エピローグ-heartbeat-
やっと終わった。
長かった。この旅を過去にすることも、この日記の更新も。
2004年10月に帰国して、この旅は、いろんな人達と出会い、話し、接し、自分自身、思うこと、考えることが多くて、また、さまざまな感情がわき起こり、この旅を想い出にすることが、なかなか出来なかった。
この日記を書き始めたのが、2006年3月だったが、久しぶりの社会復帰で、ストレスが原因の病気にもなり、また、フィルム・スキャナーの故障もあり、本格的に日記の更新を始めたのが、2006年10月からだった。
それから、1年半、やっと終わった。
旅で書きつづった日記を読み返し、サイト用に、書き直す作業をして、写真を眺め、ゆっくりと、ゆっくりと旅を過去へともっていくことが出来た。
今思うと、この時の旅は、自分の人生にとって、かけがえのない旅だったと、改めて思った。
7ヶ月も旅をする。
こんなこと、会社勤めをしている多くの人にとっては、不可能だ。
2001年に会社を辞めて、旅を続けてきたが、この4年半の間、旅の中で、さまざまな人達と出会い、そして別れを繰り返してきた。
日本で、旅をせずに、生活していたら、絶対に会うことはなかった人達と、旅という中で、話しをして、自分自身の将来を話したり、聞いたり、ひとときの旅を共にしたりと、旅をしていた人、また、日本で生活をしている人、それぞれの生き方が、存在していることを感じることが出来た。
僕のような生き方も、その中の一つだと言うことも。
そして、今回の旅は、チベット文化圏をテーマにした旅だった。
帰国して、4年間の間に、僕が訪れた地には、さまざまな出来事が起こった。
・インド、ジャンムー・カシミール地方の地震。(2005年10月)
・デリーでの連続爆破テロ。(2005年10月)
・東南アジア、インドなどを襲った、スマトラ沖の地震、津波。(2004年12月)
・ネパール情勢の悪化。(2006年)
・タイのクーデター。(2006年9月)
・西蔵鉄道(ゴルムド〜ラサ)開通。(2006年7月)
・ヒマラヤでの人民解放軍によるチベット人、射殺。(2006年9月)
・チベット、ラサ、周辺地域の暴動やデモ。(2008年3月,4月)
などなど。
特に、チベットに関しては、チベット人の不満など、抑制されている現状を知ってしまった故に、出来事に対して、チベット人の民族と誇りを取り戻せるように、なれば良いと思っている。
ラサを物質的に豊かにし、伝統的な生活に戻らせない政策、漢民族移住の奨励、チベットの文化を踏みにじった都市計画、ダライラマ14世批判、パンチェンラマ11世問題、密告、抑圧された宗教と自由などなど。
チベット人のアイデンティティーを完全にないがしろにしている、中国政府が行っていることは、絶対に正しくない。
人々が、幸せになれるって、どういうことなんでしょう?
そんな事、僕が考えても、どうしようもないけども、そんな考えを持てるようになったのも、旅のおかげだ。
そして、旅で出会った人達のおかげだ。
旅に出て、「自分探しの旅」だと、言う人もいるが、それは、もう見つかってると思う。
だから、旅に出たのだと思う。
旅は、旅人を成長させます。
過去の自分を一回りも、二周りも、成長させます。
人と出会い、話しをして、別れて、いろんな国や地域へ訪れ、人々と出会い、別れ。
そこで、自分の価値観を覆させられたり、壊したり。
あたりまえのことだが、どこの国でも人の生き方は千差万別だ。
それを理解出来なければ、旅や日本での生活は楽しくない。
人と接することが、大事だということ。
自分と、相手に向き合うことが、大切だということ。
答えは、それから出せばいい。
何書いてるか、よく分からなくなってきたが、
僕が、アジアの旅で、求めていたのは、なんだったんだろうか?
旅って、どういうことなんだろうか?
生きる事って、どういうことなのだろうか?
そんな答えが、この旅で、少しだが、分かったような気がしたので、僕は、旅を辞めた。
答えは、簡単だったが、決して、人生の遠回りをしたとは、思っていない。
恐い思いをしたこともあった、良い思いをしたこともあった、悲しい思いをしたこともあった。
自分自身が、壊れそうになったこともあった。
しかし今は、旅で出会えた、全ての人に感謝。
コープンカップ、カムオン、チューズデンパデェ、コップチャイ、オークン、トゥジェチェ、謝謝。
サンキュー、ありがとう。
--旅は、出会いと別れが多すぎる。--
でも、またいつの日か、旅をしてみたい。
カメラをぶら下げ、出会いと別れに感謝をして、旅をしてみたい。
いつの日か。
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