いかなる時空も超えて吹く、常にして、古くも、新しい風…
    斉物論の冒頭の
くだりうけてタオの風 と命名したこの
    
コンテンツは、それを感じようとするひとつの試みです。

『荘子』の残した足跡をたよりに、今にこそ活きるその真髄に少しでも迫り触れたいという想いは、「温故知新」さながらに、太古の言葉の源泉にまでさかのぼるアプローチへと向かうこととなりました。そうして生まれた新たな解釈をあくまで仮定としながらも、それによってはじめて垣間見ることができるような描写のなかに、自らも飛翔する風とともに舞う旅となるかを、じっくりと確かめながら・・・

 

         Chuang Tzu

 

荘子

 

(書物) 紀元前280年ごろ(戦国時代)老子の思想を継いだ荘子が道家思想を完成させた書といわれています。しかし実際の成立年代等の詳細は不明です。というのも、当初の荘子自身が記した純粋なものに、後の荘子学派の者たちによる説明や解説などが加筆、追加されたものも混入されているのだろうといわれているからです。

 

現在残されているものは、4世紀の晋の郭象(かくしょう)によって定められた10巻33篇で、内篇7篇・外篇15篇・雑編11篇に分かれて構成されています。(それ以前には52篇とも、あるいはそれ以上だとも。その中からいかがわしいものを除くなどして整理されたものです。)

約65000語(郭象編集以前の『史記』の記載には「十余万言」とあるらしい)に及ぶ大著で、その用いられている文字種の数は3185字ということです。(老子804字/約5000語)

『南華真経(なんげしんぎょう)』とも呼ばれています。

 


 

荘子

 

(人物) 実在したことがほぼ確実視されている戦国時代の思想家。宋ソウの蒙モウ(河南省商丘市)の人名は「周」、字(あざな)は「子休」、また唐代以後「南華真人」とも呼ばれています。創始。はじめ漆園の小吏、のち仕官せず、人間の欲望をすてて、無為自然な態度で、自然の変化に応じて生きるべきだと主張して、儒家の思想に反対した。

 


On Leveling All Things

 

斉物論     

(せいぶつろん) この篇では、儒教や論理学派たちの陥る対立・是非を超越し、万象の異なる様相を差別なく包括した「一」へといざなう「明」による「物を斉(ひと)しく見極める境地(万物斉同)」が説かれています。逍遥遊篇(しょうようゆうへん)と並び、『荘子』の中でも最も重要な根幹的思想が展開され、老子の流れを受け継ぐ道(Tao)の概念を縦横無尽に発展させた壮大な宇宙観・人間観が繰り広げられています。
よく知られている「朝三暮四」や「胡蝶の夢」といった言葉は、この斉物論篇の中に収められている話に由来するものです。


      

 

 

苦渋に満ちた人生から解き放たれ
  人知では計り知れぬ万物に順応して
    天地に遊ぶという「永遠の自由」とは・・・

                            

  

 

● はじめに     

壮大なテーマを背景に説かれる老荘思想・・・その言葉の奥をかいまみるとき、不思議と人を魅了する何かがあるように感じます。しかし、自らの内に伝わり響くものがあるからといって、遭遇する多くの難解な文章をまえに、ただただ立ちすくむ思いにさいなまれることが少なくありません。そうした何かに触れれば触れるほど様々な疑問が点滅しはじめるのです。

「無為自然」・・・それは、懐古主義的なものにすぎないのか?
仙人さながらに「霞をくう」ようなただの夢物語なのか?
野放しになった快楽主義者を生み出すようなものなのか?
また、儒教的思想に対立して、ただ批判しているだけのものなのか?

「自然」という受け入れ易さからなのか、はたまた「文章の難解さ」からなのか、様々な解釈をもとにいろいろなとらえられ方がなされているようです。こうしたなかで、さらなる真義に迫りたいと願う気持ちがふつふつとわき上がってきます。そのまのがれえない自らの声に誘われるようにして、私の『荘子』へのアプローチが始まりました。


斉物論篇の本文中に次のような下りがあります。(3-1)

夫言非吹也       それ、言うは吹くにあらざるなり。
言者有言        言う者、言あり。
其所言者        その言うところのものは、
特未定也        特に未だ定まらざるなり。
果有言邪        果たして言ありや。
其未嘗有言邪     それ未だかつて言あらざるや。

「伝えようとしているもの」を読み取るというのは非常に難しくも繊細なものだと思います。
その場においても、言葉の障壁による問題点は多く潜んでいるというのに、時代や国、民族を越えてそれを為そうとするなら、それはなおさらのことです。

解釈(翻訳)されたものをもとに、どんな説明をつけようとも、それは不確定要素を増やすだけのことに過ぎないように思え、できうる限りの原典を洗い直す必要をひしひしと感じました。それも一字一字の原義をさぐりながら…。けれども、言語学者でも研究者でもないただの素人がそれに手を出すことは、はっきり言ってかなり無謀なことです。

                  ※ ※ ※ 

そこで、とにかく必要不可欠なのが辞書です。以下の辞書を参照しました。

@ 『漢字源』EPWING版 (C)1993年 
         編者  藤堂明保 松本昭 竹田晃
         発行  株式会社 学習研究社
A『漢和大字典』  
         編者  藤堂明保
         発行  株式会社 学習研究社
B『字統』
         著者  白川静
         発行  株式会社 平凡社
C『字源辞典』
         著者  加藤常賢 山田勝美 新藤英幸
         発行  株式会社 角川書店
D『漢和中辞典』
         編者  貝塚茂樹 藤野岩友 小野忍
         発行  株式会社 角川書店
E『大漢和辞典』  
         著者  諸橋轍次
         発行  株式会社 大修館書店

* 字源解釈 そのほとんどは@Aから抜粋(要約)したものです。
その他には、Bを参考にして、説明を加えています。   
* 古文字図 @ABより転載させていただいています。

   


 

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