デトロイト1966年

ここに、また新たな発掘があった。
1965年5月、欧州ツアーより帰国したウェスは現地
解散したハロルド・メイバーン、アーサー・ハーパ
ー、ジミー・ラヴレイスに変わり最強のウィントン
・ケリィ・トリオ(ポール・チェンバース、ジミィ
・コブ)と組むこととなった。
最初の出演がフィラデルフィアにあるラウンジ
"ショー・ボート" で6月21日から26日までの1週
間の出演契約を交わしている。
これはダウンビート誌に記載されてある情報である
が、このユニットは1966年6月頃までの約一年間全
国ツアーを行脚している。
1966年2月、一行はミシガン州デトロイトにあるラ
ウンジ "ベイカーズ・キーボード" の出演が決まっ
ていた。
地元のローカルTV局、WJBK-TVは事前にその情報を
入手していて、早速ウェス等との出演交渉にあた
った。
結果、ウェス/ケリィ・トリオでの出演ではなく、
毎日放送されている番組 "Scene II" のレギュラー
Dan Pliskow
・トリオとの録画撮り共演であった。
この番組では毎日ひとりか2人のゲストを迎えると言うことが売りのようで、近くにあった
"ベイカーズ・キーボード" の出演者がほとんど呼ばれていたという。
マット・マイケルズ(p), ダン・プリスコー(b), アート・マーディガン(dr)のゲストとして
ウェスはここで2曲を披露している。
このときの様子についてダン・プリスコーは、ウェスはリハーサルのためにスタジオに入って
「2曲やろうかな」と提言、「そうだね〈Autumn Leaves〉と〈Misty〉でいいかな」と告げら
れたが私は練習する間もなく、我々にエンディングだけ聞かせたあと2回のリハーサルが繰り
返され、録画撮りに向かったと言う。
今回41年振りに陽の目を見た2曲はオーデイオ・テープにダビングされ奇跡的に残されていた
が、録画撮りのビデオテープは自転車操業の憂き目から消し去られたとダン・プリスコーが説
明してくれた。
Wes Montgomery(g), Wynton Kelly(p), Dan Pliskow(b), Art Mardigan(dr)
The CBS TV station WJBK-TV "Scene II", Detroit, Michigan; Feb. 1966
Autumn Leaves [4:17]
Misty [5:21]
ゲスト出演の二日目に、ウェスは参加しなかったがケリィとダン・プリスコー(b), アート・
マーディガン(dr)の収録も行われた。
ダンは面白い話を聞かせてくれた。「ポールが1965年10月にツアー先のホテルで飲酒後鏡の前
で空手の練習をしていて、蹴りの瞬間その鏡を突き破った」というのでウェスは私に「ケリィ
・トリオのベーシストの代役を知らないか」と言うのである。
ポールが怪我をした原因は知らなかったが、当サイトでも記載した事は "実はポールが10月下
旬に足の裏に刺さったガラスの破片がもとで化膿し、11月にニューヨーク市内の病院で手術を
受けるため年内は一線から離脱することになった" という話の真実を知ることができた。
ポールの酒好きは知っていたが、空手に興味を持っていたという事は初めて聞いた。
この2月の段階でウェスがこのような事で冗談にしろ話す・・でもウェスは真剣にやや不満面
でした・・と言うことは、ポールの怪我は相当ひどかったのでしょう。
2023年9月 追記
上記2曲でピアノは Matt Michaels ではなくウィントン・ケリィと判明しました。
|