beginnings
 最後にウェスがケリィ・トリオと出演した "第12回
ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル" の模様に
ついて紹介しておく。
このフェスティヴァルも今年で40数回続けられており
全米一息の長いものらしい。
全米一といえば州としても一番小さく人口2〜3万人
のロードアイランド州はニューヨークとボストンのほ
ぼ中間、そのニューポート市はニューヨークから車で
北東に4時間走った所の美しい港町で夏は有数のリゾ
ート地として、またヨットレースの「アメリカ・カッ
プ」の発祥地で「テニスの殿堂」の所在地でもあり、
日本では幕末に黒船でやって来たペリー提督の生誕地
でもある。
少し横道に反れてしまったが、左のジャケットはブル
ー・ノート・リイッシュー・シリーズとしてリリース
された《ビギニングス》であり、まさにニューポート


会場での風景である。
1965年7月1日〜4日にかけて開催されているのだがウェス・アンド・ケリィ・トリオは最終の4
日(日曜)の昼の部に出演した。

 「日曜の午後に、ギタリストのウェス・モンゴメリはえり抜きの3曲を尽きない独創性と伝染性
を帯びた精力を持って演奏しきった。
彼のプレイを乗せていたのは、このフェスティヴァルの中で最も統率のとれ、かつ最高にスウィン
グしたリズムを聴かせた "ウィントン・ケリィ・トリオ" であった。
ベースのポール・チェンバース、ドラムスのジミー・コブとともにケリィは素晴らしいサウンドを
聴かせたが、特にいい出来映えをしめしたのはタッド・ダメロン作の〈イフ・ユー・コールド・ス
ィー・ミー・ナウ〉だった。
ケリィが最も心酔している作曲家のひとりであった。」

 さらに興味あることで、3日の夜の部に弘田三枝子さんが出演していたのである。
「フェスティヴァルの他の呼び物は、日本から来た女性シンガーの弘田三枝子は溌剌として自信と
情熱に満ちていたが、それは恐らく彼女の実質的な才能に見合う以上のものだろう。
彼女の長々としたステージには、クラリネット奏者のトニー・スコットとのデュエットも織り交ぜ
ながら、スキャットも聴かせていた。
ミス弘田はリズム感と声量に恵まれており、TV出演やラスベガスのステージでも上手く演っても
らいたいものだと思う。」

 以上はダウン・ビート誌からの記事なんですが、もし弘田三枝子さんがウェス等と共演していた
ならと、このニアミスにとても残念に感じた。