ここでウェス一行が最初に訪問したと思われるイタリアでのジャズ・フェスティヴァル出演の模様
がフランスのジャズ・マガジンに載せられているので紹介する。
「第10回サン・レモ・ジャズ・フェスティヴァルが、カジノのコンサートホールで20日より2晩続き
で行われた。しかしイタリアのラジオとテレビ・ネット・ワークからの中継がなかったため、必然的
に過去より幾分短かった。
にもかかわらず音楽の質は高いし一般的なプレゼンテーションで照明とサウンドは優秀であった。」
ということはプライベートにせよレコーディングされたなかったということになるのか。
不思議な親指のマジシャン
No.118 "Jazz Magazine" May 1965
サンレモ、淡く褪色した黄土色の街が突然太陽の輝きに活気を取り戻し、マテオティ大通りは行き
交う人々のアルファ・ロメオやフェラーリの並ぶウィンド・ショッピングで賑わっていた。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の後方に広がる丘の中腹あたり、狭い沿道に建ち並ぶ古い高
級住宅街のピーニャ地区を眺め過ぎると、やがて、椰子の木々に囲まれた白い大きな建物に辿り着い
た。
ここが旅行者にもよく知られたカジノであるが、今年で10回目を迎えるジャズ・フェスティヴァルの
会場である。
カジノでジャズ・フェスティヴァルが開催されるのは初めてのことであり、土曜の夜の夏のような生
暖かい風が椰子の葉を揺らす中、着飾った上品な観客がゆっくりと、しかしどことなくそわそわした
様子で会場へとむかっていた。
コンサートは15分遅れで始まり、黒いロングドレスを着た愛想のいい司会者ジョイス・パタチーニの
紹介により、女性2人を含む "ダブル・シックス" がトップをきった。
続いて登場したのが "マーシャル・ソラール・トリオ" であるが、3週間前に結成されたとは思えぬ
ほど息のあった演奏振りであった。
短い休憩のあとジョイス・パタチーニが再び現れ、先ずドラムスのジミー・ラヴレイス、ベースのア
ーサー・ハーパー、ピアノのハロルド・メイバーン、最後にウェス・モンゴメリが紹介された。
Wes Montgomery(g) Harold Mabern(p) Arthur Harper(b) Jimmy Lovelace(dr)
Live at "Casino", San Remo, Italy; Mar.20,1965
Four On Six
Here's That Rainy Day
Jingles
The Girl Next Door
Twisted Blues
West Coast Blues
観衆は決して完璧なクウォーテットではないと直感したようである。
何故ならハロルド・メイバーンはマイルス・デイヴィスや "ジャズ・テット" "MJT" などのグル
ープと一緒に演っていたにも係わらず、あまり興味あるプレイをしなかった。
そしてアーサー・ハーパーも単調なテンポを打ち出すだけで、採りたてて才能があるようには観えな
かった。つまりは皆がウェスのプレイを聴いていたのである。
一流のギタリストがいない訳ではないが、チャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルト以
来、ジャズ界には偉大と称されるギタリストはいないのか。
ではウェスは待ち望まれた偉大なギタリストと呼べるのであろうか。テクニックの巧さを考慮すれば
或る面でそうだといえるだろう。
滑らかで響きよい彼の右手親指は独特のスタイルで、強い音からしなやかな音まで完璧に使いこなさ
れている。
しかし、〈フォー・オン・シックス〉の長いソロにおいては同じフレーズの繰り返しが少々息苦しく
感じさせた。
でも〈ヒアーズ・ザット・レイニ・デイ〉ではわざとテンポを外したようなイントロが、鋭く多彩な
ニュアンスを感じさせる芸術性の高さを証明してみせた。
更に〈ジングルス〉〈ザ・ガール・ネクスト・ドール〉〈トゥイステッド・ブルーズ〉においては信
じられないぐらいの速いテンポやブロック・コードの連続プレイに観衆はウェスを高く評価し喝采し
た。
最後はアンコールに応え〈ウエスト・コースト・ブルーズ〉を披露し、才能あるギタリストは舞台裏
に消えた。
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