八江風雨橋の悪ガキ達
朝7時頃、勝手に目が覚めた。
もっと寝たいなと思いながら、ベッドの上でボッケーとしていたが、腹が減ってきたので、朝飯を食いに外へ。
古びた民家のような食堂へ入り、久しぶりのお粥を食べた。朝のお粥は最高!
昨日、見たかった程陽風雨橋を見ることが出来たので、今日は、もう一つの三江名建築『馬胖鼓楼』へ行ってみたいと思っています。
昨日に引き続き、旧バスターミナルへと行き、『馬胖鼓楼』へ行きたいと軽トラックバスの運チャンに訪ね歩くと、みんな『八江』まで行って、そこで乗り換えればいい。と言うので、言われたとおりに、軽トラックバスに乗って、八江へ。
昨日行った『程陽風雨橋』や『馬胖鼓楼』は、三江の町中にあるのではなく、どちらも街から数十キロ離れた、場所にあります。
やがて軽トラックバスは、八江の小さな街へ入ろうかというとき、目の前にデッカイ風雨橋が姿を現した。
ここへ来るまでにも、小さな鼓楼がある村を見ましたが、この八江の風雨橋は、俺に何か良い予感を与えた。
「すっげー!見てみたい。」
馬胖鼓楼へ行くつもりでしたが、もうどうでもよくなり、俺は八江風雨橋へと向かった。
八江風雨橋
程陽風雨橋と違って、八江風雨橋は観光地ではないので入場料はないし、お土産屋さんも並んでいない。
風雨橋の中には、お婆さんが孫を連れて、のんびりとベンチに座っていたり、子供がかくれんぼしたりと、近所の人々の集いの場となっています。
なんかこういう光景を眺めているとホッとします。
龍勝の各民族の村へ行ったときも、程陽風雨橋へ行ったときも、観光客の俺にたいして、「お土産買わないか?」と言い寄ってこられていたので、普通をなかなか感じられなかった。
風雨橋を渡りきると、目の前には小学校がありました。
入ろうか、どうしようか?迷い、とりあえず校舎の周りを歩き始めた。
ほんの少し歩いたところで、民家の庭のような場所へ出てしまい、そこで少年3人と出会った。
俺は少年達に「学校は?」と言う感じで校舎を指さしたところ、少年達はウン、ウンと頷いた。
どうやらコイツ等以外は授業中らしい。
そして少年達は、「着いてきな。」と言う感じで、俺を小学校の校門まで案内した。
ちょうどその頃には、お昼休みになっていたようで、休憩中の子供達が寄ってくるわ、寄ってくるわ。
「おー!外人がおる!日本人やって!カメラも持ってんで!」って感じなんでしょうか?
子供達は、俺を珍しい生き物のように見つめたり、触ってきたりしてきます。
風雨橋の中にて
写真でも撮ろうと子供達の前にカメラを向けると、たくさんいた女子がその場から離れ、変わって男子の群がなだれ込むように、押し合いながら、カメラの前に。
俺も小学生の時は、こんなんだったような。
数枚の写真を撮って、フィルムもなくなり、そろそろ潮時かと思い、その場を離れることにした。
みんなに「謝謝、謝謝、再見。」と言って、俺の周りにいた子供達に手を振ると、子供達も大きく手を振って、さらには、校舎にいた子供達も俺に向かって手を振ってくれていたので、そっちにも大きく手を振って、俺は小学校を後にした。
何か、なんもしてないのに親善大使にでもなった気分です。
「楽しかったな。」と風雨橋のベンチに座り、煙草を吸っていると、最初に出会った3人の少年が再び俺の下にやってきた。
で、コイツ等は、クソ生意気にも、煙草を吸いながら、俺の前に手を出して、煙草をくれ。
と言うではないですか。
「だいたい何でオマエ等小学生が煙草を吸ってんねん!で、何で俺がオマエ等に煙草をやらなあかんねん!」
俺は日本語でそう言い、煙草の箱に書かれた文字、『吸煙有害健康』という文字を差し、ちょいとばかし、お説教してやった。
少年達は、諦めて帰っていったが、俺の言うことなんか焼け石に水だろう。
中国では山間部へ入ったあたりから、少年達が煙草を吸う光景は何度か見ました。
八江のクソガキ達(左から4人)
風雨橋を後にした俺は、八江の街散策を少しばかりした。
クソ田舎という感じで、小さな市場と食堂と雑貨屋兼服屋のような店があるだけで、街と言う言葉が当てはまらない、小さな街でした。
八江よりも大きい三江の街へ戻ってきた俺は、明日の柳州行きのバス切符を購入。
龍勝では、タクのオッチャンに連れられて、色々と行きましたが、三江でのように、自分で勝手に行った方が旅は楽しいなと、改めて感じた。
夕方、宿の部屋へ戻ると、俺のベッドの上には、今朝屋上に干していた洗濯物がきちんとたたんで置いてあった。謝謝、そして再見。