Wes Montgomery/Dangerous
アルバム名 : Wes Montgomery/Dangerous
アルバム番号: Milestone MCD-9298-2
リリース国 : USA
リリース年月: 1/2000
メディア  : CD


Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(vib) Monk Montgomery(b) Paul Humphries(dr)
                             Live at "The Cellar" in Vancouver.B.C., Canada; Apr.16,1961
          On Green Dolphin Street (take 2)    [7:10]               
          Stella By Starlight (take 1)        [9:54]                          
          Stella By Starlight (take 2)       [10:51]                          
                             


 ファンタジ録音から別テイク等が発掘されたことは、実に希なことであり今まで期待もしていな かったことから、たいへん喜ばしいかぎりである。 いずれも《モンゴメリ・ブラザーズ・イン・カナダ》より、〈グリーン・ドルフィン・ストゥリー ト〉の別テイクと未発の〈ステラ・バイ・スターライト〉である。    さて、一番年下のバディも兄のモンク、ウェスと同様にハンプトンに参加していたという話しな んですが、と言ってもライオネルじゃなく彼がプロとして活動し始めた、 "ハンプトン・ブラザー ズ" というインディアナポリス周辺をツァーするトロンボーン・リーダのスライド・ハンプトンの ことである。 1957年 "マスターサウンズ" が結成された年にバディはピアノの才能に加えヴァイブもこなし、60 年の初めにはマイルス・ディヴィスのグループにも参加していた。 このことは、多くのファン (彼が参加したディヴィス・クゥインテットを一度も聴いていない人達 の殆ど) が彼に関心を抱かせる原因となった。 「あのマイルスが雇うぐらいなんだから・・・」等々、様々な噂が飛び交った。 でも "モンゴメリ・ブラザーズ" で聴いて初めてバディの才能は、多くのファンの耳にも確認され たのである。 "マスターサウンズ" での失敗はその活動範囲が西海岸に留まった事であり、新グループは結成さ れた最初の月からニュー・ヨーク、フィラデルフィア、デトロイトといったかなり遠方まて足を延 ばしていった。 1960年終わりから61年の始めに "ハーフ・ノート" 、 "ファイブ・スポット" 、 "ジャズ・ギャラ リィ" と契約していたニュー・ヨークでの出演のあいだに一般ファンだけでなく街の殆どのミュー ジシャンが彼等のグループを皮肉りこう呼んだ。 "And how about Buddy?" (それからバディはどうしてる?) 、つまりバディが西海岸で活動しマイ ルスと共演して有名であっても東海岸では知らない事なんだという偏見であった。 それにもめげず、彼等の活動はじょじょに認められるが、結果として62年のカナダ・ツァー後、2 年強続いた "モンゴメリ・ブラザーズ" は解散を余儀なくされた。 バディが原因とは考えたくないが、多くのクラブ・オーナーが口にした事は、「ウェスとなら出演 契約を結ぶが、グループとなら遠慮するよ」という厳しい現実であった。 "モンゴメリ・ブラザーズ" のカナダ・ツァーも実に謎めいている。 本CDで録音月日が確認できた事で、第2週以降の3週間の間という予測はつくものの、その行動 範囲が不明であるが、61年版ダウン・ビート誌で確認できた範囲で紹介する。 このカナダ・ツァーは、B.C.といっても紀元前の略じゃないですよ、カナダ南西部にあるブリティ ッシュ・コロンビア州のこと、ここにあるヴァンクーヴァーで、同行のドラマー、ポール・ハンフ リィと "セラー" (とはブドウ酒を貯蔵する地下室の意味)というクラブでライヴ・レコーディング がおこなわれている。 その他は単発の契約でいうギグでツァーが組まれたらしく、大きなコンサート・ホールやフェステ ィヴァルなどの出演はなかったようである。 ただ地元のドラマー、ポール・ハンフリィとの共演が金曜日と土曜日に確認されているが、 "セラ ー" であったかどうかは不明。 また、不思議な事にその折にスコアが使われたらしく、ハンフリィの前々リーダのウッディー・ハ ーマン、前リーダのカル・ジェイダー、今のリーダ、ピアニストのヴィンス・グアーエイルディに よって書かれたとある?。 最後に関係があるのかないのか分からないが、 "セラー" というクラブがサンフランシスコに本店 があるようで、オーナーのビル・イースジャンスはこのクラブの権利を売って春以降に再建計画を 立てるという記事も観られた。
Designed by Harry Webb Courtesy Adrienne Brown  2021 追記 "モンゴメリ・ブラザーズ" のカナダ・ツァーで彼らが "セラー" に出演したポスターが見つかった。 3月31日と4月16日の2回出演するといったものです。 このことから本CDのライナー・ノーツに書かれてある通 り、4月16日のライヴ・レコーディングの確証が得られ た。