字源的アプローチによる 新解釈

 

はじめにお読みください


 


 

                  『老子』 第二十二章


曲則全
枉則直

(最初から)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものである。(無理やり)枉(ま)げたものは、すなわち真っ直ぐのものである。





まがったものさしを描いたもので、まがって入り組んだ意を含む。



「三方から集めて囲うかたち+工(工作)」で、完全に囲って保存された細工物を示す。「欠けめなくそろえる」の意を含む。のち、下部は玉(=王)の形となる。



「木+音符王」。王(おうさま)の原義とは関係がない。
まげる。まがる。まっすぐな線や面をゆるやかな曲線をなすようにおしまげる。また、道理をおしまげる。



原字は「―(まっすぐ)+目」で、まっすぐ目を向けることを示す。
まっすぐなさま。まっすぐである。まっすぐにする。




窪則盈
敝則新

窪みがあれば、すなわち満ち溢れ、
左右に裂かれれば、すなわち新しくなる。





圭は三角錐の形に土を重ねたさま。窪の下部の字は、それに水を加え、三角錐の逆の形にくぼんで、水のたまることを示す。窪はそれを音符とし、穴(あな)を加えた字で、穴状にくぼんだ低地。



敝の字の左側の部分は「巾(ぬの)+八印(左右に引き離す)二つ」からなるもので、布を左右に裂くことを示す。敝は、それに攴(動詞の記号)を加えた字。




少則得
多則惑

少ないと、すなわち(的を)得、
多いと、すなわち惑う。





右側の字は「貝(かい)+寸(て)」の会意文字で、手で貝(財貨)を拾得したさま。得は、さらに彳(いく)を加えたもので、いって物を手に入れることを示す。横にそれず、まっすぐずぼしに当たる意を含む。



或は、「囗印の上下に一線を引いたかたち(狭いわくで囲んだ区域)+戈」の会意文字で、一定の区域を武器で守ることを示す。惑は「心+音符或」で、心が狭いわくに囲まれること。
まどう。心が狭いわくにとらわれ、自由な判断ができないでいる。一定の対象や先入観にとらわれる。

曲則全 枉則直
窪則盈 敝則新
少則得 多則惑


*
(最初から)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものである。(無理やり)枉(ま)げたものは、すなわち真っ直ぐのものである。窪みがあれば、すなわち満ち溢れ、 左右に裂かれれば、すなわち新しくなる。少ないと、すなわち(的を)得、 多いと、すなわち惑う。





是以聖人
抱一為天下式

是を以って聖人は、「一」を抱き、天下にて一定のやり方を為す。





包は、中に幼児を包んだ姿を描いた象形文字。抱は「手+音符包」で、手で包むようにしてかかえること。



弋は、先端の割れたくいを描いた象形文字。この棒を工作や耕作・狩りなどに用いた。式は「工(仕事)+音符弋」で、道具でもって工作することを示す。のち道具の使い方や行事のしかたの意となる。
のり。決まり。また、一定のやり方。



不自見故明
不自是故彰

自分から見せびらかさないが故に、ものごとに明るく見られ、自分から是(正しい)としないが故に、彰かに目だって見られる。





「日+月」ではなくて、もと「冏ケイ(まど)+月」で、あかり取りの窓から、月光が差しこんで物が見えることを示す。あかるいこと。また、人に見えないものを見分ける力を明という。



章は、楽曲や表現の切れめ。区切りをつけて目だたせる意を含む。彰は「彡(模様)+音符章」で、区切りをつけてあきらかに目だたせる意を含む。章がもっぱら文章の意に用いられるようになったので、彰によってその原義をあらわした。



 


不自伐故有効
不自矜故長

自分から大げさに手柄をひけらかすことがないが故に、有効であり、自分から自信を自負しないが故に、(息が)長いのだ。





「人+戈(ほこ)」で、人が刃物で物をきり開くことを示す。二つにきる、きり開くの意を含む。
ほこる。大げさにてがらをひけらかす。



「あわれむ」という意味は、憐レンに当てたもので、「矛+音符令」。矛の柄や自信が強いの意に用いるのは「矛+音符今」。今では両者を混同して同一の字で書く。矜はかたく締めてとりつけた矛の柄。かたく固定することから、自信のかたいことをもあらわす。
ほこる。かたく自信を持って自負する。


夫惟不争
故天下
莫能与之争

そもそも、ただ争わないのだ。
故に天下で(彼と)共に争うことができないのだ。





「爪(手)+ー印+手」で、ある物を両者が手で引っぱりあうさまを示す。反対の方向に引っぱりあう、の意を含む。



是以聖人 抱一為天下式
不自見故明 不自是故彰
不自伐故有効 不自矜故長
夫惟不争 故天下莫能与之争


*
是を以って聖人は、「一」を抱き、天下にて一定のやり方を為す。自分から見せびらかさないが故に、ものごとに明るく見られ、自分から是(正しい)としないが故に、彰かに目だって見られる。自分から大げさに手柄をひけらかすことがないが故に、有効であり、自分から自信を自負しないが故に、(息が)長いのだ。そもそも、ただ争わないのだ。 故に天下で(彼と)共に争うことができないのだ。



 


古之所謂
曲則全者
豈虚言哉

古くから謂われるところの「(はじめから)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものだ」というのは、どうして虚言でうろうか。(そうではない。)





あに。文頭や述部のはじめについて、反問の語気をあらわすことば。どうして…であろうか。




誠全而帰之

まったくもって全(まった)きものにして、ここに帰ってくる。





成は「戈(ほこ)+音符丁(とんとうつ)」からなり、道具でとんとんとうち固めて城壁をつくること。かけめなくまとまるの意を含む。誠は「言+音符成」で、かけめない言行。
まことに。ほんとうに。まったく。



 

古之所謂 曲則全者 豈虚言哉
誠全而帰之


*
古くから謂われるところの「(はじめから)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものだ」というのは、どうして虚言でうろうか。(そうではない。)まったくもって全(まった)きものにして、ここに帰ってくる。




 

 

▽ ちょっとシンプルな解釈!? ▽

曲則全 枉則直
窪則盈 敝則新
少則得 多則惑
是以聖人 抱一為天下式
不自見故明 不自是故彰
不自伐故有効 不自矜故長
夫惟不争 故天下莫能与之争
古之所謂 曲則全者 豈虚言哉
誠全而帰之


(最初から)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものである。(無理やり)枉(ま)げたものは、すなわち真っ直ぐのものである。窪みがあれば、すなわち満ち溢れ、 左右に裂かれれば、すなわち新しくなる。少ないと、すなわち(的を)得、 多いと、すなわち惑う。是を以って聖人は、「一」を抱き、天下にて一定のやり方を為す。自分から見せびらかさないが故に、ものごとに明るく見られ、自分から是(正しい)としないが故に、彰かに目だって見られる。自分から大げさに手柄をひけらかすことがないが故に、有効であり、自分から自信を自負しないが故に、(息が)長いのだ。そもそも、ただ争わないのだ。 故に天下で(彼と)共に争うことができないのだ。古くから謂われるところの「(はじめから)曲がっているものは、すなわち全(まった)きものだ」というのは、どうして虚言でうろうか。(そうではない。)まったくもって全(まった)きものにして、ここに帰ってくる。




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