THE VEW FROM WITHIN
THE VEW FROM WITHIN / ORIN KEEPNEWS

While We're Young/Wes Montgomery/Milestone M-47003 パート3の締めくくりとして、キープニュースが 執筆したこの本は1948から1987年における彼が携 わってきたセッションの記録や、ベスト・フレン ドとしてウェスを筆頭にグリフィン、キャノンボ ール、ナット・アダレイ、エバンスとの交友録な どで綴り1988年に出版された。

 そのなかからウェスについて紹介するが《 While We're Young/Wes Montgomery /Milestone 
M-47003 》右の2枚組みアルバムのライナー・ノーツと同じ内容なので参考にしてください。


 私が一般的なジャズ・ファンのレコード・    そんな商売上でのつながりにもプラマイ両極 コレクターから、専門的なジャズに係りを持    の作用があって、私は自分の人生で最も価値 ち始めて20年以上が経過した。          ある交友関係を築くことができた自分の好み 当初はライターとして、そして1950年中頃か    で特定の相手に拘わりすぎて(ジャズ関係者 らはレコード・プロデューサーとして行なっ    との付合いばかりに気を使って)いたら、間 てきたが、全般的に顧みてその活動から多く    違いなく私はウェス・モンゴメリと巡り合え のものを得た反面、失うものも少なくなかっ    ることはなかったであろうし、それは生涯に た。                      おける計り知れない損失となっていたのは明 とりわけ、私はごく普通の音楽ファンが味わ    白である。 うような純粋の悦びを伴った趣味としての音    気づいているかどうかは別として、ウェスを 楽を失くして随分となるが、自分の好きなと    聴いたことのある人なら誰しも彼についてそ きにジャズを聴き、それも楽しみだけの追求    こそこのことを知っていると思うが、【人間 でミュージシャンたちについての表面的プロ    的な温かさ】【素直さ】【自然さ】、それに フィールや、ありもしない事実とか雑誌のな    【愛情】が彼の音楽から感じ取れると、私は かで拾い集めた情報を得た知識ぐらいのもの    断言できる。 だった。                    実際のところ、レコードで聴けるものは彼の ミュージシャンの人柄などどうあろうと関係    内面的な偽らざる投影であり、他にはあまり ないという人もいるが、私の場合性格的に合    例の見ない希なケースであり、そもそも自分 わなければソロまで楽しめないという感じだ    のことをダイレクトに音楽で表現できるプレ 、しかも面白くないと判っていても商売柄な    イヤーはそうざらにはいないということであ んでも聴かざるをえない立場になっていた。    る。(それが良いとか悪いとかというのでは                         なく単に客観的に述べているのである。)
 世の中どうしょうもないプレイヤーもうよ    1959年にウェスの出身地であるインディアナ うよいるが、明らかにウェスは他の誰よりも    ポリスで初めて逢ったとき、彼は“ターフ・ 遥かに凌ぐ才能に恵まれ、天才に近い存在で    バー”というロード・ハウスに毎夜出演し、 あったことは疑いない。1968年にウェスが他    その後深夜営業の“ミサイル・ルーム”で朝 界したすぐ後で、ラルフ・グリーソンはこの    の6時までという生活を送っていたが彼はそ ように書いている。               の少し前に、やっと音楽以外の昼間の仕事を 『ジャズ・ギター界における二人の領といえ    辞めたところだった。 ば、チャーリー・クリスチャンとウェス・モ    しかし、この過酷な労働量に対して全く不自 ンゴメリであるといわれるほど、ウェスのイ    然さがなく、彼は妻と6人(後に7人)の子 ンパクトは強かった』。このコメントは現在    供たちの生活を支えなければならなかった。 に至も当を得たものであり決して大袈裟な賛    この事情が、兄のモンク弟のバディの二人が 美などではない。                カリフォルニアへ移って“マスターサウンズ 重ねていうが、私は何らかの価値判断を行な    ”というポップとジャズのグループでセール っているのではない。彼の総てがスプーンの    スを獲得し、それぞれに名声を得てからもイ 上の砂糖みたいなもの(訳注:飲物に入れる    ンディアナポリスを発つのを2〜3年遅らせ と崩れる例え)で造られているといった冗談    たということである。 でもなく、彼が帽子を被らず街を歩いている    三人は性格の似た音楽兄弟として成長した( とき頭上に後光が射しているのが見えるとい    “ターフ・バー”では何年も兄弟で出演して ったありもしないことを言っているのでもな    いた)が、彼らの親戚関係と(冗談をいうつ い。                      もりはないが)かなり込み入った事情で活動 彼はごく普通の人間で、短所もあれば少々変    のリズムを乱すことがあったにも係らず、終 わったところもあるが、この変わったところ    始まとまって仕事をしていた。 が天才たる所以であった。ここで強調してお    ウェスが10代後半になって本格的な音楽活動 くなら、彼は類まれかつ美しい心を持った人    を始めて15年、彼の兄弟らは“モンゴメリ・ 格であり、その音楽は彼の魂そのもののよう    ブラザーズ”として伴に活動したいと熱望し に聴こえ、私の知ってるかぎり他人を故意に    た。しかし、このネーミングはパットしない 苦しめるようなことは決してしなかったとい    ものらしく多くの出演契約をもたらすほどの うことである。にも拘らず、顧みると誰より    意味もなく、暫くして解散せざるを得ない状 も辛い日々をおくっていたのはウェス自身だ    況に押しやられた。 った。

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