99.3.7
「遊星より愛をこめて」を知っていますか?
幻の第12話
ウルトラセブンは、今の子供たちでも多くが知っているウルトラマンシリーズの第2作である。でも、今の子供たちがテレビでもビデオでも見ることができないのが、第12話「遊星より愛をこめて」だ。オヤジは、この第12話が公に登場しない封印された作品であることを「別冊宝島 怪獣学・入門」のコラムで知った。
オヤジも小学生時代に毎回欠かさずウルトラセブンを見ていた世代であったが、さすがにこの第12話がどういう話だったのか覚えていなかった。ところが世の中にはあるところにはあるもので、ダビングが重なり下手な裏ビデオ的画質ではあったが、ビデオを入手し、見ることができた。
何故、第12話が幻となったのか。
ここで登場する「スペル星人」が、ある雑誌の付録の怪獣カードで「ひばくせい人(被爆星人)」と説明され、それを読んだ中学生1年の少女が、原爆被害者団体協議会の委員をつとめる父親に相談、父親が雑誌の出版社に抗議の手紙を書いたが、その回答の前にマスコミが記事にしたため、問題が拡大、激しい差別糾弾となり、制作プロダクションが全てを封印してしまったと「別冊宝島」のコラムには記載されている。
「第12話とはどんな話か。」
さて、第12話の内容はこうである。
若い女性が次々と突然倒れる事件が起きる。彼女たちは同じ腕時計をはめており、血液中の白血球が異常に減少している。この腕時計の構成金属が地球上に存在しない物質であることから、ウルトラ警備隊に知らされる。ここで、白血球の異常な減少をダン隊員は「原爆症と似ていますね。」とコメントする。
さて、アンヌ隊員の高校時代の友人サナエは、佐伯と名乗る男と交際している。アンヌは、サナエが佐伯からもらったという腕時計が倒れた女性達と同じものであることに気づく。アンヌは佐伯に腕時計の入手先をさりげなく問うが佐伯は曖昧な答えしか返さない。その時、サナエの弟のシンイチが学校で突然倒れたとの知らせが飛び込んできた。学校に駆けつけるとシンイチは大したことはなかったが、その日サナエに内緒であの腕時計をしていた。佐伯は、腕時計を外すよう言うが、シンイチは「一日くらいいいじゃない。」と取り合わない。
怪しんだアンヌは、デートする二人をダン隊員とアベックを装って尾行する。そして、さりげなく腕時計を摩り替える佐伯の行為を目撃する。サナエと別れた佐伯が向かったのは、とある郊外のビルであった。
実はビルは、スペル星人の基地であり、佐伯の正体はスペル星人だったのだ。スペル星人は、自分達のスペル星での核爆発により被爆し、生き残るために白血球を求めて地球に侵入していたのだ。腕時計は地球人の血から白血球だけを抜いて結晶化する装置だったのだ。きれいな血ということで若い女性を狙っていたのだが、シンイチが一日はめていた腕時計から採取した白血球は、それ以上に品質が高かった。かくて、スペル星人は子供達の白血球を狙い始める。そして、ニセの新聞広告で子供達をビルにおびき出したところをウルトラ警備隊が阻止し、怒ったスペル星人はついにその正体を現す。
しかし、サナエはまだ佐伯がスペル星人だとは信じられない。アンヌとソガ両隊員がサナエの自宅を訪れると、佐伯がシンイチを連れ出して奥多摩に向かったという。アンヌは、サナエを連れて奥多摩に向かう。ソガから腕時計を外すように言われてもまだサナエは佐伯を信じ、腕時計を外すことを拒絶する。
ついに奥多摩山中で佐伯とシンイチに追いつき、射撃の達者なソガ隊員が、佐伯目掛けて発砲すると、佐伯はスペル星人に姿を変える。後は徹底的なワンパターン。スペル星人とウルトラ警備隊との戦い、そしてここぞとダン隊員がウルトラセブンに変身し、最後にスペル星人は、アイスラッガーで真っ二つとなる。
ラストは、サナエの涙、そして自分は絶対「佐伯」のことは忘れないと言いながら、腕時計を外して湖に投げ捨てる。そして、夕日にダン、アンヌ、サナエ、シンイチのシルエットが、映り、サナエが「地球人と他の星の人が信じ合える日が来るのはいつのことなのだろう。」と言うと、アンヌは「近い将来、きっとくるわよ。」と答える。そして、ダンの「きっとくる。だって、M78星雲の『人間』である僕が地球人といっしょに地球を守っているじゃないか。」と独白が続く。
「差別問題の難しさ」
「別冊宝島 怪獣学・入門」のコラムには、再三制作側が、ドラマのテーマが「核兵器の恐ろしさを訴える」ことにあると説明しているにも関わらず、差別糾弾側は、内容には一切触れず「被爆者を怪獣扱いするのは差別の助長につながる」という一点張りだったと書かれている。上記のドラマの内容を読んだ皆さんは、どう感じただろうか。
ウルトラマン、ウルトラセブンのストーリーには、最近のヒーローものに見られがちな単純な勧善懲悪や、愛と正義の賛美ではなく、「地球の平和を守る」という「絶対正義」と対峙する怪獣や異星人側の地球の平和を結果的に脅かすことになった背景に、ハードなテーマが込められているケースが多かった。特に、ウルトラマンシリーズでは、その背景故に、戦うことに苦悩する正義側の心理までが表現されている回(第15話「恐怖の宇宙線」、第23話「故郷は地球」、第35話「怪獣墓場」等)もある。したがって、単純に相手を抹殺するのではない解決法が時にはとられていたのである。
この第12話は、決してストーリーとしてシリーズの中でも良い出来とは感じられない。しかし、単純に内容を見れば、スペル星に生きる人(星人)が、核爆発によって、滅亡の危機にあって、何とか生き残る方策を模索している中で、地球人の白血球を欲した。これを、地球人にとっては撃退すべき「悪」とし、ウルトラセブンの助けをもって排除したのである。テーマは、「人の振り見て我が振りなおせ」の典型である。核の脅威の中で、いつ地球人がスペル星人の立場に立たされるか解りませんよという、昭和40年代前半米ソ冷戦体制下ならではの切実なメッセージであったのだ。
その表現方法として、まずスペル星人の形が、所謂被爆で現れる身体的特徴(火傷によるケロイド等)を模したこと自体を仮に問題とするなら、被爆の悲惨さを訴える写真展で被爆者が写る写真を出展することもまた問題である。
次に、被爆者であるスペル星人を退治すべき悪者としたことを問題とするなら、こういった物語は単純な勧善懲悪モノしか成立しなくなる。退治すべき相手は、誰が見ても「悪」ということだ。それで当然という考え方もあろうが、世の中は「絶対正義」と「絶対悪」だけの争いではない。時代が変われば価値観も変わり、また地域、人種など様々な違いでそれぞれが「自分の正義」を大義名分にした争いごとが、絶え間なく繰り返されているのだ。この物語でもスペル星人の立場に立てば、どんな手段を使ってでも白血球を手に入れるということは、スペル星人にとって「正義」であるのだ。果たして、地球人がそういう立場に立たない保証はあるだろうか。常に自分の立場が「絶対正義」と考えることが、どんなに危険なことか、昨今の「キレる」という問題一つにしても、こういった一方的な勧善懲悪モノの影響が皆無とは言えない。
最後に、こういったテーマをウルトラセブンという子供向け娯楽番組、あるいは怪獣モノで取り上げたことを問題とするなら、娯楽番組、あるいは怪獣番組を、内容ではなく単なるジャンル分けで、その他(報道番組や教養番組なのだろうか)の番組より程度の低いモノと捉える視点であり、それこそが「差別」そのものである。
オヤジは、実際にこの「遊星より愛をこめて」をめぐって展開された議論が、具体的にどのようなもので、どのように展開されたかを知らない。知っているのは、その結果として制作者がこの作品を欠番として世の中から封印してしまったという事実だけだ。しかし、オヤジが主張したいのは、この作品を最近改めて見る機会を持って、この作品が何故差別問題のために欠番になっているのか納得できないということなのである。
「差別」は許されるべきものではない。だが、「差別された」とアピールする側の立場が、「差別はいけない」という大義名分の下に、特権化されることは、より許されるべきことではない。特に、直接事象ではなく、そこに込められた「意識の差別性」を問う場合、一方的な主張は問題の本質的解決を妨げるばかりか、自らの主張を正当化する過程において主張する側自身もまた差別意識や偏見と無縁では無いことを露呈するのである。
今、デジタルソフト化の話題等で、ウルトラマンシリーズが再び脚光を浴びている中で、ビデオなどのウルトラセブンでパッケージに第12話が一言「欠番」という表示で片付けられていることが、残念でならない。しかし、第12話「遊星より愛をこめて」は、冷戦体制崩壊後もなお切実な問題として我々に課せられている「核」の問題、あるいは様々な「争いごと」について子供達といっしょに考える教材にもなり得る。今回のDVD化にあたって、第12話の欠番解除に向けての議論の再開を是非期待したい。