Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(vib) Monk Montgomery(b) Paul Humphries(dr)
Live at "The Cellar" in Vancouver.B.C., Canada; Apr.16,1961
Jeanie Jeannine [4:00]
Snowfall [6:50]
Barbados [2:29]
On Green Dolphin Street [4:25]
You Don't Know What Love Is [6:43]
omit: Buddy Montgomery(vib)
Live at "The Cellar" in Vancouver.B.C., Canada; Spr,1961
Angel Eyes [6:40]
Beaux Arts Bud's Beaux Arts [4:39]
本アルバムは "モンゴメリ・ブラザーズ" 名義の第3作目にあたる。
問題のレコーディング・データを先に確認するが、今までイェプセン等では1960年12月とあるが、
それを否定する根拠を説明すると、第1にキープニュースの証言では「レコーディングに関しては
ファンタジとリヴァーサイドが交互に行うよう取り決めた。」ということから、ファンタジでの第
1作が同年の秋に行われ、続けてファンタジということはあり得ない。
第2にダウン・ビート誌の1961年5月号で "モンゴメリ・ブラザーズ" の行動が載せられてあり、
「彼等は61年4月に3週間の日程でカナダに出発した。」との決定的な記述が確認できた。
"モンゴメリ・ブラザーズ" に対する評論 モンクはただ上手いだけのベーシストではな
家達の賛辞は、旧友としてただ嬉しいという くスウィングさせる素質を持ったそこらのあ
だけのものではない。 りきたりのベーシストとは、似て非なる感情
私にすればこのことで一流のタレント・スカ のこもったプレイヤーであった。
ウターとしての道が開かれたのである。 ベーシストの大雑把なプレイは聴衆を騙せて
といっても私が直接彼等を世話したという訳 も同じステージに上がる他のプレイヤーを騙
ではないが、単に50年代の初め頃にインディ すことはできない。そういう意味からも彼は
アナポリスで聴いた彼らの素晴らしさをこと 本当に素晴らしいプレイヤーだった。
あるごとに話していただけで、他の者は聞く バディはその頃シンシナティのバンドで活動
耳を持たなかっただけのことである。 しており、直接そのプレイを聴いたことはな
「インディアナポリスだって !、それは何処 かったが、なかなか評判のよいピアニストだ
ことなんだ。」といってた連中も今では彼ら という噂であった。
のことを認め始めている。 彼の独学奏法を批判していた音楽学校に通う
それ以後このインディアナポリス州でも無名 若いピアニストのことを思い出したが、不満
の若いプレイヤーが知名度を得ようと頑張っ 気に頭を振りながらこう言った。
ているようです。 「あの野郎、弾いてるんだ ! でも解っちゃ
当時、モンゴメリ三兄弟は別々に活動をして いないんだ。」
た。トロピック・クラブでクゥインテットに ウェスは勿論ローカルの驚異だった。ある人
参加していたモンクを初めとして、私はいつ はこのように表現している。
も違った場所で彼らのことを観ていた。 「タル、ケッセル、それにレイニィはNYや
レギュラー・バンドであっても、土曜の午後 ハリウッドでは上手さで人気があるが、イン
のセッションに集まった出来合いのバンドで ディアナポリスには来ないほうがいい、でな
も、街でピカイチのモンクはどこのバンドで いとひどいめに遭うから。」とね。
も欲しがるベーシストだった。
50年初めの頃を思い起こすと、例えばモン 私はディスク・ジョッキーの番組で11時から
クも参加したことのあるハンプトン楽団が街 真夜中まで担当していたが、それが終わった
にやって来たとき、彼は土曜の午後の"集い" 頃にインディアナポリスのナイト・クラブも
にいつも持参するフェンダーのエレキ・ベー 閉店していた事から、ひけた後ミュージシャ
スにハンプトン楽団のベーシストが珍しがっ ンにくっ付いてまわり、実際ジャズを聴くよ
て触りまくっていた。 り彼等と音楽の話しをよくしていた。
これはどこのバンドのベーシストにもいえた ある日、話しが弾みついに放送終了後のラジ
ことだか、ギター式の奏法は誰しも当惑して オ局で非公開のセッションをするというアイ
いたようである。 ディアを思いついた。
なかでも感心したのは、レロイ・ヴィネガー 彼等はプレイする場所を持ち、私は好きなジ
はそれを椅子の上に立てかけ普通のベースを ャズが聴け何曲かを録音することもできた。
弾くようにこなしたことだった。 こういった最初のセッションが、トロピック
しかし皆を仰天させたのはウェスだった。 ・クラブに出演していたミュージシャンで、
休憩の合間にフェンダーを持ってステージに ウェスやモンク、それにチャーリー・マスト
上がったとたん、扱い慣れているらしく私が ラパオラ、ウイリィ・ベーカー、ロジャー・
それまで聴いたなかでも最も感動的なベース ジョンーズ、ジョン・バンチといったインデ
・ランニングをプレイし始めた。 ィアナポリスでも最高の面々であった。
( 訳注: 推測するにウェスは"集い"のセッシ
ョンでギターが溢れたときなどちょくちょく
遊びでこのように弾いていたと思われる。)
ウォーミング・アップも終わりさあこれか ロケーションがクラブだったこのアルバムは
らという時、マイクが入った途端にウェスは プレッシャーも随分和らいでいる。
チョットしたソロも弾こうとしなくなった。 事実2枚のファンタジ盤は "モンゴメリ・ブ
どれほど説得しても最後まで彼の気持ちを変 ラザーズ" のレコードでもベストのものであ
えることができず、やっとのことで2〜3コ り、優劣つけがたいものである。
ーラスを恐る恐る弾いただけだった。 前作《モンゴメリ・ブラザーズ/ Fantasy
彼は神経質で揚がりやで、タイミングやフレ 3308》でバディはピアノを弾いているが、こ
ーズに対するセンスといった、彼のあの偉大 こではヴァイブを弾いている。
さを生み出している総ての技が消えていた。 それは彼がこのアルバムで改革に着手すべき
それは単に何処にでもいるギタリストのよう かというジレンマに直面していた。
であった。 今までピアノを弾き続けてきて、そのスタイ
マイク負け (あがり性の意味) というのを聞 ルが聴衆に認められた時点で、彼は "マスタ
いたことはあったが、あの夜のウェスと同じ ーサウンズ" の中枢となりヴァイブに転向し
くらいひどいものを観たことはなかった。 評判のヴァイビストとなった。
このことは忘れないで欲しいのだが、彼がレ 彼がもとのピアニストに転向した時、ファン
コーディングすると聞いたファースト・アル や批評家は揃いも揃って、彼の迫力あるプレ
バムのことが心配だった。 イを見落としヴァイブのことばかり話してい
《ウェス・モンゴメリ・トリオ/Riverside たが、彼の決意は固くもう一度初めから出直
RLP 12-310》は彼の本領を知る者にはガッカ すはめになった。
リだったが、批評家達は感銘を受けていた。 しかし本アルバムでは彼のヴァイブをもっと
その後時間の経過とともに彼の本領は発揮さ 聴きたがっていたファンに満足のいくものと
れてきたが、今でもスタジオではステージに なった。
上がっている時ほどリラックスしていないよ ディック・バックレイ
うだが、それも序序に慣れつつあるしレコー =本アルバムのライナー・ノーツ=参考
ドも良くなっている。
まだ続くよ
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