ニュース速報 No.135(2021.4.11号)


モンゴメリ・ブラザーズ未発録音

A面: MILES DAVIS SEXTET B面: MONTGOMERY BROTHERS QUINTET 今年1月にアメリカのオークションサイト「ebay」に、ウェスに関する未発の音源が出品され ていた。タイトルは・・ 「ULTRA RARE MILES DAVIS SEXTET ACETATE LIVE SF AUDITORIUM UNREALEASED 1960 HEAR」 「1960年の未発音源は超レアなマイルズ・デイヴィス・セクテットでサンフランシスコの公会 堂でのライヴをアセテート盤で聴く」ということになるが、気づかずに終わっていたのは、マ イルズ・デイヴィスには興味がなかったからだけのことで、では何故ウェスがそこに絡んでい たかというと、出品されたのは45回転アセテート12インチLP盤で、A面がマイルスでB面はモン ゴメリ・ブラザーズであるにも関わらず、触れられていなかったことにあった。 では何故分かったのかといいますと、やはりネットサーフィンでウェス・モンゴメリの専門サ イトに「Wes Montgomery by Torsten Meise」にたどり着くといきなり「知られていないモン ゴメリ・ブラザーズ」とタイトル付けられアセテートB面のラベル写真が掲載されてあり、お そらく落札者でないと分からない情報が記載されてあった。(別人の可能性もある) それは「マイルスのB面として出品されていました。1960年のラジオ放送からの録音で、モン ゴメリ・ブラザーズが聴けます。 このレコードは1300ドルで出品(落札価格は1358ドル=日本円で15万足らず)されたが、ウェス は1曲しか聴けませんが、サイトの試聴がいつまでネット上にあるかわからないので当サイト で聴いてみてください。」と説明しているが、すでに「ebay」からは削除されている。 先ずはその出品された45回転アセテート12インチLP盤の内容ですが・・ A面:MILES DAVIS SEXTET Miles Davis(tp), John Coltrane(ts), Buddy Montgomery(vib), Wynton Kelly(p),Paul Ch- ambers(bs), Jimmy Cobb(dr) Live at Bill Ghram Civic Auditorium, San Francisco, CA.; Mar. 4 1960 So What On Green Dolphin Street B面:: MONTGOMERY BROTHERS QUINTET Wes Montgomery(g), Lenny McBrowne(dr), Ronald "Jack" Washington(ts), Monk Montgome- ry(bs), Buddy Montgomery(p) Liv at Jazz Workshop, San Francisco, CA.; 1960 West Coast Blues In Your Own Sweet Way (Monk, Buddy and Lenny) 録音の経緯は「ラジオのスピーカー前にマイクを立てて録音された」と書かれてあるが、放送 ノイズに加えアセテート盤特有のノイズが重なり、いい状態とは言いえない。 確かにウェスは〈West Coast Blues〉だけしか聴けませんが、初めて聴くテナーとドラムスが 今までにない新鮮さでノイズが気にならないほどの驚きと興奮で満ちた。 録音データでは1960年としか書かれていないが、本当にモンゴメリ・ブラザーズとしたらこの 年の1月末でマスターサウンズは解散し、2月1日に発足したモンゴメリ・ブラザーズはスウ ィンギン・ランタンなどここサンフランシスコを暫く拠点とし、活動した記録がある。 同じく、名脇役ドラマーと知られるレニー・マクブラウンもニューヨーク生まれながら主にロ スで活動し、自身2枚あるうちのリーダ・アルバム《Lenny McBrowne And The 4 Souls》が1 月から3月にかけレコーディングしていたことを考えると、2月またはマイルスと同じ3月頃 の放送録音とみられる。 多くの一流プレイアーのドラマーとして活動するが最も多くのレコーディングを残したのがケ ニー・バレルで傑作とされる1972年の《'Round Midnight/Fantasy》(タイトル曲のみポール・ ハンフリ)は愛聴盤の一枚である。 彼らとのつながりは今までに聞いたことはなかったが、サックスのロナルド・ワシントンはカ ンサス市生まれで10代でソプラノサックスを始めベニー・モウトン楽団で演奏した後、カウン ト・べイシー楽団に在籍した経歴がある。 A面のマイルスにコルトレーン、ジャズ界最強のケリー・トリオ、それにバデイが参加した記 録は以前より周知していたが音源が発見されたのは歴史的な発見といえる。 SFクロニクル紙に掲載されたラルフ・J・グリーソンによるレビューでは、「非適合的で先駆 的な作品が、一般大衆に受け入れられて商業的に成功しているアーティストは稀である。 ピカソもしかり、金曜日の夜にビル・グラハム公会堂で行われたコンサートに出演したマイル ス・デイビスもそうだ。 デイビスは、力強さとイマジネーションに富みウィットな演奏は、軽快な場面ではテンポよく 弾み、沈んだソロでは古典的な重苦しさを持たせていた。」と評価した。 B面の録音テータについて、もう少し突っ込んでみると・・ バディとマイルス・デイヴィス・セクテットについて「マイルス・デイヴィス(tp) ジョン・ コルトレーン(sax) バディ・モンゴメリ(vib) ウィントン・ケリィ(p) ポール・チェンバース (b) ジミー・コブ(dr) と凄い顔ぶれであるが、バディの参加にマイルスは手放しの喜びよう であったという。 1960年1月11日から21日にかけ、シカゴにあるサザーランド・ホテルへの出演にむけて、マ イルス一行はいったんインディアナポリスへ飛行機で向かった。 それは飛行機に乗れないバディのためであり、そこからバスに同乗させシカゴへ向かった」と いうのである。("The John Coltrane Reference"参考) この期間、マスターサウンズの解散前であるにもかかわらずマイルス・コンボに参加している という不自然さがある。この後、1月27日にはロス・アンジェルスでも参加したというデータ があり、2月初めにはモンゴメリ・ブラザーズが結成されサンフランシスコで活動開始という 事になるが、バディも絶えず行動を共にしていたのであろうか。 疑問が重なるなか、再びバディは「3月になって3日はロス・アンジェルス、4日はサンフラ ンシスコ、5日はオークランドでマイルス・コンボに参加した」というデータが残されている。 この1月から3月にかけてのバディの行動は目まぐるしく、主体がモンゴメリ・ブラザーズな のかマイルス・コンボなのかはっきりとしない。 それ故、バディがマイルス・コンボに【入団】という正式なものだったのか、それとも一時的 に【参加】したとみるのか、見極め難い。 ところが「3月21日から4月10日にかけてマイルス・コンボがJATP欧州ツアーに参加するとい うことで、メンバーの一員としてバディの名前がパンフレットに印刷されていたにもかかわら ず、直前で飛行機の恐怖からツアーを断念、事実上グループからの【離脱】となった。」と説 明されている。 傍ら、バディは3月下旬から5月上旬にかけモンゴメリ・ブラザーズでシスコのサクラメント に在るスウィンギン・ランタンに出演していたので、直前ではなく何かと飛行機の移動が多い マイルスのバンドでは演っていけないと早い時期から【離脱】を決断していたと思う。 インディアナポリス・スター60年4月16日の記事で、【マイルス・デイビス一行がバディ・モ ンゴメリ抜きで海外ツアーをしているのは、バディがアイドルワイルド(現NYCのジョン・F・ ケネディ国際空港)でジェット機に搭乗する予定だった。 直前にひどい恐怖症にかかり、ヨーロッパ便に乗らず、反対方向の飛行機へ一目散に飛乗った 】とある。 やはりバディの優柔不断さが2月か3月の録音のどちらかに絞り切れない。