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チベットについて
チベットは、ヒマラヤ山脈の北側の平均海抜4,500mの「チベット高原」に位置する、かつてラサを都とする独立国「チベット」でした。
人々は、チベット語を話し、チベット文字を使い、生活はヤクや羊を放牧し、大麦を主とした農業を営み、
チベット仏教を信仰し、独自のチベット文化を形成してきました。
しかし現在、チベットと呼ばれる国は、存在していません。
現在の世界地図では、チベットという名称は、中華人民共和国の一自治区、『チベット自治区』として出ているだけです。
元々、チベットという国は、現在のチベット自治区だけでなく、青海省の大部分や、甘孜チベット族自治州など、もっと広い範囲で存在していました。
この広範囲のチベットは「ウ・ツァン」「カム」「アムド」の3つの地方で構成されています。
チベット自治区を含む「ウ・ツァン」地方、それに、甘孜チベット族自治州を含む「カム」地方。
そして、青海省の大部分と四川省、甘粛省の一部を占める「アムド」地方です。
現在のチベット自治区は「ウ・ツァン」と「カム」地方の西半分を含んだ地域で、チベット本来の伝統的な地域の半分ほどの範囲である。
チベット文化圏は、中国領のチベットだけではなく、その周辺の地域にも広がっています。
東は、インド領の「シッキム」それに「アッサム」の北部、そして、チベット文化の唯一の独立国の「ブータン」。
西は、インドの「ラダック」「ザンスカール」「ラホール」「スピティ」。
ネパールでは「ムスタン」「ドルボ」など。
さらに北は、内モンゴル、モンゴルやロシアの一部の地域にまで、及んでいる。
これほどの広大な文化圏がありながら、何故?どうして?チベットは中国に組み込まれてしまったのか?などということは、ここでは省きたいと思いますし、
一介の旅人が、このような問題に深入り出来るほどの知識も人脈もございません。
ただ多少なりとも、チベット問題を知っているのと、知らないのでは、中国に対しての印象が大きく変わることだと思いますし、
このサイトを見たのを機に、このような問題が存在し、現在も続いていることを知っていただければ、今後の人生の役に立つかもしれません。
ただ、中国(漢民族)に国土を奪われ、文化も破壊された過去。
そして、現在、チベット民族の宗教と精神をも侵略し、食い物にしている中国に対して、俺は、怒りすらおぼえる。
ビジネス、資本、経済至上主義など、大きな波がチベットに降り注いでいるが、チベット人には、民族の誇りを持ち続けていて欲しい。
チベットには、さまざまな政治的な問題がありますが、Asian Diary 2004では、
一人の旅人が、チベット文化圏を旅した旅行記として、皆様に楽しんでいただければと思っています。
上記の地図について
1.いわゆる現在『チベット自治区』と称されている地域で、1950年に「人民解放軍」に侵略されて、
1965年に自治区となった。現在、チベットと言えば、チベット自治区のことを指すが、本来の半分ほどの地域。
2.現在、『青海省』となっている地域で、本来チベットのアムド地方の大部分を含む。
1950年に中国の地区と宣言された。
2006年7月、ゴルムド〜ラサ間の鉄道が開通した。
3.『甘粛省甘南チベット族自治州』は、本来アムドの一部で、1958年〜64年の間に甘粛省の中で、
自治州として再編成された。
4.『アバチベット族自治州』も本来はアムドの一部で、1950年以前から自治州とされている。
現在は四川省に編入されている。
景勝地の『九寨溝』『黄龍』がある。
5.『カンゼチベット族自治州』はカムの一部。一番最初に中国人民解放軍の侵略を受けた地域(1950年)
で、現在は四川省に併合されている。
カムパ達は、最後まで中国軍に抵抗し、インドへ亡命するダライ・ラマを中国軍から守った。
6.『デチェンチベット族自治州』も元来はカムの一部で、
その一部は1950年以前に雲南省の中で自治州として宣言されてきた。
2002年に「香格里拉」と改名し、観光開発に邁進している。
参考資料
http://www.tibet.to/mondai/index.htm
http://www.tibethouse.jp/history/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
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