字源的アプローチによる 新解釈

 

はじめにお読みください


 


 

                 『老子』 第二十七章


善行無轍迹
善言無瑕讁

善く行くことは、(車の)わだちや物の跡が無いものだ。
善く言うことは、(玉の表面についたキズのような)とがや、罪は無いものだ。





右側の字(音テツ)は、さっととりさる、すぎさるの意を含む。轍はそれを音符とし、車を加えた字で、車がさっと通りすぎたあと。


あと。昔の人が行った物事のあと。また、物のあったあと。


瑕カ
右側の字(音カ)は、上にかぶる、うわべ、の意をあらわす。瑕はそれを音符とし、玉を加えた字。
きず。玉の表面についたきずや、ひび。また、それがあるさま。欠点があるさま。とが。ちょっとしたあやまち。つみ。


讁タク
「言+商(まともにあたる)」で、人に非難をぶちあてること。
せめる。つみする。つみ。とがめ。


善数不籌策
善閉無関楗

善く数えることは、計算竹ではかりごとをしないものだ。よく閉めることは、かんぬきやせきとめが無いものだ。





婁ル・ロウは、女と女とをじゅずつなぎにしたさまを示す会意文字。數は「婁(じゅずつなぎ)+攴(動詞の記号)」で、一連の順序につないでかぞえること。



「竹+音符壽(細長い)」で、細長い竹の棒、計算竹のこと。
数を計算するのに用いる細長い竹の棒。



朿はとげの出た枝を描いた象形文字。刺(さ
す)の原字。策は「竹+音符朿シ(とげ)」で、ぎざぎざととがっていて刺激するむち。また竹札を重ねて端がぎざぎざとつかえる冊(短冊)のこと。



丱は、=の両線を横線でつらぬいたさま。關の中の部分は、丱にひもの形をそえたもので、あなにひもをつらぬいて、つづりあわせること。關はそれを音符とし、門(両とびら)を加えた字で、左右のとびらにかんぬきをつらぬいて、しめることを示す。



「木+建(たかくあげる)」
あげる。たかく持ち上げる。になう。ふさぐ。せき。



 


善結無縄約
而不可解

善く結ぶことは、縄で縛ることはないもので、それでいて、それは解くことができないものだ。





勺は、一部を高くくみあげるさまで、杓(ひしゃく)や酌(くみあげる)の原字。約は「糸+勺(目だつようとりあげる)」で、ひもを引きしめて結び、目だつようにした目じるし。



善行無轍迹 善言無瑕讁
善数不籌策 善閉無関楗
善結無縄約 而不可解


*
善く行くことは、(車の)わだちや物の跡が無いものだ。 善く言うことは、(玉の表面についたキズのような)とがや、罪は無いものだ。善く数えることは、計算竹ではかりごとをしないものだ。よく閉めることは、かんぬきやせきとめが無いものだ。善く結ぶことは、縄で縛ることはないもので、それでいて、それは解くことができないものだ。





是以聖人
常善救人

是を以って、聖人は、常に人を善く救うものだ。





求は、動物の毛皮を引き締めてからだに巻くさまを描いた象形文字。引き締める意を含む。裘(皮衣)の原字。救は「攴(動詞の記号)+音符求」で、引き締めて食い止めること。




故無棄人
常善救物

故に、人をふり棄てることなく、常に善く物を救う。





「子の逆形→生まれたばかりの赤子+ごみとり+両手」で、赤子をごみとりにのせてすてるさまをあらわす。




故無物棄
是謂襲明

故に、物を棄てないことである、これを「明をかさねる」と謂う。





襲の上部は、もと龍を二つ並べた字(音トウ)で、かさねるの意をあらわす。襲はそれを音符とし、衣を加えた字で、衣服をかさねること。




是以聖人 常善救人
故無棄人 常善救物
故無物棄 是謂襲明


*
是を以って、聖人は、常に人を善く救うものだ。故に、人をふり棄てることなく、常に善く物を救う。故に、物を棄てないことである、これを「明をかさねる」と謂う。




 


故善人者
不善人之師
不善人者
善人之資

故に善の人は、善でない人の師だ。
善でない人は、善の人の資質(やがて役立つべぎ能力)だ。





次シは「二(そろえる)+欠(人がしゃがんだ姿)」からなり、ざっと持ち物をそろえるの意を含む。資は「貝(財貨)+音符次」で、金銭や物品をざっとそろえておいて、用だてること。
たち。元来備わっていて、やがて役だつべき能力やからだつき。もちまえ。


 


不貴其師
不愛其資
雖智大迷
是謂要妙

その師を貴ばず、その資質を愛さなければ、どんな智があろうとも、大きく迷うのである。これを「妙の要(かなめ)」と謂う。





「辶+音符米(小つぶで見えにくい)」。



「臼(りょう手)+あたま、もしくはせぼねのかたち+女」で、左右の手でボディーをしめつけて細くするさま。女印は、女性のこしを細くしめることから添えた。
かなめ。要点の要。こしは人体のしめくくりの箇所なので、かんじんかなめの意となる。たいせつな。




故善人者 不善人之師
不善人者 善人之資
不貴其師 不愛其資
雖智大迷 是謂要妙


*
故に善の人は、善でない人の師だ。 善でない人は、善の人の資質(やがて役立つべぎ能力)だ。その師を貴ばず、その資質を愛さなければ、どんな智があろうとも、大きく迷うのである。これを「妙の要(かなめ)」と謂う。




 

 

 

 

▽ ちょっとシンプルな解釈!? ▽

善行無轍迹 善言無瑕讁
善数不籌策 善閉無関楗
善結無縄約 而不可解
是以聖人 常善救人
故無棄人 常善救物
故無物棄 是謂襲明
故善人者 不善人之師
不善人者 善人之資
不貴其師 不愛其資
雖智大迷 是謂要妙


善く行くことは、(車の)わだちや物の跡が無いものだ。 善く言うことは、(玉の表面についたキズのような)とがや、罪は無いものだ。善く数えることは、計算竹ではかりごとをしないものだ。よく閉めることは、かんぬきやせきとめが無いものだ。善く結ぶことは、縄で縛ることはないもので、それでいて、それは解くことができないものだ。是を以って、聖人は、常に人を善く救うものだ。故に、人をふり棄てることなく、常に善く物を救う。故に、物を棄てないことである、これを「明をかさねる」と謂う。故に善の人は、善でない人の師だ。 善でない人は、善の人の資質(やがて役立つべぎ能力)だ。その師を貴ばず、その資質を愛さなければ、どんな智があろうとも、大きく迷うのである。これを「妙の要(かなめ)」と謂う。




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