George Shearing(p) Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(vib) Monk Montgomery(b) Walter Pe-
akins(dr)
United Recording Studios, Los Angeles; Oct.9,1961
Love Walked In (take 11) [2:10]
Love For Sale [3:32]
No Hard Feelings [3:45]
Enchanted [3:41]
Double Deal [3:47]
And Then I Wrote [3:15]
Darn That Dream (take 8) [4:18]
Lois Ann [3:08]
add: Armando Peraza(cga.bgo) Ricardo Chimelis(cga.bgo.tim), *omit: Walter Peakins(dr)
United Recording Studios, Los Angeles; Oct.10,1961
Stranger In Paradise [4:47]
The Lamp Is Low (aka:Pavane Pour Une Infante Defunt)* [2:11]
Mambo In Chimes (take 11)* [2:26]
"モンゴメリ・ブラザーズ" ラスト・レコーディング
本アルバムを最後に、1962年4月 "モンゴメリ・ブラザーズ" は解散。
5月にはモンクとバディはおのおのグループを組んで他のバンドに参加している。しかし何らかの
イヴェントに参加する時は "マスターサウンズ" を名乗ったり、ウェスがいるときは "モンゴメリ
・ブラザーズ" として出演していた。
この項にきてやっとある人物を紹介できる つまり本アルバムのレコーディングを認める
が、その名をジョン・レヴィという。 代わりに( 実際にはジャズランドのレーベル
彼はジョージ・シアリングとキャノンボール でリヴァーサイドのプロデュースとなったが
を中心に、モンゴメリ兄弟や当時新人のナン ) シアリングが在籍するキャピトル側はナン
シー・ウィルソン等の面倒をみていた非常に シー・ウィルソンの共演者にキャノンボール
有能で行動派のマネージャーであり、1965年 とのレコーディング≪ナンシー・ウィルソン
のウェスの欧州演奏旅行を計画した張本人で アンド・キャノンボール・アダレイ・クウィ
ある。( これはハロルド・メイバーンが日本 ンテット/Capitol-T1657≫をするというもの
に来たとき私が彼に直接聞いた話しです。) であった。
ヨーロッパの話しはその項で紹介するが、本 結果、キャピトル盤はヒットしたが皮肉にも
アルバムのレコーディングはジョージ・シア ジャズランド盤は今一つ精彩を欠いた。
リングの熱烈な要望により実現した。 キープニュースの回想によると、「2日目の
それ以前、 "モンゴメリ・ブラザーズ" とジ レコーディングを終えホテルに帰ってから、
ョージ・シアリングは巡業先のクラブで非公 NYのビル・グラウアに電話をいれ今までの
式に共演したことがあったが、このレコーデ レコーディングで最も納得の出来ないものと
ィングを機会にレヴィはキープニュースに交 なると報告したんだ。
換条件をつけてきた。
電話を切ると直ぐにシアリングからお礼の電 考えてみるに、モンゴメリ3兄弟は長い隔た
話が入り、彼が言うにはここ何年もこんなジ りがありつつも、ウェスが亡くなるまでの間
ャズっぽいレコーディングをしたことがなか 3度、ともに活動した。
った。というんだ。」 最初は地元インディアナポリスの若手ミュー
さらに、「シアリングは主としてクラブでの ジシャンとして( モンクとバディが1957年の
小グループでプレイし続けてきたが、近年の "マスターサウンズ" を結成するまで) で、
レコーディングの殆どがブラスや豪華なスト 次は "モンゴメリ・ブラザーズ" として、最
リングスを配した大所帯で演っている。 後は60年代後半にウェスがポップ・スターに
それは自分自身こだわり続けたものであった なっていて、2人の兄弟は厳密にいえばウェ
が、今はより自由でどちらかと言えばフリー スのサイド・マンとしてであった。
・ジャズに近いセットでのプレイを期待して この時は "ウェス・モンゴメリ・クウォーテ
いるという事実を、彼は隠そうとしなかった ット" と名乗らざるを得なかったようだが、
。」とライナー・ノーツに書いていた。 何れにしても評論家がウェスの初期のリヴァ
ーサイドを絶賛し始めた頃、彼に注目が集め
これらの話しから察せられることとして、 られそれが "モンゴメリ・ブラザーズ" とし
シアリングは思いのまま自由に、しかもお気 て2人の兄弟が望んでいた( バンドとして一
に入りの "モンゴメリ・ブラザーズ" をバッ 緒にプレイすること) を可能にさせたといっ
クに迎えたが、技術的には内容の薄い、短い てよい。
ソロに終始したことが全体の評価を落とすこ 平たく言えば、ウェスあっての "モンゴメリ
とになった。 ・ブラザーズ" ということになるが、兄弟思
このアルバムは "モンゴメリ・ブラザーズ" いの彼はあまり好まざるロードに約2年間ほ
として最後のものとなった。 どがまんしてきたが、世間の風は兄弟愛には
それはウェスの名声があがるにつれ、グルー 冷たいようであった。
プとしての活動場所が限られてきたからであ
り、クラブのオーナーは "ウェス・モンゴメ =アルバム・ライナー・ノーツ=参考
リ・クウォーテット" としてなら契約すると
いうのである。
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