむいた時の猛威と破壊力に驚かされます。 今回は関西は無事でしたが、昨年9月の台風の風災を思い起こし、被災地の皆さまに心からお見舞い申し上げます。 さて私の今年の夏のチャレンジをご報告しておきます。 7月はじめ東京江東区のティアラこうとうで行なわれた、JBDFサマーセミナーに初めて参加致しました。 私どもは毎年このサマーセミナーのテキストとDVDを取り寄せ、新しいダンス足型などを研究してきましたが、今回初めて実際に参加しました。 2日間の講習を通して感じたことは、東京・関東方面のダンス界のもつ意識の高さでした。 全体レクチャーでは、いかに男性が女性をエスコートすることが大切か、その精神をリードする中でどのように表現するかが実技を通して紹介されました。 男性はひとつの足型を仕掛ける時から最終ステップを踏み終わる瞬間まで常に女性の動きを気にかけること、女性は男性の意図をくみ取りフォローに集中すること等、当たり前といえば当たり前ですが、改めてそれがいかに美しい動きを生み出すかを再認識しました。 会場には山口から、北海道からと私よりもっと遠くから参加したダンス教師の方々もいらして、素直に偉いなぁと思いました。 ダンスは楽しさを追いかければ娯楽的になり、美しさを求めれば芸術となります。 その物差しの中でどの位置をとるかは各自それぞれでいいのですが、楽しく踊れればいいという人でも美しさには感動しますし、技術的なことばかり言い立てたら楽しくなくなります。レッスンする上でその兼ね合いは難しいと日々実感しています。 会場からはスカイツリーが臨めましたので、帰りはスカイツリーに上り地上451.2m(頂点までの高さは634m)からの下界の眺めも楽しみました。
スタジオレポート第92号:「イタリア紀行その4:ウルバーニア ブラマンテ劇場での演奏会」2019. 8.25 さて、イタリア紀行も最終回となりました。 ところで皆さま、下の3枚の写真のいちばん左の写真をスタジオに来られる女性の方は「どっかで見たことあったなぁ」と思われるはずです。 そう、スタジオの女性トイレの洗面所にずっと飾っている写真ですが、何の写真かわかりますか。 これは私たちの合唱団が前回2015年にイタリア遠征にいった時、観光で訪れたミラノのスカラ座の売店で買ったものです。 オペラのフィナーレでプリマドンナがボックスシートの観衆から拍手喝采を浴びているシーンのショットです。 お土産に買ったこの絵はがきをとても気に入り、私はスタジオトイレに置きました。 思えば、4年前イタリアシチリアの演奏旅行の3ヶ月後の演奏会の最後に、合唱団の平野団長が「次回はミラノスカラ座でやりますので・・・皆さん、飛行機の予約しといて下さい」と云って会場の笑いを誘いました。 よく「かねてよりの夢が実現する」とか、「言葉は言霊、いいことを口にすると本当にそうなる」といいますが、このウルバーニアの演奏会では本当にそんなことが起こりました。 ウルバーニアの演奏会会場は、ブラマンテ劇場、ミラノスカラ座程大きくはありませんが、ボックスシートをもつ4階建てのオペラ専用劇場です。 その昔イタリアは諸侯の割拠する都市国家の集合体だったので、地方都市の中心には必ず大聖堂と宮殿と劇場があります。 そんな由緒ある劇場を現地関係者のご尽力で借り、我々の演奏会を催すことになったのです。 もちろん私はボックスシートも初体験、ひとつひとつの小部屋にはドアを開けて入ります。 前の椅子と後ろの椅子は高さが違い、後列の人も舞台がよく見えるようになっていました。 夜9時から始まった演奏会は8割程度の入りで、絵はがきと同じ光景を舞台側から我が目で見たのです。 まさか、私の人生にイタリアのオペラ劇場の舞台に立つような幸運が来るとは!! まるで竜宮城へ旅したような夢の10日間でした。
スタジオレポート第91号:「イタリア紀行その3:城塞都市・ウルビーノ」2019. 8.19 皆さま、残暑お見舞い申し上げます。 しばらくスタジオ通信を更新できぬまま二ヶ月がたち、お盆が終わりました。 昼間の暑さはあいかわらずですが夜半には虫の声が聞こえるようになりました。 実はイタリアから帰国後の6月は何かと忙しく、7月にはBDFのサマーセミナーに2泊で出かけました。 7月31日にはスタジオ恒例の夏の小さなダンスパーティ、そして合唱団の演奏会も8月17日も無事終わりました。 このイタリア紀行は中途半端で放り出しておりましたが、今書かないとと気を取り直し記憶を辿って書き留めてみます。 さて、アッシジ見学を終えた私たちのバスはいよいよ演奏会開催の地、ウルビーノに到着しました。 ウルビーノ・ウルバーニアは北イタリアマルケ州にある地方都市です。 街全体が世界遺産であるウルビーノは城壁に囲まれた中世の要塞都市、重厚な茶色のレンガ色の塀の中に街がありました。 ホテルもお店も住宅もすべて石造りの建物の中にあって、まるで中世にタイムスリップしたかのような不思議な感覚にとらわれました。 でも意外なことに、街を行く人達は若者がとっても多いんです。 ウルビーノには芸術大学や音楽院、工房等があり、国内外からアートを若者が学びに来ているとのこと、往事の建物も若者の下宿として活用されていました ちょうど夏休みを利用してアメリカから声楽家の卵の若者が来ており、私たち合唱団は彼らと一緒に取材を受けて翌日の地方紙に載りました。 又、ウルビーノはラファエロの生家があることと、15世紀のウルビーノ公爵モンテフェルト公の肖像画で有名です。 というのも、この人物の肖像画は必ず横顔です。 勇猛果敢なこの殿様は戦いで飛んできた矢で右目を失うほどの大けがをしました。 その上、とても鼻が高かったので残った左目だけでは右の視野が見えにくいと鼻梁の上のところを削って片目でもよく見えるようにしたとか・・・ それでこの横顔の鼻の上が不自然な角度にえぐれているのだそうです。 歴史ある街には、なかなかいわくありげな人物がいたものだと改めて驚きました。
スタジオレポート第90号:「イタリア紀行その2:イタリア式七五三」2019. 6.27 翌朝はひんやりとした空気の中で目覚めましたが、生憎の雨模様でした。 まず宿舎に近いアッシジ郊外の大聖堂を見学に、ちょうど日曜日でしかも年に一度の行事のある日でした。 バチカンを擁するイタリアはもちろんカソリックの国なので、赤ちゃんが誕生するとすぐ教会で幼児洗礼を受けさせます。 その子が12~3才になると、今度は一生カソリック教徒として生きていく誓いを改めて神様にたてる儀式に臨むのだそうです。 私たちはたまたまそれに遭遇して、雨上がりの教会前の広場はとても華やいだ雰囲気でした。 少女達は純白のドレスで髪には花、少年達はきりっと刈り上げたヘヤースタイルで赤いラインの入った白いガウンを纏い、正装した両親や祖父母が付き添っていました。 お祝い事を済ませてハグしながら祝福しあうみんなの笑顔は晴れやかで、見ているこちらも幸福感に包まれました。 神様のみこころに叶うような人生を歩んでいく覚悟を決めた少年少女達と、それを見守る家族親戚達に幸いあるようにと願わずにおれませんでした。 そしてもうひとつ、こども達の姿に感動したのは、ワイナリーの見学と試飲会にいった時のこと。 見渡す限り広大な園内にワインやオリーブオイルの工場をもつぶどう園でしたが、我々が訪れた時にたまたま地元の中学生たちも見学にやって来ました。 テラスで試飲会を楽しんでいると、「こんなに遠い北イタリアまで来てくれた日本人にお礼が言いたい」と引率の先生に連れられた子供達が入ってきました。 私たちは大感激して、持ち歌数曲でお返しするとにこにこして聞いてくれ、その素直な笑顔に熱いものがこみ上げました。 言葉は通じないけれど、気持ちを表すって大事なことですね。子供達を引率した先生の配慮も素晴らしいと感じました。
スタジオレポート第89号:「イタリア紀行その1:愉快な大道芸」2019. 6.21 5月下旬から10日間イタリア演奏旅行に行って参りました。 実は私は、混声合唱団に20年来所属しており、その合唱団遊がこの度北イタリアのマルケ州のウルビーノとウルバーニアという2都市で演奏会を行ないました。 ふだんは何とか目立たぬよう口ぱくでやり過ごしていますが、ここ2ヶ月ほどイタリア語の歌詞と格闘したらいっそう口ぱくに磨きがかかって出発日を迎えました。 ローマから高速で2~3時間、日本人観光客が滅多に行かない北イタリアの地方都市で見聞したことを少し皆さまにお伝えしようと思います。 キャセイ航空で関空を夕方に発ち香港まで4時間、乗り継ぎしてさらに12時間、二日がかりでローマ空港に降り立ちました。 滅多に海外旅行しない私には通関が顔認証システムに進化しているのも驚きでしたが、同じグループ内の男性は帽子を取るように注意されていました。 その日はローマ市内観光へ、コロッセウムやスペイン広場、トレビの泉など観光名所はどこもかしこも観光客がいっぱいでした。 「ローマの休日」で有名なスペイン広場は今は飲食禁止、オードリーを真似て観光客がジェラートを食べるので、階段が汚れて困るからです。 さて、移動の道すがら大きな公園の中を通り抜けたとき、面白いものを見ましたよ。 ヨーロッパの観光地にはどこでもストリートミュージシャンや大道芸人を見かけるものですが、これは透明人間です。 カメラを向けると最初はずっと下を向いていましたが、空き缶にコインを入れると、ご覧のとおりのピースマークでした。 同じくツタンカーメンもコインで動いてくれましたよ。アイデアは素晴らしく、商売魂は逞しく、のようです。 そんなローマを夕方には出て、宗教都市でもあり世界遺産でもあるアッシジに向かいました。 喧噪のローマから離れ、アッシジ郊外の静かなホテルでようやくほっと出来ました。 いよいよ北イタリア中世の史跡を訪ね、カントリーライフを体験する旅の始まりです。
スタジオレポート第88号:「薫風」2019. 5.23 新緑のダンスパーティはおかげさまで無事終了いたしました。 遠方からご参加下さいました方や新しいお客様など50余人の参加人数はフロアに見合い、踊りやすかったとのおほめの言葉も頂きました。 今回は私達主催の会として15回目にあたり、知らぬうちに回を重ねてきたことも、ひとえにダンスを愛する皆さまに支えられたおかげと感謝申しあげます。 5月の第2日曜は母の日に当たりましたので、じゃんけんゲームの賞品のほかにカーネーションを添えたささやかなプレゼントを長老の男性と女性にプレゼントしました。 お二人とも長くスタジオを愛して下さり、年齢を選ばず長くダンスを楽しみたいという私たちの目標です。 また、ささやかな収益の中から、気持ちだけですが難病支援の「あじさいの会」にも寄付を行ないました。 当日来場下さったお客様の中に関係者がおられたことがご縁ですが、健康でダンスできることの感謝を社会的にわずかでも還元できたらとの思いからです。 これからもできる限りつづけていきたいと存じます。 連休前後の夏のような暑さがいったん収まり、梅雨に入る前のさわやかな晴天がここしばらくだけ続いております。 薫風に誘われて武庫之荘の大井戸公園に今が盛りのバラを見にいきました。 それは華やかでしたが、ハイブリッド系(一輪の大輪)にもフロリバンダ系(幾つか群れて咲く種)にもそれぞれの味わいがあります。 これらのバラを女性に喩えたら、彼女たちはどんな人生を送るのかと想像するのも楽しいですね。
スタジオレポート第87号:「令和に向けて」2019. 4.25 新年度がスタートして、早4週間、改元の節目に向けて10連休が始まります。 桜前線と花便りを待ったのがつい昨日のことのように思われますが、甲子園口新堀川沿いの道は葉桜とツツジのつぼみへと衣替え中です。 先週末は初夏のような陽気に誘われ長谷寺へ出向きましたが、さすがに牡丹には早くまだきれいな枝垂れ桜が残っていました。 土産物屋が並ぶ沿道で草木染めの布小物の店にふと足が止まりました。 店先の春色のスカーフに呼び止められたように感じ、そのニュアンスと風情がある色合いに惹かれて、思わず買ってしましました。 濃いピンクの染料となるのは茜の根、黄色の染料は槐(えんじゅ)の蕾とお店の人に教えてもらいました。 こちらの田中先生は、実は隠れた花博士、彼によると、初夏に小さな白い花の咲く「ムラサキ」という草木があって、根っこは紫根(シコン)という漢方薬でもあり、紫色の染料としても用いられるそうです。 そういえば時代劇で病気のお殿様が額に紫色の鉢巻きを垂らしていたのは、このムラサキによる病気平癒のおまじないだったのかと合点がいきました。 植物のもつ生命力、自然の力強さを古来から人々は頼りにして生きてきたのです。 時代は次へ移りゆきますが、その中にあっても変わらぬものを大切にしていきたいと思います。
スタジオレポート第86号:「花便り」2019. 4.6 予報では桜が例年より早いとのことでしたが、4月になって東京では開花した桜に雪が積もる日もあったりして不安定なお天気が続いております。 今年のお花見はかねてから行きたかった2カ所、京都八幡市の背割堤と京都北山原谷苑へ行ってみました。 原谷苑の方は当日朝からは生憎の曇天でうすら寒く、原谷の里の桜もまだちらほら咲きでした。 原谷苑は個人所有の庭で、桜のシーズンだけ一般に開放されるとのこと、庭園の入り口には「入場料:本日は800円」とありました。 この入場料は1週間ほど後の桜の見頃になれば1500円と変わるということで、京都人のしっかりぶりに変に納得してしまいました。 広い園内は雪柳や三つ葉ツツジが咲き乱れてとてもきれいでしたし、咲き初めの桜のまわりは空気もはんなりと桜色に染まっていました。 嵐電に乗って嵐山に戻ると、渡月橋界隈は雨模様にもかかわらずものすごい人、いっぱいの外国人観光客でこれまた驚きました。 人並みをさけて渡月橋南岸の法輪寺まで足を伸ばすと、十三参りを終えた着飾った少年少女を見かけました。 京都や大阪の家の子供は知恵と健康を授かるため、十三才になれば虚空蔵菩薩を祀る法輪寺に詣でる風習があります。 地元の人の話には、十三参りの帰り法輪寺から出て渡月橋を渡る時は決して振り向いてはならない、振り向いたらせっかくついた知恵が全部吸い取られてしまうと親にきつく言い渡され、がんばって前だけ見て歩いたそうです。 子供から大人への節目、世の言い伝えに従いそれくらいの我慢はできて当然という意味合いもあったことでしょう。 ちょうど春休みの最中で、正装した親に連れられた12~3才の少女たちは花のようにきれいでした。
スタジオレポート第85号:「小笠原紀行 その5・小笠原をあとに」2019. 3.22 小笠原を離れる日の午前中はあえてOPツアー予定を入れませんでした。 午前中を自由気ままに過ごしたかったからです。 朝いちばんに宿舎から小1時間ほどの中山峠へ登り、静寂と凪風を身体まるごと受けとめました。 その後小笠原海洋センターに立ち寄ってウミガメに飼をやりました。 昼食は雨の日食堂へ、ここは戦跡ツアーガイドの板長さんの息子さんがやっている食堂と聞いたので最終日のお昼はここでと決めていました。 「雨の日食堂」の由来を問うと、彼は「雨の日しか営業していないんか、晴れの日はやってないのか」とよく聞かれますよと笑いながら答えて曰く、宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず」から取ったとのことでした。 何事にも水面下には秘めた意味や思い入れがあるものですね。 そして、港へ出向き、いよいよ出港の時間がきました。 ここからがなかなかドラマティック、驚いたことに島の人々が総出で見送りに来てくれていたのです。 山ガイドの青年は法被を羽織り島の祭り唄をドンドコ大太鼓でたたき、板長さんや奥さんの姿も見えました。 出港のドラで船が岸壁を離れた後もたくさんの鯨遊覧船が追いかけてきて、沖まで来ると裸の男達が海に飛び込んで手を振って見送ってくれました。 島を訪れた旅人との別れを惜しみ、再来を望む島の人々の思いに胸熱くなりました。 小笠原の旅から帰って約一ヶ月がたちました。 帰阪直後は感覚が研ぎ澄まされていたのでしょうか、携帯電話にセットした小鳥の声のアラームが島の朝の本物の小鳥の囀りに聞こえました。 しかし日常生活に取り紛れるうち、小鳥のアラームは生き生きとしたものでなくなりいつもの機械音に戻りました。 小笠原での短い日々は、私という人間がただの生き物であることを素朴に思い出させてくれました。 海、空、山、風、動植物、そして先人達の歴史にふれることで、今生きていること、自分が今ここにあることが恩寵であると思いました。 悲しいかな、人は勝手ですから都会生活はすぐにその気づきを遠のかせてしまいます。 そしたら、またきっと私は次の島へ出かけたくなるのでしょう。
スタジオレポート第84号:「小笠原紀行 その4・海の一日ツアー」2019. 3.15 3月に入り、陽射しは一雨ごとに春めき、世の中はすっかり卒業式や年度末モードになりました。 今年は平成最後の春ということでいろいろな面で節目の年ですが、一ヶ月たっても私の頭の中は小笠原ララバイが続いています。 さて、今回は海のツアーについてレポートします。 海の一日ツアーは山へのトレッキング程期待していなくて、小船で気楽な観光をするのかなと思っていました。 ところが、お迎えのワゴン車は現地ツアーのオフィスに横付けし、そこでシュノーケリング装備とウェットスーツと上下雨具を渡されました。 いざ、ホエールウォッチングに出発、冬は小笠原近海にざとう鯨が出産・子育てのためにやって来るのです。 テレビや雑誌の写真などで鯨が海面に跳ねる姿はよく目にしますが、実際はなかなか間近では見られないものなのです。 鯨は一度海面に息つぎに出ると、その後はまた海中深く潜り次に海上に出るのは約10分後です。 鯨が浮かび上がっても尾ひれを翻して海中に沈んでいくのはまれで、三角尾ひれのよくある写真は滅多にないシャッターチャンスと知りました。 小船の船長さんは、方角を時計の文字盤になぞらえて船首を12時、船尾を6時と読み替え、「はい、今3時の方向にいますよ、次は後ろ7時の方向だ」と教えてくれます。 そのたびに私たち船客はあっちを見たりこっちを見たり、しかも鯨が海面に浮上するのは一瞬ですから、振り向いた時にはもう見えなかったり・・・ そんなホエールウォッチング体験でした。 次に遊覧船が向かった先は、父島の南の端、そう、前日トレッキングで歩いた千尋岩でした。 鉱物を含んだ赤色の大岩が確かにハート型に見えたので、嬉しくなって年甲斐もなく両手でハートをつくり、記念写真を1枚、パチリ。 また、岬の先にある無人島の南島に上陸しました。 この島へは東京都認定のガイドの同行が必要とされ、とても魅力的な景観や浜辺に散らばった絶滅した貝の化石等を楽しみました。 小笠原諸島は一度も大陸と繋がったことのない海洋島で、それだけに地質学的にも生物学的にも貴重な島だそうです。 島で買い物をするとビニール袋は要りますかと聞かれ、山もそうですが貴重な海を文明汚染から守りたいという島の人々の意識の高さを感じました。
スタジオレポート第83号:「小笠原紀行 その3・星空ヨガとトレッキング」2019. 3.1 小笠原での宿は港通りからはずれた山のふもとの隠れ家的なペンションでした。 たまたま旅行会社が手配してくれた宿でしたが、誰もが「あそこのご飯はおいしいよ」と言うとおり食事はどれも絶品、オーナーが脱サラをして小笠原に赴いただけのことある見事な包丁裁きでした。 さらに驚いたことは、部屋の間取り、なんとベランダにバス・トイレがあるのです。 ベランダは裏山に面していて覗かれる心配はないものの、その開放感ありすぎにはびっくり仰天しました。 さて、美味しい夕食のあと、小笠原上陸第一夜は星空ヨガを体験しました。 ペンションから歩いてほんの10分位のところに小港海岸というとても美しい小さな入り江があり、夜の砂浜でヨガができるのです。 インストラクターのお姉さんの案内で浜辺に着くと、すでに幾つかの小さな明かりが点りヨガマットが準備されていました。 空には煌々と点る満月と星屑、耳には寄せては返す波音、インストラクターの囁きかけるような声―長年ヨガをしてきた中でもとても希有な体験でした。 天と地との間で自分は限りなく小さく、宇宙は果てなく無限だと実感できました。 さて、翌日はハートロックへトレッキングに出かけました。 あわてんぼうの私は、これを旅行社のパンフで見たときハードなトレッキングと飛ばし読みしてどんなきつい山かと覚悟していたのですが、実はハート型の岩のある岬へトレッキングするということだったのです。 世界自然遺産の山へ入る登山道の入り口には、外来種の害虫侵入を防ぐため、靴の泥を落とすようにと注意書きもありました。 よく日焼けしたガイドの青年に連れられて藪深きジャングルへ、途中、天然記念物のアカガシラカラスバト3羽が近くの枝に止まりました。 ガイドさんによると、こんな近くで見られるのはとても珍しいとのこと、ラッキーでした。 ジャングルを抜けたら急に視界がひらけ、そこは大海原に突き出た岬、千尋岩(ちひろいわ)の真上でした。 ハートロックとはその異名ですが、海上からこの千尋岩を見ると赤いハート型をしている故に近年名付けられた名前ということで、それは翌日のお楽しみに。 吹きすさぶ風を全身で受け足元には太平洋、圧巻でした。
スタジオレポート第82号:「小笠原紀行 その2・戦跡ツアー」2019.2.28 小笠原上陸一日目の午後は、戦跡ツアーに出かけました。 小笠原は自然が素晴らしいというくらいのお粗末な知識しかなかった私は、この半日オプショナルツアーに大きな衝撃を受けました。 待ち合わせ場所に現れたのは、荒々しい風貌の奥に柔和な目が笑う70代後半のおじいさん、ガイドの板長さん(屋号)でした。 最初は岬の展望台で地形の説明を受けたり、道路沿いの山肌の洞穴が旧日本軍の遺構だと聞いたりするだけかなと思いました。 ところが、板長さんは山の中腹で車を止め、当たり前のようにペットボトルと懐中電灯を私達に渡してずんずんジャングルに入って行きました。 山腹の至る所に点在する防空壕跡、迷路のように奥深く伸びるトンネル、そして海に向かって突き出た高射砲の残骸や朽ち果てた軍用自動車、割れた食器類、ビール瓶など、生い茂った草木の下にはまるで終戦の時から75年の時が止まったかのような遺物が残っていました。 太平洋戦争末期、日本軍18000人、アメリカ軍6000人の死者を出した硫黄島玉砕の後、日本軍は次は小笠原かと思い込み2万人の兵力を送り込みました。 しかし、アメリカの空軍力はその思い込みよりはるかに優秀で東京まで爆撃機を飛ばす能力を備えていたのです。 そのため父島空爆はあったものの地上戦にはならず、終戦と占領時代を経て、山中の戦跡はそのまま歴史の空白に置き去りにされました。 昭和43年に小笠原が返還されたあと島を訪れた戦友会や慰霊団の面々から伝え聞いた話をもとに、板長さんは一人で山の中に何ヶ月も通い続け、戦いの遺構を掘り当てたと言います。 それらを巡りながら「ここは兵舎があった所、あそこは参謀会議が行なわれた石の円卓・・・」と話す板長さんの背後に、汗まみれに行軍している兵士達の幻影が見えたような気がしました。 板長さんの左手は、前日に山の中の遺構を探すうちに崖から足を滑らせて怪我したという真新しい絆創膏が貼ってありました。 「よくそれだけの軽傷で済みましたね」というと、「まだまだ死なせてもらえませんのや。」と笑います。 以前、映画『硫黄島の戦い』の撮影があったとき、板長さんは昔撮影所で板前をしていたつてを頼って、父島の戦跡を見に来るようにと出演者に手紙をだしたそうです。 「高倉健は来たけど、渡辺謙はこんかったなぁ」とつぶやく横顔に、語り部としての彼の心意気を感じました。 ともすれば普段は忘れがちな戦争の記憶に直にふれることのできた体験となりました。
スタジオレポート第81号:「小笠原紀行 その1・神秘の島小笠原へ」2019.2.26 ずっと憧れていた島―小笠原諸島は気軽に行ける近場の海外よりもずっと遠い日本でした。 その遠さは、東京竹柴埠頭から船で片道24時間、飛行機便はなく、しかも小笠原丸は週に一往復するだけ。 すなわち木曜朝11時に出て金曜に父島に入港し、月曜3時半に出港して火曜に東京に帰着するというものです。 つまり小笠原を訪れようと思えば最低6日間確保しなければならないのです。 でもそれを補ってあまりある素晴らしい島旅でした。 絶海の孤島故に、世界自然遺産として多くの固有種を育む風土、空と海、風と太陽、夜の闇と星月夜を満喫しました。 約600人定員の船は滋賀県の高校の修学旅行や大学生の卒業旅行等多くの若者と、トレッキング目的の中高年客でほぼ満員、若やいだ船内でした。 生憎、夜になって外海に出ると船は少し揺れましたが、翌朝には波も収まり好天の遙かな水平線上に島影が見えてきました。 小笠原の歴史は1800年代に欧米の捕鯨船や日本近海を往く船が嵐に遭い漂着して発見されたことに始まりますが、長い船旅の末にぽつぽつと島影を見つけたときの安堵感はわかるような気がしました。 それにつけても、江戸時代末期に島に上陸したのが小笠原家の家来ということで、いち早く「ここは日本国である」との道標を建てたのは先見の明がありました。 その後入植した人々はかぼちゃ等南国野菜の栽培でもうけて、明治時代一時は7000人の人口を擁するほどになりました。 しかし敗戦を経て戦後はずっと長くアメリカの占領下にあり、昭和43年にようやく日本に返還されたそうです。 昨年は返還50周年にあたり、小池都知事を迎えてイベントも行なわれたとのこと、そういうわけで上陸した街並みはとてもアメリカンな雰囲気、まるでハワイと見間違えるかのようでした。 でも住所は東京都小笠原村、走っている車は品川ナンバーです。 また、驚いたことに現在、人口約2500人の父島の平均年齢はなんと38歳! ペンション経営や自然ガイド等、それぞれの思い入れがあって脱サラをして島の仕事に従事している若い島民が多いからです。 そんな小笠原の旅をこれから数回に分けてレポートしてみたいと思います。
スタジオレポート第80号:「新しい時代に向かって」2019.1.18 新しい年が明けて、スタジオ通信も80回めとなりました。 5年前スタジオを開室したときに、皆さまへダンス情報を提供できればと思い、ホームページの一隅を借りて始めたスタジオ通信が いつのまにか80回も重ねていたとは驚きです。 ここ最近はダンス情報の提供というより、私の個人的な出来事や旅日記にお付き合い頂き恐縮しております。 それでもスタジオ通信を読むのを楽しみにしているという奇特な方もおられのでうれしいです。 季節のこと、旅先で見知ったこと、日々感じたことなどこれからも書き連ねて参りますので、どうぞよろしくお願い致します。 さて、今年の4月ではいよいよ平成という時代が終わります。 この30年の間の自分史を振り返るとき、皆それぞれに深い感慨が胸中に去来することでしょう。 その中でも特に悲しい出来事の一つが平成7年1月17日の阪神・淡路大震災でした。 私は震災記念日前日の16日、ふと脈絡なく今年こそ三ノ宮東遊園地の追悼の集いに行こうと思い立ちました。 これまでもニュース報道があるたび、いつかその場に立ってあの日とその後の自分を胸に刻み直したいと思っていましたが、 今回のそれは強烈でした。明日行かなければ私は一生行けないだろうと。 最寄り駅の始発に乗りましたが5時46分の黙祷には間に合わず、会場に着いたのは6時過ぎでした。 まだ暗闇の下、無数のろうそくの点る公園はいっぱいの人垣にも拘わらず厳粛で、まさに祈りと悲しみと善意の場でした。 ろうそくの灯のゆらぎを見つめていると、この身体の奥にしまわれた魂の声に耳を傾けたい気持ちがふつふつと湧いてきました。 会場には子供連れの若い家族もたくさんいて、人々の追悼の思いの深さにふれることもできました。 年月を隔てても消えない無念さと悲しみは、そこに立つ者を浄化し、謙虚さを呼び起こし、愛を深くしてくれることを肌で感じた夜明け前でした。
スタジオレポート第79号:「今年をふりかえって」2018.12.29 今年も早、歳の瀬を迎えました。 11月11日に秋のダンスパーティを終えてから、本当に日の過ぎるのが早くてあっという間に大晦日が目の前です。 今年はいろんな意味で波乱の年、世界情勢もさることながら、日本国内でも6月18日の大阪北部地震、7月初めの岡山四国の大雨洪水、 そして9月4日の台風による風災と停電断水など自然の脅威に市民生活が脅かされた一年でしたね。 でもおかげさまでスタジオ関係者の方々は大過もなくご無事でいらして、とてもありがたいことだと思います。 個人的な出来事では、春と秋に恒例のダンスパーティを開催できましたし、北海道と南西諸島に旅行に出かけました。 北国や南の離島それぞれにその土地に根ざした様々な暮らし方にふれましたが、現地の人々はいつも温かでした。 意外だったのは、旅先でのガイドさんやお店の人の中に都会からやってきた人が多いことです。 UターンでなくIターン組というそうですが、台湾との国境の島与那国島のガイドの男性は箕面市出身、阪急電車の駅名を口にするとなつかしいと喜ばれました。 「この離島にいても何も不便はない、街の空気を吸いたくなったら石垣島へ行きますよ」と屈託のない言葉、田舎志向の若者がいることは頼もしいです。 また、今月はパシフィックビーナスのクリスマスクルーズや、茨城県つくば市に出かけたりしました。 皆さまにとりましても、穏やかな年末年始でありますようにと願っております。 来年もよろしくお願い申し上げます。
スタジオレポート第78号:「国境の島、与那国島」2018.11.30 11日の御影公会堂ダンスパーティはおだやかな晴天に恵まれ、多数のお客様とともにダンスタイムを楽しむことができました。 ベニーズワルツのデモやスローやルンバのフォーメーションもうまくいき、いつものことながら厚く御礼申し上げます。 さて、先日私は南西諸島を旅してまいりました。 旅行社のパンフレットに「日本最南端の波照間島と最西端の与那国島を巡る旅」とあり、彼の地にぜひ行こうと迷いなく決めました。 昨今の離島ブームにのっかったみたいですが、与那国島へはある思いがありました。 まだ小学生だった頃、図書室で何気なく昆虫図鑑をめくっていたとき、あるページで手が止まりました。 世界の珍しい蝶や甲虫類の次にこわいもの見たさでめくった蛾のページで、世界最大の蛾として「ヨナクニサン」がいました。 蝶より蛾に惹かれるなんておかしいですが、その蛾の上品なベージュの色合いと羽の模様がなぜか強く子供心に残りました。 それから半世紀以上たち、旅行社の広告を見た途端、その記憶が蘇ってきてしまったのです。 ヨナクニサンは、南西諸島に生息する種ですが、与那国島のそれは羽を広げると25~30センチにもなり、蛾としては世界最大です。 幼虫も羽化直前は10センチにも上る巨大な毛虫となりますが、成虫は口がないので羽化してわずか5,6日後には餓死します。 わずかなその間に交尾して産卵せねばならないのです。 でも、羽化するとき木の枝につかまりそこねて地面に落ちると、大きすぎて飛び上がれないため交尾もできず死んでしまうそうです。 そんな事前知識を得て、巨大で切ないモスラにますます会いたくなってしまいました。 生憎、旅先のお天気はもうひとつで、波照間島への船は欠航、与那国島には上陸できたものの最果ての見事な夕日も極上の星空も、 さらにはお目当てのヨナクニサンにも旅程コースに昆虫館見学が入っていなかったため出会えませんでした。 でもグラスボートでみた海底遺跡には感動しましたよ。はるか昔の人造物が地層の隆起で海底に沈んだのですから。 ぜひ次は生きたヨナグニサンと波照間ブルーといわれる青い海を見るため、リピーターになるつもりです。
スタジオレポート第77号:「秋冷」2018.10.15 一雨降るたびにひんやりとした大気がおりてきて、月の光は冴え冴えと、夕焼けの残照はいよいよ朱くなりました。 この1年も終盤に入りました。時の移ろいは本当に早いものです。 おかげさまで、この10月でグリーンスタジオは開室満5周年を迎えました。 もうそんなにたったかのかと、我が事ながら驚いております。 言うまでもなくここまでこれましたのも、ひとえにスタジオに足を運んで下さる皆さまのご尽力の賜物です。 改めて厚く御礼申し上げます。 来る11月11日には御影公会堂にて秋のダンスパーティを予定しております。 この会を僭越ながらグりーンスタジオ開室5周年記念パーティとして、皆さま方にダンスを楽しんで頂きたいと存じます。 また、JBDFは社交ダンスがもっと一般に普及することを目的として11月29日を「ダンスの日」と定めました。 11月29日は明治初期に初めて鹿鳴館で舞踏会が開かれた日とか・・・、それにちなんでその前後のダンスパーティには 下記のようなポスターを提供しています。 なにはともあれ、ベニーズワルツの似合う舞踏会にふさわしい素敵な会場です。 ぜひともお友達お誘い合わせの上、お気軽におこし下さい。
スタジオレポート第76号:「船を出すのなら九月・・・」2018.9.22 猛暑がようやく去りほっとしたのもつかの間、何十年かに一度の強烈な台風21号が近畿地方に襲来しました。 当日は昼頃までただの蒸し暑い天候でしたが、昼過ぎからの3~4時間は瞬間最大風速50メートルにも達する 風が吹き荒れ、近畿地方に大きな災害をもたらしました。 関空の高潮被害や連絡橋にぶつかったタンカー事故の影響で関空が海の孤島になり、電柱が破損した 影響で京阪神では停電が長引きました。 それにしても市街地の停電が復旧するまで数日間かかるなんて、幹線道路の信号がつかない状況なんてこの現代にあって いいことなのかと、危機管理の甘いインフラ整備しかしていない行政と治山治水に心を向けない政治家に憤りさえ覚えました。 スタジオの入るビルも丸2日たってようやく、関電の作業車がビル前の電柱の前に到着しました。 それまでビル内のテナントも住居もずっと停電と断水(水道は直結ではなく本管からポンプで揚水しているので)を強いられており、 電気のきた木曜日に私は初めてぐっすり眠れました。 台風1週間後もまだ停電中の地域があり、大水被害の中国地方、地震被害の北海道など、ほんとうに気の毒です。 台風から2週間たち、屋根瓦修理の手配や保険金請求等一段落して、スタジオレッスンも平常に戻りました。 ふと気づけば、夕暮れがとても早くなり、漆黒の闇の底から虫の声が届いてきます。 そんな夜は早めにテレビを消して何もしない時間を過ごすのがいいですね。 九月は季節の変わり目、中島みゆきのずっと前の唄に「船を出すのなら九月」という曲があります。 恋を手放す張りつめた哀しみと後ろを振り返らない潔さが胸にしみてくる歌詞です。 船を出すのなら九月 誰も皆 海を見飽きた星の九月 人を捨てるなら九月 人は皆 冬を見ている夜の九月 あなたがいなくても 愛は星の数ほど 砂の数ほどある・・・
スタジオレポート第75号:「盛夏に寄せて」2018.8.18 秋立てば それに従ふ 天地かな 星野椿 盆三日 しずまりかへり 雀蜂 斉藤美規 打揚げ花火 天上には至らざる 平畑静塔 今年は記録的な猛暑とそれに関わる異常気象で、今までに経験ないほどの本当に厳しい夏ですね。 立秋の7日あたりはまだひどい暑さでしたが、お盆の入りには蝉時雨が間遠になり、処暑となると北国へ去った台風が 涼やかな大気を連れてきてくれました。 こんな波乱の今年の夏は平成最後の夏ということになります。 戦没者追悼式では平成天皇の最後のお言葉もさることながら、両陛下が退場間際に遺族席へ向けられた眼差しが印象的でした。 今年は戦後73年ですが、明治維新から日米開戦へも73年だったそうです。 私の老母は終戦の日、清水谷高等女学校で勤労奉仕に出ていた時玉音放送を聞いて、明日から空襲がなくなるのがただ嬉しかったと・・・。 大阪市内から自宅のある徳庵へ歩いて帰る道も遠いとなんて思わなかったと言います。 そんなたいへんな時代のすぐ後に自分が生まれ、高度経済成長の恩恵に浴して勉強や遊びを充分させてもらえたと今さらながらに思います。 お盆の明けた16日の朝、足の悪い老母に代わりお寺の施餓鬼会に行くのに、ふと今年は小1の孫娘を連れていこうと思いました。 かつて幼い私が祖母に手をひかれ上った本堂の高い階段を7歳の孫を連れて上りました。 人生はこうして巡りゆくものなのですね。不思議な甘ずっぱい気持ちに満たされました。 でも、これは不思議でもなんでもなくて、遠い昔と遙かな未来から決められていたことなのかもしれません。 お寺のすぐ近くに旧開明小学校があって、昭和20年6月1日の尼崎大空襲の機銃掃射の弾痕跡がその塀に残っているのを孫娘に見せました。 私の祖父がこの空襲の時の怪我がもとで亡くなったことを話していると、通りがかりの高齢の女性に 「お母さん、子供に話してきかせてるなんて偉いねえ」と声がけされました。 一世代若くみられるなんて、ちょっぴりうれしかったです。
スタジオレポート第74号:「ドライアイス顛末記」2018.6.26 5月27日の「初夏のダンスパーティ」は、60人以上の参加者があり盛会の裡に終了致しました。 今回は賛助出演ありませんでしたが、私共のスタジオ関係者が各所にお声がけ下さったおかげで多数の方がお集まり下さいました。 いつも乍らのことですが、ご参加下さいましたお客様、ご協力頂きました皆さま方への感謝は言葉に尽くせません。 その中でも印象に残る出来事のひとつが、ドライアイスです。 暑い季節なので、おやつはアイスクリームと思いついたまでは良かったものの、スーパーで買ったアイスクリームを午後3時まで もたせるためには、どうしてもドライアイスが必要でした。 アイスクリームは零下21℃くらいなので、スーパーの持ち帰り用氷は役たたず、零下70℃のドライアイスでないとだめなのです。 そこで氷屋さんならわけてもらえるかもと近くの氷屋さんに電話したら、そこは「餅は餅屋」、ドライアイス専門の卸屋の 電話番号を教えてくれました。 早速電話してみると、相手は開口一番「なんに使うの?犬ですか、猫ですか?」「・・・ あの、アイスクリームなんですけれど・・・」 最初は何のことやらわかりませんでしたが、ドライアイスは葬儀会社が主たるお得意先だと遅まきながらやっと気づいたのです。 でもこちらの事情を説明すると先方はとても親切に日曜にお店を開けて下さり、アイスボックスへの詰め方等も教えて頂き、 無事に溶けずに会場の皆さまのお口に届いた次第です。 ドライアイス入手ひとつのことでも「窮すれば通ず」という諺を実感しました。 見ず知らずの者の問合わせやわずかな売り上げ(1キロ500円を3個だけ)にも拘わらず気持ちいい対応で、人の世の人情味を感じました。 商売上の関わりや一期一会であったとしても、人柄は自ずと出るものです。 振り返って己を省みた心に残る出来事でした。 スタジオレポート第73号:「Mother's Day」2018.5.16 この間まで泳いでいた鯉のぼりが青空から消え、早くも夏を思わせる太陽の光となりました。 5月の第2日曜は「母の日」ですが、今年は珍しく朝から土砂降りの雨。 でも、雨にもかかわらず花屋さんやケーキ屋さんの店先に人々が並んでいて、その背中に家族のおだやかな幸せが垣間見えました。 私事ですが、実は私は今年の母の日に89歳の老母にちょっと特別のプレゼントをしました。 1ヶ月前から母が古い和箪笥の中の着物を放り出してながめていて、その後片付けを私がせねばならなくなりました。 それも致し方あるまいと、気合いを入れて引き出しの中身を全部外へぶちまけたところ、なんと意外なものが三つでてきたのです。 私と妹の臍の尾が収まった小さな二つの桐の箱、おそるおそる中を開けると・・・、防腐剤の粉まみれの白い縮れた2cm位のひもでした。 後一つは昭和26年の消印のある茶色の封筒、中の手紙は母方祖母が母の結婚式前後にお婿さん(私の父)に宛てたお礼状でした。 嫁ぐ娘を思う心情溢れた60年以上前の手紙を読み、ありし日の祖母を思い出してとても暖かいものが胸にあふれました。 もちろんそんな物を残していたこと等忘れ果てていた母に、最近の写真と一緒にこの手紙をアルバムに入れてプレゼントしました。 「親孝行はされるよりする方がずっと幸せなのよ」という一文が読みかけの小説にもあって、季節外れの驟雨も気にならない母の日となりました。
スタジオレポート第72号:「花盛りの空へ」2018.4.3 厳しい冬の後に見事な花盛りの季節が巡ってきました。 冬の間寒さに凍えてじっと固まっていた花の蕾も球根も、一斉に目覚めて春の空を仰ぎます。 ぐっすり眠った翌朝の目覚めがいいように、植物もちゃんと眠ることでパワーを貯めるのでしょう、生命とはそういうものですね。 季節は進み、早くも4月になりました。 私の自宅の最寄り駅は阪急伊丹線の稲野ですが、毎年4月の朝夕は若人の声が通りに響き、静かな住宅街が若やぎます。 世界に誇る三菱電機の伊丹工場が付近にあって、稲野駅の近くには三菱の独身寮が何棟もあります。 その独身寮から職場への道筋に自宅が面しており、泊まりがけで研修中の新入社員の通勤の足音と話し声が朝7時前から私の寝室にも届きます。 これまでずっと男性の声と靴音だったのですが、ここ数年は女性の楽しげなおしゃべりの声とヒールの足音が主流でこれも時代の変遷でしょう。 その声も4月いっぱいまでで連休前に彼らはキャリーバッグの齣音を響かせて配属先へと散らばっていき、街は再び静かになります。 春は巡り、花も巡り、人も巡ります。 出会うことと別れること、終わることと始まること・・・人の想いをたくさん帯びて、春の夕闇はいっそうすみれ色に沈んでいきます。 スタジオレポート第71号:「三月三様」2018.3.7 この冬は例年になく厳しい寒波が相次ぎましたが、早くも3月となりました。 「3月はライオンのようにやってくる」というイギリスの諺があるそうです。 ライオンのように激しくという表現どおり、3月最初の日曜は20度にも上る気温、翌月曜日は雨風の嵐が吹き荒れましたね。 花粉症の季節でもありますし、急な寒の戻りなどにもお気をつけて下さい。 庭の小さな梅が盛りを迎えました。友人から届いた季節の写真と共にご覧下さい。
スタジオレポート第70号:「寒波到来」2018.2.7 青空のかなたに シベリヤ寒波来る 冬の夜の インターフォンに 風の音 宵の雨 いつしか雪に なりにけり (いずれも2月5日毎日新聞俳壇より) 暦の上では立春を過ぎましたが、2月に入って厳しい寒波が到来しています。 とくに金沢や福井など北陸地方の都市部は、記録的な大雪で都市機能が麻痺し、国道8号線では1500台もの車が立ち往生しているとか・・・ 本当にお気の毒としか云いようがありません。 雪国のことを思うと贅沢は云えませんが、阪神間でも久々に雪がつもり、実家の庭にある蹲いの流水がつららとなりました。 そんな中、スタジオ内は温かくて薄着でも大丈夫でとても助かります。 断熱がきいているだけでなく、皆さまの熱心さと温かいお人柄が室温を上げてくださるからでしょう。 レッスンでは、1月はサンバとスローに挑戦しました。2月はワルツとルンバを復習する予定です。 「5月27日三ノ宮クレアホール春のダンスパーティ」に向けて、地道に練習を積んで参りましょう。
スタジオレポート第69号:「ご挨拶」2018.1.17 ご挨拶がおそくなりましたが、新しい年になって初めてのスタジオ通信です。 本年もどうぞよろしくお願い致します。 以前に何かで読みましたが、日本のお正月のこのような挨拶の言葉は諸外国にはないそうです。 時の流れは直線的で、私たちの人生もいつかは時代の中に埋もれ、その時代も歴史の1ページとなっていくのでしょうが、日本人は どちらかというと直線的でなく円環的な時の捉え方をしていると思います。 新しい年を節目として、自分自身を見直し周囲に感謝を伝える挨拶の言葉をもっているのは、ほんとうに素晴らしい先人の知恵といえます。 「挨拶」という言葉を漢和辞典でひくと、「挨」の字は①ひらく ②強く進む ③互いに近づく という意味で、「拶」の字は①せまる ②おし開く とありました。 「挨拶」は、相手に近づいて関係を開き、相手から何かを引き出すというのが本来の字義ですね。 年の初めにあたり、今年もダンスをとおして皆さまと関わり、皆さまからいろいろなことを学べたらと願います。 いちばん寒さの厳しいこの時期ですが、ダンスで身体をほぐし、笑顔でこころをほぐして頂けたら幸いです。 さて先日、兵庫県立美術館のエルミタージュ展に行きました。 エルミタージュ美術館はロシア女帝エカテリーナ2世が財を尽くして集めたヨーロッパ各地の名画のコレクションです。 美術館の玄関に代表的な作品がパネルになっていましたので、ご覧下さい。(タイトルは私の記憶のかけらなので不正確です) スタジオレポート第68号:「日は巡り、日は過ぎて」2017.12.12 日は巡り 日は過ぎて またどの店も ポインセチアを置く頃となり 永井陽子 いまいまと おもふあいだに いまぞなく いまといふまに いまぞすぎゆく 良寛 皆さまのお支えのおかげで、この秋でスタジオ開設から満4年がたち、5年目に入りました。 先日終了した恒例の「グリーンスタジオの小さなクリスマスパーティ」も5回目を数えました。 内輪の20数名の会でしたが、水曜のグループレッスンクラスによる、チャチャチャとタンゴのフォーメーションもうまくいきました。 スタジオの植物も5年の間にいつのまにか大きく育ちました。開設時の写真と比べてみたら驚きです。 パーティを終えて一息、今後は忘年会、クリスマス、年賀状、大掃除、年末の買い物とますます追いかけられての半月です。 もとより時の移ろいに抗う気などなく、せめて今を大切に生きたいと願っております。 でも上に掲げた歌のように、何かと忙しい現代人だけでなく、何百年も前の良寛さんも同じ実感をもっていたとは興味深いことです。 時代や境遇が違っても、人は老境にさしかかると皆このような心持ちになるものなのでしょう。
スタジオレポート第67号:「晩秋から初冬へ」2017.11.20 やさしい手 (産経新聞 朝の詩より 岡山市中区 高山秋津) 知らない間に 季節は 密度を濃くしていた ひとり一人に 空が青い ひとり一人に 日差しがまるい ふと やさしい手が私の背に 添えられていることに 気づいた 秋の 大きく静かな手ー 早いもので、御影公会堂のダンスパーティを終えてあっという間に1ヶ月がたちました。 私なりの大作であった「レントラー」を無事踊り終えほっとしたせいか、毎日のことだけを追う比較的のんびりした日々を過ごしております。 クリスマスの来月までのつかの間、休日に出かけた紅葉狩りの写真をお届けします。
スタジオレポート第66号:「御影公会堂ダンスパーティを終えて」2017.10.20 早いもので、私共グリーンダンスメイトの主催する恒例の春と秋のダンスパーティは今回で7年目、12回めとなりました。 ここ数年は三ノ宮のクレアホールで行なって参りましたが、今回は田中先生のプロ活動20周年を迎え、目先を変えて御影公会堂を会場としました。 少し地の利もよくないので参加者数を心配しましたが、逆に御影公会堂なら行ってみたいという方々もおられて、60数名もの方々が来て下さいました。 御影公会堂はそのレトロな雰囲気もさることながら、音響や楽屋も素晴らしく、又昼食はオムライスで知られた食堂の仕出し弁当を手配できました。 私どものデモの「レントラー」はサウンドオブミュージックの映画の一場面をスクリーンに映した後に行ない、「こんなダンスは見たことがない」とお褒めの 言葉もたくさん頂きました。 夏以降いろいろ工夫を重ねながら取り組んできた甲斐あり、とても嬉しゅうございました。 20周年という田中先生の節目をまた新たなスタートとして、今後も素敵なダンスライフを皆さまにお届けしたいと思います。 ほんとうに有り難うございました。
スタジオレポート第65号:「レントラー」2017.9.15 ことのほか暑かった夏がようやく去り、秋めいた涼やかな大気の朝夕となりました。 春とはまた違う、実りをもたらす穏やかな生命力を9月に感じます。 ところで、このスタジオ通信のタイトル「レントラーって何のこと?」と皆さん、思われたことでしょう。 ただ今、放送中のNHKの朝の連ドラ「ひよっこ」は皆さん、みておられますか? ヒロインは昭和21年生まれの設定で、まさに我々が育った時代の風景やヒット曲が散りばめられたコメディタッチのドラマです。 その主題歌の作詞・作曲・歌い手が、サザンオールスターズの桑田佳祐で、これもなかなか軽快ないい曲です。 その歌詞の中に「あの日見てたサウンドオブミュージック、瞼閉じれば蘇る・・」とあります。 ジュリーアンドリュース主演のミュージカル「サウンドオブミュージック」を当時中学生の私は心ときめかせて、友達と見にいったものでした。 その中でトラップ大佐のお屋敷の舞踏会で、着飾った紳士淑女がワルツの調べにのって踊るのがこのレントラーというダンスです。 映画では、主人公の修道女マリアが夜のテラスでトラップ大佐と踊った時に思わずお互い見つめ合ってしまい、初めて恋心が芽生える素敵な場面です。 前置きが長くなりましたが、私はたまたまこの場面をYouTube動画で見つけ、この優雅なダンスをぜひ、秋の御影公会堂で踊ってみたくなりました。 後で調べてわかったのですが、この曲はヨーロッパでは一般にもよく知られており、結婚式のパーティで新郎新婦が踊ったりすることもあるようです。 もともとはドイツのアルプス地方に伝わる民族音楽の曲名で、ゆっくりした3拍子の曲は以後発展してウインナワルツとなりました。 映画では一部しか再現されていなかったのでまず1曲全部が踊られた動画をさがし、それを田中先生が振り付け全てを解析して下さり、 また音楽はサウンドトラック盤を探してCDをつくり、それから練習に入りました。 いつものダンスと違い、二人が離れて踊るダイナミックなステップや、4本の手を総動員して組み替えたりする動きは決して簡単ではなかったです。 大言壮語と笑われるかもしれませんが、たぶん日本のダンス教室では私共が本邦初演ではないかと自負しております。 このエレガントなダンスはきっと御影公会堂のレトロなフロアにとっても似合うことでしょう。 10月15日の御影公会堂・秋の舞踏会でご披露したく、ぜひ皆さまのおこしをお待ちしております。
スタジオレポート第64号:「京大白浜水族館」2017.8.16 8月はじめの大きな迷走台風5号が去って蒸し暑さが幾分収まり、カラリとした夏らしい暑さが戻ってきました。 この猛暑を避けたり、または夏休み中のお孫さんたちのお相手をするためにレッスンをお休みされる方もおられます。 私は先日白浜へ出かけました。訪れた水族館で見た、涼しげな海の生き物をご紹介します。
白浜といえば、、もちろん西行も歌に詠んだ美しい白良浜や円月島で知られています。 海はきれいでしたが、グラスボートや海中展望塔では数日前の台風の影響で水が濁っていてほとんど海底の様子は見えませんでした。 目の前の海は穏やかに晴れていたので、改めてこの広い海底の泥を吹き上げる台風の威力、自然の力を感じました。 円月島のすぐそばにある水族館に寄ったところ、これがなかなか拾いものでした。 最新の展示に丁寧な学術的説明がされていて、子供向けのガイドツアー等もあり、京大の研究機関としての意気を感じました。 (実際のところは、館内にエアコンがきいていて涼しいのが何よりでした) 波に揺れるイソギンチャク・・・・どんな小さな水の流れもとらえて触手を泳がせるその姿は見ていて飽きません。 ユーモラスな顔立ちでこちらにやってくるハリセンボン、そういえばテレビで人気者の魚博士「さかなクン」にとっても似ていましたよ。 それから大いに驚いたのが、透明なアクリル製の殻を背負ったヤドカリです。 ここではヤドカリの生態の研究をしていて、世界で有名な建造物の形の貝殻にヤドカリを住まわせ、ふつうでは見えない内部が見れるのです。 ふだんは隠れている身体の一部が見えるなんて、研究の一環とはいえ禁断の扉の中をのぞき見する気分になりました。(もちろんちゃんとグロテスクでした) でも、建物の屋根や教会の塔を背負ったヤドカリは、ガラスの城の主みたいに鷹揚にゆったりとしていて、優雅で誇らしげにも見えました。 スタジオレポート第63号:「歩行者天国」2017.7.31 皆さま、暑中お見舞い申し上げます。 例年のことですが、7月半ばの祇園祭から天神祭り、8月初めの淀川花火大会からお盆までの数週間は本当にこたえますね。 レッスンに来て下さる皆さんはスタジオに到着された時は汗だくで、猛暑の中でもおこし下さることを感謝しております。 さて、先日の日曜は、ここ甲子園口の駅前界隈でお祭りがありました。 たまたま外出の帰りにスタジオに立ち寄ろうとして駅の改札口を出たとたん、人出の多さと賑やかさにびっくりしました。 たくさんの屋台や出店、子供向きの金魚すくいやゲームコーナーが並び、生バンドの迫力ある演奏などをやっていました。 ふだんとは全く違う雰囲気は、きっとお祭りそのものが人々のエネルギーを予想以上にひきだす仕掛けをもっているからなのでしょう。 真っ直ぐに歩けぬほどの賑わいをしばらく眺めた後、一人だったせいか、暑さのせいか、年のせいか早々と退散しました。 お祭りは誰かと来てこそ楽しめるものなのかもしれませんが、夏にはじける子供たちのいきいきとした表情やビールを酌み交わす 人々の笑顔には元気をもらいました。 スタジオレポート 第62号: 「瀬戸内海―直島・豊島・犬島 現代アートの旅」 2017.7.3 梅雨の晴れ間をぬって、6月後半にもうひとつの島旅に出かけました。 行き先は、小豆島の西、岡山から船で渡る直島・豊島・犬島です。 ここは従前からの観光名所ではありませんが、知る人ぞ知る、現代アートが各所に展示されていることで近年話題になっています。 数年前に毎日新聞に連載された池沢夏樹の「アトミックボックス」という小説がとてもおもしろかったので、その舞台となった犬島に興味を 覚え、島がアートで町興しをしていること自体想像だにつかなかったので思い切って訪ねてみました。 岡山から在来線で宇野港へ、その後はフェリーで直島を目指しましたが、その車中では島を目指す外国人が多いことに驚きました。 SNSで情報を入手したアジアや西洋の若者や家族連れでしたが、彼らがわざわざ辺境の島に足を伸ばす理由は行ってみて納得できました。 まずフェリーの着いた直島で真っ先に目に飛び込んできたのが、水玉模様で知られる草間彌生さんの大きな赤カボチャのオブジェです。 その直島にはベネッセコーポレーションが資金を投じた高級リゾート・ベネッセハウスや安藤忠雄設計の地中美術館があります。 現代アートと体験型の美術館に、たくさんの絵画をみて回るという従来のイメージがたちまち払拭されてしまいました。 次に渡った犬島はいちばん離れた小さい島ですが、ここには1910年から10年間だけ銅の精錬所があったそうです。 そのレンガ造りの工場跡廃墟が今は、犬島精錬所美術館という摩訶不思議な空間となっていました。 内部は光と鏡のアートと三島由紀夫の住居からの移築物で構成され、現代社会のあり方に対する三島の強いメッセージが発せられていました。 また、島の村落では空き家や広場に作られたオブジェが点在し、昔と今が混在する午後を過ごしました。 三つ目の豊島(てしま)ではレンタサイクルで、純白の異空間の豊島美術館や人の心臓の鼓動が聞ける「心臓音のアーカイブ」等を巡りました。 実はこの島は、唯一真水の湧く島で昔から棚田広がる豊かな島でしたが、1980年代には産業廃棄物の不法投棄で荒廃したそうです。 1993年島民が立ち上がり、弁護士の故中坊公平氏の協力を得て2000年公害調停が成立し、それから17年後の今年3月ようやく汚染土壌の搬出が 終わったということを、帰宅直後の日曜日の新聞の特集記事で知り、なんというタイミングかと思いました。 島で出会った人々の話も興味深く、加えて苦節の公害訴訟の舞台が豊島であったことに内心おおいに驚きました。 きれいな海と空と棚田は地元の人々の不断の努力によって蘇った果実だったのです。心に響く、忘れ得ぬ旅となりました。
スタジオレポート 第61号: 「屋久島-縄文杉トレッキング」 2017.6.9 梅雨入り直前の6月はじめの週末にダンスレッスンはお休みを頂いて、縄文杉トレッキングに行って参りました。 作夏、クルーズ船に乗って訪れた屋久島で白谷雲水峡という峡谷と苔の森の半日コースを歩いてとても良かったので、 次に行く機会あればぜひ縄文杉トレッキングに挑戦したいなと心密かに思っていました。 でもその当てなど全くなかったのですが、知人の屋久島行きのグループに欠員が出て、天から授かった幸運でした。 人生には時折、思いもかけないことがおこります。 心の中でふと思ったことがまさか実現するなんて・・・、4年前にスタジオ開設の機会が来た時もそうでしたし、今回の屋久島もそうでした。 何かが心の中でパチンとはじけて、スイッチONになる感覚・・・・、ふだんは優柔不断で決められない私なのに、迷いはなかったです。 そう、屋久島から呼ばれているような気がしました。 そんなわけで、春のダンスパーティを無事終えた自分へのご褒美として2泊3日の旅に出かけました。 屋久島は伊丹空港からはプロペラ機で1時間あまり、10時過ぎに乗って屋久島のホテルでランチできる程近いんです。 1ヶ月に35日雨が降るといわれる屋久島ですが、梅雨入り前の絶好のお天気に恵まれ、廃線跡と急峻な山道往復の10時間でした。 樹齢7200年という縄文杉は奥深い森に老いた巨人のごとく静かに佇み、太古も今も変わらず枝を天に広げていました。 帰宅後、皆に「噂にきく縄文杉は神秘的だった?」と聞かれましたが、私はそれよりも無事たどり着いたという安堵感の方が強かったです。 20年近く前に山を始めた時からの憧れだった縄文杉に会えたこの旅は人生の大きな収穫です。 お誘い下さった方々と晴天に感謝し、私を屋久島に導いた大いなる力―その神秘を実感しております。。
スタジオレポート 第60号: 「幸せとは」 2017.5.10 風薫る5月、藤の花や花菖蒲の季節になりました。 ある晴れた日曜日さしたる予定もなかったので、ふと山歩きがしたくなり、近場の中山寺奥の院を往復して心地よい汗をかいたのですが、 中山さんの境内の掲示板にこんな文章がありました。 「幸せ」 人は、幸せを食べ物や物品とか、好きな人や音楽といった「自分にとって好ましいもの」を手に入れた時や体感した時に感じます。 「幸せ」とは精神的なもののはずなのに即物的なものや肉体的なもので感じる傾向があります。 そしてその多くはすぐ消え失せてしまいます。ですからもっともっと欲しくなります。 その結果「幸せ」と感じたものにたびたび押しつぶされそうになります。 本当の幸せは自分のコントロ-ルと豊かな知恵の上にやってきます。 なかなか考えさせられる文章で、私は掲示板の前でしばし佇み、2回読み返し、手帳に写しました。 そういえば若い時に欲しかったものと、今欲しいものは違ってきています。その変化は年を重ねたせいでしょう。 年をとることは、身体の衰えや記憶力・注意力の低下ではありますが、精神も内側から変化しているのだと思います。 年々細かいことがどうでもよくなると同時に、別の些細なことでは嬉しくなったり、落ち込んだりしています。 欲しいものが変わっていくことにちょっぴり誇らしさも感じているので、この先には解き放たれた世界があることを予感してます。 でも、「自分のコントロール」と「豊かな知恵」なんて私にはとてつもない難問で、それができなくて右往左往して毎日が過ぎていきます。
スタジオレポート 第59号: 「春愁」 2017.4.29 この春は寒さがいつまでも残っていたり、急に真夏日が訪れたり・・・と不安定な気候のせいで、思いのほか長く桜を楽しめました。 ソメイヨシノはすっかり葉桜になりましたが、先日出かけた奈良ではまだ八重桜が残っていて風に花吹雪が舞っていました。 日本の四月初めを彩るソメイヨシノは比較的新しい品種で、古来屏風に描かれたり、歌人に愛でられてきたのは実は山桜なのだそうです。 「いにしへの奈良の都の八重桜、けふ九重ににほひぬるかな」 伊勢大輔 百人一首より 「青丹よし奈良の都は咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」 小野老 万葉集より さて、季語「春愁」は春のぼんやりとした物思い、秋の「秋思」に対応しています。 入学式・入社式やそれに続くお花見・新人歓迎会のお祭り気分が一段落して、少し自分を取り戻すこの時期によく似合う言葉です。 花を待ち、人とのご縁に感謝する毎日ですが、ふと花疲れ、人疲れしている自分に気づく時もあって、これは春のせい、いいえ年のせいですね。 一人で過ごす時間も大事なもの・・・、そういえば次の句の 「孤り」の中には自立した気配が感じられます。 「春愁や 孤り(ひとり)と孤独とは違ふ」 田端美穂女
スタジオレポート 第58号: 「春にして思うこと」 2017.3.25 今年は例年になく春が遅くお彼岸が過ぎても朝晩冷え込むことが続いております。 でも花暦は梅から白木蓮へ、今はミモザや菜の花が満開で、あと1週間もすれば桜の花便りが届くことでしょう。 さて、今回のスタジオ通信のタイトルは「春にして思うこと」としました。 推理小説家アガサクリスティは、あまり知られていませんが殺人事件の起こらない恋愛小説群も書いており、 その中に「春にして君を離れ」があります。それとちょっと似てなくもないかな・・・。 ところで、最近読んだ小説の中に胸にしみる一文があったのでご紹介したいと思います。 「ひとつの道を歩み出すのもたいへんだが、その道を踏み外さず進み続けることも至難なことだ。」(宮本輝「花の降る午後」より) 「文芸とは・・(中略)・・芸とはテクニックのことではない。読者、つまり語りかける相手への、やさしさや愛情のあらわれが芸ではないだろうか。」 (同小説の巻末の高樹のぶ子氏の解説より) 〈泥の川〉や〈蛍川〉等の作家宮本輝氏は大阪や阪神間をよく小説の舞台とするので、私は好んで読んでおりますが、 中でも〈花の降る午後〉は神戸三宮北野町が舞台になっており、三宮や岡本の街などよく見知った街の情景描写が出てきます。 また、高樹のぶ子氏は恋愛小説の名手として知られていますが、以前心理学の本を書いた時に氏の〈億夜〉を引用した関連で お手紙を差し上げましたら、一介の読者に過ぎぬ私ごときにご丁寧なお返事を下さり恐縮したこともありました。 そういう名だたる二人の小説家の文章の中に、今の私にぴったりの文言を見つけてうれしくなりました。 スタジオ経営においては、「皆さまにダンスで楽しいシニアライフを送って頂きたい」との最初の志を踏み外さずに、 また、私共田中と福井がお届けするダンスは、ダンスパーティやスタジオに来られる方への感謝と親愛のラブレターとして修練して参ります。 スタジオレポート 第57号: 「春の足音」 2017.3.7 3月ともなると厳しかった冬がようやく遠ざかり、春の兆しがあちこちに見えてきました。 今の盛りは梅の花ですが、ここ数日の暖かさのおかげでミモザの蕾が一気にふくらみ始めました。 春はうららかなイメージですが、まだ3月はふたつの季節が混在して激しく変化する空模様です。 毎日新聞の季語刻々欄に梅にちなんだ短文が載っていて、面白かったのでのでご紹介します。 梅の精は美人にて 松の精は翁なり 夏目漱石 この漱石の思い、なんとなくわかる気がする。 そういえば、漱石の友人だった正岡子規は、美人を梅の精だと思ったことがある。 奈良の東大寺の宿で、10代の色白のお手伝いさんに柿をむいてもらった子規は、彼女の出身地が梅の名所月ヶ瀬と知り、 目の前にいるのは梅の精霊かもと思って呆然とした。(坪内稔典随筆「くだもの」) 梅も松も我々にはお馴染みの木ですが、その古木に精霊が宿っているとはさすが俳人ならでは感性ですね。 梅は可愛いらしく清楚でかつ凜とした強さも感じられ、凍てつく夜もあるこの季節にとてもよく似合います。 一方、松は男性的なイメージ、枝は歳月経て屈曲し、老成し円熟した古老の佇まいです。 老賢人は娘に知恵を授け、老人は娘から命の息吹をもらう、この組み合わせは古今東西の神話や昔話などにもよく出てきます。 今しばらくは、庭木に梅や松をみかけるたび、その幹の陰に誰かいないか目を凝らせてみようかと思います。
スタジオレポート 第56号: 「真冬の花たち」 2017.2.7 今年の立春、4日の土曜日はびっくりするほど暖かくて3月中旬の気温になりました。 米寿を迎えた私の老母が「立春の日は必ず晴れるんだって」と申しましたが、その言葉どおりの晴れやかな青空でした。 でも立春が明けた途端真冬の寒波が戻ってきて、陽射しは明るくなったものの不順な天候が続いております。 その寒風のもと、花たちはひっそりと、けなげに咲いています。 水仙も臘梅も満開、椿も咲き始めました。 新聞の歌壇に投稿されたきれいな歌をご紹介しますね。 「水仙の花は まはりの寒気より さらに冷たいひかりをもてり」 「太郎冠者 あけぼの 月光 細雪 つばきの花の季節は終わる」
こちらの田中先生は実は、ダンスだけでなく花にも一家言ある花おじさん、道ばたの花にも講釈が始まり、教えられること大です。 そういえばちょっと素敵な投句もありましたよ。 花の名前といえども軽んじてはいけません、こんないいことあるかもね・・・。 「花の名を 問うて こたへて 恋となる」 スタジオレポート 第55号: 「お御籤おみくじ」 2017.1.16 あの暖かだったお正月が嘘のように、ここ1週間、日本列島は大寒波に見舞われました。 センター試験の15日は阪神間でも一時吹雪になり、六甲の稜線は真っ白な雪雲にかすんでいました。 道ばたの水仙は早くも可憐な花をつけ始めていますが、あとしばらくは厳しい寒さを凌いでまいりましょう。 さて、お正月にちなんだ話題をひとつ、おみくじのことです。 三が日の最終日、芦屋川から高座の滝を抜けて風吹岩へのコースを歩いてきました。 冬枯れの山道の脇には、命の芽吹きを感じさせる青々と茂ったユズリハの木もありました。 岡本の保倉神社へ下りて、社務所で初詣のお神籤を引こうとしたら、お神籤箱がふたつあります。 巫女さんが、運をつかみたい人はこっちの箱から、運を引き寄せたい人はそっちの箱から引いて下さいと言います。 なかなかこれは奥深い選択だなと思いましたが、私は何となく〈運をつかみたい人〉方の箱を選びました。 帰宅してじっくり考えると、運をつかみたい人はたぶん自分の課題や目標なりがはっきりしている人で、 運を引き寄せたい人は流れに沿う中で幸運や良縁に与る人なのではないでしょうか。 というわけで、あまり深く考えもせず選んだ〈運をつかみたい人〉の箱でしたが、今年は何事にも積極策でいきなさいという示唆なのかもしれません。 そして引いたお神籤の運勢は中吉、添え歌は「とりどりの 花咲き匂い 鳥鳴きて 心ゆたかに 野に遊ぶかな」 でした。 これは私にとって嬉しいご託宣、今年は積極的に山や野に出かけてリフレッシュしようと思います。 また事業(スタジオについて)は、「心を引き締めれば栄えます」とあったので、初心にかえって精進致します。 スタジオレポート 第54号: 「初心にかえって」 2017.1.10 皆さま、あけましておめでとうございます。 今年は本当に穏やかなお正月でした。 風のない晴天続きで今日の十日戎まで雨だったのは8日の日曜日だけ、午後のあたたかい日差しに気持ちも柔らかに和みますね。 好天に誘われて出かけた街角のお寺の前で、「今年こそ初心にたちかえって生きよう」と年初にふさわしい法語を見つけました。 ダンスを始めたばかりの頃のわくわく感、プロ資格を取ろうと決意したときの真摯な気持ち、スタジオを開いた時の喜び等が ダンスに対する私なりの初心です。 それらにもう一度たちかえって目の前の些末なことに惑わされたり、ぶれることなく、皆さまのダンスライフの充実をお手伝いさせて 頂けたら幸せです。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 スタジオレポート 第53号: [グリーンスタジオの小さなクリスマスパーティ第3回」 2016.12.20 早いもので今年も後わずかとなりました。 クリスマスからここしばらくは暖かい日が続いて身体が楽ですが、天気図では次の寒波が日本列島を狙っているようです。 毎年思うことですが、25日が明けると1ヶ月前からの浮かれ気分が鎮まり、自分をちょっと取り戻せたような気がします。 でもお正月は目の前、年賀状やら大掃除やらの仕事が山積でいよいよ忙しくなりますね。 さて、先日の11日にはスタジオ開設3周年を兼ねたクリスマスダンスパーティと引き続いてのスタジオ忘年会を行いました。 忘年会の談話の中で、海外クルーズに行くという方がおられ、その方に「ぜひ和服をおもちなさい、外国人の男性の憧れの的だから」 とおっしゃる方がおられました。 そう言えば9月に観戦した三笠宮杯競技会でも、一般参加タイムに和服で踊る女性姿は注目の的でした。 草履で踊れるダンスは限られますし、旅行鞄の中にお着物を入れるのもたいそうですが、着付けが簡単にできる和服もありますので、 海外クルーズではチャレンジしてみて下さい。 スタジオレポート 第52号: 「エレガンスの本質とは」 2016.11.5 秋はどんどん深まり、阪急電車の駅の広報板には紅葉狩り便りが掲げられました。 気温変化に身体がついていかず風邪など体調を崩しやすい気候ですので、皆さまくれぐれもお大切に。 さて、スタジオクラスでは12月11日のクリスマスパ-ティに向けて練習を始めました。 どんな演目かは蓋をあけてのお楽しみに。(実のところは、後1ヶ月で仕上がるかどうかわかりませんので・・・) ところで、今日は常日ごろ私たちが感じていることをこの場を借りて述べてみたいと思います。 先日のパーティでも散見したことですが、いくらかダンスに自信のある男性が初級者の女性に足型などを 教えていることがあります。 私見かもしれませんが、パーティはあくまで出会いと社交の場、ダンスレベルを問わずその場に集う紳士淑女が ダンスを楽しむひとときです。 男性の側からすれば、自分の知っている足型のリードが伝わるかどうかの絶好の機会かもしれませんが、 相手の女性が戸惑っているなら、即座に相手の技量にみあった足型をできるだけ採用するように考えを切り替え、 女性が和やかな気持ちを持続できるよう配慮することが、男性としてのエレガントさではないでしょうか。 たとえ女性の方が興味を示したとしても、流れているダンス曲に逆らって教えている様子は衆目を引き不自然です。 ひととき日常から離れてドレスを身にまとい音楽や社交を楽しみたいと女性たちは足を運んでおりますので、 そこのところを大切に扱って頂きますよう男性方にお願い致します。 次は女性の方へのお願いです。 これは私どものパーティに来られる女性の中には決しておられず、他のパーティ会場にいる一部の女性の話です。 男性方の本音としてよく聞く話に、女性から「あなたとは踊りたくない」といわんばかりに断られたり、 ふれあいタイムの際に順番をずらすなど露骨に意思表示されて深く傷ついたと経験があるとのことです。 ご存知のように、男性は女性の何倍も習熟に時間と努力が必要です。 先ほども述べた通り、誰もがダンスを楽しむために来ているのですから、相手のプライドを傷つけるような言動を 知らず知らずしていないか自己チェックしてほしいものです。 またペアで参加するカップルの中には、同伴者以外の人とは踊らない人も見かけます。 これも社交の場としてはおかしなこと、相手の同伴者に一言ことわった上で誘ったり、自分の同伴者に 一言声がけしてから誘いに応じたりという柔軟性をもちたいですね。 お互い楽しく、気持ちいい時間にするよう心がけることが、本当のエレガンスの出発点ではないでしょうか・・・。 スタジオレポート 第51号: 「第10回記念ダンスパーティと今後に向けて」 2016.11.3 あの暑かった10月が嘘のように11月に入った途端気温が下がり、冬支度が間に合わない昨日今日です。
スタジオレポート 第49号: 「ダンスナイト in Pacific Venus クルーズ」 2016.8.16 ここ数週間たいへんな猛暑が続いております。 それでもお盆が明けると、朝の蝉時雨はなくなり夜には庭先でオケラがチチチっと鳴くようになりました。 スタジオレッスンのお盆休暇の間にわたくしはちょっぴり贅沢をして参りました。 パシフィックビーナスという26000㌧のクルーズ船に乗り、3泊4日で瀬戸内海から屋久島に行ってきました。 ツアー自体は夏休みのファミリー向け企画だったのですが、大人向けの夜のダンスナイトも興味深かったです。 600余名のほぼ満員の乗客でしたが、お子様向けプログラムが終わったあとの夜のダンスフロアに足を運ぶ大人はとても少なくて20名足らず、 ダンスアテンダントさん男性3名、女性1名でしたから、たっぷり踊れました。 彼らはダンスの前後は実に礼儀正しくて感心しました。 たとえば1曲終わるたび女性の左手をとってきちんと座席まで送り届けて下さり、相手に応じてステップを選んでおられました。 全くダンスを踊れない人には実に簡単な足型で相手を動かしておられたし、少し踊れる私にはスピン等を多用されていました。 しかし踊って頂けるのは判で押したようにたった1曲限りでした。 混みあっているならともかく、空いているのに1曲限りとは何か物足りない感じがしました。 いろんなクルーズ船に何度乗っておられる女性によると、この船のフロアがいちばん踊りやすいとのことでした。 瀬戸内海の周防大島で海水浴を楽しみ、屋久島ではトレッキングに挑戦して真夏の夜の夢のような4日間はあっという間に終わりました。
スタジオレポート 第48号: 「有馬ダンスパーティ」 2016.8.3 皆様、暑中お見舞い申し上げます。 先日スタジオレッスン中に表のインターフォンが鳴って出てみましたら、二人の若者が立っていました。 聞けば関西学院大学人間福祉学部社会起業学科の学生さんで、商店街の町興しのため各店舗のPRボードを店先に貼らせてほしいとのこと、 その趣旨を折り目正しく説明する男子学生さんでしたので、母校の後輩の頼みとあらばとグリーンスタジオも協力することにしました。 30字以内でその店の「売り」となる文言をということで、迷わずスタジオ内ピアノの上の額に掲げた言葉にしました。 「歩み寄る人には安らぎを、歩み去る人には幸せを」という聖書の一節です。 日本の諺の「来る者拒まず、去る者追わず」とよく似た意味ですが、聖書の言葉には処世術を説いた日本の諺以上の何かがあるように感じます。 出会いも別れも人の世の常ですが、それも縁があってのこと、そのこと自体を丁寧にあたたかく見つめているこの文言の方が奥深く豊かです。 早速翌日にはPR板が届けられましたので、ここ1ヶ月ほどはビル入り口の扉に貼っておきます。 さて、7月末日には、恒例の有馬温泉でサマーダンスパーティと親睦会を行いました。 内輪の20人ばかりの集まりでしたが、和やかにダンスを楽しんだ後は美味しい鍋料理を囲みました。 私共はミニデモとして、昨年来テーマとして取り組んでいるシークエンスダンスのブルース(パルモラルブルース+サウンターツギャザー)を踊りました。 優雅で簡単そうに見えるけど、意外に集中力と練習が必要な演目です。(動画集にUPしますのでご覧下さい) またスタジオでは、10月30日の秋のダンスパーティに向けてライラックワルツの練習も始めました。 素敵なシークエンスダンスがたくさんあることを広く知って頂きたく、レッスン生の皆様にはご協力をお願いしております。 今後もご一緒におつきあい下さい。 スタジオレポート 第47号: 「桔梗寺」 2016.7.16 7月に入った途端、猛暑と梅雨末期特有の蒸し暑さと相俟ってこの先どうなるかと思いましたが、夏休みに入る海の日前後からは 昼間の日差しは厳しいものの朝夕はからりと涼やかな日が続き、過ごしやすくて助かっております。 さて、スタジオではここのところ立て続けに新しい方が数人おみえになり、新鮮な空気が吹き込まれました。 今までも見よう見まねでダンスは踊ってこられましたが、同じ踊るならちゃんと習いたいというモチベーションをもっておられる方々なので、 こちらもこころしてダンスの基本の足運びや用語を説明しますと、感心して吸収して下さるのがまた嬉しいです。 「人脈とは広めるものではなくて、深めるもの」という言葉を聞いたことがあります。 何かしらのご縁があって出会いを賜ったのですから、皆様がよりダンスを好きになって下さるよう精一杯のお手伝いをするつもりです。 先日、京都亀岡市の山里にある谷性寺に今が盛りの桔梗を見に行きました。 この寺は山崎の合戦で討ち死にした明智光秀の首塚があり、明智家の家紋である桔梗の花が咲き誇る桔梗寺として有名です。 私は、若い時からずっと桔梗の花に心惹かれておりましたが、ここを知ってからは夏が来るたび訪れるようになりました。 住職様が白いものや八重咲きのものもあると教えて下さいましたが、やはり私は一重のシンプルな花姿が好もしいです。 それにつけても、夏に向かう花は芙蓉にしろ、百合にしろ、桔梗にしろ、力強さというか強靱さがありますね。 つい春先までは根っこばかりの状態でしたが、その間に力をためておいたのでしょうか、夏になると咲く花は生命力そのものです。 その中でも桔梗は楚々として気品があり、ひときわ高貴な風情があるように感じます。 「幼子が触れなば ポンと良き音がして 咲きそうな桔梗の莟み」 京都市 五十嵐幸助 (H28.8.1 毎日 俳壇) スタジオレポート 第46号: 「パソコン受難」 2016.7.3 長らくスタジオ通信の更新をしておらず、2か月ぶりにお便りできてとてもほっとしています。 ご存じの方も多いと思いますが、例のマイクロソフト社のウィンドウズ7から10への強制バージョンアップのあおりを受け、わたくしも右往左往しておりました。 事情をお話ししますと、ある日Win7からWin10への自動切り替えがあり、それはそれで仕方ないと思ったのですが、なぜかパソコンの音声がテレビモニターから 出なくなり、皆様に動画などお見せするのに不便だとあわてました。 ちょうど新聞にWin 10からWin7へ戻す方法という記事があり、安易にその通りに実行したところ、見事にPCが壊れて復旧不可となりました。 その後PCを専門家に見てもらったり、買い替えたりするのに時間がかかり、ようやく本日元通りに動かせるようになった次第です。 人生には上り坂、下り坂があるそうですが、確かにこんな坂、あんな坂と、まさか(元首相小泉さんの弁でしたね)があり、今回はPCで痛感しました。 それにしても、壊れたPCからデータを取り出してくださったPCの専門家には(武庫之荘駅前のパソコン寺子屋の先生)本当に感謝しております。 一時はとりかえしがつかないとあきらめておりましたので・・・ いくつになっても自らの不注意や慢心や無防備さで不測の事態を招いて慌ててしまいますが、その時どきに誰かが助けて下さり長らえております。 今回も感謝の念を心に刻んで、今年の後半に向かって参ります。
スタジオレポート 第45号: 「われに五月を」 2016.5.10 晴天に恵まれたゴールデンウィークが明けました。 青空に葉桜が映え、頬には心地よい薫風・・・東北生まれの詩人寺山修司が自書のタイトルにつけた「われに五月を」という言葉が思いおこされます。 今年は日並びがよくて人によっては10連休も可能とか、でもわたくし共のお仲間はほとんどがリタイヤ組なのでそれはあまり関係なかったみたいです。 さて、阪急電車のマナーアップ広告第2弾をご報告します。 こころは乱れても 列は乱さない スマートに歩いても スマートフォンをしながら歩かない ついでに、阪急電車についてちょっとがっかりしたことも付け加えておきます。 今年の3月19日のダイヤ改正で、女性専用車両が朝の通勤時間帯に限り運行を始めたとのこと。 私が阪急電車を好もしく感じていた理由のひとつに、数年前まで阪急には優先座席はなくて「阪急は全席優先座席車両です」と誇らしげなポスターを掲げていました。 それがいつのまにか、他の電鉄会社と同じように優先座席を設けてがっかりしましたが、まさか女性専用車両は作らないと信じていました。 だって、女性専用車とは男性をはなから信用していない発想で、世の紳士方に対して失礼千万だと思いませんか? 男女が対等に協働しながらよき秩序を作っていこうとする成熟した大人社会に逆らう、大きなお世話ともいえる方策だと密かに思っております。 また、男女がお互いに敬愛しあう社交ダンスの精神にも反しています。。 「ブルータス、お前もか!」と嘆いたシーザーの心境ですが、理想論だけでは前へ進めないことも現実ですね。 それはさておき、スタジオでは田中ティストを盛り込んだ新作のルーティンに向けて練習を開始しました。 みなさまのおこしをお待ちしております。
スタジオレポート 第44号: 「人生の黄金期とは」 2016.4.26 「一雨で 多くの花は散りぬれど 小さき若葉 育まれゆく」 4/25 毎日歌壇 長崎市 田中正和 早いもので、季節は桜色からみずみずしい若葉色にかわりました。 今年は花の移ろいも殊の外早くて、甲子園口ではつつじが咲き誇っています。 さて、先日の4.17ダンスパーティには約50名の方々がご参加下さり、ダンスで親交を深め旧交を温める楽しいひとときでした。 このパーティでも私共が昨年来テーマとして取り組んでいるシークエンスダンスを踊りましたので、動画集をご覧下さい。 デモ後ある女性がわざわざ私のところへいらして「シークエンスダンスのガボットは初めて見ましたけど、とてもよかったですよ」とお声掛け下さいました。 いつもながらのことですが、私どもはこんなにたくさんの人々に支えられて今、あることに感謝の気持ちでいっぱいです。 うれしいエピソードをもうひとつ・・・。 当日券で参加して下さったある男性は、このホームページを見てどんなパーティなのだろうと遠路やってこられたとのこと・・・ 田中先生が若い頃ダンスを習われていた故酒井正子先生の門下のおひとりで、何十年前の古き良きグリーンクラブを知る方でした。 このホームページがそんな再会の一役を担ったとは、驚くやらうれしいやら、そしてダンスが繋ぐ人の縁にも胸熱くなりました。 田中先生はじめグリーンクラブの方々は20代の若い頃にダンスに親しみ、それはきっと華やかなりし青春だったことでしょう。 でも、青春時代イコール人生の黄金期であるとは限らないと思います。 若い時はもちろん気力体力はあるけれど、わたくしの場合は自分の本当に欲しいものがみえず、目の前のささいなことに拘泥することも多かったです。 現在、身体面での衰えはもちろんですが、人との出会いは若い時よりずっと豊かで、きれいなものを求めてフットワーク軽く動けるようになりました。 そんな気持ちにぴったりな言葉が、20世紀中国の文学者 林語堂の語録にありましたので、ご紹介しますね。 ―――人生の黄金時代は老いていく将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず―――
スタジオレポート 第43号: 「花を求めて」 2016.4.4 先週から今週にかけて関西の桜は満開を迎えました。 皆さまはどこへお花見を予定されているでしょうか。 甲子園口の新堀川沿いの桜も水面に美しい花影を落としています。 一足早く咲いた枝垂れは一陣の風に花吹雪がちらちらと舞い、地面に落ちるとさながら陸にあがった桜貝のようです。 この前の土曜はよく晴れて、阪急沿線各所のお花見スポットはどこも満員でした。 西神戸の講習を終えて帰途の普通電車では、王子公園でライトアップの通り抜けにたくさんの人が下車し、反対に夙川では お花見を終えた人々が大勢乗車してきました。 当たり前のことですが、この季節だけは花を求めて人の流れが変わります。 花便りとは関係ありませんが、ここ最近阪急電車に乗るときに私が楽しみにしていることがあります。 実は私は阪急電車の隠れ大ファンで、独断と偏見で阪急電車こそは日本一エレガントな私鉄だと思っております。 そんな私をさらに喜ばせてくれる、車内マナーアップのセンスのいい車内広告が出ていますので、ご紹介しますね。 結果は残しても 車内にゴミは残さない 想いはぶつけても 人に荷物はぶつけない 味にうるさくても 車内ではうるさくしない 知識は広げても 座席で新聞は広げない こだわりは捨てても 車内にゴミは捨てない 皆さま、いかかですか? ダジャレと笑い飛ばすにはもったいない、言葉遊びのなかなか秀作だと思いませんか。 次はどんな作品が載っているかなと、電車に乗ったときはこれからもさがしときます。
スタジオレポート 第42号: 「月ヶ瀬探梅」 2016.3.14 スタジオレポート 第41号: 「JBDF認定教室」 2016.3.4 北国に大雪をもたらした寒波が去り、お雛祭りを境に急に春がやってきました。 気温の急変に身体がついていかない感もありますが、暖かくなり動きやすくて助かります。 「春を呼ぶ貴婦人」との異名をもつクリスマスローズは今年もひっそりと、でもしっかりと花をつけてくれました。 さて、皆さまにお知らせがひとつあります。 この度グリーンスタジオが、(財)日本ボールルームダンス連盟の認定教室として登録されました。 今年に入り申請手続きをとりましたら、先日兵庫県ダンス教師協会からの視察で、広さ・明るさ・防音状況等確認されて認定の運びとなりました。 この教室が、健全なダンス文化を一般に広める一翼を担っていることが全国的な組織からも認められたことになり、私どもにはとてもうれしいことです。 スタジオは3年目に入り、グループレッスン・個人レッスンともお仲間が少しずつ増えて参りました。 これからもよりよきレッスンをこころがけていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 スタジオレポート 第40号: 「春を見つけに」 2016.2.11
スタジオレポート 第38号: 「グリーンスタジオの小さなクリスマスパーティ」 2015.12.6 おかげさまで今年のスタジオクリスマスパーティも盛会の裡に無事終えることができました。 まだ師走の冷え込みが到来しないおだやかな日曜日の午後、約30人もの方々がスタジオにご参集下さいました。 今年のデモの出し物は何と言っても「シークエンダンス特集」…、夏以降練習してきた成果の発表の場であり、主にスタジオレッスンの 方の初のお披露めの機会となりました。 水曜初級クラスがシークエンスダンスのサリーアンチャチャチャとライラックワルツを、火曜中級クラスが同じくシークエンスのトルクタンゴを、 またわたくし共、田中と福井がガボットメドレーを踊りました。(一部動画集にアップしましたのでご覧下さい) グループデモはみなさんぴたりと揃い、参加者にみんなで一緒に踊る楽しさを体感して頂けたようです。 それが観客にも伝わったのか、初めていらした方から「こんなアトホームなパーティは初めて!主人を引っ張ってきたらよかった」とのお言葉を 頂き、わたくしにはちょっと早いクリスマスプレゼントとなりました。 ちょうど当日の日経朝刊に作家津島佑子さんの「15歳のクリスマスイブ」というエッセイがあり、その中の一文を「きよしこの夜」を歌う前に 皆さんにご紹介しましたので、ここにも載せておきます。 ―――どうしてあんなに楽しかったのだろう。 あれは、15歳という年齢に与えられたとくべつな恩寵のようなものだったのかもしれない、と今の私は考えたくなっている。 この世界に生まれてきた楽しさ。世界のなにもかもが美しく感じられる喜び。 けれど、その喜びはさりげなく訪れ、さりげなく去っていく。 かけがえのない貴重なひとときがあそこにもあった、と今になって私は思い当るのだ。(後略)――― わたくしにとって15歳ははるかな昔で、この年まで来てしまいました。 でもスタジオパーティのひとときも、この世界に生きている喜びとそこに集う人々の気持ちのあたたかさに胸熱くなります。 それはダンスのもたらす恩寵かと思います。 皆さまと来年も楽しい時間をご一緒できるようにとこころから願ってやみません。 スタジオレポート 第37号: 「晩秋」 2015.11.14 秋は急ぎ足ですね、穏やかな晴天が続いておりましたが11月も半ばになりますと、つるべ落としの夕闇に背中を押されて一日が終わります。 一日だけでなく、1か月、1年もあっという間で、もう師走がそこまで来ています。 こんなに時のたつのが早く感じられるも、たぶん年のせいですね。 手元に届いたある冊子にこんなことが書いてありました。 「今年は何かと節目の年…弘法大師空海が高野山を開いて1200年、夏の甲子園100周年、終戦から70年、日航機墜落事故から30年、 阪神大震災から20年、JR脱線事故から10年・・・」 なるほどそうなんですね、前の3つはともかく後の3つはまだ記憶に新しい、歴史に残る悲劇でした。 私どものグリーンスタジオもこの11月で3年めに入ります。 そういえば2年前のちょうど今頃は、なんとかこのHPを自力で立ち上げようと悪戦苦闘していたことを思い出しました おかげさまで、スタジオに集うお仲間は少しずつ増え、HPもこのように充実してまいりました。 ダンスに関わりながら働かせて頂けるのも、ほんとうに皆さまのおかげと感謝しております。 「はたらく」という言葉は、はたを楽にすること…とやら、自分のしていることが周囲の方の喜びにつながっていくようこれからも努力致します。 さて、今年は少し早いですが、12月6日(日)に恒例の「グリーンスタジオの小さなクリスマスパーティ」を予定しています。 秋以来、火曜水曜のグループレッスンではシークエンスダンスのワルツとチャチャを初デモに向けて練習に重ねて参りました。 ささやかな発表の場ではありますが、懐かしい皆さまとお会いできることを楽しみにお待ちしております。。
スタジオレポート 第36号: 「爽秋のダンスパーティ」(なごみの里) 2015.9.25 今年の9月前半はいつになく波乱に満ちておりました。 台風による関東地方の洪水被害に引き続き、安倍首相の強引な安保関連法案の可決で毎日TVニュースから目が離せませんでした。 でもその後の5日続きのシルバーウィークは、連日きれいな秋晴れで何やらほっとした安らいだ気持ちになりました。 そんな連休の最中、なごみの里での爽秋のダンスパーティには約20人の方々が遠路はるばるいらして下さりありがとうございました。 わたくし共はこのパーティで、新しく取り組んできたシークエンスダンスを皆さまにご紹介しました。 ライラックワルツとプライドオブエリンワルツとベリータを組み合わせてデモ用にアレンジしたものと、 全員参加型のバーンダンス(Barn Dance バーンとは納屋という意)を行ないました。 後者は誰でもすぐに覚えられる簡単なもので、ちょうど男女同数でしたので、皆で輪になって1曲楽しめました。 シークエンスのワルツは宮廷舞踏風にゆったりと優雅なリズム進行です。 皆さまよくご存じの社交ダンスとは少し趣がちがい、リードやフォローの技は重要視されません。 それよりも大切なのは、音楽のもつ律動と踊り手の人間性が交錯することです。 「ダンスは音楽そのものを形にする」とは、名文で知られる音楽評論家の梅津時比古氏の言葉です。 そう、優れたダンス公演では、舞台に男と女が登場するだけで、見ているこちら側に、内なる音が鳴り始めますね。 卓越した踊り手によるルンバやタンゴはドラマティックでフロアが思わず息をのんで見とれてしまいます。 シークエンスワルツも、ゆるやかで古典的なリズムにのった男と女の間で、相手への敬意とただ優しさだけがひたすら交わされる感があります。 動画集にアップしましたので、モダンのワルツのデモ動画とともにぜひご覧下さい。 スタジオレポート 第35号: 「シークエンスダンス」 2015.9.9 このところずっと雨が続いております。 秋雨前線の居座りと台風の襲来が重なり、9月に入ってから晴天の日はほんのわずか・・・夜空の名月も久しく臨めていません。 折しも昨夜から台風18号が近畿に接近するとの予報で、どしゃぶりの雨音に目が覚めてレッスンお休みにしようかと思案しましたが、 お昼前には台風が中部地方を通過して雨が止み、無事レッスンを行なうことができました。 さて、このところ私どもは「シークエンスダンス」に取り組んでおります。 現在、日本の社交ダンスはモダンとラテンの10種目が主流で、シークエンスダンスと聞いても知らない方がほとんどです。 シークエンスダンスはイギリスやヨーロッパのボールルーム(舞踏室)では、そこに出席している人々が一斉に輪になって踊りだす ポピュラーなダンスです。 現在日本では、競技ダンスの発展が先行し、コミュニケーションツールとしてダンスは行き渡っていません。 しかし、昔から人々はうれしいことや祝いたいことがあれば隣りにいる人の手を取って音楽とともに踊りだし、生きる喜びを表現したものです。 このダンスは、ワルツやマーチの素朴な調べにのって、16小節で構成される簡単な動きを繰り返し皆で踊るもので、シンプルかつエレガント、 ダンスの真髄ともいえるものです。 ちょうど私たちの10代の時のフォークダンスか、夏の盆踊りの高級版と思って頂いたらいいです。 この度、私どもがこのダンスを覚えるためにインターネットで検索しましたら、外国では一般市民が街のホールで、中学生が学校の体育館で、 正装した中高年の男女が素敵なホテルの舞踏会で、そして競技会の一種目としても踊られていることを知りました。 私どもは、その中でも優雅なワルツや簡単なチャチャを皆さま一同に踊れたらと願い、がんばってお伝えしていきたいと思います。 スタジオレポート 第34号: 「逝く夏」 2015.8.21 お盆明けから雨が続き、あの8月初めの猛暑を思うとだいぶ涼しくなって参りました。 前回のスタジオレポートの脳トレの手ごたえははみなさん、いかがだったでしょうか。 お約束したとおり、正解(?)を言いますね。 ①雄のカエルや雌のカエルがどう鳴くかはさておき、カエルの子どもって何だったっけ? カエルの子どもはおたまじゃくし、従ってカエルの子どもは鳴きません。(ゴメンナサイ) ②一日と一年をひらがなに換えてみると、答えがみつかりやすくなります。 そう、「いちにち」と「いちねん」ですね、ようくにらんでみると答えがわかります。「ち」でした! ③これは難問です。実は私もわからなくて、答えを出題者にわざわざ聞きにいきましたもの。 ヒントは4つの言葉の並び方にあります。 アキ→ナツ→ハル→フユという順番ですね、そういう並び方で出てくるのはどんなの本の中かな? そう、答えは国語辞典です。 さて、皆さまの正答率や如何に?? スタジオレッスンの皆さまにも出題すると、①と②はできた方でも③はさすがに頭を抱えて、正解した方はおられませんでした。 わかってしまえば当たり前のことなのに、わかるまではなんとむずかしいことか…、ダンス理論や身体裁きもきっとそうですね。 簡単にあきらめるか、わかろうとしてくらいついていくかでいつか結果が違ってくるでしょう。 そう信じて、ご一緒に、無理せず怠けずおけいこしましょう。 スタジオレポート 第33号: 「暑中お見舞い申し上げます」 2015.8.11 連日の猛暑ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 昨日の海外ニュースは、エルニーニョ現象の影響で世界各地でも記録的な暑さを更新中と伝えていました。 自然発火の大規模な山火事や、水位低下でパナマ運河が運航不能などいろいろな困難な状況がおこっているようです。 まぁ、それはそれとしてここでひとつ、脳トレクイズで汗をもっと流してもらいましょう。 ①雄のカエルはクワックワッと鳴きます。雌のカエルはケロケロと鳴きます。さて、カエルの子どもは何と鳴くでしょう。 ②一日には2回ありますが、1年には1回しかありません。さて何でしょう。 ③日本は春→夏→秋→冬ときます。さて、秋→夏→春→冬となるのはどこでしょう。(答えは次回のスタジオレポートにて) スタジオレポート 第32号: 「真夏の贅沢」 2015.7.29 つい先日までは台風と大雨の荒れたお天気でしたが、先週末から毎日猛暑が続いております。 熱中症対策は早めの水分補給と適切な冷房を、とテレビは注意を呼びかけていますが、高齢化のためか救急車での搬送は多いようです。 暑さの中、スタジオにおこし下さる皆さまに、まずは冷水でのどを潤して頂いてからレッスンに入るようにしております。 さて、この夏の大阪でいちばんの暑さとなった26日の日曜日、わたくしは贅沢なことにとても涼しい処におりました。 行先は、大阪市立体育館のスケートショー「THE ICE」、出演は浅田真央・鈴木明子・織田信成・パトリック チャン・カトリーヌ コストナー他で 世界のトップスケーターが勢ぞろいした見応えのあるものでした。 5月にやっととれたチケットはリンクからいちばん遠い3階席で、よく見えないだろうと期待していませんでしたが、十分に楽しめました。 テレビでよく実況される試合と違って、見せ物としてのショーですので、音楽も衣装も照明も華やかで出演者たちものびのびとしていました。 中でも休養から復帰宣言をしたばかりの真央ちゃんは秀逸でした。 ふわりと跳び、くるくる回ってふわりと着地する見事さ、以前よりも精神的余裕の感じられる優美さにあふれた演技でした。 そして、遠目で見たおかげで2回転・3回転する演技者たちの体の軸がかえってよく見えました。 空中でまっすぐな軸を保てていると安定した着地に、少し軸がぶれているとやはり着地がぐらついたり転んだりします。 また急に止まったり、向きを変えたりする時のシャアっという氷上のエッジ音は3階席にも届くぐらいで、迫力がありました。 昨年は大相撲を、今年はフィギュアスケートを見に行く機会に恵まれました。(あと思い残すものは錦織圭のテニスくらいかな・・・) 終わって外に出ると、午後3時のものすごい炎暑の日盛り、ほんものをこの目でみることができたとても贅沢な真夏の一日でした。
スタジオレポート 第31号: 「あじさいダンスパーティ」 2015.7.1 梅雨らしく不安定なお天気が続いております。 6月28日の日曜日も空模様はどうかと心配しましたが、午後からは夏らしい青空になり、54名の参加者をお迎えすることができました。 早いもので私どもに主催のダンスパーティは今回で8回目ですが、お食事の質やビールの数等いつも気がかりのまま見切り発車です。 とくに今回は初めてのお客さまが多く、皆さまにご満足いただけたかは気にはなりますが、それはそれとして、無事に終えてとてもほっとしております。 昨日で1年の前半が過ぎ、今日からは後半に入る区切りの日です。 私どもグリーンダンスメイトも、先日のパーティでひとつの区切りを迎えました。 というのも、今回のパーティのパソのデモで、5年かけて10ダンスのデモをやり終えました。(動画集にUPしましたのでご覧下さい)) また、このHPの「田中プロの10ダンス足型集」に10種目めのジャイブをUPすることができました。 これからは、また新たな気持ちで次なるステージに向けて進んで参りたいと願っております。 今後とも皆さまのご支援をよろしくお願い申しあげます。 先日のお休み、いつもとは違う景色に身を置きたくて京都に今が盛りの桔梗を訪ねました。桔梗の季節だけ公開されるお庭です。
スタジオレポート 第30号: 「梅雨の干ぬ間」 2015.6.18 ゆっくりと濡れていく葉を見ておれば 雨の匂いの濃き昼下がり 俵 万智 ひんやりして靴下をはきたくなる朝夕もあれば、蒸し蒸しと汗ばんで思わず扇風機を回すこともあったりする、梅雨空が続いています。 梅雨といえば紫陽花、ほとんどの人が瞬時に連想する花ですね。 先日入手したダンスパーティという名のピンクのアジサイの花弁がここ最近は白っぽく色褪せてきました。 なんだか違う雰囲気になりがっかりして、園芸店で尋ねたところその訳がわかりました。 買ってきたままのアジサイの鉢が小さくて保水力に乏しかったので、一回り大きな鉢に植え替えて土を足したのですが、 アジサイの色は土壌の酸性度に依存しているので、そのバランスが変わったのかもしれないといわれました。 今更ながらとても微妙な環境要因に左右される花なのだと感心しました。 因みに、アジサイは日本古来からある草木で、その語源は「集(アズ)真(サ)藍(アイ)」(真っ青な藍色の花の集まり)とのことです。 昔はブルーの花が主流で、いろんな色や形の変種がたくさんつくられるようになったのは最近のことでしょう。 そんなアジサイを見に奈良の矢田寺を訪ねました。(この1か月だけJR法隆寺駅から臨時バスがあって便利に行けます)) 奈良の静かな里山の山麓に約1万株の満開のアジサイが雨に濡れて艶やかでした。
スタジオレポート 第29号: 「ダンスの効用」2015.6.1 早いもので6月に入りました。昼間は真夏のような暑さですが、朝晩の大気はまだひんやりとしていて心地いいですね。 この梅雨に入る直前の、梅の実がふくらむこの季節、夜明けは清々しく、夕暮れは明るくおだやかでとても好もしい季節です。 4月の長雨、5月の台風と猛暑に加え、最近の火山の噴火や地震などと異常気象続きは気がかりなことではあります。 さて、それはそれとして、先日の「週刊新潮」におもしろい記事が載っていましたので、皆さまにご紹介致します。 それは、「認知症」防衛7つの基本と題して *30分以内の昼寝が発症リスクを8割も減らす *赤ワインは◎、でも一人酒は× *読書やパズルもいいけど楽器と将棋と囲碁がベター *危ないのはリタイア後に別荘地で悠々自適の隠居ライフ・・・等と、いろいろ続いていましたが、ここでご注目!! *最強の予防法はウォーキングより社交ダンス!!!とあったのです。 わたくしが思わずにっこりしたのは云うまでもないことです。 週刊誌によると、認知症になるリスクは趣味が全くない人を1とした時、散歩や水泳等一人でする有酸素運動では0.67~0.8に対し、 社交ダンスでは0.25にまで下がるとのこと―それは、相手に気を使ったり、男女ペアになるなど刺激あり脳が活性化するとのことでした。 そういえば、ある方が「この頃僕のサークルでは男性の方がたくさん入ってくるんですよ」とおっしゃっていました。 何十年も仕事も家庭もまじめにこなしてきた団塊世代の男性は、リタイヤ後趣味に取り組んでもとってもまじめ、 とくに社交ダンスは、頭(ダンス理論―中央斜めって一体どっちのこと?)も、体(片足に乗る!中間バランス!背筋をしゃきっと! そんないっぺんに云われてもでけへんがな・・・)も、心(女心は難しい上にダンス曲のリズム取りはもっと難しい・・・)もフル回転が必要。 そういうわけで、、これからシニア世代はどんどんダンスを楽しむべし。 そんな男性方が6月28日のあじさいダンスパーティにはたくさんおみえになりますので、楽しみにしております。
スタジオレポート 第28号: 「断・捨・離」(続報)2015.5.20 あらたふと 青葉若葉の 日の光 芭蕉 来年は 捨てる約束 更衣(ころもがえ) 橿原市 中川幸子 5月18日朝日俳壇 「葉のささやきに風を知る」とは法然の言葉ですが、青葉若葉をわたる風さわやかな美しい季節となりました。 連休に始めた「断・捨・離」はたちまち挫折してしまいましたが、朝日俳壇に私の思いを代弁してくれる傑作の句があったのでほっとしました。 さて、前回のスタジオ通信に「何もせずにぼーっと過ごすのが最上の休日」と書きました。 でも、毎日こんな晴天で時間を気にせず過ごしていたら、そんな思いにならないかもしれないと気づきました。 成長するにつれて失うのは「空白の時間」と書いてあったエッセイが新聞にあって、なるほどと思い当りました。 予定の全くないひととき、自分の思うように行動し、自分のこころと向き合う時間・・・それはふつうに生活していく上で確保することは なかなか難しいものです。 仕事、家庭、趣味や娯楽から雑用まで私たちはいろいろな時間的制約の中で生きていて、全くひとりきりの何もしない時間は よほど意識しない限りとれるものではありません。今はスマホやネットがあるからなおさらです。 そこでまず意識改革を、――忙しく活躍するのは若い人がやってくれるし、別にラインができなくても恥ずかしいことじゃないはず、 シニア世代はゆっくりと時間の過ぎるのを味わうのがエレガント――と自分に言い聞かせます。 でも「五月の薔薇」は今が盛りと公園に駆けつけて、まだまだ自覚が足りないなぁと思いました・・・
スタジオレポート 第27号: 「断・捨・離」(!?) 2015.5.8 晴天に恵まれた連休が明けました。皆さまはどんな休日を過ごされたでしょうか。 私はこの連休は音楽イベントのあった1日をのぞいてほとんど在宅しておりました。 そこで、数年来家の中にたまった洋服・書類・本・写真等の「断・捨・離」を決行するべくチャレンジしてみたものの・・・ やはり思うようにはいかないものです。(これはもちろん想定内のことでしたが) 荷物の底に眠っていた〈過去〉たちが次々と眼の前に浮かび上がってきて、それをごみ箱行きと断罪するまでが一苦労、 夕方にはぐったりと疲れ果てたのですが、多大なエネルギーを消費したわりにはゴミ袋が申し訳け程度にひとつ出たくらい、 なんとも情けない限りでした。まぁ、気長に取り組むしかありませんね。(これも、もちろん想定内) でも、ひとつわかったことがあります。 当たり前のことですが、休みは家でのんびりすること、もしやる気が出たら片づけものをすることが最上の過ごし方だということ。 片づけものは、確かに「労多くして益少なし」ですが、ちょっと自分を誉めてあげたい気分になりますもの。 誰かとお出かけするのと同じくらい、日常生活をひとりで別の視点から眺めなおすこともいいもんだなと思いました。 庭にマーガレットとジャーマンアイリスがきれいに咲いたので、玄関先に出してみました。 街にでたら、花屋さんの店先に〈ダンスパーティ〉という名前のあじさいがあり思わず買ってしまいましたので、合わせてご覧下さい。。 華やかなピンクの花びらに、来る6月28日の三ノ宮クレアホールのあじさいダンスパーティへの想いを馳せております。
スタジオレポート 第26号: 「花冷え」 2015.4.8 ここ1週間ほどはずっとぐずついたお天気が続いております。 早めに満開になった桜でしたが今週に入ってからの寒さで散り初めがしばらく続き、甲子園口の桜並木もとてもきれいです。 東京の方ではもっと寒くて雪のふる入学式になったとか、花冷えにしろほんとうに不順な気候ですね。 先日の「春うららダンスパーティ」は30人近くの方々のご参加があり、盛会のうちに終了致しました。 足の便のよくない西区岩岡まで皆さま車で遠路お越し下さり、ほんとうにありがとうございました。 はじめに、障がい者福祉施設〈なごみの里〉を練習会場としてご提供下さいました施設長からあたたかいお言葉を頂き、 私どものサークルが地域貢献の一翼を担わせて頂いていることに改めて感謝の思いを強くしました。 みなさまダンス達者な方ばかりで、即興のミニデモやカップルダンスにも気楽にご参加頂きました。 また私共はグループデモでチャチャを、モダンデモではクイックステップを「Shall We ダンス」の曲で踊り、いい汗をかきました。 朝のうちは雨模様のお天気でしたが、午後には陽が差して春うららな夕方に、笑顔と温まった体でお開きとなりました。 スタジオレポート 第25号: 「4月です」 2015.4.1 今年はひとしおきびしく長かった冬でしたが、春の訪れはこれまた急激でとまどうほどですね。 3月の下旬から桜前線が一気に北上し、東京も大阪も入学式を待たずに満開になりそうです。 新年度はひとつの節目、皆さまのダンスライフも、何かひとつ自分なりの目標を定めてみてはいかがでしょうか。 かくいうわたくしも、この3月末で長く勤めていた職場を退きました。 「物事には始めがあり、終わりがある」とわたくしの恩師故酒井正子先生はおっしゃって、40年間のダンス教室を閉じられました。 ひとつが終わり、次に何に向かうべきなのかちゃんと確信できることは、ほんとうに幸せなことだと思います。 皆さまのあたたかいご支援のもと、スタジオ活動を充実させていきたいと願っておりますので、今後ともよろしくお願い致します。 朝刊の朝の詩(うた)に載っていた詩を、スタジオ近くの住宅街の花々と共にご紹介します。 コンパス・プラント 金沢市 大竹晃子 花や蕾が一定の方向を 指し示す植物を コンパス・プラントというらしい 例えば 辛夷や白木蓮 ハイカー達は その花の向きで 北の方向を知る 人生という山にも きっと咲いているはず 進むべき方向を そっと教えてくれる コンパス・プラントが <産経新聞 朝の詩より>
スタジオレポート 第24号: 「春の訪れ」 2015.3.20
スタジオレポート 第23号: 「梅の香」 2015.2.18 寒波到来は収まりましたが、今年は2月後半になっても寒い日が続いております。 その寒風の中、蠟梅が満開ですね。 和ろうそくに似た沈んだ黄色の花びらの趣きは、芯の強い落ち着いた年配の貴婦人を連想します。 近づきて見て 蠟梅の真っ盛り 愛西市 坂元 二男 さて、今月後半はスタジオレッスンが変則的で、お休み頂く日がありますのでご容赦下さい。 実は、わたくしの所属する合唱団がイタリアのシチリア島へ演奏旅行することになり、2週間ほど出かけます。 「なんでまた、マフィアで有名なシチリアなんかへ行くの」と、皆に云われました。 わたくしも自分の人生にこんな素敵なことが起こるなんていまだに信じられないんですが、合唱指導の先生の旦那様がシチリア島出身の イタリアンレストランシェフで、そのご縁でシチリアの現地合唱団とジョイントコンサートを3か所で行うこととなりました。 この話があってから知ったのですが、シチリアは太古からの地中海交易の遺跡とアーモンドの花が美しい、四国の1.5倍ほどある島です。 ここ1年半はイタリア語歌詞と格闘しながら練習を重ねてきました。 東日本大震災の「花が咲く」や広島原爆の歌等も歌う予定で、この旅行の実現にご尽力下さいました方々と家族に感謝しながら行って参ります。 シチリア公演のポスター 蠟梅 次回 5月5日 第13回演奏会ポスター スタジオレポート 第22号: 「冬から春へ」 2015.2.4 暦の上で、2月3日が節分、明けて4日は立春です。 外はまだまだ冷たい気温ですが、名前どおり陽射しには春の明るさが感じられるようになりました。 節分といえば「鬼は外、福は内」の豆まきが定番ですが、その由来を先日の日経新聞文化欄が教えてくれましたのでご紹介します。 立春は季節の始まり。その前日である節分は、世の中の秩序が更新される直前のため、鬼や魔物が出没されると考えられてきたそうです。 鬼がもたらす災いを避ける(除災)だけでなく、異界の彼らがもつ福を頂いてしまおう(招福)と、豆まきして年の数だけ豆を食べる習俗となったとか・・・ そういえば西洋のハロウィンのおばけ仮装も同じ発想ですので、洋の東西を問わず人々は新しい季節への期待をこころに刻みつけるものですね。 年をとって、バースディケーキのろうそくも節分のお豆も大量になるので、10の桁を1としてもちょうどいいくらいになりました。 でもそれは幸せなこと、無事に齢を重ねることができたことを喜びたいです。 世の中には上には上がいて、幾つになっても颯爽と生きておられる先輩がおられますし、それを見上げる幼子の無心な瞳も愉快です。 米寿でもまだまだ出かけるボランティア 講習受けて決意新たに 鳥栖市 副島 トモエ おばあちゃん次は何色とひ孫の問ふ 米寿をベージュと聞きまちがえて 俵 万智 スタジオレポート 第21号: 「寒椿」 2015.1.23 早いものであの震災から20年がたちました。 10年ひと昔とは言いますが、神戸・淡路・阪神間を襲ったあの悲劇からもう20年…。 被災された方々の人の数だけドラマがあったはずです。 あの日の直接体験をもつ方のお話に耳を傾けながら、ここまで復興を果たした人々の努力に思いを馳せました。 明けて18日はなぜかいつも幾分ほっとした気持ちになりますが、皆さまはいかがでしょうか。 この20日が大寒で、立春の2月4日までがいちばん寒さの厳しい2週間と云われます。 報道では今年もインフルエンザが猛威をふるっているとか、気をつけたいですね。 先日、スタジオにいらしているある方が、「迷信等信じる方ですか?」と控え目に切り出されのは、古風な風邪封じの方法。 皆で「教えて下さい」とお願いしたら、以下のことを教えて下さいました。 ―大寒から数えて初めての丑の日の朝、最初に汲んだ水(水道水)を蓋のついた空き瓶に入れて栓をする。 次に、半紙に自分の名前・生年月日・数え年・干支を書き、紅白の水引で結んで、部屋のどこかに置いておく。 自分以外に家族のそれを書き加えてもいい、瓶は目につくところに置くようにすること。 有効期間は1年で、風邪にかかりにくいか、またはかかっても軽く済むという霊験があるとのことです。 因みに、今年の丑の日は25日の日曜日とか…、わたくしはあわててお酒の空き瓶を捜し出し水引も準備したのでやってみます。 六甲山頂は雪模様か今日も白く煙っていましたが、陽の光は少し力強さが戻ってきましたね。 庭木の椿や山茶花も赤い花をつけて、春への生命力を感じます。 皆さまから頂いたアレンジのお花もご覧ください。 一輪の接写されたる寒椿 くれなゐ溢れ我を励ます 北九州市 やまぶき みほ スタジオレポート 第20号: 「あけましておめでとうございます」 2015.1.7 皆さま、あけましておめでとうございます。 今年のお正月は元旦、二日と荒れたお天気でした。 晴れているかと思えば、一瞬視界が真っ白になるほど吹雪いたりしましたね。 穏やかな初詣日和とはいかなかったですが、皆さまそれぞれにおくつろぎのお正月を過ごされたことと思います。 年が改まり、スタジオも2年めを迎えました。 水曜初級クラスの皆さんは、ワルツ・タンゴ・ルンバ・チャチャはほぼ1曲踊って頂けるまで上達されました。 初級のルーテインはダンス検定3級にいちおう準拠して作りましたので、皆さまのご努力に感心致しております。 そして、2年前全くの初心者から始められた方々がダンスを好きになって下さったことが、何よりもうれしいです。 本年もこのスタジオが、皆さま方の笑顔であふれるよう努めて参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。 羊年へと暦が変わり早や1週間、今日の七草の日がスタジオのレッスン始めとなりました。 チャチャを踊ると汗ばむほどスタジオ内は暖かでしたが、外はとても寒い時雨模様の冬空です。 週明けの新聞俳壇には、今日のために作られたようなこんな句がありました。 七草の雨は たやすく雪になり 俳人 大峰あきら
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