Wes Montgomery(g) with orchestra arr. & cond. by Don Sebesky:
Gene Orloff, Raoul Poliakin(vln) George Ricci(cel) Emanuel Vardi(vla) Hubert Laws, Geor-
ge Marge, Romeo Penque(fl.ob) Mike Mainieri(vib) Herbie Hancock(p) Ron Carter(b) Grady
Tate(dr) Ray Barretto, Bobby Rosengarden(per)
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Dec.20,1967
Goin' On To Detroit [3:30]
I Say A Little Prayer For You [3:10]
same personnel:
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Dec.21,1967
Up And At It [4:10]
same personnel with orchestra arr. & cond. by Eumir Deodato:
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Dec.21,1967
Down Here On The Ground [3:38]
Know It All [2:55]
same personnel with orchestra arr. & cond. by Don Sebesky:
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Dec.21,1967
The Fox [2:55]
same personnel with orchestra arr. & cond. by Don Sebesky:
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Jan.22, 26,1968
The Other Man's Is Always Greener [2:32]
When I Look In Your Eyes [3:03]
Georgia On My Mind [2:42]
Wind Song [2:18]
ジャズ・セッションではないという人もいるけれど、充分にジャズの要因があるとしてA&Mの
3作品中このアルバムが好きだ、というファンも多いかと思う。
ジャケットの全ては写真家ピート・タナーによる撮影が使われているが、私はこの写真が特に気に
入っている。
スペインと言えば白壁の家並みが美しいという印象が強いが、実はポルトガルの民家と言う事で白
地の枠取りが一層引立たせたレイアウトとなっている。撮影地の詳細はピートも思い出せないそう
である。
話しはクリード・テイラーのことで再三述べるが、ウェスにとってオリン・キープニュースが生み
の親なら、クリード・テイラーは育ての親というのは承知のことで、私個人としてはウェスとクリ
ードのコンビによる作品が一番の好みなんです。
《ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド》のページでも二人のプロデューサについて説明したが
【クロスオーヴァー改革運動家】としてマイク・ヘンネシーによるテイラーの珍しいインタヴュー
記事の全編を紹介したい。
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クロスオーヴァー改革運動家
マイク・ヘンネシーによるクリード・テイラーの珍しいインタヴュー
ジャズ・ジャーナル Nov. 1979
全てはここから始まった。
1965年クリード・テイラーがウェス・モンゴメリにR&Bの
リトル・アンソニとインペリアルズが64年末にヒットさせた
〈ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド〉を次のアルバム
に使ってはどうかと提案したが、ウェスはテイラーにはっき
りと「僕より君自身のものを失うことになるんだよ」と答え
た。
ウェスは初めためらっていたが結局レコーディングすべく説
得され彼自身のレパートリに組込まれてしまった訳である。
だがその《ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド》のアル
バムは66年のベスト・インストゥルメンタル、ジャズ・パフ
ォーマンスとしてグラミー賞に輝いた。
そして、ウェスにとって名誉をもたらす以上に彼の音楽的天
賦により不運な短い生涯の晩年2〜3年の間の経済的保証の
道を開いてくれたのである。
それがウェスに対して "裏切行為" とか "金儲け主義" とい
う噂が出始めたときでもあった。
1959年から64年の間、リヴァーサイドでのウェスの素晴らし
く伸び伸びとした独創的な作品に驚いた人もいるし、完全に
打ちのめされた人もいた。
ダウンビート誌での広告
しかしその反面、よりコマーシャル的になってしまった彼にがっかりした人もいる。
一方、彼の仲間のミュージシャンの苦しい生活という現実的光景があったし、5つ星の評価を授か
ったからといってそれがウェスの家族を養っていけるという保証はどこにも無かった。
マイルストーンの2枚組みアルバム《ブリティ・ブルー/M-47030》のライナー・ノーツにJ・テイ
ラーがこう書いている。
「私達は、ウェスの才能が放送業界の考え方に沿ったコマーシャル路線に変えられてしまったとい
うことを、後悔しなければならない。
ウェスの創造的なプレイに対する賞賛の全てはリヴァーサイドでのレコーディングといっても過言
ではない」。
しかしながら、他にも注目すべき事としての意義深い伝説がある。『ウェスは極度の疲労に達する
まで働いた。彼の数年の日課はフルタイムでの音楽に無関係な仕事の他に、ターフ・バーでの5時
間の出演、続いてミサイル・ルームでの2〜3時間の出演があった』。
次に『その後リヴァーサイドでの一連のレコーディング』であり、『彼のアルバムで多くのベスト
セラーに輝いたのはヴァーヴでレコーディングされたもの』ということだ。
誠実さを蝕む【商業主義】とジャズ・ミュージシャンが芸術的な【純粋主義】を演りぬくなか、フ
ュージョンあるいはクロスオーヴァー・ミュージックの大規模な出現に焦点を絞り込む以前に、自
分達の経済的保証を確立させる権利と範囲についての議論があった。
そしてプロデューサはクロスオーヴーの流れを生み出した他の誰でもない、クリード・テイラーだ
った。
1970年にCTIレーベルを独立させて以来、テイラーはディスコのような無価値なものや、安っぽ
いうわべだけの美しさを持つストリング・セクションなどで、ジャズの純粋な輝きを汚しているミ
ュージシャンをターゲットに絞っていた。
滅多にインタヴューに応じない男・・私は1967年3月にただ "ミュージック・メイカー" ( 今や消
滅したが、メロディ・マーカー誌の姉妹誌である) のマックス・ジョーンズに再度電話をかけただ
けだった・・テイラー自身はスタジオで時間を過ごす事で自分自身を様々な論争から隔離させ、こ
こ近年CTIに振りかかった経済的危機をかろうじて食止めるために奮闘していた。
しかしNYで私はクリード・テイラーにクロスオーヴァーの実情について意見を求めることができ
た。
このクロスオーヴァーとはJJI誌で批判的な攻撃をされるのに(特に私自身によつて)何度も使わ
れたイディオムである。
クロスオーヴァーのレコードについて議論する前に、私としてはテイラーは一般の人が考えるとこ
ろによるクロスオーヴァーさせるプロデューサとして優れた功績をもたらすという懸念があるので
先ず彼の経歴を概説しておこう。
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