あわや乱闘!?(ジェクンドにて)

     バスは、早朝の石渠(セルシュ)の街を、ゆっくりと走り出した。
    昨夜は雪が降っていたようで、車窓の風景は、一面の銀世界だ。
    ヤクの黒い毛が、遠くからでもよく目立つ。
    やがてバスは、峠を越えて、高度を下げた。道は、相変わらず悪路で、その上、車内はとても寒い。
    車窓の風景も、起伏の激しい、雄大な景色から、なだらかな山々が連なる風景へと変わり、
    四川省の甘孜チベット族自治州を後にして、青海省へと入っていった。

     青海省へ入ると、これまでの悪路とは一変し、舗装された道路へと変わった。
    バスも、今までのノロノロとした運転がウソのように、速度を上げていった。
    そして石渠を出てから4時間後の午後12時に、標高3,680mの街、玉樹(ジェクンド)に到着。
    ジェクンドとセルシュの標高差は、400mほどだが、少しだけ暑く感じた。
    街を見渡せる丘の上には、絶対に行くであろう、ジェグ・ゴンパが見える。
    街は、カンゼ、セルシュと比べると、かなり大きな街だと感じたが、俺自身は、ジェクンドが、これほど大きな街だとは、思ってはいなかった。

    ジェグ・ゴンパ全景。

     ガイドブックに載ってある宿を目指しながら、街を歩いた。
    道端には、ヤクの毛皮が積まれていたり、派手なチベットの民族衣装を着た女性が歩いていたり、これまた派手なバイクにまたがった男がいたりと、今まで見てきた光景と、あまり変わりはないが、あまりにも街が、中国的な無機質な造りなので、感動もあまり持つこともなく、今回の宿、玉樹賓館に着いた。
    部屋には、ベッドが2つあり、1ベッド=40元のところ、俺は一部屋を40元で使わせてもらった。


     昼ご飯は、近くの食堂で炒面(焼きそばのようなもの)を食べたが、辛すぎて、舌がマヒして、ほとんど食べられずに、近くにいた乞食の老婆に、残りを全部あげた。
    そして、街を散策するが、俺が、あまりにもこの街に期待をしていただけに、この中国的な四角い、コンクリートの枠組みの街作りに違和感があり、あまり歩くことはなく、部屋へ帰った。
    何か肩すかしを食らった感じだ。

    僧坊と僧侶達

     翌日、ジェクンドのメインでもある、ジェグ・ゴンパへと向かった。
    天気も良くて、気分が良いです。
    俺が、ジェクンド(玉樹)へ来たのは、ジェグ・ゴンパへ行ってみたかったからだ。
    人に道を尋ねながら、ゴンパの麓までやって来た。
    ここへ来るまでに、旧市街と呼ばれる、チベット人住宅街を歩いていたが、ウンコとゴミだらけで、汚くて、臭かった。

    ここで会った、チベット人の母子と一緒に、丘の上を目指し歩き始めるが、俺だけ、もう息が上がっている。
    途中の道には、チョルテンが建ち、白いタルチョが風になびいている。
    ジェグ・ゴンパは、チベット仏教の宗派の中で、サキャ派と呼ばれる、宗派に属しており、そのサキャ派の特徴が、建物を濃紺の壁に赤と白のストライプを所々に、施している、独特な色使いだ。
    ゴンパの創建は、13世紀で、文化大革命によって、徹底的に破壊されたが、現在は、再建されている。


    息を切らしながら、ようやく丘の上にたどり着いた。
    本堂がある建物の前では、薄い石で、屋根の葺き替えをやっている建物もあった。
    俺は、一人の僧侶に案内されて、ジェグ・ゴンパが見渡せる場所へと、導かれた。
    ここからは、ガイドブックと同じ、独特な色使いをした僧坊群が立ち並ぶ、圧倒的な風景を見渡せた。
    山の上には、廃墟があり、城(ゾン)だと言う。
    さらには、ジェクンドの街、全体も見渡すことが出来、俺はすっかり大満足。
    僧侶達との撮影会も済まし、ゴンパを降りて街へ。

    左:ジェグ・ゴンパの本堂 右:肉を切る僧侶

     街の通りを歩いていると、民族衣装を着て、多くのアクセサリーを身につけている、女性二人が歩いていた。当然、写真を撮りたくなったので、俺は、彼女たちの写真を撮ろうとしたら、知らんオッサンが、何処からともなく現れ、なんか文句を言ってきた。
    俺は、また中国人に間違われて、文句を言われているのだと思っているが、どう対処していいのか分からないくらい、オッサンは、興奮し、俺に文句を言いつけている。

    俺はオッサンに「俺は、日本人で、あんたが何を言っているのか解らない。」と中国語で言うと、オッサンは、さらに怒りだした。
    俺も、わけわからんことに巻き込まれて、腹が立ってきたので、日本語で「なんやねん!!オッサン!文句言いたかったら、日本語で言え!しばくぞ!」とちょっと大きな声で言った。

    このころから人が集まりだし、その中に、僧侶がいたので、身振り手振りで事情を説明し、僧侶はオッサンに説明してくれて、オッサンも理解をして、一応、謝罪をした。
    やっぱり、俺は中国人に間違われて、文句を言われていたようだ。
    これで一件落着かと思いきや、さっきのオッサンが、俺がジャンパーに付けている、方位磁石を手に取り、「くれ」と言ってきた。
    「はぁ、なんでオマエみたいな、わけわからんヤツに、物をあげなあかんねん!」と俺は、オッサンの手を払いのけた。するとオッサン、今度は、俺の腕を掴み、離さない。
    俺は再び、オッサンの腕を思いっ切り振りほどき、突き放し、反対車線へ逃れた。

    ジェグ・ゴンパから見た街

    以前、カンゼで、漢族とチベット族の喧嘩を目撃したことがあった。
    最初は、1対1で喧嘩をしていたが、3分も経たない内に、漢族の人は、多数のチベット人に囲まれ、ボコボコに殴られていた。そんな光景を一瞬にして、思い出し、俺は、とっさに反対車線に逃げた。
    オッサン、それと野次馬達が、何か言ってるが、わけわからんし、どうでもいい。

     あっームカツイタ!
    だいたい、中国人がチベット人に対してやってきたことが悪すぎるから、こんな事になるのだ。
    俺がこんな目に遭ったのは、中国共産党、あんたらのせいです。
    これを機に、ジェクンドの街が、一気に嫌いになったので、予定より早いが、明日の西寧行きのバス切符を買った。




    何もしたくない日。(西寧にて)

     今日は何もしない。
    別に今日を何もしない日と決めていたわけではなく、朝、起きて、宿代に含まれている朝食を食べ、
    部屋に戻ってきたとき、もう少しだけ、横になっていようとベッドに入った。
    そしたら、もう何もする気がなくなった。体が動かないと言うか、旅のエンジンがかからない。

     四川省の省都、成都から、チベット・カム地方を通り、青海省の省都、西寧までの約2週間、
    自分なりに、気が張っていたのだと思う。
    西寧に着いたのは、2日前。
    ジェクンド(玉樹)から、バスで13時間15分。到着したときには、夜中の12時を過ぎていて、宿探しに苦労したが、体を休める目的もあり、または、自分の日常生活に近づけるために、
    1泊=130元のホテルに泊まっている。

     僕は、いつものようにコーヒーを飲もうと、昨日、水を入れて置いた、電気ポットの中を覗いたが、
    水はお湯に変わっていることなく、ただ放置した水のままだった。
    すでにカップに、インスタント・コーヒーの粉末を入れた後だったので、放置された水をカップに注ぎ、
    粉が入っていた袋を棒状にして、グルグルとかき回した。
    粉は一つのかたまりとなって、なかなか崩れて、溶けてはくれない。
    僕は、かき回す手を止めて、冷たいコーヒーを一口飲んだ。「やっぱ、まずい。」と、粉末が、溶けずに浮いたままのコーヒーが入った、カップをテーブルに置いた。

    テーブルの上には、時計とペットボトルの水、灰皿、それに一冊の本が置いてある。
    この本は、カンゼで1/3ほど読んだところで止まっていた。
    僕は、その本『西蔵放浪』を手に取り、続きを読み始めた。

    ジェクンド(玉樹)〜西寧へ向かう途中の風景。

    僕は、この本に書かれているような、荒涼とした大地には、まだ足を踏み入れてない。
    僕が今まで、歩いたのは、街と、チベット住宅街とゴンパだったりと、人里を離れてはいない。
    この本に書かれた風景を見たとすれば、それは、移動中、ほとんどバスに乗っているときだった。
    チベットは広いし、まだまだ旅は続くので、僕が荒涼とした大地を歩く可能性は、まだまだあるだろう。
    僕は、本を読む手を止めて、7階のこの部屋から西寧の街を見下ろした。

     チベット高原が広がる、アムド地方の入口にあたる、標高2,250mの大都市、西寧は、
    昨日は、雪が降ったりと、ものすごく寒かったが、今日は朝こそ曇ってはいたが、
    今現在、午前11時23分の時点では、晴れ間が広がっている。
    チベット文化圏では、見ることがなかった高層建築。そのビルの上には、人工衛星のような球体がのっかり、そのビルの下には、小学校が見える。
    小学校の運動場では、朝から、音楽を鳴らし、小学生達が行進をしたり、運動したりしている。

    6車線の大通り(北大街)には、車、バス、タクシーが絶えることなく走り、大通りから、小学校の運動場が見える位置には、父兄だろうか?人垣が出来ており、子供達の姿を見守っている。
    そのため、6車線の大通りの1車線が駐車場となって、使えない状況である。
    今日は平日だというのに、大人達は、子供がかわいくって仕方ないのでしょう。

     僕は、粉末がすっかり溶けたコーヒーを飲み、タバコを1本、吸った。
    そしてまた、1泊=130元の部屋のフカフカベッドに横になった。
    ジャンパーは、いつ洗おうか?チベット・カム地方の旅で、すっかり砂埃まみれになったジャンパーを洗いたいが、ここ西寧は、思っていたよりも寒く、これがないとキツイものがある。
    洗濯物は、嬉しいことに、すぐに乾くが、タイミングが難しい。

    そんなことよりも、せっかくの中国語文化圏なのだから、日本で勉強していた中国語を使って、
    街を歩かなければ。
    しかし、僕が覚えた中国語は、発音が悪いらしく、結局は筆談になってしまう。
    たまに最初のやりとりが上手くいっても、その先の単語が解らずに、やっぱり筆談になってしまう。
    僕も、いちいち気にはしてないが、会話が成立すると、やっぱり嬉しい。

    やっと旅のエンジンが、かかってきたので、服を着替えて、街に行ってみよう。
    僕は、残ったコーヒーを飲み干した。

    西寧の市場にて