RECORDED 1957-58
Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(p) Unknown(b) Paul Parker(dr)
unknown Studio, Indianapolis; period 1957-'58
Diablo's Dance [4:15] Resonance HCD-9011 HCD-2011
Nica's Dream [4:58] - -
note: By explanation of Bill Milkowski, a bassist is Larry Ridley.
Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(org) Paul Parker(dr)
unknown Studio, Indianapolis; 1957-'58
Round Midnight [7:33] Resonance HCD-9011 HCD-2011
Darn That Dream [5:51] - -
note: It may be the Studio recording of Chuck Baylery.
A drummer may be Sonny Johnson.
A recording period may be 1958-59.
If a drummer is Paul Parker, it may be the recording in 1959.
Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b)
unknown Studio, Indianapolis; period 1957-'58
Straight No Chaser [7:37] Resonance HCD-9011 HCD-2011
note: I think the recording in 1957.
Wes Montgomery(g) Earl Van Riper(p) Mingo Jones(b) Robert "Sonny" Johnson(dr)
Live at Hub Bub, Indianapolis; period 1957-'58
Take The A Train [6:21] Resonance HCD-9011 HCD-2011
After Hours Blues* [6:36] - -
*Improvisation
Wes Montgomery(g) Earl Van Riper(p) Mingo Jones(b) Robert "Sonny" Johnson(dr)
Hub Bub, Indianapolis; period 1957-'58
Misty [4:32] Resonance HCD-9011 HCD-2011
Body And Soul [4:29] - -
note: no audience.
2012年3月(日本は4日先行、アメリカはウェスの誕生に合わせ6日)になって《Wes Montgomery/Ech-
oes of Indiana Avenue》と題され、限定1000枚のLPとCDが同時リリースされた。
その作品はレゾナンス・レコードのエグゼグティヴ・プロデューサーとして連名のマイケル・カス
クーナがリリース前にジャズライフ誌(2012年3月号)のインタヴューに応じている。
この時の取材で、「評論家のビル・ミルコウスキーはライナー・ノーツで〈Diablo's Dance〉と
〈Nica's Dream〉のベーシストはラリー・リドレイと記載していますが」との質問に「私もそう思
うが本人からの確認ができなかった」ということで、商品化の折にこの一行は氏名不明ということ
に書き換えられたようである。
メル・ラインがピアノを弾いている録音は大変珍しく、下段に掲載する1959年夏に撮影された写真
にもその姿がみられる。
おそらく、1959年夏と言えばこの段階で既にメルはオルガンに持ち替えていたが、このセッション
ではこの場所にたまたまピアノがあったものと思う。
次の〈Round Midnight〉と〈Darn That Dream〉は確かにリヴァーサイド録音に似ていることから、
「この時のリハーサル録音、もしくは未発テイクではないのですか」との質問に「サウンドも違う
がトリオとしての成長の差がみられる」と言う。
サウンドの違いは《The Wes Montgomery Trio/A Dynamic New Sound/Riverside RLP 12-310》のレ
コーディングではケニー・バレルのL-7を借用してのことだから当然違って当たり前のことですが、
成長の差が感じられるというのは全く同感であ。
「3人が均等である」と言うように、未発ではウェスにピアノからオルガンに変更を勧められたメ
ル・ラインのソロもあるが、一番はウェスのソロ・フレーズが溢れんばかりの細やかさであること
。また、ドラムスのポール・パーカーとされるブラシ・ワークが派手で、メルのソロ・バックでは
スティックに持ち替え、リムショトも交えているが終始バスドラの響きが気になる。
リヴァーサイド録音と比較すると、これらの成長の差と言うものが判ると思う。
録音期が1957-58年とするならば、比較的58年に近く上記のドラマーはソニー・ジョンソンではな
いかと個人的には思っている。
ダンカン・シャイトによる59年撮影のエセックス・ハウス・ホテル内の "500ルーム" のトリオ写
真ではそのソニー・ジョンソンがみられることから、同じ59年のニューヨークでのリヴァーサイド
録音の数か月前、もしかして直前にポール・パーカーとのメンバー・チェンジがあったのではなか
ろうか。
いつもながらに話を飛躍させると、エイドリアン・イングラム著【ウェス・モンゴメリ】によると
「この50年代には、チャック・ベイリーのインディアナポリス・リハーサル・スタジオが自由に使
用でき、リハーサルの間、我々はチャックからテープを回し続けることも提案された。
ウェスはいつもそこにいて、バンドや何かのリハーサルをしていた。彼らはリヴァーサイドのため
のリハーサルも重ねていた。」というデイヴット・ベイカーの回想記事がある。
チャック・ベイリーとはシカゴで人気を博したロッカーのチャック・ベリーではなく、当時インデ
ィアナポリスにスタジオを構えたレコーディング・エンジニアで50年後期にはデイヴット・ベイカ
ーの録音もこなしたという人物である。最近、インディアナポリスに詳しい人からの情報で判明し
た。このことから、〈Round Midnight〉と〈Darn That Dream〉の録音は・・
WES MONTGOMERY TRIO
Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(org) Sonny Johnson(dr)
Chuck Bailey's Studio, Indianapolis; period 1958-59
Round Midnight [7:33] Resonance HCD-9011 HCD-2011
Darn That Dream [5:51] - -
との推測も成り立つのではないでしょうか。下のダンカン・シャイトの写真は500ルームでの撮影
でやはり1959年の夏と思われる。
ただ、ダンカン・シャイトはチャック・ベイリーのことは覚えていないという。
もう一つある。1959年10月リヴァーサイド録音の《The Wes Montgomery Trio/A Dynamic New Sou-
nd》のライナー・ノーツで、Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(org) Paul Parker(dr)のトリオが
確立したのは、「ミサイル・ルームが1959年にオルガンを設置したことで誕生した」と、オリン・
キープニュースが語っている事実である。
つまり、ドラマーも録音が1958年まで(何月までという特定は難しい)なら、ソニー・ジョンソンで
あり、1959年であるならばポール・パーカーという推測が成り立つ。
レゾナンス・レコードのゼヴ・フェルドマンも録音データの判別でインディアナポリスに3度も足を
運び、研究者、ミュージシャン、ウェスの旧友等などの話を総合的にまとめ結論づけたのでしょう
が、オリン・キープニュースの意見も是非交えて欲しかったと思う。
次のモンゴメリ3兄弟によるトリオ録音〈Straight No Chaser〉も、日本語はややこしくてモンゴ
メリ・ブラザースによる録音と説明されているのを聞くとどうしてもグループ名になってしまうこ
とで誤解も多い。
ですから、ここは【モンゴメリ3兄弟】と言うように説明してくれれば・・といつも思っている。
この録音期間に合わせるなら、1957年1月から1960年1月まで、モンゴメリ3兄弟のうち、モン
クはバディを引き連れ "ザ・マスターサウンズ" を結成し、シアトルを始めサンフランシスコなど
西海岸を中心に活動していた期間であり、ウェスとの交流が少なかったことも事実である。
しかし、ひとつ参考になるレコーディングが残されている。
1957年12月ワールド・パシフィック録音《The Montgomery Brothers And 5 Others/World Pacific
PJ-1240》場所もインディアナポリスで録音されている。
Wes Montgomery(g) Freddie Hubbard(tp) Waymon Atkinson, Alonzo Johnson(ts) Joe Bradley(p)
Buddy Montgomery(vib) Monk Montgomery(b) Paul Parker(dr)
この録音でモンクは「兼ねてから構想を抱いておりそのメンバーも"ザ・マスターサウンズ" とし
てではなく、インディアナポリス地域で活動する彼の親友らと、ウェスを含む地元のミュージシャ
ンで演るんだ」と語っている。
モンクはワールド・パシフィックのディック・ボックがシカゴに居たことからウェスの〈フィン
ガー・ピッキン〉の録音の件で電話したが、結果的にボックがインディアナポリスに来て、《The
Montgomery Brothers And 5 Others》とWes Montgomery(g) Joe Bradley(p) Monk Montgomery(b)
Paul Parker(dr)で〈フィンガー・ピッキン〉1曲レコーディングすることになった。
ボックはレコーディングできるスタジオをモンクに依頼し、クリスマス休暇で全員揃ったところで
12月30日の一日間で録りあげた。
これらのことから、この【モンゴメリ3兄弟】の〈Straight No Chaser〉はボックが来る寸前また
は帰った後、同じ場所で録音されたものではないかと思う。
しかし、モンクが〈フィンガー・ピッキン〉のレコーディングに際して、ボックに送ったデモ録
とも考えられる。
レコード・ジャケットには録音された場所の写真がみられるが、スタジオというよりホールかライ
ブ・ハウスのようにも見える。
(混同されがちなドラマーの見極め: ポール・パーカーは眼鏡をかけているが、上記500ルームでの
ソニー・ジョンソンは眼鏡をかけていない。)
マイケル・カスクーナは「ボックとは長い付き合いがあり、このテープを聴かせればすぐに応えて
くれたと思うが、彼は既に他界していた」という。
最後に、アール・ヴァン・ライパーとの〈Take The A Train〉と〈 After Hours Blues〉はライヴ
雰囲気たっぷりな録音ですが、ピアノの近くにギター・アンプを置き、ワン・マイクで録音したの
でしょう。
ギターとピアノがバランスよく録られたいる。
問題は〈Misty〉と〈Body And Soul〉で、初めて聴いたときからライヴでの大きな特徴である観客
のざわめきや食器があたる雑音など一切感じ取られなかったことである。
若干ではあるがなんとなくスタジオではない雰囲気もあったことは確かであった。
そのことについて同誌の取材でレゾナンス・レコードのプロデューサー、ゼヴ・フェルドマンは
「社長のジョージ・クラビンがソフト・ウェアを駆使して、古いアナログ・テープを修復し、サウ
ンドを増幅させクリアにする過程で、アシスタントと共にヒスノイズ、ドロップアウトの工程に長
い時間をかけた。」
と製品化までの苦労話を話しているが、そのあと「ある曲には、録音された場所の近くで電動ドリ
ルが使用されていたのですが、そのノイズを丸ごと消すことに成功した」というのである。
「ある曲」でライヴとなればこの2曲しかないでしょう。
実際のライヴであれば当然観客からクレームが入るであろうこの事態が、ハバブの休日か開店前を
利用してのデモ録というよりリハーサルであったのでしょう、気にすることなく録音できたと推測
できる。
で、あるならばライヴではないでしょう!!・・いや、日曜大工が聴いていたのでライヴですか??
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