フランスのギター専門誌にウェスの表紙が飾られていたので
買ってみた。
日本の専門誌とよく似ていて、ギタリストの紹介や採譜も掲
載されている。
その中にウェスの短いプロフィールの紹介とジョニー・グリ
フィンがウェスについて語る記事が見られたので紹介します。
発行はユイタ・ミュージック シャンソン・ポーズ No.61
とあり、多分1969年10月発行と思う。
ジョニー・グリフィン、ウェス・モンゴメリを語る
★ウェス・モンゴメリに初めて会ったのは・・そうだね・・サンフランシスコだった。
二人の兄弟、モンクとバディも一緒に聴きに来てくれたよ。
当時、俺はジョージ・フリーマンとレオ・ブレビンズという2人のギタリスト(非常に才能のあるギ
タリストだったことを付け加えておく)と一緒に演奏していた。
その最初の出会いで覚えているのは、その夜のことで俺は一心にに吹きまくっていた。
とてもいい雰囲気でプレイしていたのでウェスと長々と話す時間がなかったのを覚えているよ。
だが、すぐに俺たちはお互い解け合える仲になつた。
ウェスと彼の兄弟は、俺たちが演奏していた地域に住んでいて、よく一緒に "ル・ブッフ"(注1)を
しに来るのが習慣になっていた。
★それで、セロニアス・モンクを脱退して初めて(59年のことだ)、ウェスのギタリストとしての素晴
らしさに気づいたんだ。
ウェス・モンゴメリは素晴らしい人物だった。
彼は酒も飲まなかったし、タバコも吸わなかった。(訳注: 酒は飲まなかったが煙草についてはグリフ
ィンに遠慮して吸わなかったのか、もしかしてこの話は1960年頃と思われることからウェスが喫煙し
たのはその後の事なのか、はっきりとは分からない)
母親の手作りしたものが習慣になっていたらしくカエルの足もカタツムリも食べなくて、フランスに
来ても食べようともしなかったね。
★ウェスには7人の子供がいて、模範的な父親だった。
彼はよく考えながらゆっくりと話すタイプで、余計なことは決して語らなかったがユーモアのセンスは
抜群だつた。
茶目っ気たっぷりで、仲間にちょっとした話を持ち掛けるのだがそこに冗談が仕組まれているとは誰も
思っていなくて・・もちろん喧嘩になることはなかったが・・ただ彼の素晴らしいユーモアにみんな大
笑いさ。
★先にも言ったが、ウェス・モンゴメリは真面目なタイプだった。
彼はハイテンションにもならず、酒も飲まず、俺たちが盛り上がるような小さなクラブにもめったに行
かず、女性にも決して見栄を張らなかった。
ウェスはいつも身なりはきちんとしていたが、ちょっと・・ソーセージのような体型だから上着のボタ
ンを留めると・・うーん・・でも、いつも笑顔だったよ。
★サンフランシスコ滞在中、俺たちは頻繁に顔を合わせた。
俺がウェスのステージを観に行こうとしたら、ウェスが俺のフレイを聴きに来ていたこともあった。
時々俺は "ポワンチュール"(注2)と一緒にささやかな食事をしていたが・・ウェスはしばしば自宅の
夕食に招待してくれた。
★ウェスのリズムとテンポの感覚、メロディとハーモニの直感は驚異的だった。
何がすごいかというと、これらすべてを独学で学んだということだ。
素晴らしい創造力で全てのプレイが完成されていた。言うことない。
★リヴァーサイド・レコードでのウェスとストリングス・オーケストラのレコーディング・セッション
は生涯忘れないだろう。
その日、彼は本当に "気が触れたかのごとく" 演奏し、特に美しいバラッドのレコーディングが終わる
と、"プルミエ"(注3)全員が自然に立ち上がり、ウェスにスタンディング・オベーションを贈った。
すごいことだよ。
(訳注: "FUSION! Riverside RM-472" のレコーディングでキープニュースは休憩の合い間にロックフェ
ラー・センターあたりを散歩中、偶然にもホレス・シルヴァと逢い見学に誘ったことは知られているが、
グリフィンはレコーディングに参加していないのでやはり見学していたと思われる)
★ウェスと初めて仕事をしたのはサンフランシスコ対岸のバークレーにある "Coffee House Tsubo" で
のレコーディング・セッションだった。
当時サンフランシスコにはウェスと彼の兄弟たち、そして俺(当時 "Jazz Work Shop" に出演していた)
の他に、ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、ジミー・コブという最強のリズム・セクションを
擁したマイルス・デイヴィス・セクテットが "Black Hawk" に出演していたが、リヴァーサイド・レコー
ドの副社長オーリン・キープニューズは、ライヴ・レコーディング・セッションをしたいと言ってきた。
1962年6月25日(俺とマイルズの休暇日)、ウェス、ウィントン・ケリー・ポール・チェンバース、ジミー
・コブ、そこに俺が加わり "Coffee House Tsubo" で観衆を前に終始ハイ・テンションで演奏し、レコー
ディングされたのがこの "マイクログルーヴ"(注4)だ。
★ウェス・モンゴメリと最後に共演したのは1965年、アラン・ベイツが企画したヨーロッパ・ツアーだっ
た。
ハンブルクにある北ドイツ放送局(NDR)、そしてオランダでのコンサート(注5)があり、そして誰もが知
っているパリでのコンサートもあった。
★ウェスの死を聞いて、何も言えないぐらいのショックを受けている。
何も悪いことはしなかった男が、人生の絶頂期に心臓発作で死んだのだ。
幸いなことに、レコードは彼の素晴らしい音楽を忠実に伝えてくれると思うよ。
インタヴューと翻訳:モーリス・キュラズ
(注1)ジャムセッションすること。
(注2)優れたミュージシャン
(注3)俗語で弓を使った弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)を演奏する人。
(注4)"FULL HOUSE Riverside RLP-434" 。
(注5)に関しての質問状が1995年9月1日付でグリフィンから返信メールが届けられました。
その説明によると、ウェスとのコンサートはパリとドイツだけだった・・と書かれているが、もしかして
失念の可能性もある。
それにオランダでのコンサート録音は発掘されていないことで、亡きグリフィンに再度確かめることもで
きない。
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