字源的アプローチによる 新解釈

 

はじめにお読みください


 


 

                  『老子』 第四十九章


聖人無常心
以百姓心為心

聖人には同じままの心はない。
人々の心を(その)心と為す(からだ)。





「巾(ぬの)+音符尚」。もとは裳と同じで、長いスカートのこと。のち時間が長い、いつまでも長く続く、の意となる。
つね。いつまでも同じ姿で長く続くこと。




善者吾善之
不善者吾亦善之
徳善
信者吾信之
不信者吾亦信之
徳信

善を私はこれを善しとするが、善でないものも私はまた善しとする。ものに備わった本性は善いものだからだ。
信義を私はこれを信じるが、
信義でないものも私はまた信じる。ものに備わった本性は信じるものだからだ。





その原字は悳と書き「心+音符直」の会意兼形声文字で、もと、本性のままのすなおな心の意。徳はのち、それに彳印を加えて、すなおな本性(良心)に基づく行いを示したもの。
ものに備わった本性。


 

聖人無常心 以百姓心為心
善者吾善之 不善者吾亦善之 徳善
信者吾信之 不信者吾亦信之 徳信


*
聖人には同じままの心はない。 人々の心を(その)心と為す(からだ)。善を私はこれを善しとするが、善でないものも私はまた善しとする。ものに備わった本性は善いものだからだ。 信義を私はこれを信じるが、 信義でないものも私はまた信じる。ものに備わった本性は信じるものだからだ。



 


聖人在天下
歙歙為天下渾其心

聖人が天下に存在するのは、いっせいにそろえて、天下のその心を一つに為すためである。





翕は「羽+音符合」の会意兼形声文字で、羽をあわせていっせいに飛ぶ構えをすること。歙は「欠(からだをかがめる)+音符翕」で、からだをかがめて息をすいこむこと。また、翕の原義をあらわし、いっせいにおきたつこと。


【歙歙】キョウキョウ
恐れるさま。ひやひやするさま。いっせいに頭をそろえておこるさま。いっせいにそろうさま。



軍は「勹(とりかこむ)+車」の会意文字で、戦車を円陣を成すように並べてまるくまとめること。郡や群と同系で、全体がまとまっている意を含む。渾は「水+音符軍」で、全体がまるくまとまり、とけあっていること。混ときわめて近い。
分化せずに全体が一つにとけあっている。また、そのさま。




百姓皆注其耳目
聖人皆孩之

人々は皆、その耳と目を(彼に)注ぐ。聖人は皆、赤子のようだ。





「水+音符主」
そそぐ。目や心を一か所に集中させる。



亥ガイは、ぶたの骨組を描いた象形文字で、骸ガイ(骨組)の原字。孩は「子+音符亥」で、赤子の骨組ができて、人らしい形となること。
ちのみご。ようやく骨組のできた赤子。


聖人在天下 歙歙為天下渾其心
百姓皆注其耳目 聖人皆孩之


*
聖人が天下に存在するのは、いっせいにそろえて、天下のその心を一つに為すためである。人々は皆、その耳と目を(彼に)注ぐ。聖人は皆、赤子のようだ。




 

 

 

 

▽ ちょっとシンプルな解釈!? ▽

聖人無常心 以百姓心為心
善者吾善之 不善者吾亦善之 徳善
信者吾信之 不信者吾亦信之 徳信
聖人在天下 歙歙為天下渾其心
百姓皆注其耳目 聖人皆孩之


聖人には同じままの心はない。 人々の心を(その)心と為す(からだ)。善を私はこれを善しとするが、善でないものも私はまた善しとする。ものに備わった本性は善いものだからだ。 信義を私はこれを信じるが、 信義でないものも私はまた信じる。ものに備わった本性は信じるものだからだ。聖人が天下に存在するのは、いっせいにそろえて、天下のその心を一つに為すためである。人々は皆、その耳と目を(彼に)注ぐ。聖人は皆、赤子のようだ。




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