【 自己想起・観察 あれこれ実践例 】

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グルジェフは、「自己想起」という言葉をよく使って、自分を意識的にするための方策としていました。
しかし、私は「自己観察」ができない前から、「自己想起」は無理ではないかと感じるのです。
自己流にいろいろしている人もいるようですが、はなかなか「継続方法」が分からないでいるようです。
先達の知恵に書いた観察法が、いずれにしても必要になってくるとは思いますが、その前に、日記とは少し違う方法で、自分の意識がどこまで覚めているのか、観察する方法を他に考えてみました。

いくつかのあれこれ具体例を書いてみます。あくまでも参考に‥という意味で。
自分で「ピッタリとしたもの」は、自分でしか決められないものだと思いますから。
まず、「自分ノート」を作るのです。これにもいろいろな方法があるのですが、
最初はとにかく、必ずノートを使うことがポイントです。

*1

もし、「行為」から眺めたい人がいたなら、1日の最後にその日のこと(or前日のこと)を思い出し、
「何を食べたか」「どこを歩いたか」「何をしたのか」「どのようなことを話したか」などなどを、
書くのです。これは、「過去」を思い出せるかどうか‥ということで、「記憶」をたどるものです。

これは、ほとんど日記に近いものですが、書きたいことだけを書くというのではありません。
「思い出せるかどうか」をためすものですから、食べたものの詳細、その感想とか、道を歩いてきた間に何があったか、どれだけ覚えているか…といったものになるのです。
「思い出せないこと」を、見つけ出すことがポイントです。今度は確かめようという気になるのですから。

それはだんだんと、詳しいものになるかもしれませんが、そのことだけが重要ではないのです。
(そして、全てを文章にしなくてもいいのです。メモ程度を記載し、自分が思い出せるかどうかが問題)
実はこれには不思議な現象が起きるのです。つまり、これを続けていくなら、
「何かをする」という「現在」に、「未来」が入り込んでいくのです。
今日の出来事は、「明日(後で)思い出さなければならないんだな〜」と、
「現在」に、何らかの「マーク」を付けるようになるかもしれないのです。
それが、少しずつ「意識的になる」ことに役立つのです。
名づけて『過去と未来の挟み撃ち法』!?

*2

次は、もう少し「気持ち」的なところから眺めたい人に。
簡単な童話や昔話や逸話などを読み、登場人物の気持ちを「折れ線グラフ」のように表してみるのです。
(子供がいる場合などは、国語の教科書に載っているようなものを利用するのもいいでしょう。)
アップダウンの幅で、その気持ちの強弱、種類などを自分なりに工夫して配置してみます。
複数の絡み(影響のし合い)を見るのも、おもしろいかもしれませんね。
(それに、変動の各頂点に簡単な事象やキッカケなどを加えます)
そして、今度は、それに対して自分の「反応」「気持ち」などを最後に書き込んでみる‥とか。
ここから自分なりに、工夫すれば、これでいろいろ遊べますね。
また、*1を応用して、自分の生活の中での「気持ち」の変動を写し取ってみるなどです。
これは、ゆっくりと文字化された感情と向き合うことで、注意力が意識的になってきます。
名づけて『ハート波形法』!?

*3

今度は、「意志」や「願望」を中心に見てみる方法です。
たとえば、「今日1日は、ずっと『笑顔』を保ってみよう」「『溜息』をつかないぞ」とか‥
その他、他人の欠点を見つけてみて、それに対する『感情を動かさないぞ』とか、
長所を見つけて『観察、分析をしてみる』とか、その喜びを『伝えよう』とか…
自分なりの目標を設定します。そして、1日の終わりに、その結果を記録しておくのは同じです。
これも、意識が継続していないとなかなかできるものではありません。
名づけて『仮1重心法』!?

これは、「連想」「想像力」「イメージ力」を逆手にとって見てみようという人のために。
究極シュミレーション」をしてみるのです。それは、できるだけ、自分にいずれ必ず起こる‥
いや、現在進行形であるのに、意図的、あるいは無意識に「避けている」=「忘れている」【】と、
常に向き合っていこうとすることです。最初は、「考えている」から入るしかありませんから、
できるだけ、想像力の豊かな人でないと、それは真実味を帯びてこないかもしれませんが。
「病気」「事件」「事故」あるいは「生活苦(餓死)」などなど。

その時に、「感じたこと」、「思ったこと」、「思い浮かんだこと」などを、つぶさに書いていくのです。
時には、『生』を根底から考えるような、形而上学的な問題意識も生まれてくるかもしれません。

でも、実際の場で、「生死」を賭けるほどに、真剣に向き合わないと、意味がないともいえ、
逆に、それは一歩間違えると、とても危険を伴うものであるために、
自然に、自分から「それを試してみたい」と思わない限りは、もっと、それ以前に、
いろいろな自分という「器」の強度を高めておく必要があるかもしれませんね。

*  *  *

いずれの場合も「意識的になる」訓練法の実例です。
面倒くさいようですが、こういったものをノートを取り続けることが大事です。
次第に、ノートを頼らなくてもよくなってくるものです。
それまでは、根気強く続ける本人の意志しかないのです。



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