2003年 オヤジの雑感

◆はじめに・・・

雑感も4年目に入る。読み手が仮にいるとすれば、もう誰も昨年の雑感のように冒頭でノルマなどといっても、週1本ペースで雑感が書かれるとは思っていまい。一種の開き直りだが、雑感なのだから気楽に感じたときにやろうと思う。

 書式も今までと同じ。付け足し易いように、画面上で日付が遡るカタチになる。即ち、このすぐ下が最新の雑感である。


12月31日(水)

 いよいよ、2003年の大晦日。
上に書いたようにノルマではなく、気楽に感じたときにやろうと思っていたが、振り返ってみると、まともに雑感書いていたのは年の前半だけだった。後半はウイークリーどころかマンスリーにもなっていない。なんか感じたことがあってもPCを前にすると、「ま、いいか・・・」となんとなくやり過ごしたことも多かった。
それにしても、ここ3年ほど1年経つのが速いようで、振り返るといろんなことがあって、その2倍、3倍にも感じる。年をとると時間が経つのが速くなるというのは、実はウソじゃないかと思えてくる。特に今年は年初から新しい組織の立ち上げに携わり、日々新たな課題の連続だった。1月の頃と今の状態を見比べてもその変容ぶりには、その中に身を置いた自分ですら驚きを禁じえないし、それこそ1月〜3月くらいまでの出来事を思い出しても、なんか2〜3年前のことのように感じる。
こんな感覚を持てることは、ある意味幸せなのかもしれない。充実していた?追いまくられていただけ?いや、決して仕事ばかりに忙殺されていたわけでなく、オーケストラはなんだかんだと続けた。練習に出られない分、個人練習をそれなりにするようになったのは、むしろ進歩なのかもしれない。
そんな中で、この雑感を含めたHPのメンテナンスの優先順位は、やはり低くなっていた。来年もどこまで手を入れられるか判らないが、とりあえず店じまいする気はない。ボチボチの部分があってもいいだろう。まあ、あんまり変わり映えしないと来店者は一層減るだろうけど。

 

12月21日(日)

 年末も押し詰まり、今さらというタイミングでの更新である。
言い訳がましいが、前回から今回の雑感までの間、正直言って仕事は忙しかった。年内にもう少し詳しく発言する機会を作りたいと思うが、取り急ぎ本日は芦響の納会で美味い酒を飲んだ後の勢いのアップ。まずは形だけでご勘弁。

11月9日(日)

 衆議院総選挙の投票日。まだ締め切り前の時間だが、投票率は速報では前回を下回りそうとうことだ。
この国の民は、本当に何を考え、何を大切に想い、何を求めているのか?オヤジの冷や水だろうが、とても情けないと感じる。権利が当たり前になると義務感が支配的になり、やがてそれ自体が負担感になる。無いものねだりなのか、そんなに今の時代は恵まれていると言えるのか?
確かに一人一人は微力だ。1票そのものが国を動かすわけではない。しかし、一般国民がそこに空しさを感じるのは実はあまりに自分勝手だ。1票そのものが国の運命を左右しないからこそ、一人一人が自分の考えに基づいて、ある意味「気楽」に投票できるのではないか。そして、その積み重ねこそが「国民の総意」なのだ。自分の1票で国の運命が決まると迫られた時、本当に投票ができるか?一方で微力とはいえ、その積み重ねから結果がもたらされるところに民主主義の力があるのではないか。
結局、動員された組織票が支配的になる結果、昔ながらのお上意識で世襲議員をのさばらせ、政治家ならぬ政治屋をのさばらせ、全体からみると2割程度の支持にも関わらず、「私は国民に、有権者に支持された」などという詭弁がまかりとおることを有権者自身が許しているのだ。6割弱の人間しか参政しなくとも、それが全てと捉えられ、そこで相対的にどれだけ支持されたかでいかにも全体に支持されたごとくの言動がまかり通る。
シラケるのは勝手かもしれない。しかし、そこに有権者としての責任があり、結果は必ず自分の身にふりかかってくるのだ。さて、結果はどうなるか?

 

10月30日(木)

 今週は、月曜から奈良、京都、神戸。火曜日は神戸、大阪、東京。水曜日は東京で終日会議後に帰阪。木曜日は姫路、大阪。そして明日が大阪で午後から和歌山というハードスケジュール。仕事とはいえ、なかなかシンドイ。
 そんな中で、仕事よりも×××とばかり、本日は仕事も途中放棄で定時退社。大フィルの定期で、大植の指揮。エッジの効いた相変わらずシャープな演奏であり、常に聴衆の反応にも気を配りながらパフォーマンスの高い満足できる演奏だった。同じアメリカで活躍する竹沢恭子のソロによるバーバーのヴァイオリン協奏曲は、初めて聴く曲だったが、すぐに気に入った。ブラームスもエンディングに向けた盛り上げは卓越の感あり。
 それにしても、隣席のオッサンが居眠りこいて、こちらに寄りかかってくるのには閉口した。所サンの朝の出張のならまだしも、こちとら自分自身オヤジを自覚しているとはいえ、白髪頭のオッサンに足をしなだりかけられたら、やはり気持ちの良いものではない。寝るのは勝手だが、周りに迷惑かけるなオッサン!!

 

10月19日(日)

 もう大分時間が経ってしまったが、今月の4日に芦響の定演が終わった。もう20年以上オーケストラで演奏しているが、初めて大好きなタコ(ショスタコーヴィチ)ができるという演奏会。結果として、大変にいい演奏会になったし、オヤジ自身も満足できた。
 勿論、アマチュアといえども毎回ベストを尽くすのだが、それが必ずしも表に出なかったり、100名余で演奏していると、やはり何か「気」のようなものが違うと感じる。不思議と上手くいっていないなと感じていると、多かれ少なかれ皆も感じているし、聴き手にもそれが感じられるもののようだ。
 そして、今回はまさに演奏しながらうまくいっている心地よい緊張感と充実感があった。初めてタコをやる演奏会でいい演奏会にできた。きっと、小学校以来30余年のタコファンであるオヤジに神様がくれたご褒美かもしれない。

 

9月28日(日)

 ふと、自分のHPを開けたら、ちょうどカウンターが10000だった。
たまたまとはいえ、なんとなく得した気分になるものだ。本当に最近はほったらかしの状態になっている。更新するためにはかなりの覚悟と労力がかかる。個人のHPでマネに更新しているモノには、ホント頭が下がる。やるなら、中途半端じゃなくとは思うのだが、日だけが過ぎていく。

 

9月6日(土)

 お盆あけ、13年目になる秋季限定商品の「秋味」を発売してから寝坊して起きだしてきたかのように厳しい残暑だ。おかげさまで控え目な予定の「秋味」は予想を上回り、それこそ秋になる前にメーカー出荷は完売の様相だ。いろいろ御託を並べても暑くなればそれなりに・・・は、いまでも僅かに生きている。

 8月後半のオヤジの周囲は、主に営業部門の定期異動に伴った送別会シーズンで、毎晩のようになんだかんだと理由が作られ開かれる。異動する人は勿論のこと、むしろ送る側の方が今日は誰の、明日は誰の、時には一日で送別会のハシゴだってある。ちなみにオヤジも1日だけハシゴの日があった。
 こうなると、常日頃忙しいと夜遅くまでオフィスにいる連中が、見事に見当たらなくなる。別に仕事が送別会シーズンだからヒマになるなんて都合のいいことがあるわけない。たまたま、送別会(という名目の飲み会)の優先順位を高く置いただけのことで、その分仕事で適当に見切っているのだ。特段、この時期に仕事に行き詰ってパニックになっているところを見かけないから確かだ。
 結局、一人一人の選択の結果で、忙しそうにしているのも一人一人が自分の中でそのような自分本位の選択をしているに過ぎないのだ。ところが、その自分本位の選択の結果としての忙しさが周囲へのエクスキューズに使われる。意地悪く言えば、自分で忙しくしていることを周囲のせいにして、巧みに自分のやりたくないこと、時にはやるべきことですら回避しようとしているだけでなく、それを正当化しようとしているとオヤジには映る。
 オヤジも偉そうなことを言える立場ではないが、「忙しい」って何だろうと考える・・・なんてこと自体が暇な証拠だ。

 

8月10日(日)

 「手段の目的化」。よくあることだ。なんらかの目的のためにとった手段が、繰り返し実行されているうちに、何のためにそれを実行しているのかという認識が薄らいだり、あるいは誰もそれを知らない状態になってしまう。最後には既に目的が達成されていたり、あるいは時代の変遷とともに変化していても、実行の継続そのものが目的になってしまって、実は本来「益」をもたらすはずのものが「害」になっている。
 今月からの輸入牛肉のセーフガード発動は、まさに典型だった。昨年のBSEによる急落から今年は一昨年レベル、即ち通常レベルに戻っただけで「昨年比急増」という発動条件に合致したための発動。決して役人の言うことは行政としては間違っていない。決めたルールを守ることが彼らの使命である。しかし、「守る」だけなら猿でもできる。状況を判断して運用を工夫するからこそ人間の仕事になる。増してや立法としての政治家の立場なら、ほんの少し考えればいかに今回の発動が本来の目的とは合致していないか、ボケた人でも解るだろうに。「国民」ですら、多少、分別のある人なら誰でも理解して憤っているのだ。結局、発動直前に少しニュースになっただけ、あとは政治家も話題にすらしない。勿論、ここで姑息に稼ぐ関税の増収分が屁のツッパリにもならないことは、「役人」だって「国民」だって知っている。

 それにしても、オヤジの業界にとっては今までならお盆前のまさに最盛期の週末に、全く秋のコースをたどる台風にたたられてしまった。昨日はお店もガラガラ。そして今日は天気こそ台風一過(これ自体、秋晴れを指して言うのだが・・・)だが、出遅れた帰省組でやっぱりお店はガラガラ(かな?まだ行ってないから解らない)。そして、外にはトンボの大群が飛び回り、なんと台風のコースだけでなく、お盆前に寂しい秋の風景になってしまった。ここでは、発泡酒はビールと同じ飲み物だと姑息に稼ごうとした発泡酒が増税後ビールとともに失速し、トータルでは増税分で目論んだ増収分など吹っ飛び、むしろ減収がこのままでは確実だ。
 今までオヤジの業界は、長年気温の上下で売れ行きが左右されていただけに、セールスもよく売上不振の理由を天候のせいにしていた(売上好調なのは大体新製品がヒットした時で、誰も理由は訊かない。とするとこの業界のセールスって何をやっているのだろう?)が、ここ数年その相関関係が崩れて、天候に関わらずビールと発泡酒を合わせると市場全体は微減状態であり、もう天候は言い訳にできないというのが常識になっている。しかし、きっと年末に酒税減収が確定した時に、役人が言うに違いない。「不況と冷夏が主要因。」

 

7月27日(日)

 久々の雑感。決して書きたいものが無いワケではないのだが、何となく日常に流されているうちに日にちだけが過ぎて、1ヶ月くらいはすぐ経ってしまう。
 さて、発泡酒の増税で発泡酒は総市場がシュリンクしている。オヤジの会社にとっても、恐らく国にとっても、辛いところである。役人の浅はかな発想どおりに国民は行動しないようになっているに違いない。今の予想でいけば、増税したことによる増収どころか、消費量の減少により税収はむしろ減収になりそうだという予測が出ている。こういう目論見が外れた時の責任は誰がどのように取るのだろう。まさか、小泉首相じゃないが「そんな細かいこと訊かれたって、解るワケないでしょ。」じゃ、困るんだよ。

 前回との雑感の間に、競合会社がかなりの意気込みで売り込みをかける新商品が発売された。その会社が最初に発泡酒に参入した時のようなフィーバーぶりではないが、確かによくできた商品だし、順調に売れているようだ。おいしさをアピールしながら、何故か発売直後からあちこちの売場でその新商品にベタベタと景品付きで売ろうとしているところに、オヤジなりには釈然としないものを感じた。そう言いながら、こちらも対抗策として既存商品に景品付けをやっているのだから、あまり偉そうなことを言える立場ではない。

 いずれにしても、近畿も梅雨明けしたとはいえ、秋のような爽やかで涼しい夏。オヤジの業界にとっては、様々な要素が逆風となった厳しい最盛期になりそうだ。

 

7月5日(土)

 昨日は大フィルの定期演奏会。
あれっ?前回と同じ書き出し。結局、約1ヶ月のブランクが空いてしまった。それはさておき、昨夜の大フィルは実に快演をしてくれたとオヤジは感じた。特にメインのブラームスの交響曲第一番は、定番中の名曲ながら、その緊張感、終楽章に向かっての盛り上げを含め、楽員の気合も十分だった。会場にも普段と違う高揚感が感じられた。指揮の大フィル初登場のガリー・ベルティーニの極めて緻密な解釈と卓越したタクトさばきに拠るところ大だが、オヤジとしては客演コンサートマスターの佐藤 久成氏の熱演が相当貢献していたと観る。少し楽員の方を向き過ぎて、2楽章後半のソロが篭って聴こえたのが残念だが、全身で指揮者の意図を表現する佐藤氏は、躍動感を中心とした若さの良い面が出ていた。良い意味でも悪い意味でも「大人」という印象のある大フィルにも、しっかり情熱があることを引き出していたと思う。
5月の大植初登場の時は期待して期待どおり。先月はどちらかというと演奏会の出来云々よりもプロ5のノスタルジィに浸った。そして今月は「得した!」って感じだ。

 ここで通常の定番コースなら焼鳥「六源」なのだが、週末ということもあり、残念ながら満席で次回改めて。さすが、週末ハナ金とはいえ、夜9時過ぎでも満席の繁盛ぶり。世の中は単純な消費不況なのではない、お客様がイイモノを選んでいるだけなのだ。安いことも必要だが、バーゲンハンターの名のあるとおり、値段で付くお客様は一瞬。価値で付くお客様は長いお付き合いができる。勿論、その価値が「安い」という場合もある。しかし、「安い」には限界(結局、タダに勝るものは無い。)があるが、価値は無限の可能性があるとオヤジは考えている。

 さて、先月の発泡酒増税に続き、今月からタバコが増税となった。発泡酒増税の時には、ここ雑感でも盛り上がりの少なさに触れたが、実は7月からタバコ増税なんだとオヤジが認識したのは6月28日の土曜日に仕事で訪問した得意先で、一生懸命タバコを陳列しているのを見たから。オヤジが喫煙家でないこともあろうが、結局、騒いでいるのはその業界だけで、普通のお客様は間際にならないと気が付かないものなのだ。今回、立場が変わって妙に納得。

 

6月11日(水)

 昨日は大フィルの定期演奏会。
今年没後50年を迎えるプロコフィエフの作品だけで組んだ意欲的なプログラムだが、先月の大植の登場に比べるとお客様の入りが芳しくないのが残念だ。知る人ぞ知るなのだが、プロコフィエフはあの独裁者スターリンと命日が同じ。だから、どうだってことはないが、プロコフィエフの死は巨匠の死にも関わらず目立たなかったらしい。
それにしても折角の演奏会、お客様の入りも芳しくなければ、マナーも芳しくなかった。相変わらず、曲が終わるか終わらないかといううちから拍手一番乗り病のアホが拍手を始めるし、今回は演奏中に携帯電話の着信音や腕時計のアラームが鳴ったりのオマケつき。エエ大人がそんな基本的なルールも守れんのかと情けなくなる。
さて、この演奏会のメインだった交響曲第5番はオヤジにとっても、想い出深い曲だ。今から20年前のちょうど同じ6月だったと記憶しているが、大学のオーケストラでコンサートマスターになった最初の演奏会のメインがこの曲だった。当時もシンコペーションや現代的な音色に戸惑いながら取り組んだなと、聴きながら頭の中は20年前を思い起こしていた。

 その後は、そろそろ定番コースとなった焼鳥「六源」。店に行くと大将から、修行中のUさんが今日は休日だがプライベートで飲みに来ているからいっしょにどうだとのお誘い。そりゃ、一人より二人の方が楽しいと誘いにのったら、Uさんと焼鳥談義で大いに盛り上がってしまった。結局帰宅は終電ギリギリ、代金もいつも一人でお邪魔する時の倍。ちょっと予定外の散財、まんまと売上貢献させられてしまった??とはいえ、楽しい酒で演奏会の不愉快さも吹っ飛んだ。

 

6月8日(日)

 昨日は職場の懇親会だった。
バーベキュー&キックベースボール+ドッジボール。これが40代にはなかなかハードで、その時は何とか動いているのだが、帰宅してからは腹が重い、体中が痛い。加えて薄曇とばかり思っていたが、結構焼けていてヒリヒリし始めている。こりゃとても健康づくりとは程遠い。
翌朝は、もっと大変。体中というか、やはり腰に来ている。日焼けも時計の跡がクッキリ。ホントもう若くない。

 今日は床屋に行った。実はここ5年ほど同じ床屋に行っていたが、今日は初めてのところに入ってみた。前の床屋に決定的な不満があったわけではない。でも、最近なんか満足度が落ちていた。5年前に満足した時の床屋ではなくなっていたのだ。だから、もうその床屋に行こうと思わなくなっていた。きっと、前の床屋の人は、私が店を変えようと思っていることは知らない。これからも気づかないまま、あるいは「最近、来ないな。転勤したのかな?」程度の認識は持つかもしれない。
こういったことが、きっと自分の仕事の側面でも起こっている。自分がお客様の立場の時に普通にやっていること、お店に望んでいることが、仕事でお客様に対する立場に立ったときに本当に見えていないし、そもそも見ようとしていないことが往々にしてある。
「お客様本位」。言葉だけ振りかざすのは容易だが、本当に行動レベルで体現することは難しい。「お客様本位」の仮面をかぶった「売り手本位」がまだまだあちこちにまかり通っていると思う。きっと、無言で、ある日何気なく去っていくお客様に気づいていないだけかもしれない。

 

5月25日(日)

 先週、芦響の演奏会も無事?に終了した。オヤジ自身の手応えとしては、イマイチ!
全体が上滑りな感じで、年初から5ヶ月も練習を積み重ねて、こんなもの・・・ってな、少し寂しい気分。団員が言うのは不謹慎かもしれないが、中で弾きながらそんな印象だった。でもまあ、こういうこともあるさ。次の演奏会は頑張ろう。何しろ、オヤジとしては初めてショスタコーヴィチのオーケストラ曲を演奏する機会がやってきたのだから。それも、恐らく二度とないであろう大曲「レニングラード」。大いに楽しみたい。

さて、りそなグループの公的資金投入。オヤジにとっても知人・友人が何人かいるので、ドライにはなかなか語れない。
ただ不思議なのは、この決定に伴う各界は賛否両論だが、この日本の景気の閉塞感はそもそも構造改革の遅れであることに端を発しているのではなかったか。それを誰しもが認めるからこそ、構造改革に痛みはつきもののはずだが、それが必要だと考えているはず。そうはいいながら、自分だけはハードランディングには無縁でいたいと思っているのだ。果たして、バブル期に踊った銀行は本当に痛みを感じ、改革が進んでいるのか?金融の素人なので、金融不安がどれだけ大変なものかがとても想像しきれるものではないが、少なくとも問題の根本を温存してしまうことが、景気の閉塞感を長引かせていることは間違いない。
それにしても、公的資金投入に際して、りそなのトップが監査法人に裏切られたと発言しているのをテレビでみていて、いろんな事情はあろうが、少なくとも経営トップとしての品格を感じなかったのはオヤジだけ???

 

5月10日(土)

 昨日は久しぶりにコンサートを聴いていて、涙が出てしまった。大植英次の大フィル定演デビュー、プログラムはマーラーの「復活」。
演奏時間が約1時間20分という巨大な作品だが、実はここぞという聴き所がある。それは曲が始まって約1時間10分後に静かにやってくる。「復活せよ。」日本語だとやけに野暮ったいが、合唱が最初にア・カペラで静かに歌い出すところだ。全身にゾクゾクっと電流が走り、目を閉じるとまぶたの奥が熱くなってくるのが判る。この数十秒のア・カペラのためにそれまでの1時間超の音楽はあると言っても過言ではない。そこだけを聴いたのではだめ、それまでの1時間超があるからこそ琴線に響く贅沢な時間である。

 オヤジは、大植の指揮を初めて見たが、大変にエネルギッシュであり、表情が豊か。身振り手振りの大袈裟ともいえるところは、多分に指揮者でもあったマーラーの指揮ぶりを意識していたのかもしれない。その大きい振りとは対照的に、とても緻密なアンサンブルを作り上げていると感じた。まさに指揮者はオーケストラという楽器を演奏するプレイヤーなのだということを実感させてくれた。
まだまだ、大フィルの方がこの大植の要求に応え切れていないなという印象もあったが、まだ音楽監督デビュー戦。きっと、大植は大フィルサウンドを生まれ変わらせてくれるに違いない。

 こういういい演奏を聴いた後の酒はまた格別。先月同様、焼鳥「六源」に足を運ぶ。その日の朝絞めの肉だけを使っているからこそ可能な肝さし、トロっと舌の上溶ける感触がたまらない。プリっと脂ののった三角、せせりもコクのあるクラシックラガーによく合う。カウンターで若いカップル2組に挟まれて一人「オヤジ論」なる新書を読みながらグラスを傾けるオヤジは、まさにオヤジ以外の何者でもない。若いモンに言いたいこともあるが、(特に左隣に座っていた香水プンプン、ヤニ喰いながら料理を食べ、味も解らんくせに名前だけ知っているエセ通ぶって「神の河」を水割りで飲んじゃって、どうも別の男からの電話が携帯にかかって適当にあしらっていた、舌足らず、いや脳足らずの話し方、軽薄な甘ったるい声のオマエじゃ!)今回は至福のマーラーに免じて許してやろう。

 

4月29日(火)

 素朴な疑問。イラクの戦争はほぼ終結したが、ブッシュが大義名分としていたイラクの大量破壊兵器の存在がとんと聴かれない。ウソを言っていたのは、イラクなのか、アメリカなのか???どうも、世界はアメリカの方が実はウソツキであることを見抜いているに違いない。浮かれるブッシュは、世界はアメリカのためにあると勘違い?

 素朴な疑問。統一地方選挙の第二弾。汚職で逮捕され刑務所で服役する元市長を市議にトップ当選させる有権者の見識とは何か?住民運動と反対のことを主張する候補者が当選する住民と有権者の意識のズレの不思議。有権者の過半数はおろか、投票の過半数もとれていなくても、相対的に票が多ければ当選し、「主張は有権者に支持された」と恥ずかし気もなく言えてしまうもの。そろそろ、投票が平日にコンビニでも気軽にできるようしてみたら・・・。
 衆愚は進むかもしれないが、有権者の気まぐれによる矛盾はむしろ起こらなくなるに違いない。ま、自民党が自ら不利な方向に変えることに賛成するとはとても思えないけど。それにしても、「参政権」くらい当たり前になって軽んじられた権利は無いだろう。この権利の獲得のためにどれだけの人が命をかけた歴史を積み重ねているか。まさに現代平和ボケ日本。
 さて、議会はマスクなど許さぬほど神聖らしいが、そこで巣食う議員のあまりの俗人的で滑稽なこと、マスクをけしからんと口角泡を飛ばす「先生」ほど、厚顔無恥な分厚いマスクをかぶっていることなど市民はとっくに知っている。突っ張って、さもそうあらねばならないと気張っているのは、結局のところ「先生!」と呼ばれて悦にいる当の議員達のみ。
 議員が偉いわけではない、「議員という役割」をキチっと果たす人が、結果として尊敬に値するだけ。そこのところ勘違いして偉そうに胸を張ってそりかえる「先生」のなんと多いことか。

 発泡酒増税に伴う仮需に期待した業界の盛り上がりに比べ、お客様の反応は醒めたもの。それにしても、売場では相変わらず商品名さえ確認できないほど、大きな景品をベタベタと貼り付け、しかもその景品には全く別の商品名のロゴがクッキリと、印字されていたり、発泡酒2ケース+オマケ入りのパックにこれでもかとばかりキャリーや他ブランドのオマケを付けまくってなんとか増税前に捌こうとする光景。5月以降もそんなタタキ売り商品は、確実に存在し、お客様に買っていただかなければいけないんでっせ!それも、今までより高い値段で。誰が「買いたい」と思いますかね。そんな景品付き商品。
 どことは言いませんが、業界のトップ企業は最低限の見識くらいは、市場で示して欲しいものです。業界あげての叩き売りじゃ、業界自体を叩き売っているようで、働く者が空しくなるだけ。

 

4月20日(日)

 発泡酒が5月1日から350ml缶1本で約10円増税される。実質として1ケース240円程度の値上げになる。今までの感覚だと、安いうちにある程度買いだめしようとする「仮儒」という現象が起きる。メーカーにとっては、ここでの勝負が重要なキーであり、各社売り負けるなと活動が活発化しているが、今までのところ、お客様の方がイマイチの動きなのだ。
 そうは言っても、これから最後の10日間。特に来週末は通常のGW需要、月末需要とも重なって動きが活発になるに違いない。いや、そうあってもらわないと、業界人であるオヤジとしても少し寂しい。
 お客様は何故動きが鈍いか?
 きっと、そもそも発泡酒増税など、新聞でも報道はされていても、所詮騒いでいるのは業界だけで、一般のお客様は大して関心も無く、増税されるという認知すら無いに違いない。そういえば、配偶者特別控除が来年から無くなることですら、どれだけの現在配偶者特別控除の対象者が知っているのだろうか。
 あるいは、発泡酒の増税を認知していたとしても、だから安いうちに買いだめしなければいけない程、発泡酒は家庭で主役でなくなってきているのかもしれない。増税で値段が上がるなら、上がらないチューハイを飲めばいいくらいに思っているに違いない。もう飲み屋で「とりあえず、ビール」の時代は終焉を迎えつつあり、中年オヤジでもいきなりチューハイを飲んだりする時代なのだ。
 いずれにしても、これから10日間、発泡酒戦線がどのように推移するか。業界人オヤジにとっては、正念場の10日間。

 

4月14日(月)

 1月10日の雑感に書いたが、今月から新しいシーズンに入り、大フィルの定期演奏会場がシンフォニーホールに移ったので、今日は演奏会後、自分で決めたとおり「六源」に行った。
 オヤジは、基本的に一人で店で飲むのは得意ではないが、ここだけは別。大将、おかみさん、そして修行中のU城クンと言葉を交わせて一人である苦を感じること無く、楽しめた。
 次は5月9日。お店も混みあう週末。それでも、オヤジは決めたことには拘る。お財布的にも月イチが適度。

 

4月12日(土)

 前回の雑感からほぼ20日が経った。イラクでの戦争は終盤にさしかかっている。

 この間に、日本では桜が咲き、肌寒い中でも花見で盛り上がり、統一地方選挙も最初の投票日が早や明日となった。
 町には、いかにも新入社員然としたスーツ姿が闊歩し、春休みを終えた学生達で電車は一年中で1番混んでいる。
 そう、日本ではなんだかんだ言ったって、普通の日常が進行しているのだ。
 オヤジにとってはこの20日でほぼ杉の花粉が終結。今年は花粉量が多く、鍼の効きもイマイチだったが、ようやく終わってホっとした。これも普通の日常の進行。

 

3月22日(土)

 アメリカが戦争を始めた。オヤジも戦争は基本的には最後の手段だと考えている。アメリカは最後まで努力できなかった。きっと、9.11の呪縛に違いないとオヤジは感じる。大国で唯一本土での戦争を経験していない国だから、自国本土の中心で起こった9.11は衝撃だったのだ。9.11はテロだから戦争とは違うが、これがアメリカをいたずらに感情的にしているようにオヤジは感じ、ブッシュはこれを利用した。実は目の前で自分の国が崩壊していく経験は、日本は唯一被爆を目の当たりにした、フランスはパリをドイツに一時明け渡した、イギリスもロンドンは激しい空襲を浴びた、ロシアはソ連時代にヒットラーと死闘を演じた、ドイツ、中国はもういわずもがな。だから、本当に最後の最後、ここはやらなくてはいけないと誰もが思うまで戦争を避ける努力を続けなければならないと、アメリカ以外の国は解っていた。残念ながら、日本は己を貫く行動ができなかった。自分の言葉で語らない小泉首相を観ていると残念だ。
 

 昨日、あまりの天気の良さにドライブがてら丹波立杭焼の里、篠山市今田(こんだ)町に行った。意外とオヤジの家からは近く、約1時間弱でなんとも素朴な山の里の風景に到着。素朴ながら、使えば使うほどいい色合いになっていく丹波焼世界を堪能した。しかし、花粉量も山の里だけに半端ではなく、3回の鍼治療で快調に済んだ昨年とは大違い、今年は既に昨年以上の鍼治療を行っているにも関わらず、着いてしばらくすると鼻水は止まらず、くしゃみも連発だった。早くこの季節が終わって欲しい・・・

 

3月16日(日)

 風邪がなかなか治りきらない。どうも、花粉症も併発しているようで、鍼の効果も昨年ほど長期に持続しない。我ながら頭の中にこもったような鼻声がここ2週間続いている。
そんな中で、先週彦根で7年目のエコーメモリアルチェンバーオーケストラのコンサートがあった。本来、エコーのページに内容を載せなければいけないのだが、風邪のせいにするのはずるいとは思いながらも、なかなか手をつけようという意欲が湧かない。ま、次の3連休にはなんとか・・・。少なくともオヤジにとっては、単に体調不良、練習不足といった反省だけでなく、いろいろと考えることの多いコンサートだった。

反面、うれしいことがあった。先月、オヤジが仕事上の考え方で勝手に師と仰いでいる人が本を出した。なんと、末尾にオヤジの名前を載せていただいている。同じように並んでいる名前は錚々たる学者、研究者等マーケッターの方々だ。細々ながらも実際に活動する実践家として認めていただいていることに喜びを感じ、また新たな活動の意欲が湧いた。10年程前にこの方が出された1冊目と基本的な趣旨は同じだが、その当時オヤジの周囲ではそんなことをいっても「お説ごもっとも」と笑顔で流されていたのが現実だ。いよいよ世の中でその方向が主流になりつつある。内容も勿論ブラッシュアップされている。オヤジ自身も共感し、自分自身として実践しているつもりでも、本当に自分のモノになっているかというと、メンバーに説明しようとする時に説明仕切れないもどかしさに理解の未熟さを感じていた。
それだけに、今回の本で改めて頭の中が整理され、また説明しきれないメンバーには「これを読めぃ!」と言うことで説明不足も解消できる。なんか抽象的な記述になった。そりゃ何じゃ?という方のために最後にその本をご紹介しよう。

◆実学入門 なぜ売れないのか 〜営業力は「仮説力」で決まる〜 稲垣佳伸著 日本経済新聞社刊 1600円

 

3月2日(日)

 先週末から、久しぶりに風邪をひいた。今日は鼻水がとまらない。どうも風邪だか花粉症だかよく解らない。
昨年から花粉症対策で、鍼をうっている。昨年は、花粉が少なかったこともあるが、シーズン中に3回ほどうったおかげで、全く薬のお世話にならずに快調に済んだ。
今年は花粉が大量ということで、既に2回鍼をうっている。風邪を引くまでは快調そのものでやはり鍼効果絶大かと思っていたのだが、どうも花粉量が勝っているのか、風邪薬をのんだために鍼の効果が減じられてしまったのか、鼻水が止まらない。(汚い話しですみません。)とにかく風邪を治すことが先決だ。こういう時は、ほんとに何もやる気がおきないが、ダルイ体に鞭打ちながら、今週末にある彦根のコンサートの準備をした。メインのドヴォルザークがやはり難物。
この他にも雑感いろいろあるのだが、なにしろダルくてなかなか書こうという気が起こらない。今しばらくの辛抱。

 

2月18日(日)

 ホント、携帯電話と始終睨めっこして、右手の親指が忙しげに動いている人が増えた。
携帯電話のスイッチを切ってくださいというアナウンスが空しく聴こえる。かくいうオヤジも正直に言うと、電車に乗る度 にスイッチを切ることなどしていない。というか、どれだけの人がスイッチを切っているのだろう。そう考えると、そろそろあのアナウンスも考えた方が良いのではと思う。
勿論、ペースメーカーに悪影響を及ぼす可能性はあるが、誰もが駅名案内と同じ決まり文句として聞き流している。携帯電話に限らず電磁波の問題は、電車内に限った問題ではない。とにかく巷には電磁波が溢れかえっているのだ。
ただ、さすがに電車に乗っている間どころか、道路を歩きながらでも携帯電話に向かってタラタラと歩いている輩には、ええかげんにせい!と言いたいところだ。

 

2月2日(日)

 貴乃花の引退に関して、「己を貫く」という一途の凄まじさを感じた。それは、引退に際して各局で繰り返された軌跡の中で端的に表われていたように思う。一方でそれはマスコミの日和見主義の裏返しでもある。引退表明を境にこれほどまでに態度が豹変するものか?かの横綱審議委員の面々も然り、とくに委員長の厚顔無恥は天然記念物ものだ。
 マスコミが常に「正義」の側に立とうとして露呈する日和見主義。ジャーナリストが、事件、事故が起こる度にしたり顔で発言すればするほど、貴乃花の一途さの厳しさが際立つ。決して高貴ではない、むしろ幼稚かもしれないが、簡単に真似ができることではない。

 「己を貫く」といえば、先月末で会社のオヤジの後輩が一人退社した。まだ、20代、たまたま研修部門にいた時に迎えた最後の新入社員でもあった。在社時代にはオヤジのメンバーだったこともあるが、オヤジの記憶に間違えが無ければ、当人に「オマエは、この会社には向かないから、早く辞めた方がいいよ。」と冗談半分、本気半分で面と向かって言ったはずだ。
 本人もいろいろ考えた末だろうし、まだ夢も方向性の段階のようだが、会社の枠組みを意識せずに思い切り夢の深さも幅も拡げていって欲しいと願う。
 オヤジも改めて自分の夢を振り返る機会となった。ただ、とてもお話できるレベルではない。

 「夢」といえば、宇宙の夢スペースシャトル「コロンビア」墜落の報は、アメリカ人ではなくとも9.11に近い衝撃だった。「夢」には常に裏側に「現実」がある。いや、裏側というより「夢」は「現実」を積み重ねる到達点だ。「夢」の実現には泥臭い「現実」との葛藤があり、「夢」が破れる時にも淡々とした「現実」の因果がある。さて、スペースシャトル「コロンビア」にはどんな現実の因果があったのだろうか?

 

1月26日(日)

 先週半ばの朝刊に、オヤジの住んでいる兵庫県が、自転車泥棒の増加率がNO.1という記事が載っていた。なんと前年比4割以上の増え方だそうだ。口惜しいが、これだけ自転車ドロの多い地域なんだと、変な感じだが妙に納得した。
 盗られても、それだけ自転車を盗みたい人がいるところなんだ。なんで、首都圏ほど駅から遠いなんてことも無いのに。ひょっとして、終電が早過ぎる、タクシーが少な過ぎる?

 もう一つ、小泉首相の大したこと無い発言にも妙に納得。ここぞとばかり意気盛んなイラ菅さんだが、公約守っていないと自民党を攻め立てる民主党こそ、党内バラバラごたごた続きで、政権交代野党という「公約」には程遠い。国民は、民主党が政権交代できるだけの党だとは思ってませんよ。人の振り見て、我が振りなおせ!ですね。増してや、「姿勢さえ変わらなきゃ、問題無い」なんて、まさに「振りしてるだけぇ〜!っ」って、自ら暴露しているようなもんじゃあ〜りませんかっ!! 

 

1月19日(日)

 先週末に自転車が盗まれていることに気づいた。普段あまり乗っておらず、自転車置き場も死角になっているところにあるので、いつ盗られたかは解らないが、これで昨秋に娘のものが盗られたのに次いでオヤジの家では2台目だ。
 オヤジも盗られないようにチェーンで固定物と繋ぐ等の自助努力をしていなかったので、今のご時世では自業自得と言われるかもしれないが、同じ置き場から他にも盗まれている人がいると聞く。これは同一の常習犯がいるに違いない。
 車ですら、鍵をかけてでも盗られる時代。普通の国になった?いずれにしても、口惜しい、チキショー!

 

1月10日(金)

 久しぶりに焼鳥「六源」に行った。オヤジの通勤経路が変わったこともあり、以前だってそれ程頻繁ではなかったが、最近はそれ以上にご無沙汰続きだ。
但し、何もご無沙汰が悪いことだけではない。ブランクが空くと「ああ、やっぱりここの焼鳥は旨い!」という感動が引き立つ。朝挽きの肉の鮮度は勿論のこと、旨味を逃さないプリプリとした焼き具合が絶妙だ。三角(以前は皮に軟骨だったが、オヤジの好みにも変化アリ)の塩味加減もまたいい。
そしてオヤジの締めはいつも鳥味噌バターにゅうめん。濃厚な味噌とバターにニンニクと効かせたスープに、鶏肉とにゅうめんのバランスは絶品だ。これで帰りにちょっと小腹が空いてラーメン屋に寄ってしまうなんていう愚行は起き得ない。満ち足りた帰路は、独特の幸福感がある。

 店は相変わらずご繁盛。この日も9時前でも満席でウエイティングだった。やはり、売り物があるところには値段とは関係なく人が集まるものだ。
ただ、オヤジとして残念なのは、ご繁盛の裏返しで大将(とオヤジは勝手に呼んでいる)が閉店間際まで忙しく、なおかつお店を移転されて大きくなってから焼き場がカウンター越しで無くなったので、なかなかお話ができないことだ。
これも贅沢な悩みなのだが。

 4月からはオヤジが定期会員になっている大フィルの定期演奏会場がザ・シンフォニーホールに移る。そうすると場所的にはコンサート帰りに丁度立ち寄り易くなる。これはオヤジのささやかな楽しみごと。

 

1月1日(水)

昨年の雑感の冒頭は、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)のカウントダウンで上がった花火だったが、今年はTDL(東京ディズニーランド)で年明けを迎えた。
 昨年との違いは、やはりTDLはパレードがある分、特定の場所に一斉に人が集まることだろう。カウントダウンパレードの場所とりは、カウントダウンパーティの予定を30分繰り上げた入場開始直後から始まっており、我々のようにのんびりと正規の入場時間に合わせて来園し、入場するまでに既に30分経過しているモノにはパレードを間近に見ることすら至難のワザなのである。といっても、遥かかなたにミッキーが見えただけでもラッキー?花火がよく見えますよ、のアナウンスに座った冷たい地ベタも、いざ花火が上がってみれば木の陰でまともに見えず、上の写真は急遽立って移動した末(当然、他の人たちもゾロゾロと)、ようやく収めた画像だ。
 それにしても、こういった終夜イベントに幼い子供や乳母車で赤ん坊を連れた若夫婦も多い。増してや、真冬の寒い屋外イベントだ。幼児、増してや乳児にとっては楽しみというより、過酷な環境である。恐らく、物心ついても記憶すら曖昧に違いない。オヤジは、ようやく子供も中学と小学校高学年寸前とそれなりに大きくなったので昨年より踏み切ったが、どうみても彼らとその子供達を見ていると、自分の楽しみのために子供に負荷を強いているとしか思えない。
 親が我慢ができない。豊かな時代の刹那の快楽主義か。こんな環境で、子供が我慢のできる子供に育つはずが無い。
 年初早々からのオヤジこと年寄りの冷や水。親が我慢すべきところは我慢しろ!

 


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