そこでホーン・プレイアーの反応を聞くため、トミィ・ホイットゥルに語ってもらった。
「ウェスはもう随分まえからお気に入りの奴なんだ。俺にとって彼のプレイが全てなんだ。自然で
いて、理論的で、仕組まれたものがない。
彼が示すテーマは、美しいサウンドのカーペットで敷きつめられている、とでもいう感じなんだ。
特にトレンドなどに振りまわされることなく、不変のパーソナル・スタイルを感じさせられるね。
俺も常に一級のりズム・セクションと演るように心がけているから、このメンバーには文句のつけ
ようがないがもし何らかの理由で彼が再編するようなことがあれば、プレイに悪影響が出てしまう
だろう。」
グラハム・コーリエは、こういった意見に全く賛同しているとは言えない。
「スタン・トレイシは個人プレイアーとしてはいいが、サポータとしては向いていないように思う
。」更にウェスに関しては、「個人的にはむしろ、ジム・ホールのサウンドが好きだ。どちらかと
言えば白人ギターリスト贔屓でね。でも、彼の速いコード・ワークにはびっくりしたよ。今まであ
んなテクニックを使った奴を見たことないよ。ショックだったね。」
アメリカ人のべーシスト、キーター・ベッツ (訳注: 横にエラが同席していたようだ) は、ウェス
とレコーディングしたことのある人物で、「彼はまさに神のみが与えることのできる何かを授けら
れた男だよ。サポートの連中も思うがままプレイできているようだね。」
私はスタン・トレイシが終始笑ったところを見た事がない。そんな彼から受け取れるメッセージは
「これなんだよ。これがジャズとは何かということを語っているんだ。」
リック・レアードはこう例える。「彼のことを "途方もない奴" というのは本当にぴったりだね。
彼が触れるもの全てがゴールドに変化してしまうような気がするんだ。
アメリカから来てこのクラブに出演したどのミュージシャンよりもウェスは最高のフィーリングを
起こさせるんだ。俺のソロのとき彼のバック・コードが猛烈に突き刺さってくるんだ。しかも的確
にね。
彼は我々のグループと相性がいいようで、単なるソロ・ブレイアーという感じじゃなく、カルテッ
トがカルテットとして機能してるんだ。」
ドラムスを担当したロニー・ステファソンからは実感のこもった感想が得られた。
「そうだね。まさに偉大だね。ジョニィ・グリフィンと一緒にプレイした時のように自由で気楽に
演れたよ。何が言いたいのかというと、ウェスが演ろうとしていることにあれこれ余計な心配は要
らないということだ。
ムードを出そうとする必要もないし、全て彼がそれらやってくれるんだ。だから、彼の上着の裾を
つかんでしっかりと放さず、終われば放してしまえばいい。これがクラブで僕なりにギグをエンジ
ョイする演り方なんだ。」
最後に、ウェス・モンゴメリから一言。
「素敵だね。素晴らしいセットアップだし、ほんとうにリラックスできたよ。
観客はいいし、聴いてくれるし、グループの連中はとてもいい奴らだし、みんなが解けこんでいた
しね。いつもこういうことが自然に出てくればご機嫌なんだけどな。
お陰で納得できるプレイが演れたよ。だってみんな僕に合わせてくれたから、僕もそれに応えただ
けなんだ。」
ウェス・モンゴメリ、その素早い手の動き
ビル・エヴァンスと彼のサポーター、ラリィ・バンカーとチャック・イスラエルスが去って1週
間後の1965年4月5日、ロニィ・スコット・ジャズ・クラブが或る大物ジャズ・ミュージシャンを
紹介した。
その人物とは、ギター界においては非の打ち所がなくリーダ的存在かつ独学の巨星であり、複雑モ
ダンなハーモニを独自に調和させた数少ないモダニストであった。
エヴァンスの骨っぽさに欠けるスタイル、ロリンズの持つ変幻自在な激しいプレイに異論を唱える
者、スティットの新しさに欠けた活動、ゲッツのマンネリに反論を投げかけたくなる者もいるだろ
う。
しかし、純粋な観点からジャズを観察するならば、ウェス・モンゴメリの卓越した才能に対して批
判する余地など皆無のように思われる。
モンゴメリが係わったギターという楽器はジャズ界では思わぬ多彩な歴史を歩んできた。
かつて、その繊細な腕で鳴らしたチャーリー・クリスチャンによってギターはモダニズムの進歩の
過程で確固たる地位を占めた。
しかしクリスチャンが1942年に他界した時点で、ビ・バップ革命 (訳注: 1940年代のモダン・ジャ
ズの一形式で律動的かつ複雑の和音構成を特徴とする) が多くのファンの支持により徐々に築かれ
たといえる。
クリスチャン以降は、継承派のバーニー・ケッセル、ハーブ・エリスらがギター界を牛耳ってき
たが、その間に独自の手法で出現するというギタリストもいなかった。
それゆえにモンゴメリの登場がもたらした衝撃は計り知れぬほど偉大でドラマティックなものであ
り、スコット・クラブでのプレイはファンやミュージシャンを目覚めさせる発奮的な出来事となっ
た。
そればかりか、記号論理学の如く複雑化していた当時のジャズ・スタイルに対する勝利宣言となる
ものでもあった。
ウェスを初め彼の2人の兄弟、バディとモンクはだいの飛行機嫌いとしてジャズ界では有名であ
った。
裏話の中にはモンゴメリ兄弟の内誰かひとりの、或いは2人、時には3人全てについて、『いざ離
陸となった時、それまで我慢していた恐怖心が抑えられなくなって機内から慌てて逃げ出す彼等の
数多くの逸話が』囁かれてきたものだ。
なのにどう言う訳か、この時期 (渡欧の期間) その飛行機に搭乗を余儀なくさせられてきた。
帰国のためにやむなく搭乗する場合を除けば、最初の飛行機が着陸するや否や、「もう2度と搭乗
するのはご免だね」とせがんでいた彼も、いざステージでプレイが始まるとそれまでの機内で味わ
った苦痛も全く無駄ではないように感じた。少なくとも取り巻く観衆たちにとっては。
偉大といわれる、独学のミュージシャンの殆どがそうであるように、モンゴメリもある意味で特
異なテクニックの持ち主であった。
例えば複雑なフレーズをオクターヴで弾きこなしたり、時にはメロディ・ラインを強調させながら
オクターヴの効果を生かせる演りかたができた。
彼の演奏振りで極めてはっきりしていることは、どんなに難しそうなフレーズでも、その困難さが
一切表情に現れていないといことだ。
これほどのゆとりを見せるミュージシャンも他にはいないであろう。いつも笑みを絶やさず、楽屋
にいても自分のテクニックについて切磋するよりも周りの人の練習風景を寛いだ様子で観察してい
ることの方が多かったように思えた。
モンゴメリのその卓越したテクニックが常に自分のプレイに対し豊かな音楽の独創性を育んでいる
ということから見れば本当に希有なミュージシャンであり、イギリスにおける最も支持あるミュー
ジシャンのひとりスタン・ゲッツとは同格に位置付けられなければならない。
ウェス・モンゴメリの訪欧は1965年5月7日滞りなく終了した。
= Jazz Decade 1969 / ベニィ・グリーン = 参考
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