A Good Git-Together/Jon Hendricks/World Pacific WP-1283
アルバム名 : A Good Git-Together/Jon Hendricks
アルバム番号: World Pacific WP-1283
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 1959
メディア  : LP


Jon Hendricks(vo) Pony Poindexter(as) Wes Montgomery(g) Guildo Mahones(p) Monk Montgome-
ry(e-b) Jimmy Wormsworth(dr)
                                                     Fugazi Hall,San Francisco; Oct.1959
          Feed Me                   [3:47]                         World Pacific WP-1283
          A Good Git Together       [3:40]                                       −


Jon Hendricks(vo) Pony Poindexter(as.vo) Wes Montgomery(g) Guildo Mahones(p) Buddy Mont-
gomery(vib) Ike Isaacs(b) Jimmy Wormsworth(dr)
                                                     Fugazi Hall,San Francisco; Oct.1959
          I'll Die Happy                [2:19]                     World Pacific WP-1283
          Minor Catastrophe (vo:Pony)   [5:14]                                   −


Jon Hendricks(vo) Nat Adderley(cor) Cannonball Adderley, Pony Poindexter(as) Wes Montgo-
mery(g) Guildo Mahones(p) Ike Isaacs(b) Walter Bolden(dr)
                                                     Fugazi Hall,San Francisco; Oct.1959
          Music In The Air          [3:54]                         World Pacific WP-1283
          The Shouter               [5:01]                                       −
          Social Call               [2:19]                                       −
          Out Of The Past           [4:49]                                       −
          note: Wes is not playing in "Everything Started in the House of the Lord" and
                "Pretty Strange".


ヘンドリックスの“総ては神の家から始まる”という信仰の深さをこのアルバムを聴いて感じら れるが、ウェスを初めとする豪華なメンバーが彼をまた神のように奉った、大変貴重でかつ珍盤の 1枚である。 1974年に日本盤が東芝EMIより再発されたきり廃盤となっている。尚、〈エヴリシング・スター テッド・イン・ザ・ハウス・オブ・ザ・ロード〉と〈プリティ・ストレンジ〉の2曲に、ウェスの 参加は認められない。
       ジョン・ヘンドリックスといえば、1958年 何故ならポニーはニューオリンズ出身で、そ から64年にかけて一世を風靡したジャズ・コ こが彼の総てにおいての発祥源であり、葬式 ーラス・グループ、“L・H&R”(ランバ で演じられる厳粛なマーチや過去の熱狂した ート・ヘンドリックス・アンド・ロス)での スウィング時代を経験したからである。 活躍が思い起こされる。 そして我々はフェンダーを操るモンク・モン 彼の歌唱力は熱く力強く総てにおいて傑出し ゴメリと、ヴァイブのバディ・モンゴメリを ており、他にも作詞作曲の面でもその才能を 得た。 フルに活用し、名実ともに偉大なるエンター 彼らは“マスターサウンズ”の一員でありウ テイナーのひとりである。 ェスと兄弟であるが、更に他の分野で根気強 『我々がこのセッションで集まったように君 く活動するもう一組の兄弟を得た。 の部屋に多くの“ソウル・ブラザーズ”を迎 ハッキリとはいいにくいが、彼らは【ブラッ えたときそれは素晴らしい集いであること以 クバスター】と呼ばれており彼らが何者か解 上の意味がある。 かるだろ。 ウェス・モンゴメリがここにいて、つまりそ 彼らはスタジオでアルトとコルネットを吹い のこと自体がイヴェントであるというのは、 て熱演した…ここまでいってもまだ解からな ジョス・ホワイトがヴァージニア州リッチモ い。 ンドの街頭で“ブラインド・マン”を先導し そしてアイク・アイザックスはジミー・ウォ ていた若かりし頃聴いたような、更にはウェ ームスワースがドラムスをウォルター・ボー スがチャーリー・クリスチャンを聴いて真似 ルデンに託している間ベースのモンク・モン た頃の、昔のギター奏法である【フィンガー ゴメリを招いた。 ・バスティン】でプレイするからである。 ギルド・マホーネスは何曲かのイントロとエ ノアウッド・ポインデクスターもここにいる ンディングを即座に作り上げた。(但しいっ 。ご存知とは思うが我々は彼を別の名前で呼 ておくが、私はバック・クレイトンの〈アヴ ぶだけでアルト物語【リトル・ポニー】を讃 ェニュー・C〉は“L・H&R”のものとし えてそう呼んだ。 て、同様にアレンジして唄ってきているしと もし君がポニーの魂の叫びである〈エヴリシ ても気に入ってるんだ。) ング・スターテッド・イン・ザ・ハウス・オ ブ・ザ・ロード〉を聴いて何の感動も覚えな いなら、それは古き良き時代の信仰を知らな いからで、どんな形にせよ何らかを感じ取る ことができるはずである。 
    我々が演ったA面は: 〈エヴリシング・スターテッド・イン・ザ・ハウス・オブ・ザ・ロード〉、これは“L・H&R” がモンテレイ・ジャズ・フェスティヴァルでの出演で広く世間に紹介した、いわば私の人生哲学と なる曲である。 そしてポニーが全身全霊を込めたところにその偉大さを増し、私自身のモダン・スピリチュアル( 近世の信仰歌)となっている。 〈ミュージック・イン・ジ・エァ〉はジジ・グライスによる曲で、オリジナルは〈ワイルド・ウッ ド〉と題しスタン・ゲッツがジジのために演ったものであり、歌詞が私の音楽に対する哲学を表現 したものである。 〈フィード・ミー〉、これは私がルイ・ジョーダンのために1951年に作曲したもので、彼のスタイ ルをできる限りとりいれたものである。 〈アイル・ダイ・ハッピー〉もまた、ルイのために作曲したもの(1956年のR&Bのベスト・レコ ーディングになった…キャッシュボックス調査)で、ここでは私が親愛をこめて彼のスタイルで唄 うよう努力した。 〈プリティ・ストレンジ〉はちょっと変わった人物ランディ・ウェストンによるもので、見事とい うか曲のほうも実に変わったものだ。 〈ザ・シャウター〉、良き友達であり、我々のピアニストであるギルド・マホーネスと“L・H& R”による共作されたゴスペル調のヴァージョンはごく自然にできたもので、アレンジを施さず即 興で私のシャウトを加えたものである。  B面で演った曲は: 〈マイナー・カストロフィ〉、私がスキャットでインストゥルメンタル的に(つまりヴォーカルを 楽器に見立てて)できるかどうかに挑戦した曲である。 かってペッパー・アダムスがジミー・ネッパーとレコーディングしたものであり、ポニーが唄って いること自体ある意味で我々に対する音楽の課題を与えている。 〈ソシアル・コール〉はジジ・グライスの曲で、アーネスティン・アンダーソンがスウェーデンへ 行く5年前に唄っていらい私が常に愛してやまないもので、最近彼女はこの曲を再レコーディング したようだ。 〈アウト・オブ・ザ・パースト〉はベニー・ゴルソンの作曲で、この曲について私が何か述べる必 要があるだろうか。 〈ア・グッド・ギット・トゥゲザー〉、私がやっと最後に書き上げた曲であり、ここで集まった仲 間と、ここでやり遂げられたことに心から感謝している。 というのは、私自身の表現法として唯一の作曲を彼らが受け入れてくれたからである。 〈エヴリシング・スターテッド・イン・ザ・ハウス・オブ・ザ・ロード〉、ポニーとシャウトしな がらのレプリーゼ(再現)で、タンバリンをブラザー・ビル・パーキンスが叩いている。  私は総ての曲に詞を加えた(彼はこのアルバムの全曲に歌詞をつけて唄ったが他にも有名なとこ ろでは〈モーニン〉〈ウォーターメロン・マン〉〈ウォーキン〉〈ジャイヴ・サンバ〉〈ナウ・ザ ・タイム〉〈エアジン〉等々、数多くの曲にも歌詞をつけている)ことでより一層楽しんだし、こ れを聴くみなさんもそうなるよう願っている。このアルバムは正に・・・・ A G o o d G e t - T o g e t h e r (素晴らしい集い)であった』。                                                ジョン・ヘンドリックス                           =本アルバム ライナー・ノーツ=参考                           
 ウェスの音楽歴において、1959年は48年に次いで大きな推移をもたらしたといえよう。  この年は決定的な運命の出会いとなったキャノンボールにスカウトされて1カ月後の10月5日と6 日には、新契約したばかりのリヴァーサイドで《ウェス・モンゴメリ・トリオ/ダイナミック・ニ ュー・ジャズ・サウンド》がレコーディングされた。 が、ディスコグラフィ的にひとつの疑問が生じた。先ず今までにみられる、時系列ディスコグラフ ィでは次のように列挙されている。  《モンゴメリランド》             : A面4曲は1959年10月 ロス録音   《ア・グッド・ギット・トゥゲザー》      : 全曲とも1959年10月 シスコ録音       《ウェス・モンゴメリ・トリオ/        : 全曲とも1959年10月5〜6日 NY録音   ダイナミック・ニュー・ジャズ・サウンド》  この意味はただ単に、ウェスの契約したレーベルを優先させただけのことであるが、これが問題 である。  これら3枚のアルバムを契約上から考察し、リヴァーサイドのNY録音の状況から逆算してみると 次のような地図が作成できた。  サンフランシスコ 10月2日           インディアナポリス               ニューヨーク <モンゴメリランド>                         <ウェス・トリオ> 〇───────3000Km────────→〇─────────1000Km─────→〇   ↑                   10月3日                10月5日   │                   10月4日                10月6日 500Km    │   │               北アメリカ 〇ロサンジェルス 10月1日 <ア・グッド・ギッド・トゥゲザー>       ウェス・モンゴメリは10月4日の早朝、N    次に総て10月初めとした場合、《モンゴメリ Yへ向けて愛車での移動を断念(恐らくウェ    ランド》で説明したとおりドラムスのルイ・ スが、リーヴス・サウンド・スタジオの使用    ヘイズをキャノンボールから拝借したという 予約日に合わせたためと思われる)し、最も    話と、《ア・グッド・ギット・トゥゲザー》 恐れている飛行機を初体験した。         でキャノンボールとウェスのサイドメンどう 彼の気持ちを察するに、10月5〜6日のレコ    しの共演という疑問である。 ーディングが終了するまで緊張の連続で生き    キャノンボールは遡って9月7日の深夜、イ た心地がしなかったであろう。          ンディアナポリスの一晩興行でウェスと対面 つまり、ここに至る前にワールド・パシフィ    、いったん9月17日にNYへ帰りキープニュ ックの2作、10月1日ロスで《モンゴメリラ    ースにウェスの報告をいれたものの、再びジ ンド》、10月2日シスコで《ア・グッド・ギ    ョージ・シアリング・ビッグ・バンドでの残 ット・トゥゲザー》に決りを着け、約3000Km    務を果たすため旅に出かけ、恐らくウェスと の行程を愛車でぶっ飛ばし、10月3日の夜に    は再会していない。 はインディアナポリスに帰っていた勘定にな    では一般的にはどのように考えればよいのか る。                      、ウェスのスケジュールを推察する前にここ ウェスにまつわる話で、NYからシスコ、デ    に何らかの参考になりえるレコードがある。 トロイトからマイアミなど距離に関係なくい つも愛車を運転していたという話をよく聞く が、いかに多くの仕事をこなした鉄人とはい え、このハード・スケジュールがこなせただ ろうか?これが第一の疑問である。    
 《キャノンボール・アダレイ・クウィンテット・イン・サンフランシスコ/ Riverside RLP12- 311》、レコード番号をみても判るように《ダイナミック・ニュー・ジャズ・サウンド》の次にリ リースされており、 1959年10月18日と20日にシスコの“ジャズ・ワークショップ”で弟のナット ・アダレイ (cor)を初めボビィ・ティモンズ(p) サム・ジョーンズ(b) ルイ・ヘイズ(dr)のメ ンバーでライヴ・レコーディングされている。 このメンバーは、キャノンボールがシスコにくる直前に結成されたということから、《モンゴメ リランド》のレコーディングでキャノンボールがウェスにルイ・ヘイズを貸せる訳がない。 しかもキャノンボールが《ア・グッド・ギット・トゥゲザー》での友情出演にウェスを引き込ん だのもここ、シスコで二人が再会した10月中旬のことである。                   インディアナポリス        ニューヨーク サンフランシスコ 10月4日 〇────────1000Km──────→〇   10月中旬                                 10月5日   〇←──────3000Km────────10月7日←────────────── 10月6日 │    │    500Km  │                  北アメリカ   ↓ 〇 ロサンジェルス 10月中旬  これらのことから話を整理すると、10月4 バーとなったドラムスのルイ・ヘイズを拝借 日早朝飛行機でインディアナポリスを出発し し(ひょっとしたら、これも親分の差し金か たウェスは、10月5日6日の両日をNYで《 )、《モンゴメリランド》をレコーディング ダイナミック・ニュー・ジャズ・サウンド》 し事実上ワールド・パシフィックに決りを着 をレコーディングし、10月7日に実家に帰着 けたと思われる。 した。 《ア・グッド・ギット・トゥゲザー》のメン その後インディアナポリスで平常どおりの生 バー構成について更に付け足すなら、この時 活に戻ったが、10月中旬“マスターサウンズ 期“マスターサウンズ”も1年前にデビュー ”の要請で西海岸に駆り出され、折りから活 した“ジャズ・ワークショップ”で定期的な 動中のキャノンボールと“ジャズ・ワークシ 出演を繰り返しており、ヘンドリックスが友 ョップ”で再会した。 好的なキャノンボールを介しウェスを、ウェ キャノンボール親分の提案で、ジョン・ヘン スを介して“マスターサウンズ”というつな ドリックスの《ア・グッド・ギット・トゥゲ がりで《ア・グッド・ギット・トゥゲザー》 ザー》に参加させられたウェスは、同じ頃ロ がレコーディングされたと考えるのが、極め スでキャノンボール・クウィンテットのメン て自然な流れである。                                         続く