ニュース速報 No.60(2003.2.21号)


最期のプログラム
第1面       第4面
 ウェスがなくなってもう少しで・・35年になりますが、タイトルの【最期のプログラム】とは ウェスの葬儀で配布された【葬儀プログラム】である。 コレクターよりゲットしたが、よくもまあ、残っていたものと感心した。 コレクターは教会スタッフのボランティアにより作られたと説明してくれた。 サイズは、28cm×52cmを2つ折りにし、第1面が表、2面3面がウェスの思い出や葬儀プログラ ムが記載されてあり、4面が裏になる。 経年によるシワがあり更に縦に折られていたが、状態はまずまず残っていたことが奇跡である。 下記がその翻訳文(少し頼りない部分もあるが意味合いはほぼ合っている)で、特に興味があった のはウェスが初めて聴いた曲は今まで言われてきたとおり〈Solo Flight〉と書かれてあった。 しかし、初めて買ったギターとアンプが30ドルと説明されているが・・この1940年代って楽器 の相場は知りませんが・・やはり300ドルが妥当と思われる。 -------------------------------------------------------------------------------------- 1923年              1968年       記憶の中に ジョン レスリ "ウェス" モンゴメリ 1968年6月18日 火曜日     午後1時00分        PURITAN パプティスト教会        872 WEST 27TH STREET        INDIANAPOLIS, INDIANA        ジョン・クローク牧師 --------------------------------------------------------------------------------------             死亡記事 ジョン "ウェス" モンゴメリは1923年3月6日、インディアナ州インディアナポリス市で母フ ランセス・アーリントンと父トム・モンゴメリの息子として生まれました。  彼は1943年2月21日、シリーン・マイルスと結婚し、2人の息子と5人の娘が生まれました。  ジョン "ウェス" モンゴメリはジャズ・クウィンテットのリーダでした。 19歳になるまで彼はギターを全く弾いた事がありませんでした。しかし、お金を集めて買ったエ レキ・ギターを独学で国際的に有名なギタリストになりました。  ジョン "ウェス" モンゴメリはよき父親でありよき夫でもありました。 彼はメソジスト病院で1968年6月15日、この世を去りました。  ウェス・モンゴメリ45歳、過去7年(訳注:67年まで)で5回もダウン・ビート誌の世論投票でジ ャズ最優秀ギタリストに選ばれ、そしてプレイボーイ誌世論投票では類似の名誉賞を6年連続勝 ち取りました。 1966年、彼のアルバム《Goin' Out of My Head》は "Best Instrumental Jazz Performance" 部門でグラミー賞を勝ち取り、そして同じくチャート史上最高のアルバムとしてビルボード誌に よって称賛されました。  レコード・ワールド誌は彼を1967年のジャズマン・オブ・ザ・イヤーと絶賛しました。 【彼がグラミー賞を勝ち取ったアルバム《California Dreamin'》にはレコードチャートにランク された〈Bumpin' on Sunset〉と〈Windy〉がはいっています。】・・(訳注:お気づきでしょうが 間違った説明です) 彼の死後《A Day In The Life》がビルボードのレコード・チャートで37連続のベストセラー・ジ ャズ・アルバムになっています。  彼は死の直前までバディとモンクの加わったクウィンテットのリーダでした。 グループの最後の演奏はフェニックスでのシーザース広場でした。 ウェスが最後に演奏したのは5月22日、州のフェアグラウンズ競技場(訳注:正確に記載されてい ないがインディアナ州と思われる)でのコンサートでした。  インディアナポリスで1923年にジョン・レスリ・モンゴメリとして生まれ、オハイオ州コロン バスの学校に通いました。彼は17歳のときにインディアナポリスに戻りました。  彼が19歳で結婚し、ギターを全く弾いたことが無いとき、ベニー・グッドマンと一緒にプレイ した伝説のギタリスト、チャーリー・クリスチャンによる楽曲を聴きました。 後に彼はその曲が〈Solo Flight〉だったと述べました。  クリスチャンの音楽に魅かれ彼は30ドル(訳注:これは 300ドルの間違いと思われる)をかき集め 楽譜が読めないにもかかわらず、新しいエレキ・ギターとアンプを買いました。  クリスチャンのレコードに学び8カ月間独学の後、ウェスはインディアナポリスにある440 クラブや他のナイト・クラブへ出演することから始まりました。 彼は決して楽譜を学ぼうとはしなかったが、4年後の1948年そのユニークなスタイルはライオネ ル・ハンプトン・ビッグ・バンドと一緒に演奏する仕事をもたらしました。  彼は2年間ハンプトン・バンドと一緒に演奏しましたが、絶え間ないツアーで家族と会えない ことを淋しく思い、それでインディアナポリスに戻ってきました。 それからは音楽とは全く関係のない仕事に就き、週末だけターフ・クラブやミサイル・ルームな どで演奏しました。  1959年にアルト奏者ジュリアン・アダレイはモンゴメリの演奏を聴いて、ニューヨークにある リヴァーサイド・レコードの経営者に報告しました。 レコード会社はミスター・モンゴメリと連絡を取り、彼のレコーディングをするように依頼しま した。  彼は2枚のアルバムのうち、一枚は兄弟とのトリオで作りました。 最初のアルバムは国際批評家投票でギターにおける1960年代の新人賞としてダウンビート誌に認 められました。 ウェスがギターを弾き始めて15年ほどたち、その後死ぬまでひたすら成功が続きました。 未亡人    ;シリーン・モンゴメリ。 2人の息子  ;ジョン・L・モンゴメリ・ジュニア、ロバート・モンゴメ リ。 5人の娘   ;シャーリン・グレイソン夫人、シャロン、サンドラ、         フランセス、トニィ・モンゴメリ。 1人の姉妹  ;エルヴェナ・フロイド夫人。 2人の兄弟  ;カリフォルニア州サンフランシスコのチャールズ・F・バ ディ・モンゴメリ。     カリフォルニア州サンフランシスコのウィリアム・H・モ ンク・モンゴメリと4人の孫。          -------------------------------------------------------------------------------------- 教会の礼拝 オルガン序曲 行列聖歌 讃美歌242番..................."COME YE DISCONSOLATE"(なやむものよ) 詩篇朗読.......................詩篇23篇 祈り      ゴスペル................"BEYOND THE SUNSET"(ビヨンド・ザ・サンセット) 感謝 : モンゴメリ家の遺族は、ウェスへ哀悼を捧げてくれた人々に感謝します。 決意------教会------STREATTA ブライアント夫人楽器演奏 : "JUST A CLOSER WALK WITH THEE" (黒人霊歌)  注目 : 死亡記事が読まれる間にソフトな音楽。(バックに流れていた曲) "THERE IS A FOUNTAIN FILLED WITH BLOOD"     慰めの言葉 :       家族-------牧師 JOHN J. CROOK 祝福 退場賛美歌 オルガン後奏曲 誓約、と埋葬 ニュークラウン墓地 -------------------------------------------------------------------------------------- ウェス・モンゴメリ 名誉な人 友人と音楽仲間。 棺を運ぶ人 ウェス・モンゴメリ・クウィンテット サマーズ葬儀場(教会) --------------------------------------------------------------------------------------