忘れられていたもう一つの録音
アルバム名 : Various-Instrumentalists Almost Forgotten
アルバム番号: Columbia FC38509
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 12/1984
メディア : LP
失われたセッションということで今年3月に《Wes Montgomery/Echoes of Indiana Avenue》がリリ
ースされたが、同じ時代のウェス兄弟らが結成した、モンゴメリ・アンド・ジョンソン・クウィン
テットのオーディション・セッションより〈Love for Sale〉一曲が発掘されていることも既に承知
のことであった。
1955年6月のモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットによるオーディション録音《Various-Inst-
rumentalists Almost Forgotten/Columbia FC38509》について2004年アメリカのある掲示板での書
き込みを紹介します。
さすがアメリカです。ツイッターがなんらかの事情で精通しており突っ込んだ書き込みが大変興味
深いです。
以下に記載する【ウェス・モンゴメリ1955年のコロンビア・セッション】と題され、第一投稿者の
マイルにツイッターが応じているが、結果的に自分自身で核心に迫っていくところに注目。
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1:マイル
モンゴメリ兄弟(ウェス、モンク、バディ)が1955年に、ずっとリリースされることのなかったジョン
・ハモンドとのアルバムをレコーディングするためにニューヨークに行ったことは知らなかったよ。
モンクがエレキベース、バディがピアノ、アロンゾ・プーキー・ジョンソンがテナーサックス(彼はま
だインディアナポリスに住んでいて、そこでグループを率いている)、ロバート・ジョンソンがドラム
ス担当だね。
《Almost Forgotten》というコロンビアのアンソロジ盤で初めて登場した、〈Love for Sale〉という
曲がある。この明らかに失われたセッションについて誰か情報を持ってる人はいないだろうか?
レコーディングの日付は1955年6月15日となってるけど。
2:クリス
それをどこで見たの?アルバム全体がその時代にレコーディングされたというのは確かなの?ジョン
・ハモンドはよくオーディションをレコーディングしていたが、それらの多くはリリースされなかっ
た、もしくはリリースする意図もなかったんだ。でもいつもスタジオB(ニューヨーク52番通り)で、
レコーディング本番のようにちゃんとセッティングしてレコーディングをやっていたよ。
でも一つか二つしかセレクションされなかった。たぶん知っていると思うけど、ウェスと兄弟たちは
1957年12月のワールド・パシフィックのレコーディングに至るまで、彼らはレコーディングしたこと
はなかったんだ。
3:マイル
クリス、それは私達のラジオ・ステーションが保管する《Almost Forgotten》というコロンビアの希
少LPの裏にあった記載だよ。今私の手元にはないけど、ライナーノーツの著者が誤っていたかもしれ
ないね。
記載された内容からすると、未発の挿入曲はアルバム・プロジェクトのためにレコーディングされた
けど、中止になったようにとれるね。
私はまだ〈Love for Sale〉を聴いていないけど、2〜3時間ほど前に午後のジャズDJが私にLPを見せ
てくれたんだ。明日には聴けるといいんだけど。
ライナーノーツの著者は、「ウェスがワン・コーラスのソロを演っているが、彼のスタイルがまだ、
59年に至るまでに発展したものとは似ても似つかないものである」と言っている。
私は今夜まで、そのようなセッションのことを一度も耳にしたことがなかったよ。
自宅にウェスの伝記本があるから、このセッションに関する記述があるかどうかを確かめるために、
今夜はそれを熟読しようと思っているよ。
4:マイル
それと今度私がプーキー・ジョンソンに会う時、それについて尋ねてみるよ。それとバディがまだ現
役だから、数ヶ月中に彼とのインタビューをまとめたいと思ってる。彼はたぶん裏話にも明るいだろ
うからね。
5:マイル
AMGでこのアルバムのレビューがあり、このLPは(1983年にコロンビアからリリースされた)8曲の未
発表が挿入され、多くのオール・スターが現われます。
その中で、ウェス・モンゴメリは見出される4年前の1955年の〈Love for Sale〉を演奏しています。
6:ビル
手掛かりになるかどうかわからないけど、【モダン・ジャズ・ディスコグラフィ・プロジェクト/The
Modern Jazz Discography Project】では、ドラムスのロバート・ジョンソンが〈Love for Sale〉の
リーダであったと記載されている。それが本当なら、これがウェス・モンゴメリのプロジェクトであ
るということに疑いを投げかけるだろう。
私的には、コロンビアがリリースするという事は、グループの中でもウェスの名前が特に知られるよ
うになっていたから彼のセッションだと言われるようになったのではないかと考えている。
ウェスがヴァーブやA&Mで収めた成功があったから、コロンビアがアルバムの素材として価値があ
ると考えてとりあげたように見えるね。
コロンビアにとっては売れる曲を入れたいだろうから。私もクリスの意見に賛成かな。これは恐らく
うまくいかなかったオーディションから持って来たものではないだろうか。
7:HBジャズ
私は別の掲示板に《Almost Forgotten》はコンピレーション盤ですか? と書き込みしました。それで
ジムが次のように答えています。
ジム:「おもしろいね。このような情報に出くわしたことはないよ(イングラム著のウェス伝記本
にも書かれていない)。私はもう何年もジャズ・ギターの熱狂的なファンでいるけどね。
ウェブで検索したら少なくとも二つの情報ソースが出てきたよ、どちらもかなり信頼性は
あるけど、この情報はイングラムも述べていなかったんだから、やっぱり完全には疑いの
念は晴れないな。
たぶんうちのメンバーのかなり経歴リソースに詳しい人なら、だれがこのセッションをリ
ストにしたのかに関する情報を提供できるかもしれないよ。
《Almost Forgotten-Various-Instrumentalists/various artists/Columbia FC 38509》
Alonzo Johnson(ts) Buddy Montgomery(p) Wes Montgomery(g) Monk Montgomery(b)
Robert Johnson(dr)
NYC, June 15, 1955
Love for Sale
そう、確かにモンゴメリ兄弟を含むのはこの一曲だけだね。
後日追記:"Jazz Hero's Data Bank(1991)" という名の、古い日本のディスコグラフィ・コレ
クションにリストされているのをたまたま見つけたんだ。
これを見てさらに、その情報精度の疑いの念に拍車がかかったよ。イングラムの本は
1985年から始まるけど、しかし、この情報が当時イングラムにとって入手可能なもの
であったかどうかはわからないな。
HBジャズ: ありがとう。なら私の知っている通りです。
マイク: これはとにかく、一曲だけモンゴメリ兄弟を用いたコンピレーション・アルバムだっ
たんだ。それは恐らく、その時は採用しなかったコロンビアのためのオーディション
・セッションだっただろうね。
結局ワールド・パシフィックが最初の正式アルバムとしてのレコーディングになった
んだ。
コロンビアでは他にもたくさんの未発表レコーディングがあるだろうね。
いい曲だったと思うが、でも必要不可欠というわけではなかったんだ。
HBジャズ: コロンビアでレコーディングされた他のトラックも見つけられたらいいのに・・・
私は、 それがたった一曲だけではなくてフル・セッションであったと考えたいね。
誰かコロンビアのディスコグラフィを持ってる人はいないかな・・・そしたらチェッ
クできるのに。
クリス: ウェスと兄弟たちは頻繁に一緒にレコーディングしてたんじゃないの?
HBジャズ: そうだよ。初期の時代にはそうしてたんだ。それからウェスが一人立ちしたから。
しかしこのアルバム《Almost Forgotten》は彼らがコロンビアのために行ったLPから
の一曲を含んでいる。
しかし、彼らが採用されなかったレコード会社によってレコーディングされたものが
アルバムとしてリリースすることができたのだろうか?
チャールス: 誰かが著作権の支払いを望んで、コロンビア(ソニー)がそれに同意していたら可能
であっただろうね・・・。
HBジャズ: 私は、ウェスは売れていたと信じるよ。彼のアルバム全部がまだ発売中だし。
チャールス: となると、コロンビア(ソニー)は恐らくそれを手放さなかっただろうに。
ピート: ソニー・レガシーのセス・ローススティーン(Seth Rothstein at Sony Legacy)に、こ
れに関してメールを送ったよ。返事があったらみんなに連絡するよ。
ピート: セスが資料保管室に行って、完全なセッションが存在するのかどうかを調べてくれるそ
うだよ。
HBジャズ: もし完全なセッションが存在するなら、リリースする方法があるのか聞いてみてくれ
ないかい?
ピート: 可能な試みではあると思うよ
8:マイル
私は、クリスが正しいと思う。1985年のイングラムの伝記本の一節に基づくとね。イングラムはディ
スコグラフィにこのセッションを載せていないし、明らかに《Almost Forgotten》に気付いていない
(その本は1984年に印刷に回されたのではないかと、私は仮定している)。ここに彼の本から引用し
た関連する一節がある。
引用文: 「再びウェスはギグを始めた。まずは、"エディ・ヒギンズ・トリオ" とのギグであった
(ヒギンズ(p)、ウォルター・パーキンス(dr)、ボビー・クランショー(b)、それから "ロ
ジャー・ジョーンズ・クウィンテット"、ジョーンズ(tp)、ウィリー・ベーカー(sax)、
リロイ・ヴィネガー(b)、ウィリス・カーク(dr) とのギグ。
また、ウェスは "モンゴメリ/ジョンソン・クウィンテット" でもたくさん演奏を行って
いる;
モンク・モンゴメリ(b)、バディ・モンゴメリ(p, vib)、アロンゾ・プーキー・ジョンソ
ン(ts)、ソニー・ジョンソン(dr)。」
これは誰に聞いても、非常に見込みがあるグループであったという。そしてアーサー・ゴッドフリー
のオーディションを受け、クウィンシー・ジョーンズの指導のもと、いくつかの素晴らしいレコーデ
ィングをしている。
残念なことに、これらのレコーディングは今日に至っては追跡不可能である。モンゴメリ家とゆかり
の深い、ジャズ指導者のデイヴィット・ベイカーがこのように当時を振り返る。
「それらのレコーディングは特によかった。そのグループは、当時非常にポピュラーであったジョー
ジ・シアリングのグループをモデルにしていた。 ウェスと彼の兄弟たち、特にウェスは、完全主義者
であった。
50年代には、チャック・ベイリーのインディアナポリス・リハーサル・スタジオが自由に使用でき、
リハーサルの間、チャックからテープを回し続けることも提案された。
ウェスはいつもそこにいて、バンドや何かのリハーサルをしていた。いつだったか彼が私のために行
ってくれたビッグ・バンドのセッションがあったり、彼の最初のソロ・レコードのためにメル・ライ
ンとリハーサルしてたのを覚えている。
彼らのリハーサル・テープがどうなったのかは誰も知らない。でも確かにウェスの演奏はすごかった
。」
残念なことに、アーサー・ゴッドフリーによる "モンゴメリ/ジョンソン・クウィンテット" のオーデ
ィションについても、クウィンシー・ジョーンズとのレコーディング・セッションについても、どちら
も出てこなかったけれども、このグループは確かに定期的な仕事を見つけていたんだ。
そしてイングラムは、ウェス以外のモンゴメリ兄弟が、ウェスト・コーストに向かい、そこで "マスタ
ーサウンズ" に至るまでの、インディアナポリスのクラブで過ごした2年間を叙述している。
従って明らかに、私が常にウェスを含むモンゴメリ兄弟が最初にスタジオ収録をしたものとみなしてい
た、ふたつの "モンゴメリ・ブラザーズ" レコーディング・セッションがあったのだ。
ピートへ(もしあなたがこれを読んでいてくれていれば)、ソニーのセスから返事はあったかい?
資料保管室に何かあったかな?
それと、クウィンシー・ジョーンズのセッションはどこのレコード会社との契約にあったのだろう?
間違いなく、これらのセッションはモンゴメリ・マニアにとって一番の関心ごとだよ。
また他にも驚天動地するような発見があるのかな?しかし、これはおもしろいチャプターだね。
昨日まで知らなかったけど。
《Almost Forgotten》のライナーの意図をさらに探るためもう一度ライナーを見てみることにするよ。
9:ジム
ここで述べておく価値があると思うんだけど、アーサー・ゴッドフリーはCBSのスタッフだよ。それと、
CBSが当時コロンビアを所有していたんだ。これが何か関係あるのかどうかはわからないけどね。
10:マイル
ジム、コロンビアLP《Almost Forgotten》のライナー上では、ゴッドフリーのセッションは、ほぼ間違
いなくハモンドに帰属するものだよ。
実際、ゴッドフリーが当時コロンビアと関連していたとすれば、それが別ものとは想像できないね。
デイヴィット・ベイカーが言っている、クウィンシー・ジョーンズと行われた別のセッションにすごく
好奇心をそそられるよ。
それはどこで行われたのだろう? クウィンシーは1955年ごろエマーシーでたくさんの仕事をしてなか
った?
11:ビル
個人的なセッションをしていない限り、エマーシーを含む、マーキュリーのためのクウィンシーのA&
Rマンとしての仕事であることはほぼ間違いないよ。
従って、彼がウェスと関わったかもしれないものがあるとすれば、それはユニバーサルの所有物になる
だろう。
でもクウィンシーはレスリー・ゴアとの仕事で忙しかったからそんな時間があったかどうか・・・。
12:ジム
私の記憶は鮮明じゃないけど、同じ頃コロンビアでクウィンシーのパフォーマンスが打ち切られたこと
がなかったかい?
前にここでそれを議論しなかった?それとも、私がどこか他でそれを読んだのかな?それはクウィンシ
ーのパフォーマンスか、クウィンシーが統率していた他の誰かのどちらかだったんだ。
そしてコロンビア(?)が最初のセッションにたくさんのお金を費やしたけど、明白な理由もなく中止
にしたんだ。
13:ブラウニー
クウィンシー・ジョーンズのコロンビア(というよりもエピック)のセッションは、ここ (訳注: 他の掲
示板)で下記のごとく簡潔に議論されていたよ:
クウィンシー・ジョーンズが先導したオール・スター・セッションがある。それは1955年2月にエピック
のためにレコーディングされ、未発売のままである(一つを除いては)。
エピックが大きなバンド・パフォーマンスのレコーディングをするためにクウィンシー・ジョーンズに
委託した。予算は結構高く(3000ドルが当時引き合いに出された金額である)
クウィンシー・ジョーンズがラインアップしたのは以下であった:
Ernie Royal, Bernie Glow, Al Porcino, Jimmy Nottingham(tp), JJ Johnson, Jimmy Cleveland,
Kai Winding, Urbie Green(tb), Herbie Mann(fl), Dave Schildkraut(as), Al Cohn, Sonny Stitt(ts),
Jack Nimitz(b), Horace Silver(p), Oscar Pettiford(b), Osie Johnson, Art Blakey(dr).
このバンドは4面分を収録した。
14:ダン
昨日と今日《Almost Forgotten》について持ち上がった話題は本当に皮肉的だね。私は一年前、マイア
ミのブルーノート・レコードに居て、このアルバムを見たことを思い出したよ。
その時アルバムは手に入れなかったけど、でも今日そこに戻り5ドル支払って取ってこようと決めたん
だ。洗浄が必要だろうけど、再生は出来ると思うよ。
後日追記:このライナーを見ると、クリスが先に述べたことと矛盾するみたいだね。
引用文「このインディアナポリスを基盤としたグループがニューヨークに来て、コロン
ビアのジョン・ハモンドのために、結局は完成することのなかったアルバムにして2〜
3面分をレコーディングしたことは一般的には知られていない。」
15:ダン
前記#8でのマイルの「再びウェスはギグを始めた。まずは、 "エディ・ヒギンズ・トリオ" とのギグで
あった」について:
これにすごく興味があるよ。著者は、ウェスがシカゴでエディ・ヒギンズとギグをおこなったと言って
いたの?それともインディアナポリス?
確かに、ヒギンズは私達のインタビューで、シカゴを離れたことはなかったとは言ってなかったし、も
ちろん、インディアナポリスはあまり遠くないけれども、私はエディとのギグの場所について興味があ
るんだ。あのインタビューの前にこのことを知っていたらよかったのに・・・。
16:ジム
ダン、前回このトピックが掲示板で持ち上がった時、私は自分のイングラム伝記本を引っぱり出してき
てその一節を読んだんだ。そして直ちにエディのディスコグラファであるビル・ギャラガーに連絡を取
ったんだ。
ビルはエディに直ちに連絡を取っていたよ。それから2時間ほど経ってビルから私に連絡があったよ。
エディが思い出したのはウェスとは一回だけ仕事をしたことがあるということだった(ウェスはトリオ
と一緒に来て、参加した)そうだよ。言ってたどっちの場所かは思い出せないな。
17:マイル
前記#14のダンのコメント「このライナーを見るとクリスが先に述べたことと矛盾するみたいだね。」
について:
ダン、ライナー・ノーツに関する意見を投稿してくれてありがとう。 ピーター・キープニュースは明
らかにまだその辺にいるよ。彼に連絡してみたいね。そして彼の情報の出所がどこであったのか聞いて
みたいよ。
私はまだ、「ハモンドが中止にしたアルバム」と「ゴッドフリーのオーディション」はおそらく同一の
ものだったと思っている。 しかし、セッションの残りは存在するのだろうか? 私は、それが存在する
と思いたい。
いったいどこで、どうやって、コロンビアは1983年に〈Love for Sale〉を探し当てたんだろう?
モンゴメリやインディアナポリスのジャズの熱狂ファンにとっては、ほとんど発掘品とも言えるものだ
が、私はこの曲のすべてに興味がある。
私は、ウェスとモンクがハンプトン・バンドでこれまで一緒にレコーディングしたことがあるとは考え
ていない。
彼らは両方とも特定のハンプトン・サイドとして出演していたれども、まだ一緒だったというものを発
見していない(もし一緒のものを見つけたとしても、それだけを特集したものではないだろう)。
このコロンビアのセッションは、たとえそれが何であっても、確かに、兄弟3人が一緒にレコーディン
グした初めてのものであるみたいだ。
18:クリス
多分ピーターはそれを、ウェスと時間を共に過ごした彼の父、オリン・キープニュースから知ったんだ
ろう。セッションを見つけることについてだけど、私は何度かコロンビアのセッション(時々それはた
だのオーディション・セレクションであったけど)を見つけたよ。
ファイルを入念に調べるか、単に未知のファイル番号が目にとまった時に発見できた。
私が指摘したように、ジョン・ハモンド(他のプロデューサーもいたと推測するが)は、オーディション
を行うために関係者をスタジオに連れてきていた。
私がスタジオBの制御室に入った時の事を覚えているよ。私はその建物とは違う場所で別のプロジェクト
のために働いていて、ジョンがオーディションを受けるアーティストを待っていたことを覚えている。
制御室の電話が鳴った時、ジョンが私に「電話に出てくれるか」と言ったので出るとウエスト・インデ
ィアン社の警備員が「ハモンドさんに会いたいという方が来ています」と伝えてきた。
メッセージを伝えるとジョンは、「ああ、きっとシルヴェスター・スタローンだから、ここに通すよう
に言ってくれ」と言われた。
それは確かにシルヴェスターだった。ディスコ時代、有名になる前の時代で、ゴールドラメのイヴニン
グドレスを着て、それに似合うハンドバッグを手にし、実にレディのようなふるまいであった。
あのオーディション・テープがどうなったかは知らないけれど、コロンビアの資料保管室のどこかに、
ニーナ・シモン・スタイルのシルヴェスターがキーボードを弾きながら歌う、30分ほどの貴重なテープ
があるはずだ。
19:ジム
OK、ちょっとばかげているが(しかし重大である)問題をなげかけよう。ジョン・ハモンドはとのよう
な仕事レベルのことでもアーサー・ゴッドフリーを知っていた?もしくは一緒に仕事をしたことがあ
ったのか?
20:マイル
ええ、私は今日プーキー・ジョンソンがベアーズ・プレイスでのギグの前に、なんとか数分間だけ話
をすることができたよ。 彼は、そのオーディション・セッションはクウィンシー・ジョーンズの依頼
で行われたと言っていた。
プーキー自身ハモンドを知らなかったから、ハモンドがそこにいたのか、いなかったのかは覚えてない
そうだ。
グループは午後4時30分ごろにニューヨークに到着し、クウィンシーの家(彼が作曲に時間を費やした
所--しかしプーキーによればセッションのためのものではなかったということである)で6〜7時間過
ごしたそうだ。
それから、夜11事30分ごろレコーディングを始めたと言う。
プーキーによれば、グループは当時シアリングのようなサウンドを持っていて、クラブの中ではかな
りタイトに聴こえたた・・・(デイヴィッド・ ベイカーがイングラムのウェスの伝記本の中で述べて
いることと一致する)、けれどもその晩、マイクを通して聴いてみるとラグっぽい音になったという。
彼が言うには、グループはいささか疲労した状態であったため、その日は中止となったそうだ。
・・・何面分をレコーディングしたかを覚えていなが、その日付は正しいみたいだと言っていた。
近いうちに行われるインディアナポリスでのライヴで、プーキーに十分なインタビューが出来て、詳
細をさらにいくつかを得ることができることを望んでいる。 ロバート・ジョンソン(パフォーマンス
時のドラム奏者)は "ソニー" ジョンソンとしてインディのエリアでよりよく知られている人物だ。
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掲示板はここで終わっている。この一年後の2005年9月にプーキー・ジョンソンは亡くなっているが、
その後マイルはインタビューが出来たのかどうか。
結果的に、《Almost Forgotten》のオーディションはレコード数面分が録音されたようですが、ピー
トの話もその後ないことから残りテイクは所在不明なんでしょう。
いずれにしても、コロンビアだけでなくこのようなオーディションで録音されそのまま保管され忘れ
去られている貴重なテープがあるというのもアメリカならですね。
いずれ発掘される日を楽しみに!!
2012/8/26追記: ライナー・ノーツではアーサー・ゴッドフリーのディレクションによるコロンビア
のオーディション・セッションとは別にクウィンシー・ジョーンズによるレコーディングも存在す
るように書かれている。
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