ニュース速報 No.110(2012.10.1号)


バディ・モンゴメリ語る
Remembering Wes アルバム名 : Remembering Wes/Buddy Montgomery アルバム番号: M&I MYCJ-30081 リリース国 : Japan リリース年月: 2/2001 メディア  : CD
モンゴメリ兄弟、最後のバディが2009年に亡くなって後継者もなく潰えた感は拭えない。 しかし、彼ら3兄弟が残した偉大な功績はジャズ界において永遠不滅のものとなっている。 そのバディ・モンゴメリが、亡きウェスに対する追悼アルバムを2001年にリリースした《Remembering Wes Montgomery/Buddy Montgomery》を覚えていますか。 ニュース速報 No.22でも掲載しましたが、M&Iというレーベルで日本制作による独占盤でした。 ちょうどこの頃、バディの自伝「Wes, Monk and Buddy, A Life of Jazz with The Fabulous Montgomery Brothers 」が発刊されるという話もあったが、結果的に未刊のままになってしまったとい う、ファンにとってはたいへんやるせない気持ちになった事も、思い出させる。 実は2000年春に出版されたJazzimprov Magazineにバディのインタヴュー記事が掲載されていた。 《Remembering Wes Montgomery/Buddy Montgomery》のレコーディングについてのことなので、あまり ウェスのことは語られていないが、そのことについて2008年に評論家の成田氏がインディアナポリスへ 取材に赴いたとき、どうせならバディへのインタヴューもと思いコンタクトしたが、兄弟の話以外のこ とでなら応じるといわれ、結果的に断念したそうである。 それらは、バディが自伝の制作中であったことから話せないと言う事のようでした。 このインタヴュー記事のBMはバディ・モンゴメリで、JIは特定できないが、インタヴュアーならもう少 し勉強してから望んでほしいものと感じるところもあるが、まぁ貴重な記事であることには間違いない ので、是非読んでいただきたい。 JI: 最近ライヴやレコーディングはされているんですか? BM: 今はあまり活動していないが、あるときは重なるが逆にほとんどしない時期もあった。オファ     ーがないとかそういう事じゃなく、 自分本位で家族のだれよりも控えめな方でね。 JI: ウェスも控えめでしたか? BM: 控えめかということではなかったが一匹狼というのかな・・いや、一匹狼でもないか・・外で     は口数は少なかったよ。それより、最近の話に戻すが、今週末レコーディングをするんだ。     ウェスに捧げるもので、これは初めてのことだよ。今まで何度もそんなオファーを受けてきた     が、タイミングや、レコード会社となかなか条件が合わなくてね。 JI: どことレコーディングをされるのですか? BM: キーストーンという日本の会社だよ。以前もトリオとしての仕事を頼まれたが、ほとんど日本     でのレコーディングにあまり乗る気にならなかった。     会社が良くないとかそういう事ではなく、単に遠くまで飛びたくなかっただけなんだ。     だけど、彼らも素晴らしい仕事をする自信があるようなので。 JI: 誰とプレイされますか? BM: クウォーテットで演ったり、次の日はトリオで演ったりとか、ドラマーはカール・バーネット     だよ。     彼はありとあらゆるアーティストと仕事をしているが、一番長いのはフレディ・ハバートだと     思う。昔からからの友人だしね。     ベースはスタンリー・ギルバートで彼がレコード会社との仲介役なんだ。日本に住んでいるが     こっちにも家がある。     コンガのドゥマー・サフィールとは30年以上一緒に演ってきた仲だ。ティンパレスはルイス・     ディアスで、皆すごい連中だよ。     インディアナポリスで来週開催されるインディー・フェスティヴァルに連中と一緒に出れば、     イヴェントは最大規模だし素晴らしい体験になることは間違い無かったのだが、どうも望む形     でパフォーマンスをするには金がかかり過ぎるようなのでここロスで代わりに演る事にしたん     だ。 JI: レパートリーは全てウェスが以前演奏したものですか? BM: 10曲ほどレコーディングする予定なんだが、うち4曲が自分で、あとはウェスのものだ。                JI: モンゴメリ兄弟は以前、インディアナポリスでピアニストのキャロル・デキャンプの自宅で共     にジャム・セッションをしていましたね。覚えていますか? BM: ああ、キャロル・デキャンプの事は良く覚えているよ。確か1〜2回セッションをしたことが     あったし、彼がこちらに来た事もあった。     お互いにピアノを弾くので当然一緒に演った事は無いが、ピアニストとして尊敬していたよ。     彼の基礎はクラシックで典型的なジャズ・ミュージシャンではないが、ヴォイシングやコード     は実に見事だった。なんというか仲間の一人といった感じでね、腕は確かなんだが、トップ・     レベルのジャズ・プレイアーではなかった。     でも、なにかこう我々のグループとは相性がよかったよ。 JI: 最近も頻繁に教えたりしているんですか? BM: いや、かつては教えていたが嫌になってしまった。誰もが年を取るにつれ続けられることもあ     れば、そうでないこともある。     大学を含め色々なところで教えていたし、いくつかの小団体の創設に関わったこともあった。 JI: どこの大学で教えていらっしゃったんですか? BM: マーケット大学なんだが、その頃ミルウォーキーに住んでいて、色々とうまくいっていた時期     だったという事もあり、市役所からマーケット大学構内で教えるスペースを貰ったんだ。     大学とは何の関係も無い個人的なプログラムだけどね。     丁度その頃、シカゴ地域でたくさんのフェスティヴァルやライヴで演奏して、多くの観客を集     めていたのが大きな理由だと思う。     あまりもの盛り上がりで、ミルウォーキー・ジャズ連盟(Milwaukee Jazz Alliance)という     名前の小規模な団体も発足させた。     数々の有名ミュージシャンを市に呼んでコンサートや色々な会場でライヴをオーガナイズして     いたし、精神病院や刑務所でも演ったよ。     時間と共に音楽が更生に繋がるなんていう事もあったが、信頼されていたからかもしれないね。     本当に良い経験だったよ。その後はウィスコンシン音楽院で教え、その数年前はチャック・シ     ュバーと共に・・知ってるよね? JI: ええ、ダウン・ビート誌の出版者でしたよね? BM: そう、彼は頻繁に訪ねて来たが、彼がやっているレッスンを一緒にやらないかとオファーされ     たんだ。     それで一緒に色々な所で教えるようになったんだけど、おかしな話で、音符に書いてあるミド     ルC(訳注: middle C と言い鍵盤中央に位置するド音)すら読めない私が教えるんだからね!     まあ文字の読み方を教えていた訳ではないけど、ミュージシャンとして成功していたからこそ     若いビギナーが興味を持ってくれたし、集める事もできた。 JI: 個人的な意見を言えば音楽は直感的な要素の方が多いですからね。誰かに音符の読み方を教え     たとしても、プレイできるようになるとは限らないですから。 BM: そう、ウェス・モンゴメリもミドルCは読み取れなかった。だから譜面が読めるかどうかって     その人の演奏レベルとは関係が無いということだよ。 JI: 作曲をされるとき、グループのミュージシャンにはどの様に伝えていますか? BM: これが結構難しくてね。相手もそれなりのレヴェルに達していないとなかなか理解してもらえ     ないんだ。だから録音してニューヨークに送り採譜してもらうんだ。     マスターサウンズを結成した頃に大チャンスを逃した事もあった。《The King And I》ナンバ     ー・ワンのジャズ・ヴァージョンを出していたんだが、突然オスカー・ハマースタインから手     紙がきて・・彼のサインもあり・・だけど本当に本人が書いたものかどうかなんだけど、とに     かく、B級映画のスコアをやらないかというオファーがあった。     そりゃーいい話なんだけど、譜面が書けないという理由で断ったが、あの頃は譜面のことで考     えたこともなかった。     しばらく話題になり、連中はいつもの通り演って誰かに譜面にさせればいいんじゃないと提案     してくれたんだが・・とかく、足かせになってはいたが、プレイすることに関してなんの影響     もなかったからね。 JI: ボビー・ハッチャーソンのアルバム《Cruising’The Bird》でのあなたの演奏を楽しませて頂     きました。 BM: あー、あれは変わっていたね! 実は当初ジョージ・ケーブルズというピアニストがいたんだ     が、奴が21歳位の頃メンバーとして一緒にツアーしたんだ。 JI: その頃あなたはヴァイブを演奏していましたっけ? BM: そうだ。その後奴はボビーのグループと一緒に活動するようになって、2年後位の事だった。     とにかくレコーディング当日、どういう訳か、奴はレコーディングを恐れて来なかったんだ。     突然の出来事で全てをキャンセルする可能性も出てきていて、メンバーらも「おいおい、他に     誰かを呼び出してもすぐに全ての曲が覚えられるのかい?」といった感じだった。     だけどその場にいたルーファス・リードが「そういえばバディがこっちに引っ越してきたんだ     よ、この街にいるはずだ。」と言い、続いて「しかし、これだけの曲数を、ましてバディは譜     面が読めないでしょ?」「とにかく連絡してみよう」といったやりとりがあり、結局私はその     日のうちに全て覚えなくてはいけなくなったんだ。結構きつかったよ。 JI: 当然ですが、〈Chelsea Bridge〉や〈Come Rain Or Come Shine〉については良く御存じです     ね。 BM: 勿論だよ、しかし、それらを聴いても原曲とは異なっている。それは全く別の話だけど。 JI: それと〈All or Nothing at All〉も入っていましたね。コルトレーンと同じ編曲でした。 BM: そう、有名な編曲で、彼独自のものもあったけどね。とにかくハッチャ―ソンとの仕事は楽し     かった。     コンサートがある時や、同じ町にいる時はよく会っていたし、数々のフェスで彼にも参加して     もらったよ。     カリフォルニア州のオークランドとサンフランシスコのフェスは私が立ち上げリーダでもあっ     た。     彼らと普通の仕事をした事も多々あったが、主に年配の連中だね、そういう私も年だけどね。 JI: モンゴメリ兄弟でマスターサウンズは結成したのですか? BM: いや、マスターサウンズは私とモンクの二人だけだよ。 JI: ウェスも一連のアルバムに参加していると思っていましたが。 BM: レコーディングだけでグループと一緒に演奏する事は無かった。というのも当時私は人々にウ     ェスを聴かせてあげたかっただけなんだ。     インディアナポリスに住んでいながらウェス・モンゴメリを知らないなんていう人がいる事が     信じられなかった。     それで最初の一作目で何曲かの作曲と編曲だけに加わってもらい認知度を上げようと試みた。     お蔭様でレコードは好評だった。 JI: お互い家族をもちながら活動する事は簡単でしたか?それとも難しかったのでしょうか? BM: ただの兄弟関係では無かったし、尊敬し合っていた。この敬意が無いととても難しい関係にな     ったと思うよ。     兄弟も含めグループ内で喧嘩したり口論したりする連中は沢山いるが、我々はそんな事は無か     った。もちろん相違点はあったし住んでいるところも違ったが、お互い電話で話さない時はな     かった。 JI: そうやってお互いをサポートしてとても良い関係を築いていたわけですね。 BM: その通りだ。お互い本心からの敬意とサポートだった。     「まー、あいつは俺の兄弟だから・・」といった理由ではなく、兄弟としての愛情があり、     うまく違いを分かり合わねばという考え方で、両親が「あなたたち仲良くしなさい!」という     からするのではなかったからね。 JI: それはとても重要な事ですよね。励ましがあると、自信や知識が付きやすく、打ち込んでいる     分野で成長しやすい。     以前読んだ事がる記事で、ある実験について書いてあったのですが、小学一年生を二つのグル     ープに分け、「一方は頭の良いグループ、もう一方はそこまで頭が良くないグループ」だと説     明した。     実際はただの実験で、知能とは全く関係が無かったんですが。自分の受け持つグループは頭の     良いグループだと説明された先生は頭の良くないグループだと説明を受けた先生とは生徒に対     する態度が違ったそうです。実際は双方知能レベルに変わりは無かったんですがね。 BM: 不思議なものだね、私はウェスに対して兄弟としてだけではなくいち音楽家として本当に尊敬     していた。     あそこまで腕のある人と演ると兄弟かどうかなんて関係なくなり、とにかく良い音楽を作る事     が出来た。     ウェスも私に対して同じような敬意を持っていて、ダウン・ビート誌で私のプレイに関するレ     ヴューをしていた。     あれにはびっくりしたね。兄弟として称えるのではなく、プレイアーとして他の誰にも劣らな     いプライドを持っていると語っていたんだ。     読んでいる時は兄弟としてのフォローを予想していたが、それだけではなくて私に対する本心     が綴られていた。嬉しかったよ。     もちろんお互いへの愛情もあるが、あの様な敬意があると他に何もいらないね。兄弟の為なら     何でもしてきた。     仮に兄弟の内一人がトラブルに見舞われたとしても3人全員で立ち向っていたから、一人で背     負い込む事はまず無かったよ。 JI: マスターサウンズはどこのレーベルとレコーディングしていたのですか? BM: ワールド・パシフィックだ。 最初はパシフィック・ジャズという名前だったと思うが、ワール     ド・パシフィックに変わり、その後また名前が変わっていたけどね。 JI: プロデューサーは誰でしたか? BM: ディック・ボックだが、社長でもあった。 JI: ワールド・パシフィックとのレコード契約はどのように話が進んだんですか? BM: 最初にコンタクトしたのはリロイ・ヴィネガーなんだ。 JI: あのベーシストですか? BM: そうだ、彼は我々が来る数年前からロスに住んでいた。 JI: マイルス・デイヴィスのグループと仕事をしている時は、貴方の知る限りマイルスはグループ     の皆に何かしらの方向性を求めていましたか? BM: うーん、マイルスの方向性はいつも同じだったと思うけどね。どのグループと仕事をしても一     貫性があり、マイルスの個性が強く表現されていた。     彼の代役になりえる人はいないと思う。ただ、理解ができなかったのはなぜ彼がヴァイブを入     れたかったか、今までずっと管楽器を使っていたので、よく分からないんだ。     1950年代初頭に1〜2回ミルト・ジャクソンとレコーディングをしていたのは覚えているが、     それっきりだったと思う。 JI: 当時マイルス以外に管楽器はグループ内にいなかったんですか? BM: なにを言ってんるんだ、管楽器中の管楽器プレイアー、ジョン・コルトレーンだよ。 JI: あれ?ジョン・コルトレーンはグループにいたんですか? BM: そうだよ。キャノンボール・アダレイが抜けた頃に私が一緒に仕事を始めたんだ。 JI: グループの雰囲気や行動力はどういったものだったのでしょうか?人間関係は充実していまし     たか?また、ファンの反応はどうでしたか? BM: どう言えば良いんだろう・・いや、言うまでも無く物凄くパワフルな音楽を作っていたよ!     彼らこそジャズバンドといった感じだった。     全てのファンも君も同意できるはずだ。一体感のあるプレイは最高だし、我々のモンゴメリ・     ブラザーズのと時と同じようなレビューが多かったね。     あの時は他のミューシジャンがインタヴューに応じて「彼らがこれだけの音楽を作った事が凄     いのではなく、譜面が読めなくとも皆でやり遂げたということが素晴らしいんです。」といっ     た感じのレビューを多く貰ったが、マイルスも同じだね。     もちろん読まねばならない箇所も随所にあったと思うが、それは彼らの音楽の質には全く関係     がなかった。     彼らは皆それぞれにいろんなミュージシャンと仕事をしてきたが、あれだけまとまっていたの     は初めてだ、他にみたこともなかった。 JI: スリー・リズムは誰でしたか? BM: ウィントン・ケリー、ポール・チャンバーズ、それとジミー・コブだった。 JI: ゲイリー・ピーコックが「即興や作曲において重要な事はプレイすることより、しっかりと聴     いていればプレイは自然とついてくる。」と言っていましたが、     あなたはそれについてどう思われますか? BM: どうかな、ある意味その通りだと思うがそれだけではないと思う。     即興に関して言えば聴く事より考える方が重要だと思うし、何をするかを考えずにどうやって     即興などできるの?     即興ができる人はたくさんいるが自分からはなかなか言わないもので、創造力がある人はさら     っとやってしまうんだ。     そこが一般の人との違いでそれがなかったら君も私と同じようにピアノを弾けると思うよ。 JI: あなたはプロ音楽家としての技術と知識を磨くのに大変な時間を費やしましたからね。 BM: かもしれないね、我々はデューズ(dues: 会費)と言っているが、そのこと。 JI: ええ、私はヴァイブを演奏しますが、影響を受けたプレイアーといえばジョー・ヘンダーソン     、サド・ジョーンズやジョン・コルトレーン、     チャーリー・パーカー、キース・ジャレットといったヴァイブを弾かない人たちです。     楽器特有のテクニックの影響を受けたくなかったんです。     ヴァイブらしいスタイルにはしたくなかったので、常に頭をひねり一風変わったアプローチを     模索していました。 BM: 殆どの人はそうやって始めるんだけどそれがなかなかうまくいかなくて、始める頃にはミルト     ・ジャクソンや他のプレイアーを聴いて既に影響を受けているんだ。     私が最初に始めた頃もミルト・ジャクソンのようなプレイはしないつもりだった。ピアノで演     っていたことはヴァイブでも演れると思っていた。     いざレコーディングとなった時、それまではレコーディング経験が無く、若かった事もあり、     会社側から「OK、じゃーこれを演ってみて」と言われ、強制的に緩いヴィブラートを使わさ     れるようになったんだ。でも2年位でまったく使わなくなったけどね。モーターも一切使わな     くなったが、ミルトに対しての対抗意識じゃないよ、現に友人でしたし。     ただ、幅広く演れるのに、何故わざわざあの様に演る必要があるのか?という考え方だよ。分     かる? JI: 分かります、28年前に買ったディーガンのコマンダーを持っていますが、モーターが壊れてか     らは、モーター無しで弾いているんですよ。そこでたまに思うのが、モーター抜きでもヴァイ     ブの生音は十分良いではないかという事です。    (ディーガンは1980年代に倒産するまでヴァイブを製造していた会社。コマンダーは商品名) BM: いいね。モーターに関して褒められるのはバラッドを弾いている時、なんというか、音がぶれ     る感じがしないんだ。 JI: 呼吸のような、という事ですか? BM: そう、意識して呼吸するということではなく、自然な音に近いんだ。ミルトにどう演っている     のかと聞いたことはないし、聞こうとも思わなかったし、話題にもあがらなったけどね。     思うに、はっきりとは言えないが、ジョン・ルイスのサウンドに近かったのかな。ミルトも私     が初めて聴いた頃は速めのヴィブラートを使っていたが、スタイルが変わった時は良い意味で     違和感を感じた。まぁ、とにかく私はモーターを35年は使っていないから。 JI: ヴァイブを演奏とピアノ演奏とは異なるコンセプトを用いていますか? BM: はっきり言って別人だ。     自分でもよく分からないが、頭の中で考えている事は同じなんだけど、マレットを使う事によ     って違ってくるんだろう。     ピアノを弾いていると音を曲げること(bending note)も指先でできるが、マレットを使っても     音を曲げる事はできる、が何かが違う。     お互いの異なるテクニックも必要だけど、ピアノは自分の体の一部を使っているので感触が違     うんだ。     ジャズは似たようなサウンなので注意して聴かないとプレイアーの違いが分からないが、よく     聴き込むとそれぞれの個性が分かる。 (注: ベンディング・トーンについての参考) JI: 人それぞれ身体的な違いや音感の違い、表現の仕方、そしてそれらをうまく演奏できるかとい うテクニックの違いもありますよね。 BM: ニューヨークに行くと大抵声をかけてくるピアニスト達がいて、CDを出している人もいるが 、私のテクニックをコピーしている人もいる。     大した事では無いが、そこまで私の事を認めてくれているという事が嬉しいね。でもたまに巧 すぎて私自身と聴き分けのつかない人もいるんだ。     友人から電話が来て、「この間ある曲を聴いていてね、君が出した新曲だと思っていたんだけ ど、実は全然違う人だったんだよね!」と言われた事もあったよ。     称賛の証だろうけど、これから使おうと思っていたネタだったりすると困るんだよね・・ まぁ、いいけど。     数年前まではピアニストを集めて皆で演奏するシェアリングという事も演っていた。 JI: 自分が影響を受けたとかコピーしたピアニストはいましたか? BM: 始めた当初はナット・コールだったかな。 その後しばらくしてエロル・ガーナーを耳にしたが、彼は世界最高のプレイアーの一人だと思 っている。     ジャズ関係者の多くが彼を一流扱いにしないが、本当に素晴らしいと思うよ。ヘヴィーなプレ イアーではないが、彼のプレイを聴くと凄く興奮するんだ。     あと若い頃にもっとも影響を受けたのはバド・パウエルだね。ナット・キング・コールに続け て自然とパウエルに魅かれたいった。     その後はアート・テイタムとエロル・グランディ、この二人の存在は私の人生で一番大きかっ た・・今までに彼らの音楽を超えるミュージシャンは聴いた事がない。 JI: アカンパニストとして仕事をする上での哲学はありますか? BM: 伴奏するだけだ!伴奏者としてその通りにするだけだよ。それ以外では自分なりの表現を出す が、その必要性は無いと思っている。むしろそれをしたら伴奏者ではなくなる。     今まで何人もの歌手と仕事をしたが、頻繁にすると疲れてしまう。馬が合わないとかそういう 訳ではないが、下手な歌手とはしたくないね。     上手ければ演っていて楽しいが、いずれにしても続けては演りたくない。歌伴専門になっては 困るし、別に伴奏者になりたい訳ではないので。     ただ、オファーがたくさん来るので演っているだけかな。とにかく持論は伴奏者である事を忘 れないこと。私はグルーブを組む時いろんな編成を考え、時には管を入れたセクテットで演る ときもあるが、必ず彼らに理解して貰っている事があるんだ。     それはバック演奏する時は、私が歌手の後ろで演奏している時と同じだという事。     「ここは君の出番じゃない。君は私が演ろうとしている事を手伝いに来ているんだ。」と言っ て聞かせるが、それは同じ事で自分自身にも言い聞かせているんだ。 JI: 最近は誰か特定の音楽を聴いていますか? BM: 正直な話、誰のも聴いていない。最後にCDやレコードを買ったのもいつだったかな、誰のも 聴きたくないと言う訳ではないが、聴いていてワクワクするものがないだけだ。     各地方から多くの人が、時には日本など海外からこの町に来たミュージシャンが招待してくれ るが、私が長い間この業界にいる事を知っているんだね。     滅多に行かないが、たまに行ったこともあって、聴いてみると、私の知っているミュージシャ ンたちのプレイをコピーしている、しかもそれが元々私のプレイをコピーしたミュージシャン だったりするんだよ。     彼ら独自のテクニックはあるものの、初めて聴いたようなふりもできないし、何とも言えない ね。だけど彼等には敬意を持って励ましの言葉をかけるが、私が好むものではない。 JI: 今まで先生などから役に立ったアドバイスはありましたか? BM: いえ、そんな事はほとんど無かった。     習っていた頃は「おい、それはしない方が良い、これも、これも」といった感じで、手本を見 せてくれる訳でもなかった・・言っている事分かります?     その頃は周りの皆よりずっと若かったし、私の兄弟も年上で、すでにプレイしていた。     私自身恥ずかしがり屋で色々聞けない性格だった! でも熱心に聴いて、聴いた内容を家に帰 って試してみると、全く外れている時や、何が何だかわからない時や、     しっくり来る時もあった。そういう時はその部分を何度も何度も頑張って練習したものだ。     一番最初に音楽的な模範になったのはウェスだったが、彼はピアニストではなかった。     ギターで何曲かをFシャープのキーで少々弾けたが、そのキーでしか弾けなかったから。     それが始めたきっかけだったが、知識は全てエロル・グランディから吸収した。 彼の演奏とグループ内の会話を聞く、それが私のレッスンだったよ。 JI: あなたは若いころ、ジャムセッションやクラブで腕を磨きましたが、いまでは大学等の教育機 関で数々のジャズ関連授業が用意され、いくぶん制度化もされています。     このように学校でジャズを勉強するのと、あなたが経験してきたような感覚で学ぶ事と比較し てどのような違いがあると思いますか? BM: それは簡単な質問だ! 私の学び方が最も有効だが、学校での学習が一部の生徒にとっては唯 一の方法なのかもしれない。     音符にして五線紙に書き出す、それが新世代の生徒にはより簡単なのかもしれない。     だが最良の方法は現場仕込みというもので、最も確かな筋から学んで、経験を積むことだよ。     とは言うものの、私は楽譜を読めないので利用できるものが限られていたかも知れないが、そ れらよりも自分が持っている利点のほうを重宝するね。     これに関してはとても悲観的に感じる事があるんだ。学校の授業を訪問して生徒のプレイを聴 いたが、皆とてもよく読めるし、ソロもこなすんだが、なんというか・・情熱がないと言うの か、感動が伝わらないというのか・・何かが違うんだ。 JI: ミュージシャンが音楽業界で成功するにあたって、知っておかねばいけない非音楽的な事は何 だと思いますか? BM: うーん、何に対しても言える事だけど、努力をする事は必要だね。人からの助言やアイディア に関してオープンであることも必要だと思う。     我々音楽業界の人間は自分たちが何でも知っていると考えがちで、パートも読め、速いプレイ もでき、自信満々な若手もいますが、勘違いしていることがある。     こういう技術的な事は熟せたとしても本当の音楽を熟せていない事に後で気付くんだ。     オープンと言っても皆が言うように「全ての新しいものにオープンであれ」と言っているわけ じゃない。     新しいものの中には何の役にも立たないものが多く含まれているかもしれないからで、新しい からといっていいとは限らないものだよ。     注意し耳を澄ませ自分なりのものを生み出す努力をする。この業界に入り、創造力を発揮した いのなら、自分自身の考え方を鍛えない理由はないよね? JI: あなたにそういう概念があるならの話ですが、音楽と精神の関係とはなんでしょうか? BM: 君はどう思うかも知れないが一致するものと思っている。私は精神的なことを大事にかするか ら。     どういう事かと言うと、何かを信じているという事は、私にとっては音楽がそれなんだ。 神秘的なものを感じるよ。あまり、精神的なトピックには踏み込みたくないんだけど。 JI: 精神性の話であって、ひとそれぞれの宗教的な考えに踏み込むつもりはありません。 それは全く別のことですからね。 BM: 私が言わんとしている事は、それらを混同すると大きな間違いに繋がるという事だ。     私にとって音楽は少なからずとも神秘的なことで、これ以上深く踏み込むと話が長くなるので、 それだけ言い残して後は人それぞれに解釈して貰いたい。 JI: お時間どうも有難うございました。 BM: それじゃあ、これからも頑張ってくださ。