ここで紹介したい人がいます。ギタリスト小泉清人氏と共に "OGD" のメンバで オルガニストの高野正一氏です。 東京のファンなら既にライヴ・ハウス等でご存知かも知れませんが、ここはオルガン に関して豊富なキャリアとヴォキャブラリを発揮していただいて、専門的に語ってい ただくことにしました。
 ウェスの作品中もっともジャズ評論家に批判された(当時)《カリフォルニア・ド リーミン》とコマーシャル化され幅広い音楽ファン層へ向けてポップスを録音するC TIへ移行する直前に録音されたのが、この2作《ダイナミック・デュオ》《新たな る冒険》である(ウェス死後発売されて新たなる冒険とは?)。 それまでポピュラー路線で活躍していたウェスが久々にジャズ・プレーアーとしてア ドリブをしまくったアルバムであり、ヴァーヴ最後の作品であるとともに、ジャズ・ ギタリスト?として最後に録音された作品であり、正規コンボ演奏の録音としても最 後の作品である。  この作品の意義は、当時のウェスとヴァーヴ、クリードとの関係にあると思う。 再発された《ダイナミック・デュオ》のマイケル・ウルマンの解説によると、「ウェ スはヴァーヴから他のレーベルへ動こうとしていた。 《ダイナミック・デュオ》というセッションは、ウェスとジミィのさらなる冒険とし て、またヴァーヴとウェスがうまくつながっているということを示すものだった」と ある。これはヴァーヴというよりクリード・テーラーのことか? クリードはせめてヴァーヴ最後にウェスの本領を発揮できる音楽、ジャズ、を演奏さ せてあげたかったに違いない、しかもビジネス的にも成功する手法で。 そこで考えた新たなる手法、ジミィとの双頭コンボだ。(と思う) ウェスはもっとジャズのアルバムを残したい(録音したい)と思っていたに違いない。 ビック・バンドでソロイストとしてフィーチュアされる扱いはビジネス的には、成功 を収めていたが、ウェスのファンは、ウェス本来の姿をレコードでも期待していた。 (だろう)  ソロイストとは、この場合テーマとアドリブをする人であり、ジャズの楽しみであ る会話がない。 一方通行なのである。ソロイストをあおったり、あおられたり、ウェスの魅力である バッキングが聴けないのだ。ジャズ・ミュージシャンのウェスのファンはこのへんに ストレスが溜まっていただろう。もちろんウェスも。 ウルマンの解説に「レーべルはウェスをジャズ・ギタリスト、ジャズ・インプロヴァ イザーとしてよりもメロディストとしてフーチャアするよう企てた」ともある。 これは誰もが認めるウェスのオクターヴ、コード・ソロという奏法を、音色をひとつ の楽器、ひとつの新しいアコースティックの音色として使用されたことで、商業的に は成功であった。この成功はクリードのアイデアに他ならない。  ジミィのオルガンもジャズの楽器としてポップスの楽器として市民権を得ることが できたのは、クリードのおかげだろう。 《ムーヴィン・ウェス》から始まるヴァーヴ・ウェスのこの路線は1964年よりはじま り、この年ビートルズがイギリスより上陸し、ヒット・チャートを賑わせ始め、この 後アメリカの音楽であるジャズやポップスに新風を吹き荒らすことになる。 ポップスもジャズもポピュラー音楽史として重要な年であった。 但し、ジャズ界ではまだビートルズは認められてはいなかった、しかし後々ビジネス につながりカバーの洪水になる (訳注: 多くのジャズ・メンがポップスをジャズ風に インストでプレイしなければ生きていけない。その素材がビートルズの作品であった ) とは誰が予測しようか?(ウェスのCTI第一弾のアルバム・タイトルが《ア・デ イ・イン・ザ・ライフ》なんてクリード・テイラーはすごい!)。  ポップスが演奏できてこそ、これからのミュージシャンであることを証明したのも 彼だ。 《ダイナミック・デュオ》このアルバムでウェスもジミィも、そしてクリードもファ ンに恩返しをした・・・・かな? 但しこの3日間の録音がウェス最後のアルバム録音になってしまったのは残念です。 もしウェスが生きていれば、ヴァーヴ記念ライヴのステージでジミィと〈ダウン・バ イ・ザ・リヴァーサイド〉(リヴァーサイド・レーベルになにか引っ掛けたのかなあ ?)を演奏したのかなあ、きっと観客を興奮のるつぼに陥れただろう。 コテコテな演奏で・・。                       オルガニスト/高野正一