ニュース速報 No.133(2020.9.21号)


ケニー・バレルのギター
2015年、ケニー・バレルとウェスのことを論じた投稿サイトがあったので紹介する。 掲示板は途中でケニー本人が参加するハプニングがあり、アメリカならではの面白さに注目してくだ さい。 Nさん:ケニー・バレルのインタヴュー記事に彼はウェスの1stアルバムのレコーディングのためにL7 を貸してあげたとある。ここにその記事(2013年 Vintage Guitar Magazin)が載っている。 Gさん:ウェスのリヴァーサイドでの1stアルバムのサウンドは最高だね。ES-175を想像していたがケニ    ー・バレルのL7だったんだね。 Fさん:ケニーのL7について詳しく知っている人はいますか? Nさん:ここにニューヨークのリーヴス・サウンド・スタジオでウェスがそのアルバムをカットしたスタ    ジオのことが書かれているんだ。  『東海岸40年代にリーヴス・サウンド・スタジオの存在を知っていた。そこは大きな部屋でした    がスクリーンやバッフルによって簡単に我々が必要とした。小グループの小部屋に仕切ることが    できた。スタジオは主にラジオのジングル(ラジオ番組などでコマーシャルの開始や終了、楽曲    ・コーナーの切り替わりなど、番組の節目に挿入される短い音楽などの総称)や広告代理店など    に使用されていた。    それらは日中に使用されていたことから、録音に使用するのは夜間という条件で交渉し非常に低    い年間定額料金でしかも時間無制限で合意した。    合理的なユニオン・スケール・レートのおかげで、我々はのちのデフレ時代にも、僅かな製作費    で多くのレコーディングを行うことができた』 (注: Nさんは、同時にディープ・カット・ギターの写真を投稿) Fさん:Nさん、ありがとうございます。これがL7だと思いますか? フィンガーテールピースとインセ    ットバッカーが付いていますが、ギブソンがそんなことはしないと思うし、ケニーが自分で改造し    たとも思えない。もしかして、チャーリー・クリスチャン・ピックアップを搭載したこの写真で    すか。(注: Fさんは、同時に写真を投稿) Lさん:初期の175に似ていますが、それだと思います。 Fさん:しかしL7にしては少し小さく見えるんだが、 どう思う、Lさん 。 ・・ここまで、彼らが投稿した文章と写真がおおきく外れかかったのを見かねて、ケニー本人が掲示板に 参加してきた・・ jazzkenny: これだと思うよ。(注:ケニーは、同時に写真を投稿) Fさん:これがL7ですか、カッタウェイですからL7Cですね。 写真をありがとう、ジャズケニー!    そして、チャーリー・クリスチャンのピックアップのよう ですね。ウェスはすべてハムバッカーだと思い込んでいた ので、違いが分かるかどうかはわかりませんが1stアルバ ムをもう一度聴きなおしてみます。 Wさん:おそらくケニーが使っていたL5チャーリー・クリスチャ ン・ピックアップのようなカスタム・ギター(特注)だと思 う。ウォールナットのボディやペグヘッドはL7で、フィ ンカーボードはL5のようにブロックがインレイされてい Gibson L-7C Custom Maid る。トグルスイッチがあるので2個目のピックアップは何がマウントされているのだろう。 Fさん:いい目をしていますね、Wさん。 ヘッドストックは私の45年L7に似ています。でも、スイッチに 気づかなかった!? ふむふむ。気になって気になって気になって...。 jazzkenny:セッション中のギターを持ったウェス。(注:と、書いてケニ ーはウェスの写真を投稿) Fさん:面白いね、ジャズケニー、ありがとうございます。ピックアップ は1個しかないようです。    Wさんがいうようにカスタムメイドでしょうか?    1stアルバムはバッカーではなくチャーリー・クリスチャン・ピ ックアップで録音されていたようですね。 Pさん:ケニーはインタヴューで機材の詳細についてはあまり話さないし キャリアにおいてある時点から特定の楽器に決めていたのは明ら かだ。 Riverside 1st Recording 特に初期の頃に行った改造やカスタマイズの数から判断して、自分のギターにはかなり気を遣って いたに違いない。 Nさん:ケニーはL7にはチャーリー・クリスチャン・ピックアップが付いていたと言っている。    チャーリー・クリスチャン・ピックアップはノイズが多いので、演奏していない時にはスイッチを オフにできるようにしたかったのでしょうね。 Gさん:ウェスがケニーのギターを弾いたことで気付いたのだが、このギターはアクションが軽いタッチで 弾かれることを前提に・・ケニー用・・として作られている。    文句なしに1stアルバムでのウェスのトーンは好きだが自分のギターのように左手のアクションが うまくいかなかったことが、幸いしていると思う。    私はフェンダーのTweed Deluxeの50年代のトーンがとても好きです。 Mさん:トグルスイッチは単に消音のため? ジャズマスターやグレッチのような第二の回路を持つことは できません。(ギブソンボーイさんの注釈: カスタムメイドとは言えノイズ消しのためにトグルスイ    ッチを取り付けるとは思えない。元々このL7はダブルピックアップ仕様ですが写真ではよくわか    りませんがリアピックアップは取り外してその跡を何かで塞いでいるようにも見えます。    ピックガードの後方に切り込みだけが見られます。)
ウェスに貸したFender Deluxe 12inchスピーカー 15W Freedom/Blue Note 3057 ・・投稿はここで終わっていた・・ 前段にあった2013年 Vintage Guitar Magazinで掲載されたケニー・バレルへのインタヴュー記事ですが、 ウェスに関連する3質問の抄訳を紹介します。(K. はケニー・バレル) Q.ウェス・モンゴメリとは親しかったんですね。 K.ウェスと彼の兄弟とも親しくなったよ。そう、ウェスと出会ったのは10代の時だったかな・・友達らと  インディアナポリスから車でデトロイトまで私の演奏をよく聴きに来ていた。 (注: ケニーは19歳でプロ活動する以前の15-16歳から活動したと言われているが、1947年(16歳)デト  ロイトでペパーミント・スティックというフロイド・キャンディ・ジョンソン(ts)のバンドにフルタイ  ムで出演した頃の話と思う)  その時は気の合うギタリスト同士ということで話はしたが、付き合いするほどの余裕はなかった。  私もとにかく上手くなりたい一心で毎日6時間の練習に明け暮れていたからね。  それから暫くして、デトロイトのパラダイス・シアターでライオネル・ハンプトン楽団で演奏するウェ  ス(注: この劇場には1948年8月28日と49年5月20日〜25日の2回出演した記録がある)に会ってから、  友達になったんだ。  その後(注: 1956年ケニーがニューヨークに引越しして以降のことと思う)、ウェスがニューヨークへロ  ードで来た時、よくホテルの部屋で一晩中ジャムっていた。 それは友人のウォーレン・スティーブンス(g)がウェスとよく連絡を取っていてその機会を組んでくれて  いたが、ウェスとのジャムを誰よりも楽しみにしていたのは彼自身だったよ。  1963年のウェスのアルバム《フュージョン!》にバックで参加できたことも今となってはいい思い出だ  った。 Q.ウェスは最初のレコーディングであなたの楽器を使いませんでしたか? K.そう、リヴァーサイド・レコードがウェスと契約し、レコーディングの為に彼をニューヨークに呼んだ  んだ。当時私もニューヨークに住んでいて、オリン・キープニュースから電話があり「君のギターとア  ンプをウェスに貸してあげて欲しい」と頼まれた。  ウェスはたいへんな飛行機恐怖症でギターすらを持って行かなかったこと自体私には理解できなかった  が、友人でもあり、素晴らしいプレイアーの頼みに断る理由はなかったよ。  その時私はヴィレッジ・ヴァンガードに出演しL5を使っていたと思うんだけど、他にも何本かあった  のでL7を貸してあげた。アンプも私のフェンダー・デラックスだったと思うが・・使ったと思うよ。 Q.お互い友人として具体的な影響力はありましたか? K.彼がヒット曲を飛ばし人気が出てきたとき、心配事を相談された。  ウェスのレコードで聴けるオクターヴ・サウンドに魅せられ、みんなそこだけに反応するんだ。  だからライヴでは「僕がオクターヴで弾かないプレイになると、みんな雑談し始め聴かなくなる」と言  っていた。 複雑な心境だったと思う。ほんとうは全てのプレイを聴いてほしい、自分の音楽をもっと分かってもら  いたいと思っていただろうけど、でも、彼を見るために高い入場料を払った人たちは、自分たちが知っ  ているポピュラーなレコードと同じものを聴きたいと思っていたんだ。(注: この話はバーニー・ケッセ  ルの話 [1972年の雑誌に掲載] にもあることから、他にも相談された人がいたのか?)
投稿サイトでPさんが「ケニーはインタヴューで機材の詳細についてはあまり話さない」と言っていまし たが、インタヴュアーが割に突っ込んで質問しています。(K. はケニー・バレル) Q.Gibson Super 400は長年あなたのトレードマークとなっているギターですね。最初に弾き始めたのはいつ  頃で、どこに惹かれたのですか? K.多分1960年代後半だったかな、最初はディアンジェリコ・ニューヨーカーを使っていたんだけど、私の好  きなスーパー400と同じサイズ(18インチのボディ)なんだ。  とくにスーパー400 (CES)のハムバッキング・ピックアップが気に入ってね。  その前はL5やL7(50年代後半/60年代前半)にマウントされたチャーリー・クリスチャンのバー・ピ  ックアップを使用していたが、特にジミー・スミスとはヴォリュームが必要なんだけど、ハムバッカーは  ノイズがなく、使いやすく実用的だ。  フローレン・カッタウェイのスーパー400を好むのは、ハイ・ポジションも楽々こなせるから。 Q.ギブソンのES-175とフローレン・カッタウェイのカスタム L5CESを使っていましたね。  L5やスーパー400のフローレン・カッタウェイが登場したのはそれ以前のことですが、どのような経緯で  作られたのですか? K.50年代後半ギブソンにディープ・カッタウェイのL5を頼んだら・・渋々作ってくれたんだけど・・肩が  凝るくらい重くてね。  深いカッタウェイでネックを固定するには大きなブロックで支える必要があると考えられていたようだ。  175は小さすぎて扱いにくいがスーパー400は完璧だと感じたね。 Q.今までで、何本かスーパー400で弾いているところ見ましたが、今でも持っていますか。 K.今は2本持っているよ。メインの1本は昔サンディエゴで手に入れたんだけど、ふらっと入った店で見つけ  たんだ。  60年代のもので、とてもいい感じだ。当時からもう一本持っていたものはサブとして使っている。  その前は、ディアンジェリコと同じようにディアルモンドのピックアップをマウントしたヴェネチアン・カ  ッタウェイのスーパー400を持っていた。 Q.スーパー400にこだわりの細工を施していますか。 K.先ず、ブリッジを調整し、弦は低くしている。そして、フィードバック(注: 大音量で弾くと、アンプから出  てきた音が弾いたギターの弦を振動させ、またピックアップが拾いアンプから音が出る)を減らすための工夫  もした。  Fホールからスポンジをボディ内部に詰め込み、Fホールの表面を塞ぐことによりギターがデッドニング(注:  制振や吸音効果)され、ハウリングが軽減されるんだ。  それに激しく弾いていると時々ブリッジが移動するので、プラスチックをねじ込みテープで固定したり、あと  ペグワインダーハンドル付きのチューニングキーも取り付けた。
Gibson Super 400CES Florentine Heritage Super KB Q.ヘリテージのシグネイチャー・モデル、スーパーKBは、スーパー400をベースにしているのですか? K.そう、ヘリテージは私の好みを見事に捉えているが、大きく違うところはボディが少し薄く、短くなっている  が18インチ幅は変わらない。  テールピースは私のカスタムL5と同じようにフィンガー・テールピースが付いているが、弦のテンションを  個々に調整できるのが気に入っている。 Q.使っているアンプについて聞かせてください。 K.ほとんどフェンダー・ツウィンを使ってる。販売されてすぐにデトロイトで手に入れたけど、安定感は極めて  高い。太くて暖か味みのあるサウンドが好きで、高音は低めに低音はミディアムに中音はパンプアップに設定  している。  ローランドのJC-120 Jazz Chorusで代用することもあるが、大音量が必要でないときは古いポリトーンやヘリ  テイジのケニー・バレルのアンプを使うこともある。  近頃、新しいフェンダーの George Benson 1×12" を気に留めている。