Americans In Europe Volume 2/Green Line VIDJAZZ 39
アルバム名 : Americans In Europe Volume 2
アルバム番号: Green Line VIDJAZZ 39
リリース国 : E.E.C.
リリース年月: 1991
メディア  : VIDEO


Wes Montgomery(g) Hans Koller(as) Johnny Griffin, Ronnie Scotts(ts) Ronnie Ross(bars) M-
artial Solal(p) Michl Gaudry(b) Ronnie Stephenson(dr)
                   NDR (Norddeutscher Rundfunk)TV Cast, Hamburg, W.Germany; Apr. 28,1965
          West Coast Blues                        [4:09]           


"ロニィ・スコット・ジャズ・クラブ" の出演で4月5日から24日までの連続3週間を大盛況のう ち成功させたウェスは、25日から30日までの1週間を西ドイツへ誘われた。 恐らくロニィ・スコットがチーム・リーダになり (メロディ・マーカー誌の"クラブ情報"に書かれ てある) 一行を導いたと思われる。 しかし、1週間もツアーしながら、当時を伝える情報が全く見つからずハンブルグ以外は不明であ る。 〈ウエスト・コースト・ブルーズ〉だけの挿入だが、見事なブラスをバックにウェスのソロが伸び 伸びと展開されているアレンジだけに、残りのタイトルが気になるのは誰の思いも同じであろう。 この1曲もリリース以前から私家テープが流れ、冒頭には司会者のコメントや途中にTVカメラの 移動する様子なども観られることから放映されたのは間違いないところではあるが、恐らくNDR (Norddeutscher Rundfunk)というハンブルグにあるラジオ・TV局で録画されたものでしょう。 ここであまりにもドイツの情報が少ないので、ウェスがロンドンに滞在中応じたインタヴューで、 女性記者ヴァル・ウィルマーに答えた記事から面白い部分を抜粋して紹介する。 ウェス・モンゴメリ語る                                    ヴァル・ウィルマー ウェス・モンゴメリは、アメリカではいわゆる "好感のもてる奴" で、非常に人柄もよく、親し みのある正直な人物だ。 彼の性格は、多くのミュージシャン達に共通の激しさや攻撃的特徴がなく、これは彼が音楽を生活 の糧と見なしていなかったためであろう。 「他に仕事を持ってるんだ。」と彼は言う。「自分の時間全てを楽器に注ぎ込んでいて、もし音楽 を諦めることにでもなれば、僕はどんな人間になってしまうんだろうと考えるね。」彼は仕事には 慎重で、実際にはあまり演奏していない。その日最後の演奏が終われば、他にまだ仕事をすること を考えながら、自分のプレイに満足していないことを認めているのだ。 「満足しなくて当り前さ。自分のプレイに本当に満足のいく人間がいるとも思えないし、もしそう いう人がいるのなら、その人の生涯は終わりかけているんだ!」 ウェスはモンゴメリ3兄弟の真ん中で、弟のバディはピアノとヴァイヴ、兄のモンクはべーシス トである。 「モンクの本当の名前はウィリアム・ハワードっていうんだけど、彼はそう呼ばれたくないんだ。 彼は子供の頃からモンクだったのさ。最初にプレイし始めたのは僕だった。1945年から46年には、 毎日曜にインディアナポリスの母の家に集まって、よくジャム・セッションしてたよ。 アール・グランディという名のピアノ・プレイアーがよくやって来た。彼の演奏はテイタムみたい で、ピアノのことをよく知っていたし、コードや何か他のこともよく知っていた。 しばらくすると兄達も見ているのに飽きて、モンクはベースを取りだしすぐに演奏し出した。 バデイもピアノを弾き始めて、すぐに慣れてしまった。我々はみんないい友達で、そんなセッショ ンをよく演ってたんだ。」 親指奏法についてウェスは、「たぶん何千人ものプレイアーが親指を使ってるんだろう。ただ、 インディアナボリスにはいないだけなんだってね。でもギターのことがだんだん解かるにつれて、 親指を使ってる人が少ないことに気付いて、ちょっと怖くなったけどね」。 彼は笑って、続けた。「職業とは考えずに演奏を始めた頃は、当り前だが聴く人を満足させられな いので一人で楽しんでいた。 そんな或る日どこかのクラブのオーナーが偶然通りを歩いていて、ドアをノックして誰が弾いてい るのかと尋ねてきた。僕だと言った。奴はそれを信じなかったが、僕も奴がクラブのオーナーだと は信じなかったよ。でも、それ以来友人になり、彼は自分のクラブでの仕事を申し出てくれた。 ワァオ。この俺が仕事を。ただこの2〜3ヶ月弾いてただけなのにと思ったが、クラブに行ってみ ると、自分がフィーチュアされてるいのが解かった。 それでステージに上がってレコードからのチャーリー・クリスチャンのソロだけを弾いた。 何故って、その時僕が演れるのはそれだけだったからだ。 もちろん、仲間のミュージシャン達はそのことを知っていたけど、ある日あまり受けがよくってス テージから降ろしてもらえなかった。それでコピーしか演れなかったことが本当に恥ずかしくって 帰って直ぐ自分なりの練習を始めたよ」。 モンゴメリ初の大物共演はライオネル・ハンプトンと、1948年から2年弱の間であった。 彼は自分自身が絶頂期だと感じていた1950年頃のプレイにまで、徐々に上達していった。 「でも、誰が僕を知ってるっていうんだい。誰もいないよ。インデイアナポリスの連中なら知って いるし、今でもそのことを話してると思うけど、東海岸の連中は、やあ、お前どっから来たんだっ て言ってた。僕が東部にいなかったことを知りながら、そんなもんだよ」。 彼は感情のこもった説得力あるブルーズ演奏もできるが、それは彼が本当に演りたい事ではない という。 「僕はブルーズにはちょっと嫌気がさしていたんだ。ブルーズが弾けなきや本物じゃないと思って るミュージシャンもいるが、そうは思わない。 ブルーズがだぶん全てのものの基礎であるということは認めよう。デキシーランドがそうだという 人もいるけど...。 誰もが好む音楽でもそれぞれが全く別のスタイルを持っている。勿論ブルーズも素晴らしいと思っ ているよ。 世の中に広く定着しているという意味ではね。でも、私はジャズを演奏できないブルーズ・プレイ アーをたくさん知っている。誰もがブルーズ・プレイアーになれるわけでなく、もし僕がブルーズ に執着するのなら、ブルーズだけをプレイするようにすべきだと思う。 ブルーズに何の反感もないけれど、とりたててどうのこうのとは感じられないんだ。 色んなタイプの人がいるから、ブルーズも変化するし最近のブルーズの中には芸術的なものもある と思う。 しかし、ここがそれでここがそうじゃないとはっきり指摘して区別するのは難しいけれど、何か共 通するものがブルーズの体系にはたくさんあるんだ」。 彼は、かつて次のように書いたラングストン・ヒューズとは、おそらく意見が合わなかったであ ろう。 「才能のあるアフリカ系アメリカ人のミュージシャンなら誰でも、骨の髄までブルーズを感じ、ブ ルーズを知っている。それがいかに新しい世代であってもブルーズを愛しているのだ」。 ウェスは、ブルーズがジャズの出発点であり、終着点であることを否定するミュージシャン達に 属している。 彼はまた、ジャズの中にはブルーズの要素も入っていると強調する一部の批評家にも責任があると 感じている。 「ブルーズがどうとかって話は、記事にかなり書き立てられたんで、今じゃ有色人ミュージシャン はブルーズが演奏できれば全て成功したと思いこんでいるが、でも白人ミュージシャンにもフィー リング溢れる奴がいる。どんな人種でも何か傑出したものは持ってるもので、白人ミュージシャン には技術的才能があるし、有色人にはジャズのフィーリングが備わっているんだ。 でもギターを例にとってみると、白人は世界中の至る所で5〜6百年前ぐらいからそれを手にする ことができいつでも弾ける状態だったが、有色人は50年前にやっと自分達の手に届くようになった 訳だ。 でもしばらく弾いているうちに感がいいから直ぐに色んな感情を引き出せるようになったと思う。 とはいっても、あの技術的な才能っていうのは見習うことができなかったから、実際白人ギタリス ト達の持つ水準にまで到達できた有色人のギター・ブレイアーなんて一度も聴いたことがないね。 そんな訳で、ギターの技術的な面はあまり気にしないでフィーリングだけに集中しているよ。 ただ有色人ミュージシャンで唯一その技術を持っているのはコルトレーンだと思う。 僕は彼の演奏をたくさん聴いたからそう確信しているが、プレイを研究するために《Giant Steps》 を16回転でかけてみて全ての音が正確だったことが解ったよ。 この点に関しては、彼はチャーリー・パー力ーよりもずっと偉大だと思う。なぜなら、バードは自 分の演っていたことを完成させる前に死んだんだから。でも、コルトレーンはこれからもその才能 で大いに活躍できるよ」。 ウェス・モンゴメリのギターはメイン・ストゥリーム・ジャズに属している。彼は前衛派に影響 されているわけでもなく、音楽での完全な自由を目指す傾向にあるわけでもない。 彼は伝統的なインプロヴイゼーションのバターンの中に十分自由を見出しているのだ。 「僕は自分がどんなパーツを演奏するのか解からないようなものには絶対に参加しないね。完全に 演れるとは思わないからね。 もし誰かが『さあ、演奏しよう』と言ったところで、じゃあ、その人が僕に何をすべきなのか具体 的に知らなければ、僕にどう説明するつもりなんだ。それで、どうやって演れって言うんだね。 ギターにはたくさんの技巧があって深くのめり込んでいくとすると、そうなんだ、思ったより難し くて苦労するんだ。 でも、それに挑戦するのも楽しいもんで演れば演れるんだと思わなければ出来ないことだしね。 肝心なのはそれを正しくマスターするのにどれくらい難しいものなかを見極めることなんだ。 グラント・グリーンを2ヶ月程前に聴いたんだが、新しいものに凝っているがどうか判らないけど 多分演りかけてるんじゃないかな。彼はクウォーテットの中で2コーラスをリズム・セクションと 演り、それからべースとピアノを引っ込めてドラムスとのデュオを演ったんだ。 まあ、ラインは基本的な型からは、はずれてなかったけどね。 僕も自分の演っていることが人の眼にどのように映っているか判らないけど、伝統的な方法で弾い ているつもりだ。 でも本当はそれ以上のことを演っているんだと思う。それが人とは違っているということを知るた めにも、自分の技巧には絶えず確信を持っている。そうでなければ、本当に何もできないよ。 僕は今まで何度も、クラシック・スタイルで弾いているのかと聞かれたが、確かに5本の指すべて が必要なんだけど親指以外は使わないよ。 もし右手を更にコントロールしようとするなら、他の4本の指も練習させなければならないが15年 はかかると思うよ。 違ったことを始めようとするなら、今までやってきたことの上に積み重ねなければならないしそれ が成功に結び付くとは思うが、今更他の弾き方を考えるなんて僕にとっては無意味なことなんだ。 本当に !」。 近頃のギター・プレイがあまりパットしないがゆえ、それに対しての技術革新も他の楽器よりも はるかに顕著である。 ウェス・モンゴメリは独創的なギタリストだけでなく、素晴らしくダイナミックなセンスをも持っ ており、弾き始めれば乗りに乗り、集中するに従って唇を噛みしめる。 それからオクターヴ・プレイとコード・プレイへで興奮を高め、締め括りへとゆっくり落としてい く。満足げな微笑みが彼の顔をしわくちやにしているのは、自分のプレイが良かったというこだ。 彼はある夜、スコット・クラブでこれをバラッドで完璧にこなした。私の後ろにいた賢そうな若者 ・・新たなオーディエンスの象徴とも言える・・が息をのんでもらし「すげぇ..。」という言葉を 私は聞いて聞かない振りをした。というのも、この夜の彼は超ー流だったと思ったから。                              =Jazz Monthly May,1965= 参考